2013年8月14日水曜日

「マクベス夫人の憂愁 4」

 今からみればゆるぎない一時代に見えるエリザベス女王の治世も、危ない綱渡りの連続でした。とりわけ、亡命してきたスコットランドのメアリー・スチュアートの処遇をめぐってエリザベスは注意を怠りませんでした。自分はいわば庶子ですがメアリーは直系であり、イングランド王位継承権において優位な立場にいたからです。エリザベスは天才的な政治手腕を発揮し、メアリーに肩入れしてスコットランドに派兵することも、逆に彼女をスコットランドのプロテスタントの手に渡して危険にさらすこともせず、19年間イングランドに抱え込みました。その間メアリーが一度ならずエリザベス廃位の陰謀に関わったにもかかわらず、処刑執行令状への署名を延期し続け、イングランドにとって最もよい時期に彼女を処刑したのです。しかし、そっけない歴史的事実として、エリザベスはそのメアリーの息子のジェイムズに王位を継承することになるのです。ここに現在の我々には想像しがたい王位継承の過酷さがあります。

 マクベス夫人の死の知らせを聞いてマクベスは言います。
She should have died hereafter; There would have been a time for such a word.
この言葉は従来様々に解釈されてきました。「いつかは死ぬはずであった。そういう知らせを聞くことがあるだろうと思っていた。」と解釈するものと、「もっと後に死んでくれればよかったのに。そういう知らせにふさわしい時があったろうに。」と解するものとに大別されます。どちらかを選べと言われるなら、これは後者でしょう。前者は、マクベスが相棒と言ってよい妻について語る言葉として、あまりに距離感がありすぎます。そんな悠長に構えている場合ではないのです。後者は要するに、「なにも今死ななくてもよかったのに。」という意味ですから、この言葉をシェークスピアのエリザベス女王の死に対する率直な感慨だとすれば、これ以上の説明は不要でしょう。

 最後の「動くバーナムの森」や「女から生まれたのではないマクダフ」の落ちは、いかにも芝居向きの趣向ですが、シェークスピアはあたかもホリンシェッドに則ってジェイムズ一世好みの芝居を書いたようにみせて、ひそかにエリザベス女王の追悼を行ったのであり、これは女王への挽歌なのです。いかに優れた王であろうと世継ぎがない以上、王位は王家の直系の子孫に受け継がれていくのです。エリザベス朝はすでに遠く、今を生きる者たちは何があろうと「明日、また明日、また明日と」一日一日を時の道化として歩んでいかざるを得ないのです。