2013年8月5日月曜日

「日本とドイツ 言葉による安全保障」


 ドイツのどこの都市だったか覚えていないのですが、あまり大きくない、でも始発駅のことでした。発車時間までまだだいぶありましたが、列車に乗り込みがらがらの車内でのんびりしていた時のことです。お母さんが小さな女の子の手を引いて急いでやってきて、私の向かいの席に座らせて言いました。
「あなたはどっち?」
どっちというのは、ドイツ語話者か英語話者かという意味です。
「英語でお願いします。」
と言うと、
「この列車に乗るのだが、預けてある手荷物を取って来るまで子供を見ていてほしい。」
とのこと。こころよく引き受け、女の子に挨拶し、初級ドイツ語で年齢を尋ねると6歳と答えました。とても物静かなお嬢さんで私の会話力では間がもちませんでしたが、まもなくお母さんが大荷物とともに現れ、礼を言うと子供を連れて空いているボックスへと移って行かれました。

 こんなとき日本ではどうするだろうなと考えてみました。地元のおじさん・おばさんが乗っているようなローカル線なら同じようにするかもしれませんが、スーツケースを持ったどうみても旅行中の外国人に、「子供を見ていてほしい」とは頼まないのではないでしょうか。おそらく周囲に聞こえるように、
「お母さん、すぐに荷物を取って来るからね。じっとしててね。」
と言って子供を残していくのではないでしょうか。

 しかし、ドイツではそうはいかないのです。子供を一人で残すこと自体やってはならないことでしょうが、それ以上に、誰であれ言葉を交わして話をすることが不可欠なのです。っとえ相手の得体が知れなくても、黙って言葉を交わさずにいるよりはまだしも安全なのです。

 このことは最近は日本でも認識されるようになってきたようです。住人同士がよく挨拶するマンションでは空き巣が入りにくいと聞きますし、花壇を増設し水やりなどを通して挨拶や会話が生まれることで犯罪発生率を大幅に減らした足立区の取り組みなどはよく知られています。DJポリスの話術が話題になっていますが、言葉ほど効力を発揮する武器はなく、相手に対する話し方次第で関係が良くも悪くもなるのは誰しも体験済みでしょう。長年の習慣で、日本では言葉を飲み込んでしまうことも多いですが、もう言葉による最低限の意思疎通は、安全保障の面から必要だなと痛感するこの頃です。