2013年9月20日金曜日
「盗難考」
刑事ドラマといえばほぼ殺人事件の犯人捜しですが、最近は窃盗に関するドラマもあるようです。この盗難というものは、殺人とはまた違った深い絶望を感じさせられるものです。個人が所有する物にはそれぞれ歴史があり、それに付随する感情が詰まっているからです。以前、ヨーロッパでカメラを盗まれたバックパッカーの若者が、
「カメラはあげるから中のフィルムだけ返してほしい。」
と、誰とも知れぬ窃盗犯に対して一人叫んでいたのを見たことがあります。旅行中に写したものが全部ないというのは大きな喪失感でしょう。盗難の一番の問題はまさにこの点、すなわち、被害者の深い失望感、そしてそこから来る犯人への恨みが、犯人の耳に届くことがほとんどないことにあると思います。
これについて思い出すことがあります。勤めていた学校で一度使っていたカセットデッキがなくなったことがありました。英語科準備室の外にデッキを出しておくと英語係が教室まで運んでくれることになっていたのですが、或る時それが紛失しました。「探しています」の張り紙を出したところ、「返してほしくば3万円・・・」といたずら書きがされていました。ここに至って盗難とわかり、
「盗んだだけでは飽き足らず、無くなって困っている人を愚弄するとは。」
と私は完全に切れました。
「いやしくも学校という場でこんな蛮行を許してはならない。」
と心に誓い、犯人探しではなく盗難品を取り戻すことに目標を定めました。
少し調査をすると時間割の関係からほぼクラスが特定されましたが、困ったのはそれが持ちクラスではない、それどころか全く接点のない学年だったことです。逆に言うと、そうでなければおそらく盗難自体起きなかったとも考えられるのですが。
そこで、そのクラスの授業を持っている先生に、
「わけは聞かずに授業時間のうち10分ください。それから申し訳ありませんが、廊下にいて話は聞かないでください。」
と頼みました。
教室に入りここに至る事情を話し盗難の件を告げると、反発の声が上がりました。無理もありません、その場にいるほとんどの生徒は無関係なのですから。しかし、私はその声を一喝し、無くなった物がどんなに大切なものかを話し、物を盗られた人間の怒りをぶつけました。怒っていたのは事実ですが、それよりなにより、人間の生の怒りをわからせるためおおげさな演技をしました。最後は、
「こんなことをしていたら将来決していいことはない。人の恨みはなんらかの形で必ずその身に降りかかる。今回のことは返してくれればそれでよし、それ以上は問わない。でも返さなかったら、一生絶対許さないからな~。」
と絶叫して教室を出ました。
2日後のことです。同僚がカセットデッキを持って現れました。
「これ、川辺野さんのじゃありませんか。」
「ど、どこにあったんです?」
「職員室前の廊下にありましたよ。」
戻ってきたのです。犯人が反省したのかどうかはわかりませんが、少なくとも私が本気で怒っていたことはわかった証です。日本では落し物がかなりの確率で交番に届けられ落とし主に戻って来るというのは、おそらく「誰も見ていないからといって不当な利得を得れば、いつかきっと天罰が下る」という言い習わしが心のどこかにあるためだろうと思います。私の行動は教員としての指導ではありませんでしたが、人間としての対応の仕方としてはこれでよかったと思います。キリスト者としては・・・最後の一言が失格ですね。