2013年8月29日木曜日

「紅春 33」


 食に関してりくは全くガツガツしたところのない犬で、時々もうちょっと食欲があればいいのになと思うことがあります。りくに食事させるのは結構大変です。ドッグフードだけを食器に入れても食べるのはよほどお腹が空いている時で、たいていはふうっと匂いを嗅いでそのまま行ってしまいます。
「そんなわがまま言う子は食べなくていいんだ。」
と私は言うのですが、また戻ってきてこちらの顔をうかがっているので、ついトッピングをしてしまいます。

 りくの戦略はただ一つ、「食事は急がない」です。夏の暑い時、食欲が落ちあまりに食べないので、「このままでは夏バテしてしまう。」と、お肉やら卵やらチーズやらを混ぜて食べさせていたことから、「食べずにいるとだんだんおいしいものが出てくる」と学んだようです。 なるべくドッグフードを食べさせ、あとはご飯のおかずを少し分けてあげますが、やはり人間の食べ物の方がおいしいので、ドッグフードをえり分けて食器の外に出しながら食べています。

 先日、愛犬を亡くされた方から「りくちゃんに。」と、缶詰を3缶いただきました。「ひな鶏レバーの水煮」という、りくがついぞ食べたことのない高級品です。さっそくその晩いつものドッグフードを混ぜてあげてみると、ひどく勢い込んで食べています。普段は残すドッグフードもきれいに完食! しかも、いつもは食べ終わるとスーッといなくなるのに、この日はいつまでも私のそばをうろうろしています。よほどおいしかったのでしょう。
「さくらちゃんに『おいしいものありがとう』って言わねばね。次は・・・2か月後のお誕生日!」
これは意地悪からではありません。

2013年8月28日水曜日

「日本人から学ぶ10のこと 10 things to learn from Japanese」

 震災から数か月後に、ハリウッドの映画業界で働くアメリカ人が友人に書き送ったメールを見つけましたので紹介します。このメールは瞬く間に映画業界はもちろんIMFや国連、世界銀行のスタッフの間を駆け巡ったと言われています。

1.THE CALM 冷静さ
   Not a single visual of chest-beating or wild grief. Sorrow itself has been elevated.
  大げさに騒ぐ人はなく、嘆きにくれて泣き叫ぶ人の姿もない。ただ、悲しみ自体だけがこみあげている。

2. THE DIGNITY 尊厳 
   Disciplined queues for water and groceries. Not a rough word or a crude gesture.
  整列して水と食料の配給を待つ姿。過剰な言葉を吐いたり、下品な行動をとる人は誰一人いない。

3. THE ABILITY 能力
   The incredible architects, for instance. Buildings swayed but didn’t fall.
  信じられないほど技術力豊かな建築家たち。建物は揺れたが倒壊しなかった。

4.THE GRACE 気品
  People bought only what they needed for the present, so everybody could get something.
  誰もが何かを入手できるように、人々は当面必要なものだけを買った。

5.THE ORDER 秩序
  No looting in shops. No honking and no overtaking on the roads. Just understanding.
  店を略奪する暴徒、車のホーンを鳴らす者、無謀な追い越しをする人がいない。あるのは相互理解のみ。

6.THE SACRIFICE 犠牲
  Fifty workers stayed back to pump sea water in the N-reactors. How will they ever be repaid?
  原子炉に海水を注入するために50人の作業員が原発に居残った。彼らにこの恩をどう返せばよいのか。

7.THE TENDERNESS 優しさ
  Restaurants cut prices. An unguarded ATM is left alone. The strong cared for the weak.
  レストランは値下げし、警備されていないATMが破壊されることもない。強いものが弱いものを労わった。

8.THE TRAINING 訓練
  The old and the children, everyone knew exactly what to do. And they did just that.
  老人や子供も、皆何をしたらいいかをちゃんと知っており、それを淡々と実践した。

9.THE MEDIA メディア
   They showed magnificent restraint in the bulletins. No sensationalizing. Only calm reportage.
  メディアはニュース速報に関して最善の配慮をした。センセーショナルな報道を控え、冷静なルポに徹した。

10.THE CONSCIENCE 良心
  When the power went off in a store, people put things back on the shelves and left quietly.
  店が停電になった時、買い物客は品物を棚に戻し、静かに店を立ち去った。

 世界基準からは全体として日本と日本人がどう見られているか、考える手がかりになると思います。日本があの悲惨な大災害の中で、どれだけ世界に希望を与えたか日本人はもう少し自覚してもいいのではないでしょうか。

2013年8月26日月曜日

「DBとの戦い」


 初めてドイツを訪れた時、移動方法は全面的に鉄道でした。駅や列車が好きなのと、時刻表さえあれば間違いなく移動できるからですが、切符を並んで買うのが面倒で(相当列をなしていて時間がかかることも多いのです。)、ユーレイルパスを使っていました。英国旅行ではブリットレイルパスが便利でしたが、ジャーマンレイルパスは使い方に制約があり不便そうだったのでユーレイルパスにしたのです。ヨーロッパ中移動できるパスなので割高でしたが、時間がなくても滑り込めるし、いつでも一等に乗れるので便利でした。

 パスと言っても飛行機の搭乗券くらいの大きさでしたが、検札が来てもそのパスを見せるだけで何の問題もなく旅行していました。ところが、或る時やって来た検札の人が、
「これはダメだ。」
と言いました。理由を聞くと、その切符は本物ではない、控えだと言うのです。最初何のことかわからず、これは間違いなくユーレイルパスでこれまで問題なく列車に乗れていたことを話しましたが、やはり「これではダメ、もう一枚の方。」と言われ、あやうくどこかに連れて行かれそうになりました。その時思い出したのが、「もう一枚の紙」です。そう言えばユーレイルパスを買った時、「控え」として大きさは同じくらいでしたがペラペラの薄い紙をもらったことを思い出しました。高額なので紛失した時のためのものなのだろう、必要になることはまずないだろうとスーツケースにしまってありました。

「ありますっ。」
と言って、スーツケースをガバッと開け探したところ見つかりました。いろんなものがごちゃごちゃ詰まったスーツケースの中身を見られるのは恥ずかしかったですが、そんなことを気にしている場合ではありません。犯罪者扱いされようとしているのです。その紙を車掌に向かって燦然とかざすと、
「あっ、これでいいんだ。」
と言って行ってしまいました。「えっ、謝罪の一言もないの?」とのけぞり拍子抜けし、それから怒りがこみ上げてきました。しかしよくよく考えてみれば、これは本体と控えを取り違えた私の勘違いが生んだ事態なのです。今まで切符と思っていたものが実は控えで、それでもそれまでの検札が大目に見てくれていたのです。独り相撲と言えばそうなのですが、DBとの戦いにどっと疲れました。

2013年8月23日金曜日

「若冲展」


 7月下旬の日曜日、自転車で福島教会に行く道すがら、県立美術館のわきを通った時のことでした。思わず「えっ。」と思ったのは駐車場に車がいっぱいで、なおどんどん入ってくる車列を見た時でした。私の知る限り、ここが満車になったのは初めてです。ふと止まって看板を見ると、「若冲が来てくれました」と書いてあります。恥ずかしながら、私にはそれが人名であることさえわかりませんでした。しばらく後に、この絵画展は「東日本大震災で被災された人々、とりわけこれからを担う子供たちにぜひ見てほしい」とのプライス夫妻の強い願いから実現した若冲展であることを知りました。

 私もぜひ見たいと思い、先日それが実現しました。開館直後に行ったのですが、すでにチケットを求める人が並んでいました。仙台、盛岡を巡って最後の会場となったためか相当混んではいましたが、そこは東京の美術館とは程度が違い、譲り合ってガラス越しにじっくり見られる時間もありました。思ったより近づいて見ることができたので、私の視力でもそれなりに鑑賞することができました。

 展示作品は伊藤若冲だけでなく、長沢芦雪や酒井抱一など江戸時代を代表する画家の作品も数多くありました。江戸絵画どころか、私は日本画というものをちゃんと見たことがほとんどないのですが、気づいたこととして特徴的なのは、花なら花、動物なら動物が単独で描かれることが非常に少ないということです。それぞれの絵には、子供にも親しみやすいように子ども向けのタイトルがつけられており、例えば「ハチを見上げるサル」「白い象と黒い牛」「ヤナにかかったアユとカニ」「雪の積もったアシとオシドリ」などとなっています。何か一つにスポットライトを当て、それ以外は背景として描く洋画とは違うのがよくわかります。さらに、例えば「白い象と黒い牛」では、寝そべった象の体の上にはカラスと思われる二羽の鳥が、同じく寝そべった牛の足元には犬らしき白い動物が描かれているといった具合です。

 プライス夫人が「これだけでも被災地の方々に届けたい」と願った、一番有名な「鳥獣花木図屏風」の子ども向け作品名は、「花も木も動物もみんな生きている」となっています。屏風の左手には40数種類の鳥が、右手には29種類の哺乳動物が描かれて大変楽しい絵です。この絵を見ているうちに、子ども向け作品名にもう一字加えた方がよいと思えてきました。おそらくより正確には、「花も木も動物もみんなで生きている」なのでしょう。

2013年8月21日水曜日

「那須高原サービスエリア」


 東北自動車道の那須高原サービスエリアは最近きれいに改装され、休憩をとるのによい場所となっていますが、ここにはペット用の散歩スペースがあります。木立が茂るいかにも涼しそうなところに木製の歩道が続いており、ベンチやちょっとした遊具がいくつか配置されていました。もし、りくを連れてここに来たとしたら絶対寄ってみたい風情のところでした。実際、犬を連れた人が数人いました。

 あれっと思ったのは、その入り口に掲示があり、正確な文面ではないかもしれませんが、「ペットをお連れでない方はご遠慮ください。」と書いてあったことです。見間違いではないかとよく見ましたが、そう書いてあります。ペット連れでない人に迷惑にならないようにということなのでしょうが、これは行き過ぎでしょう。ペットなしでもつい行ってみたくなる雰囲気の場所なのですから。せめて「ペット連れでも利用できます。」
くらいの表示でよかったのではないかと思います。

 同様の意見の人が多かったのか、次に行ったときは掲示は何一つなくなっており、同時に人影のない場所となっていました。あの掲示を見たのは幻ではないと思うのですが、最近この手のことに自信がありません。

2013年8月19日月曜日

「時空の制約の中で」


 最近つくづく思うのは、人がいかに時代や環境の制約の中でしか生きられないかということです。私が生まれた時からさかのぼると百年もしないうちに明治維新になりますが、その頃日本は内戦状態であり、日本国民という意識があったかどうかは別として、日本人同士が殺し合いをしていたのです。百年といえば、言って見れば「ついこの間」のことです。また、世界では三十幾つもの紛争地域があり人々は端的に殺し合いをしています。

 朝起きて、今日のスケジュールを確認して「あー、やることがたくさんある。」と思ったり、夜になり「あー、一日何もせずに終わってしまった。」と思ったりできるのは、人類史的に見れば恵まれた人であり、贅沢な悩みと言わざるを得ません。まして、食事を三度三度とれ欲しいものはお店に行けば手に入るなどというのは、もう目もくらむような僥倖です。

 にもかかわらず、周囲の人も同じ時代、同じ社会環境で生きているためそのありがたみを意識することはありません。それどころか、他人とのわずかな違いに目が行きそこから優越感や劣等感を感じるのです。他人との比較は自分を客観視するには必要ですが、人に積極的な効果をもたらさなかったり心をむしばんでしまうこともあるので、ほどほどにすべきでしょう。人類史的な視点から現代の日本に生きる生活を見れば、自分を大切にし日々を丁寧に生きるすべを考えるしかないなと思います。

2013年8月15日木曜日

「紅春 32」


 私が子供の頃は福島は、夏とても暑い土地として有名でした。
「今日も全国で一番暑かったよ。」
という日がよくあったのです。しかし今、東京から福島に来ると、明らかに涼しいと感じます。思い出してみればあの頃は暑いといっても34℃、最高に暑くても35℃くらいだったと思います。一般家庭にエアコンが入ったのは私が高校生の頃で、それまではぬれタオルと扇風機だけでなんとかやっていたのです。今、日本で一番暑い地域はそれより5℃以上も気温が上昇しており、熱中症による命の危険を心配しなければならなくなりました。

福島は相対的に涼しくなったといっても、毛皮を着た身にはやはり暑いようです。朝早くの散歩はいいのですが、その後はもう暑くなり夕方まで外に出せないこともしばしばです。外に行きたいと言うこともありますが、実際出してみると「やっぱり無理でした」と自分でわかり、「家に帰る」と言います。家の中では風の通り道など比較的涼しいところにいますが、茶の間にいる時は父がエアコンをかけてあげています。父はエアコンも扇風機の風も苦手で、普段何も使わずに暑い茶の間にいることが多いのです。私がエアコンをかけると、「暑くない。」と言って切ってしまうほどです。それなのにりくがいると、
「あの子は暑さに弱いから。」
と言って自分でエアコンをかけるのです。これっていったい・・・。もはやりくはお犬様の域に達しているのです。

2013年8月14日水曜日

「マクベス夫人の憂愁 4」

 今からみればゆるぎない一時代に見えるエリザベス女王の治世も、危ない綱渡りの連続でした。とりわけ、亡命してきたスコットランドのメアリー・スチュアートの処遇をめぐってエリザベスは注意を怠りませんでした。自分はいわば庶子ですがメアリーは直系であり、イングランド王位継承権において優位な立場にいたからです。エリザベスは天才的な政治手腕を発揮し、メアリーに肩入れしてスコットランドに派兵することも、逆に彼女をスコットランドのプロテスタントの手に渡して危険にさらすこともせず、19年間イングランドに抱え込みました。その間メアリーが一度ならずエリザベス廃位の陰謀に関わったにもかかわらず、処刑執行令状への署名を延期し続け、イングランドにとって最もよい時期に彼女を処刑したのです。しかし、そっけない歴史的事実として、エリザベスはそのメアリーの息子のジェイムズに王位を継承することになるのです。ここに現在の我々には想像しがたい王位継承の過酷さがあります。

 マクベス夫人の死の知らせを聞いてマクベスは言います。
She should have died hereafter; There would have been a time for such a word.
この言葉は従来様々に解釈されてきました。「いつかは死ぬはずであった。そういう知らせを聞くことがあるだろうと思っていた。」と解釈するものと、「もっと後に死んでくれればよかったのに。そういう知らせにふさわしい時があったろうに。」と解するものとに大別されます。どちらかを選べと言われるなら、これは後者でしょう。前者は、マクベスが相棒と言ってよい妻について語る言葉として、あまりに距離感がありすぎます。そんな悠長に構えている場合ではないのです。後者は要するに、「なにも今死ななくてもよかったのに。」という意味ですから、この言葉をシェークスピアのエリザベス女王の死に対する率直な感慨だとすれば、これ以上の説明は不要でしょう。

 最後の「動くバーナムの森」や「女から生まれたのではないマクダフ」の落ちは、いかにも芝居向きの趣向ですが、シェークスピアはあたかもホリンシェッドに則ってジェイムズ一世好みの芝居を書いたようにみせて、ひそかにエリザベス女王の追悼を行ったのであり、これは女王への挽歌なのです。いかに優れた王であろうと世継ぎがない以上、王位は王家の直系の子孫に受け継がれていくのです。エリザベス朝はすでに遠く、今を生きる者たちは何があろうと「明日、また明日、また明日と」一日一日を時の道化として歩んでいかざるを得ないのです。

2013年8月12日月曜日

「マクベス夫人の憂愁 3」


 『マクベス』の中でマクベス夫人は血も涙もない非常な人物です。彼女自身が「私を女でなくしておくれ。」と言っているように、ことごとく女性らしさを奪われ、男以上のものになっていますが、ダンカン殺しが正統な王位奪回であるなら、彼女は完璧な働きをしたことになります。政治に情けは無用であり、冷静沈着な判断と時機を得た演技が必要なのです。マクベス夫人は男でも瞬く間に消耗する激務の連続である国政を、45年にわたって過たずつかさどってきたエリザベス女王を彷彿とさせます。王位という巨人の衣服を着せられたイメージで語られるマクベスとは違うのです。マクベスは「男にふさわしいことならなんでもやる」と言います。マクベス夫人とて同様ですが、ただ一つ、彼女にできないことがあるとしたら、それは女にしかできぬこと、すなわち後継ぎを残すことだったのです。

 戴冠後の祝宴の場でマクベスとマクベス夫人は対照的な姿を見せます。王妃の座についたままで貫録十分のマクベス夫人に対し、マクベスは主人役であれこれ気を遣いながらも、宴を抜けてバンクォー暗殺の報告を聞いたあげく、その亡霊に席を取られて取り乱します。ところが、ここでマクベスを叱り飛ばし座を取り繕ったマクベス夫人を、次に我々が目にする時、彼女はすでに夢遊病者となっているのです。この部分はシェークスピアの全くの創作です。この変わりようについていけず、マクベス夫人における性格の一貫性や抑圧された罪の意識について論じ始めることはナンセンスでしょう。

 この描写が表すのはもっと単純なことなのです。この芝居に限らず、シェークスピアにおいてそれまでと矛盾する変化やおかしな違和感を感じる時、そこには相当な年月の流れが示されているというのが、私が得た読み方の法則です。当時の観客なら、ここで17年という歳月の流れを苦も無く読み取ったことでしょう。マクベス自身も言っているではありませんか。「長いこと生きてきたものだ。俺の人生は黄ばんだ枯葉同然になってしまった。それなのに、老年につきものの名誉、敬愛、服従、良き友人など俺には期待できそうもない。」
月日が流れて二人は老年に達したが、世継ぎが得られなかったという結末なのです。しかし、世継ぎを得るということは王権にとって何にもまして重要なことです。王妃以外の何者でもないマクベス夫人が、王位を継承する子供がいないことで精神を病んだのはむしろ当然のことでしょう。いやそれどころか、彼女は予言の後半部分、「バンクォーの子孫が王位を継ぐ」ことになることさえ聞いていたことでしょう。個人名を持たない彼女は、王権と離れたところに存在し得ず、もう生きるべき未来がないのです。戸棚をあけて紙に何かを書き記し、読み直して封印するというのは、何か密書でも作成する行為なのでしょうが、さらに王権奪還の殺人を眠りながら繰り返すというのは、凄まじいまでの執着といわねばなりません。手からいまわしい血の臭いが消えないと彼女は叫びますが、それが王権につきものであることを誰より知っているのです。


2013年8月9日金曜日

「マクベス夫人の憂愁 2」


  『マクベス』は大変テンポのはやい凝縮した芝居です。御前公演用に書かれた戯曲であるにしても『ハムレット』の半分あまりというのはいかにも短い。が、ここにはホリンシェッドの『年代記』において10年の善政と7年の悪政からなるマクベスの治世が凝縮されているのです。

 この芝居はバンクォーの子孫と伝えられているジェームズ一世の前で演じられたのですから、その点では細心の注意が払われています。義弟のデンマーク王を迎えての余興用ということでは、ノルウェー王指揮下のデンマーク軍によるスコットランド侵攻をノルウェー王とその軍隊と書き換えており、また『年代記』においては、バンクォーもダンカン殺しの陰謀の相談に与っているのですが、『マクベス』ではもっぱらその役目はマクベス夫人にゆだねられることになります。しかも、史実としてはマクベスはダンカンを暗殺ではなく、戦場で堂々と打ち破って王となったのです。

 それにしても、なぜマクベス夫人はこれほどまでに極悪非道の人物として描かれているのでしょうか。勇猛な武将としてのマクベスの描写はあっても、マクベス夫人の過去は闇の中に沈んでおり、彼女は初めから王妃になるべきものとしてふるまっています。
「あなたのお手紙を読んで、私は何も知らない現在を飛び越え、今この瞬間に未来を感じています。」
彼女のマクベスへの第一声です。歴史上のマクベス夫人の名はグロッホですが、『マクベス』では個人名は一度も明かされません。クローディアスの妻はガートルードであり、オセローの妻はデズデモーナですが、マクベス夫人は「マクベス王の妻」以外の名を持たないのです。これに関してシェークスピアの意図は明らかです。かつて大竹しのぶがマクベス夫人を演じた時、(私は見ていませんが聞くだにすごそう。)、平凡な一人の女としての破滅を演じきったそうですが、マクベス夫人はただの平凡な女ではありません。王妃でありマクベス王の妻なのです。

 『マクベス』は確かに『年代記』を種本にして、王の不興を買わぬよう、むしろ歓心を買おうとするかのごとく書かれているように見えますが、この芝居は徹頭徹尾、王位継承の残酷劇です。王位継承は国家の最重要事項であり、つい3年前に王権の交代を経験したシェークスピアが考えもなしに選んだ題材であろうはずがありません。

 シェークスピアがホリンシェッドの『年代記』を下敷きに『マクベス』を書いたことに間違いはありませんが、彼はそれ以上のことも知っていたのです。マクベス夫人がごくまれにもらす過去に関する言葉がそのことを物語っています。
「わたしは赤ん坊に乳をやったことがあります。自分の乳房を吸う赤ん坊がどんなにかわいいか知っています。」 
このマクベス夫人の言葉はその後に続く「でも私は、微笑みかける赤ん坊のやわらかい歯茎から私の乳首をもぎはなし、その脳みそをたたきだしても見せましょう。さっきのあなたのようにいったんやると誓ったなら。」というすさまじい語気に押されてただのたとえのように感じられてしまいがちですが、シェークスピアはマクベス夫人には先夫との間に子供がいたという史実にさりげなく触れているのです。(ホリンシェッドにはマクベス夫人の子供への言及はありません。) 

 ダンカン殺害の場面での「寝顔が父に似ていなければ、私が自分でやったものを。」という台詞にしても、彼女の弱さや罪の意識のあらわれとみるのは的外れです。シェークスピアにおいて、誰かと誰かが似ているという場合、そこに血縁関係を読み取るべきだというのはほぼ確かなことでしょう。(このあたりは少女漫画と変わるところがありません。他人だったはずの登場人物が軒並み血縁関係だったという路線の、或る時期の一条ゆかりの作品などと同様です。) ダンカンの祖父(そして生まれる前に亡くなってはいるがマクベスの祖父でもある)マルコム二世は、ダンカンに王位を継がせるために他の男系相続者を殺したのですが、その中に父を殺された女がいました。彼女こそが後のマクベス夫人なのです。

 おそらく、シェークスピアはもう少し知っていたはずです。それまでスコットランドでは直系の子孫への王位継承というものは行われず、王家の二つの家系の間で適齢以上の男子の中から力量のあるふさわしい人物が交代で王位につくシステムがとられていたのですが、このルールを破って王位についたのがダンカンだったということです。王位継承のシステムが暴力的に変えられたのです。『年代記』ではマクベスはダンカンの従兄弟であり、マクベス夫人が前王ケニス三世の孫娘であることを考えれば、従来のシステムではマクベスにはダンカンと同等かそれ以上の王位要求の根拠があったのです。

 後に夢遊病者となったマクベス夫人が言う、「それにしても、老人にあれほどの血があろうとは。」という言葉に示されているように、夫人が無意識の中で殺しているのは、まだ青年にならぬ息子を持つダンカンというより、その祖父であり、父の敵である、マルコム二世なのです。歴史は権力者の手によって書き換えられるものであり、まさに「きれいはきたない、きたないはきれい」が日々の現実でした。シェークスピアは史実を知りながら、いや、知っているということをカムフラージュしながら、ジェームズ一世の前ではマクベス夫妻を徹底的にきたなく描いたのです。誰もが政治的人間にならなければ生き延びられない時代でした。

2013年8月7日水曜日

「マクベス夫人の憂愁 1」


 王子の誕生に沸く英国のニュースを聞き、王権の交代についてぼんやり考えながら、私はなぜかエリザベス一世やマクベス夫人のことを思い浮かべていました。王が代わるということがどういうことか、現代の日本人である私には想像がつかないのですが、大きな不安を伴う事態であることは間違いありません。1603年3月24日、45年もの長きにわたって英国を治めたエリザベス一世が他界した時、シェークスピアはまもなく40歳という頃です。彼は52歳で亡くなっていますから、どちらかというと晩年に近いかもしれません。いずれにしても、国民の相当数がエリザベス以外の統治者を知らずに過ごしてきたのです。

 さて、血縁の男子というエリザベスの遺志により、スコットランド王ジェイムズ六世がジェイムズ一世として迎えられましたが、案の定というか、国民の生活は変化を余儀なくされました。彼はピューリタンやカトリックに対する対応を誤り非国教徒を弾圧し、また王権神授説を信奉する彼は議会というものが理解できず、エリザベス一世が丹念に築き上げてきた王権と議会の関係を踏みにじる政策を行いました。軍事、外交においても、エリザベスの偉業を水泡に帰すほどの無能ぶりでしたが、ひとつだけ発揮された才能は、有名な欽定訳聖書(キング・ジェームズ・バージョン)に結実する神学ヘの造詣の深さであり、演劇の愛好にみられる文芸擁護の姿勢でした。

 つまり、英国にとってはまことに暗澹たる時代の到来でしたが、シェークスピアをとりまく状況はそうとばかりはいえなかったのです。というのは、ジェームズがロンドン到着後二週間もたたぬうちに、シェークスピアとその同僚8名は「国王一座」としてとりたてられ、ペストが猖獗をきわめ劇場がほぼ1年以上も閉鎖されたというのに、10年前と違ってシェークスピアはもはや詩を貴族に捧げて庇護を請う必要はなかったのです。クリスマスシーズンのハンプトン・コートでの上演には103ポンドという多額の報酬が払われていますし、ペストで1年以上ものびのびになっていたジェームズ一世の入場式典に際しては、国王一座の座員はお仕着せ用の真紅の布を賜っています。統計によれば宮廷での上演回数は、国王一座になる前の10年間においては年平均3回でしたが、それ以後の10年間では年平均13回となっており、これはロンドンの他の劇団の上演回数の合計を上回っています。またこの劇団The King's Menは文字通り、「国王陛下の従僕」であり、スペイン大使の武官長の接待やデンマーク王歓迎の宮廷演劇など、微妙な外交行事にかかわることになります。

 『マクベス』は1606年8月にデンマーク王クリスチャン四世を迎える御前公演のために書かれたというのが通説です。王室との関係が強まり経済的不安が薄らいだということばかりではなく、イニゴー・ジョーンズがもたらした種々の舞台装置が目新しいものとして人々の関心をひき、それと結びついたベン・ジョンソンの宮廷仮面劇が新分野をひらくなど、演劇を巡る状況も動いていました。このいいとも悪いともいえる時代の流れの中で、シェークスピアは『マクベス』を書いたのです。

2013年8月5日月曜日

「日本とドイツ 言葉による安全保障」


 ドイツのどこの都市だったか覚えていないのですが、あまり大きくない、でも始発駅のことでした。発車時間までまだだいぶありましたが、列車に乗り込みがらがらの車内でのんびりしていた時のことです。お母さんが小さな女の子の手を引いて急いでやってきて、私の向かいの席に座らせて言いました。
「あなたはどっち?」
どっちというのは、ドイツ語話者か英語話者かという意味です。
「英語でお願いします。」
と言うと、
「この列車に乗るのだが、預けてある手荷物を取って来るまで子供を見ていてほしい。」
とのこと。こころよく引き受け、女の子に挨拶し、初級ドイツ語で年齢を尋ねると6歳と答えました。とても物静かなお嬢さんで私の会話力では間がもちませんでしたが、まもなくお母さんが大荷物とともに現れ、礼を言うと子供を連れて空いているボックスへと移って行かれました。

 こんなとき日本ではどうするだろうなと考えてみました。地元のおじさん・おばさんが乗っているようなローカル線なら同じようにするかもしれませんが、スーツケースを持ったどうみても旅行中の外国人に、「子供を見ていてほしい」とは頼まないのではないでしょうか。おそらく周囲に聞こえるように、
「お母さん、すぐに荷物を取って来るからね。じっとしててね。」
と言って子供を残していくのではないでしょうか。

 しかし、ドイツではそうはいかないのです。子供を一人で残すこと自体やってはならないことでしょうが、それ以上に、誰であれ言葉を交わして話をすることが不可欠なのです。っとえ相手の得体が知れなくても、黙って言葉を交わさずにいるよりはまだしも安全なのです。

 このことは最近は日本でも認識されるようになってきたようです。住人同士がよく挨拶するマンションでは空き巣が入りにくいと聞きますし、花壇を増設し水やりなどを通して挨拶や会話が生まれることで犯罪発生率を大幅に減らした足立区の取り組みなどはよく知られています。DJポリスの話術が話題になっていますが、言葉ほど効力を発揮する武器はなく、相手に対する話し方次第で関係が良くも悪くもなるのは誰しも体験済みでしょう。長年の習慣で、日本では言葉を飲み込んでしまうことも多いですが、もう言葉による最低限の意思疎通は、安全保障の面から必要だなと痛感するこの頃です。

2013年8月2日金曜日

「にわか事業家」


 いろいろな品物の考案に凝りだしたのは、考えること自体が楽しいからですが、もう一つ無意識的な理由があったように思います。それはいよいよ福島教会の会堂建築が始まるので、そのための献金をしたいということです。齢85の父が老体にむち打って山形まで山菜を採りに行き、教会で細々と売って(「額は問題じゃない」と常々言っています。)会堂建築献金にしているのに、私が何もしないわけにはいきません。

 さて、ブロッコリーに対応できる野菜調理器具の考案です。葉物野菜(ほうれん草や小松菜など)とブロッコリーの調理方法の違いを考えるにあたって注意すべきは主に2点です。一つ目は茎の長さの違い、二つ目は水切り方法の違い(葉物野菜はしぼる、ブロッコリーは振る)です。この点に注意しながら、なべ用の調理器具を考えていましたがうまくいかず、そのうち誰もが気づくように、「ブロッコリーなら電子レンジで十分うまく調理できる」ということに思い至りました。私自身は電子レンジでの調理法に疎かったので思いつかなかったのです。しかし、この路線ならすでにシリコンスチーマーがあるので、「なあんだ」と終わりかけました。

 でも、市販のものを市場調査に行ったところ、大きさや値段、形状の点で工夫の余地があることがわかり、再び考え始めました。まず気になったのはふたです。本体自体もフニャフニャなのに、さらに別にあるふたは、私のような人はすぐどこかへやってしまいそうだなと思ったのです。ふたが一体型になっているものもありますが、重たそう、洗いにくそう、高価という印象でした。そこで開発品ができました。ふたなしのシリコンスチーマーです。もう一回り大きいのができればよかったのですが、手に入る材料はこれだけですし、デザインが生きるのはこのサイズだなとも思いました。使い勝手もとてもよいと自分では思います。

 こちらは今あるシリコンスチーマーの形状を変えただけなので、とても特許性はありません。でも今までなかった形状なので実用新案をとってみようと思いました。書類の書き方は特許申請とほぼ同じ、図面描きに手間取りましたがなんとかできて、再び特許庁へ行って出願しました。実用新案は特許と違い審査がないので比較的早く認められるようです。

 この製品を福島教会の方々や友達、知り合いに使っていただきましたが、評判は上々でした。しかしどうやって商品化すればいいのかわからなかったので、まず教会のバザーに出品。東京で出席している教会では、会堂建築献金ということもあってずいぶん買っていただきました。このように、各地の教会のバザーで扱ってもらえるかの検討をお願いし、バザーで販売する方向が一つありますが、もう一つ思ったのが「これはネット通販にうってつけではないか」ということです。しかし、教会は収益をあげてはいけないのでこれは別に事業化することにしました。不特定多数の方々を相手にするのは多少不安もありますが、ほぼ福島教会のホームページからしか入れないようにしておけばあまり問題も起きないでしょう。

 というわけで、にわか発明家転じてにわか事業者となり、事業所を立ち上げ(といっても、名前を付けて名刺を作るだけなので、これはとっても簡単でした。「光あれ」と同じで命名するだけでよいのです。)、ホームページを作ったり、郵便局に口座を新設したり、税務署に開業届を出したりと、今度はにわか個人事業者として多忙な日々となりました。商売などやったことがないので、経費の計算や確定申告などできるかどうか心配ですが、きっとなんとかなるでしょう。ささやかですが、楽しみながら(と言うのも変ですが、)会堂建築献金をささげられたらいいなと思っています。製品について興味のある方は次のサイトをご覧ください。







2013年8月1日木曜日

「にわか発明家」


 今まできちんとやったことのなかった家事を、勤めをやめてから真面目に取り組んでみることにしました。その結果、かなり改善点があるなとわかりました。ちょっとした不便を安価な工夫で改善できるかを考えるのはとても楽しい作業です。百円ショップに入り浸り、無限にある商品を眺めながら、「これ使えるかも。」「もうちょっとこんな形状の物ないかなあ。」などと考えるのは、まさしく小学校時代の発明工夫展出品以来。あれは結構好きだったことを思い出しました。

 野菜をたくさんとる生活で不便を感じたのは「おひたし作り」。料理慣れしている人にはなんでもないことなのでしょうが、私は一連の作業を考えただけで、「ま、今度でいいや。」と思ってしまうような面倒くさがりです。

 おまけにちゃんとした料理本には、「野菜を立ててまず根の部分をゆで・・・」と書いてあります。
「野菜を立てる?どうやって?」
この時点で私はつまづいてしまいます。キッチン用品を調査したところ野菜を立てる器具は見あたりませんでした。確かに私がいつもやっていたやり方では、根の部分のゆで加減に合わせると葉の部分は溶けそうになり、葉の部分のゆで加減に合わせると根の部分はちょっと堅いという不都合は感じていました。要は野菜がきちんと立たなくても、根の部分と葉の部分に分けてゆでられればいいのです。

 そこでこの目的にあった調理器具を作ってみることにしました。詳細は省きますが、この作業を進めていくうち、どんどんいろいろなアイディアが出て、「すごい大発明だ!」と思うようなものができました。

「一生に一度のことだ、特許申請をしてみよう。」
と、ここからにわかに忙しくなりました。まず、特許庁のホームページから先行発明を調べるのですが、これが本当に面白い。いずれ私の発明もそう分類されるでしょうが、爆笑ものの発明も多く、「人間って本当に突飛なことを考えるもんだなあ。」とうれしくなりました。(私見では納豆の撹拌に関するアイディアは特に圧巻ですが、これについての決定打はまだ出ていないようです。)野菜を立てる調理器具も見つかりましたが、私の目から見るといろいろ不備な点が見つかり、自分の発明の方が断然優れていると思いました。

 次に出願書類「特許願」の作成に取りかかりましたが、なんというかあれは一見日本語で書かれていますが、日本語ではありませんね。国語の先生ならいくら添削してもしきれないでしょう、本当にひどい日本語です。見よう見まねで一応書きましたが、なにしろ初めてなのでちゃんと書式に則って書けているのかどうかもわかりません。しかも、一度出してしまうと不備があってボツになっても1年半後には自動的に公開されてしまうのでもう特許性はなくなります。また、そもそもまだ誰も考えていないことの独創性を認めるのが特許なのですから、「これは便利ですよ。」などとブログなどで紹介してしまったアイディアは特許とはならないそうです。

 出願書類の中の明細書などは、元々弁理士にしか書けないような書類なのですから、このまま出すのは危険と判断し、弁理士のチェックを受けることにしました。返ってきたコメントを見て愕然、修正点などが書かれた文書を読んでも何のことかわかりません。私の原稿を読んだ弁理士さんもあまりのひどさに困ったことでしょう。コメントを何度も熟読して書き直しましたが、それでもわからないところは、「どんな文書でも社会通念で理解できなければ意味がないはず。」と、自分で自分を納得させ、完成させました。本当はもう一度チェックしてもらうべきなのでしょうがそんな余裕はありません。チェックだけでもかなりの高額なのです。

 また出願書類の中に「図面」というのがあるのですが、これも自分で描きました。描き方のルールも詳しく決まっているようですがもう適当です。ただ何を表したものかわからないと困るので兄に見てもらい、「このことは絶対口外しないで。」と頼んだら、「そんなに暇じゃないよ。」と言われました。

 申請書類ができたのでいざ霞ヶ関の特許庁へ。入るとき形の上だけのこととはいえ荷物検査があるのにびっくり。産業スパイでもいるのでしょうか、いえ、私の発明はそんなたいそうなものではございませんって。収入印紙ではなく特許印紙なるものがあるのを初めて知りました。指定された金額を貼って窓口へ。
「初めてなのですが・・・」
「構いませんよ。」
という不思議な会話の後、丁寧に話をしてくれ提出にこぎつけました。一見してわかる書き違いを指摘してくれ、その場で訂正や加筆。
「あ、この部分手書きだけどこんなんでいいんだ。」
と思いました。
「これでよいでしょう。」
とのことで、表紙をコピーしに行き、出願日の証明を押してもらい終了。うそみたい。これで私のアイディアは晴れて「特許出願中」となったのでした。まあ楽しいと言えば楽しかったな。

 この後、3年以内に審査請求(これがまた高額)をすれば特許性があるかどうか長い時間をかけて審査されるそうですが、かなりの割合で特許性は認められず、1年後くらいに「拒絶理由通知書」というのが届くとのこと。しかし、それに対して異議申し立てをすると結構認められることもあるらしいのです。

 このたびの発明は葉物野菜に特化したものだったのですが、ブロッコリーには対応しきれないことに気づき、そこから大きな局面が開けるアイディアへとつながるのですが、その話は次回。葉物野菜調理器具は斬新すぎる(イノベイティブではあるが一般には受け入れられにくい、ただ私個人としてはとても便利に毎回使用しています。)のと、材料が手に入らなくなったので実用化に至っていません。いくつか作った見本(自分としては完成品ですが)は、今のところ超レアものとして物好きな人に引き取ってもらうしかないなと思っています。

「紅春 31」


 ロイヤルカナンから今年ついに柴犬用のドッグフードが発売されました。消化率90%以上のタンパク質を24%以上含み、脂質は12%以上、粗繊維等の量も申し分ないようです。洋犬のものとそう違うとも思えませんが、日本のブリーダーと共同開発とのこと、さっそく購入して与えてみました。始めはほんの少しずつ味を見ていたようでしたが、そのうちバクバク食べ出し、3回お代わりしました。今まで食べていたものも一応置いてみると食べ比べていました。

 お腹が空けば何でも食べるのでしょうけれど、確かに毎日同じものだと、犬とはいえ飽きるのだろうなあと思います。このへんは新商品の発売をつい楽しみに試してしまう人間と同じす。それにしても、人間が5キロ3千円の米を食べているのに、りくは3キロ3千円のドッグフードを食べていることに多少疑問を感じないわけでもありません。