朝の散歩はいつも土手の道を往復して来るのですが、帰り道りくが河原に降りて行きたがることがあります。急いでいないときはだいたいりくの要望に応えてあげます。河原に行くと、十中八九りくは川辺に降りて行きたがります。水際に行って砂場でちょっと遊ぶだけですが、とても楽しいらしいのです。
先日はそのようにして川に降りていこうとしたので、引き綱を離して上で待っていることにしました。ひとしきり遊んだので、「帰るよ。」と声を掛けましたがやってきません。それどころか、川に水がほとんどないのをいいことに川を渡っていくではありませんか。「りく、おいで。」ときつく呼びましたが、どんどん渡っていく姿に唖然。あわてて川辺に降り、「りく~、戻って。」と呼びかけながら丸石の上を跳んで追いかけました。どんどん離れていくりくの姿を見ながら、私はある歌を思い出していました。子供のころ歌った讃美歌です。
「小さい羊が家を離れ 或る日遠くへ遊びに行き
花咲く野原のおもしろさに 帰る道さえ忘れました」
本当にそんな感じでした。楽しくてついどんどん行ってしまうようなのです。幸い30メートルくらいの川幅を渡って向こう岸に着いたりくが河原から土手に上がることはなく、私が着いた時にはその場に留まっていました。河原ならほぼ誰もいないので安心ですが、これが土手まで行ってしまうと人は多いし、自転車も通るのでいろいろと問題が起きたでしょう。すぐに引き綱をつかむと川の水でぬれていました。
「りく、姉ちゃん呼んでるのになんで来ないの。」
思わずきつい声が出ました。すると驚いたことにりくは私と目を合わさないのです。ああ、犬でもこうなのか…と驚愕しました。自分でも悪いことをしたと思っているので、りくは私と目を合わせられないのです。原初の人間が神に食べてはいけないと言われた木の実を食べた時、神の顔を避けて木の間に隠れたのと同じです。悪事をしたと自覚した時の態度は、犬も人間も同じなのです。恐ろしいものだと思いました。その日りくは、「あ~あ、りくは姉ちゃんの言うこと聞かずに、呼んでも来なかったんだよね。」と一日中言われ続けました。私は私でショックだったのです。
翌日、また河原への階段を降りていったので、「今日も川へ入るのか、綱を離さないようにしなければ。」と構えていると、川の方には目もくれず家に帰る方向に直角に曲がったので、「おおっ。」という感じでした。前日川へ行ってまずいことをしたという記憶があったとしか思えない行動で、今日はそっちへは行かないぞという意志がありました。「やっぱりりくはえらかった。ちゃんと反省できている。」と思いました。このあたりは人間よりもはるかに素直かもしれません。
2016年6月29日水曜日
2016年6月26日日曜日
「秀才の陥穽」
前知事の一連の政治資金公私混同疑惑騒動にはうんざりしましたが、一面興味深いこともありました。この件に関し前知事は一貫して政治資金規正法に照らして法的に問題はないことを主張してきました。その法律自体がザル法なのですからおそらくその通りだったのでしょう。しかし、あまりにも常識がなかった。高額の出張費等の問題もさることながら、都政を預かる人が毎週末を湯河原で過ごすという一点だけとっても、法律違反ではないながら、知事の自覚がないということはこれ以上なくはっきりわかります。
政治資金の使い方に規制がほぼないのをいいことに、できる限り衣食住のすべてをそれで賄おうとする姿勢が並はずれていたため(シルクの中国服の話は笑えましたが)、都民はあきれ果てその情けなさは募りました。法的正しさを曲げない態度も都民の反感を買いました。この世に悪い人はわんさかいますが、悪い奴よりずるい奴の方が嫌いという人が多かったのです。今回の騒動は、誰もが「ご自分のお金で買ったものもあるのでしょうか。」と疑問に思うほど、度を越した税金の使い方に都民が怒り、9月までは続投のはずがこんなに早い辞任となりました。都議会の追及が甘かったのは同じ追及が自分に及んだらまずいからに相違なく、たぶん議員たちは多かれ少なかれこういった法的にはスレスレのことをしており、逆にしていないほうが馬鹿者扱いされるのでしょう。お金持ちなのにケチ、というか他人の金なら気にせず使うという根性は人の上に立つ者としての心の持ちようではない。一般庶民は、ずるくて卑しい人が嫌いなのだということがはっきりしました。
マスコミに追われ泣いて帰ってくるというお子さん方は本当に気の毒でした。しかし、これはやはり子供を巻き込んでしまった親の責任です。子供は悪くないのに、家族旅行でゆったり、たっぷり、のんびり過ごせる温泉施設に連れて行かれ、その金銭処理が問題とされているのですから。前知事には自分の基準しかありませんでした。会見での受け答えを見ていても、弁はたつものの他者の視点には無関心で、一般常識を知らず、ましてや昔の言葉でいうなら「お天道様が見ている」という感覚をもたぬ者の振る舞いでした。議論に勝つことが人の上に立つことだと思ってのし上がってきたのはいかにも秀才の陥る落とし穴です。そのことにここで気づけたのなら高い代価を払った甲斐があったというべきかも知れません。
政治資金の使い方に規制がほぼないのをいいことに、できる限り衣食住のすべてをそれで賄おうとする姿勢が並はずれていたため(シルクの中国服の話は笑えましたが)、都民はあきれ果てその情けなさは募りました。法的正しさを曲げない態度も都民の反感を買いました。この世に悪い人はわんさかいますが、悪い奴よりずるい奴の方が嫌いという人が多かったのです。今回の騒動は、誰もが「ご自分のお金で買ったものもあるのでしょうか。」と疑問に思うほど、度を越した税金の使い方に都民が怒り、9月までは続投のはずがこんなに早い辞任となりました。都議会の追及が甘かったのは同じ追及が自分に及んだらまずいからに相違なく、たぶん議員たちは多かれ少なかれこういった法的にはスレスレのことをしており、逆にしていないほうが馬鹿者扱いされるのでしょう。お金持ちなのにケチ、というか他人の金なら気にせず使うという根性は人の上に立つ者としての心の持ちようではない。一般庶民は、ずるくて卑しい人が嫌いなのだということがはっきりしました。
マスコミに追われ泣いて帰ってくるというお子さん方は本当に気の毒でした。しかし、これはやはり子供を巻き込んでしまった親の責任です。子供は悪くないのに、家族旅行でゆったり、たっぷり、のんびり過ごせる温泉施設に連れて行かれ、その金銭処理が問題とされているのですから。前知事には自分の基準しかありませんでした。会見での受け答えを見ていても、弁はたつものの他者の視点には無関心で、一般常識を知らず、ましてや昔の言葉でいうなら「お天道様が見ている」という感覚をもたぬ者の振る舞いでした。議論に勝つことが人の上に立つことだと思ってのし上がってきたのはいかにも秀才の陥る落とし穴です。そのことにここで気づけたのなら高い代価を払った甲斐があったというべきかも知れません。
2016年6月25日土曜日
「よみがえるオオカミ展」
福島県立美術館で開催されていた「よみがえるオオカミ展」を見に行きました。これは例の放射能汚染で被害を受けた飯館村の山津見神社の天井絵で、火事による消失前に写し取られていたものを復元したものです。特に関心があったわけではないのですが、福島のNHKで紹介してる番組を見たらなんだか行きたくなってしまったのでした。入場料はなんと270円。
結論から言うと行ってよかった。とてもかわいいオオカミの絵が242枚も展示してありました。茶色以外に、白、黒のオオカミ、また白と茶のぶちのオオカミもいました。まるで犬です。かなりの割合で、水色の目に赤い鼻のオオカミがいます。これも日本オオカミなのか、それともこの着色は眼光や鼻が光っていることを表現したものにすぎないのか・・・。1枚1枚退屈することなく鑑賞しました。一番強く思ったのは、242枚も描くにはよほど長い時間オオカミと一緒に過ごさねばならなかっただろうということです。オオカミが絵のモデルとしてじっとしているわけはないだろうということを考えると、こんなにたくさんの姿勢、体勢のオオカミが描かれているのは生活を共にしていたにちがいないと思うのです。オオカミの表情に凶暴さはみじんも感じられず、二匹でじゃれ合う様子や子供を連れた一家の様子などは犬と変わりません。そしてどれを見ても、「うん、りくもこんなポーズすることある。」と感心してしまいました。今まで私はりくが猫背であることを何か骨が変形する病気ではないかと気にしていたのですが、この展覧会を見てそれがオオカミの特徴なのだと知りました。背骨がぽこんと出た絵柄が何枚もあり、なんだか安心しました。いずれにしても、絵師の狼に対する愛情を深く感じた展覧会でした。
考えてみれば今年の初めに会ったフェルメール展はパスしたので、福島県立美術館に行くのは若冲展以来です。今年、東京都美術館で開かれた若冲展は6時間待ちの大盛況という報道がありましたから、福島で見ておいて本当によかったと思いました。オオカミについては一般的な関心は高くないようですが、コアなファンが結構います。私が愛読しているドイツに住む柴犬二頭飼いの日本女性もプロフィールにはっきり「オオカミ好き」と名乗っており、たまに「オオカミの野生公園に行ってきました。」といった記事が載ります。気持ちはわかる、柴犬のご先祖はまちがいなくオオカミだろうと、むやみに愛着がわくのです。
「今日はりくのご先祖の絵を見てきたよ。」
と、隣で正体もなく寝ているちっちゃい、おとなしい、弱っちいオオカミの末裔に話しかけましたが、おもむろに
「なあに、お腹なでて。」
と仰向けになりました。さすがに仰向けの絵はなかったような・・・。これが犬とオオカミのちがいなのでしょう。
結論から言うと行ってよかった。とてもかわいいオオカミの絵が242枚も展示してありました。茶色以外に、白、黒のオオカミ、また白と茶のぶちのオオカミもいました。まるで犬です。かなりの割合で、水色の目に赤い鼻のオオカミがいます。これも日本オオカミなのか、それともこの着色は眼光や鼻が光っていることを表現したものにすぎないのか・・・。1枚1枚退屈することなく鑑賞しました。一番強く思ったのは、242枚も描くにはよほど長い時間オオカミと一緒に過ごさねばならなかっただろうということです。オオカミが絵のモデルとしてじっとしているわけはないだろうということを考えると、こんなにたくさんの姿勢、体勢のオオカミが描かれているのは生活を共にしていたにちがいないと思うのです。オオカミの表情に凶暴さはみじんも感じられず、二匹でじゃれ合う様子や子供を連れた一家の様子などは犬と変わりません。そしてどれを見ても、「うん、りくもこんなポーズすることある。」と感心してしまいました。今まで私はりくが猫背であることを何か骨が変形する病気ではないかと気にしていたのですが、この展覧会を見てそれがオオカミの特徴なのだと知りました。背骨がぽこんと出た絵柄が何枚もあり、なんだか安心しました。いずれにしても、絵師の狼に対する愛情を深く感じた展覧会でした。
考えてみれば今年の初めに会ったフェルメール展はパスしたので、福島県立美術館に行くのは若冲展以来です。今年、東京都美術館で開かれた若冲展は6時間待ちの大盛況という報道がありましたから、福島で見ておいて本当によかったと思いました。オオカミについては一般的な関心は高くないようですが、コアなファンが結構います。私が愛読しているドイツに住む柴犬二頭飼いの日本女性もプロフィールにはっきり「オオカミ好き」と名乗っており、たまに「オオカミの野生公園に行ってきました。」といった記事が載ります。気持ちはわかる、柴犬のご先祖はまちがいなくオオカミだろうと、むやみに愛着がわくのです。
「今日はりくのご先祖の絵を見てきたよ。」
と、隣で正体もなく寝ているちっちゃい、おとなしい、弱っちいオオカミの末裔に話しかけましたが、おもむろに
「なあに、お腹なでて。」
と仰向けになりました。さすがに仰向けの絵はなかったような・・・。これが犬とオオカミのちがいなのでしょう。
2016年6月24日金曜日
「カード紛失」
いつか起こるのではないかと思っていたことが起きました。買い物でレジに並んでいた時、財布を取りだしてみたらいつもつかうクレジットカードが見当たらない。列をそれて全部探しましたが見つからない。物を戻して可能性をたどりながら帰宅、家中探してもない。
「あー、やっちゃった。」
とへこみながら、昨日の行動を振り返り、カードに付属したスイカのチャージをした時に失くした可能性が高いと思い駅に電話しましたが届いてないとのこと、しかたなくカード会社に電話しました。幸い使用された形跡はなく、すぐ機能停止をお願いしました。一週間ほどで再発行とのことで安堵しましたが、実害はないながらがっくり落ち込みました。思わず電話口でカード会社の人に
「もう情けなくて…。」と弱音を吐いてしまったほどです。
主観的には消えたとしか思えないしかたで物を失くすことが増え、注意していたのにそれでも起こった今回の出来事は重く受け止めなければいけません。しかし、重く受け止めれば気が沈んでしまうので、「さ、仕切り直し。命にかかわることでなくてよかった。今度は気をつけよう。」と思い直しました。一週間カードが使えないというのは私にとって非常に不便なことです。小銭の区別がうまくできず間違うことが増えてきたからです。以前電車で通っていた頃、定期券を挿入口に通す自動改札ではいつもちゃんと通せるかどうかどきどきでした。タッチ式の自動改札になったときどんなに楽になったことか。スイカでお店の買い物もできるようになって、今ではスイカが使えない店に行くことはめったになくなりました。福島ではコンビニ以外では使えないのでスーパーでは現金で買い物しなければなりません。そのため、自分で行う機械式レジでお会計をしています。お金を取り出すときどんなに時間がかかっても後の人に直接迷惑にはならないからです。人のいるレジでは落ち着いてお金を取り出すことができず、勢いお札を使うことになり小銭ばかりが増えてしまうのです。東京ではもうほとんど電子マネーでこと足ります。ありがたいことです。だからこそ、今度のようなことはもう二度とないように注意しなければならないと決意しました。決意だけなら猿でもできるんですけどね。
「あー、やっちゃった。」
とへこみながら、昨日の行動を振り返り、カードに付属したスイカのチャージをした時に失くした可能性が高いと思い駅に電話しましたが届いてないとのこと、しかたなくカード会社に電話しました。幸い使用された形跡はなく、すぐ機能停止をお願いしました。一週間ほどで再発行とのことで安堵しましたが、実害はないながらがっくり落ち込みました。思わず電話口でカード会社の人に
「もう情けなくて…。」と弱音を吐いてしまったほどです。
主観的には消えたとしか思えないしかたで物を失くすことが増え、注意していたのにそれでも起こった今回の出来事は重く受け止めなければいけません。しかし、重く受け止めれば気が沈んでしまうので、「さ、仕切り直し。命にかかわることでなくてよかった。今度は気をつけよう。」と思い直しました。一週間カードが使えないというのは私にとって非常に不便なことです。小銭の区別がうまくできず間違うことが増えてきたからです。以前電車で通っていた頃、定期券を挿入口に通す自動改札ではいつもちゃんと通せるかどうかどきどきでした。タッチ式の自動改札になったときどんなに楽になったことか。スイカでお店の買い物もできるようになって、今ではスイカが使えない店に行くことはめったになくなりました。福島ではコンビニ以外では使えないのでスーパーでは現金で買い物しなければなりません。そのため、自分で行う機械式レジでお会計をしています。お金を取り出すときどんなに時間がかかっても後の人に直接迷惑にはならないからです。人のいるレジでは落ち着いてお金を取り出すことができず、勢いお札を使うことになり小銭ばかりが増えてしまうのです。東京ではもうほとんど電子マネーでこと足ります。ありがたいことです。だからこそ、今度のようなことはもう二度とないように注意しなければならないと決意しました。決意だけなら猿でもできるんですけどね。
2016年6月22日水曜日
「顔立ちの変化」
最近たびたび思うのですが、若い人の顔が幼くなっている気がします。新社会人でも高校生のような顔立ちですし、へたすると30代でも学生かと思うことがよくあります。日本人が海外に行って十も二十も若く見られることは以前からありましたが、これは見慣れていないせいで人種的な加齢の表出の違いを知らなかったせいでしょう。その効果は日本人には有利に働く場合が多く、私も「こんな年端もいかない子が一人で外国を旅しているとは…」と、親切にされることがよくありました。
これが今は国内でも起きているのです。若い人に限らず相当な年の大人でも、顔が幼くなってきていると感じます。少しでも長く子供でいたい、あるいは子ども扱いされたいという国民的傾向が何年にもわたって続いた結果、このような形で発言したのだろうと私は思っています。実年齢でいえばもちろん子供は減っています。20歳未満を子供としても疾うに2割を切ってどんどん1割ラインに近づいていっています。社会の人口構成のバランスからいって、せめて見かけや考え方および振る舞いにおいて、子供そっくりの大人を作り出しているのでしょう。昔も子供みたいな年配者はいたけれど、今は割合が異常に多い、という現象もやはり人口ピラミッドと関係していると考えれば、いろいろなことが腑に落ちる気がします。
これが今は国内でも起きているのです。若い人に限らず相当な年の大人でも、顔が幼くなってきていると感じます。少しでも長く子供でいたい、あるいは子ども扱いされたいという国民的傾向が何年にもわたって続いた結果、このような形で発言したのだろうと私は思っています。実年齢でいえばもちろん子供は減っています。20歳未満を子供としても疾うに2割を切ってどんどん1割ラインに近づいていっています。社会の人口構成のバランスからいって、せめて見かけや考え方および振る舞いにおいて、子供そっくりの大人を作り出しているのでしょう。昔も子供みたいな年配者はいたけれど、今は割合が異常に多い、という現象もやはり人口ピラミッドと関係していると考えれば、いろいろなことが腑に落ちる気がします。
2016年6月19日日曜日
「福島の現状に思うこと」
私は厳密には福島在住者ではありませんが、福島を故郷としたびたび訪れている者として、原発事故から5年3か月の現状に接して思うところを述べます。
1.除染について
現在除染した土が庭の車置き場の下に埋まっています。近くに仮置き場が確保されたらしく、もう少ししたらそれうを掘り起こして移動するという話になっています。それから中間貯蔵施設に搬入され、やがて最終処分場に移されるのでしょう。気の遠くなるような話です。しかも、放射性廃棄物の最終処分方法がまだ見つかっていないのですから、ほとんど茶番であり、真剣に考えているとは誰も思っていません。
2.フクシマの人間と動物に対する放射線の影響について
これについては震災より5年となる今年公表された研究結果について以前触れました。浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)と、南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)のような信頼できる調査結果もある一方で、検証もされずに日本外国特派員協会での記者会見で発表された、福島県の子供の甲状腺がんの発生率に関する研究結果(岡山大学大学院、津田敏秀教授)もありました。冷静に分析すれば、もはや「東京は安全だ」とか、「西日本なら大丈夫」とかさえ言っておれない状況になっている可能性があるのに、それが本当に深刻な事態として受け止められておらず、比較検証もされていない研究結果が一方的に発表され、福島だけが危険であるかのような風評が独り歩きしていくことに福島県民は傷ついています。
3.政府と電力会社の態度
今年に入り高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出された頃と時を同じくして、福島原発が地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされたり(実際のメルトダウンの発表は2か月後でした。)、また最近「炉心溶融という言葉を使わないようにというのは官邸の指示だった」とか、「いやそんなことは言っていない」とかの泥仕合があり、住民不在の様相を強めています。
全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電はあくどいの一言ですが、何より悲惨な実例となったのは、原発事故当時10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町が、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げた際、当日の風向きから結果的に最悪の避難先となった例です。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念を優先した結果でした。
原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。国は原発を作るだけでよく、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施は自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。事実として切り捨てられたということ、そして避難区域解除と住民帰還の推進が現実的に政府と電力会社の経済的事情にすぎないということが、今県民の心に重苦しくのしかかっています。
4.制度としての原発を支えるもの
原発に関する訴訟でよく問題とされる断層の位置や災害に対する備えの万全性について、これを意味のある議論だと思う人はどれほどいるのでしょうか。最近地震のあった熊本にしても北海道にしても、特に危険が喧伝されている地域ではなかったことを考えれば、これほど地震の多い列島に原発を置くこと自体狂気の沙汰だとなぜわからないのか不思議です。今では地震だけでなく飛来物落下やテロの危険も現実味を帯びています。実際美しかった福島がフクシマという膨大な量の汚染された土地に変わってしまい、日本は戦争があったわけでもないのに肥沃な国土を広範囲に失ったのです。いまだ事態が一向に収束しないにも関わらず、原発堅持の姿勢が変わらない、我々がこれほどの犠牲を払っているのはいったい何なのかというやりきれなさに福島県民は打ちのめされています。
これまでのことを総合的に考えると、原発政策はそれ自体制度設計が間違っていると言わざるを得ません。しかしこのままでは電力会社は自己保存にしがみつくのを止めず、これまで同様、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか言うばかりです。また電力会社と政府が結託して、原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるようなことを止めないでしょう。これは結局のところ国民の足元すなわち本音を見越しているのです。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々が、冷静に考えれば責任のとれないことを引き続き行っていられるのは、やはり国民の過半が暗黙の了承を与えていることを知っているからです。しかし我々が未来の子孫のことを真剣に思うなら、不便を覚悟でエネルギー政策の転換を支持するしかないように思います。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことですが、各地の震災現場を目にして誰もが思うのは、人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーだということでしょう。身体が求めるのは、質素でもおいしいご飯であり、ゆっくりつかれるお風呂であり、またゆったり眠れるふかふかの布団でしょう。国の進むべき方向性を変えるためには、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性を実際に模索していくしかないのではないでしょうか。
一口に福島と言っても被災状況は様々であり、家族、土地、家、生きがい等を奪われ、癒えることのない悲しみを抱いている人々がいる一方、福島市のようにとりあえずの暮らしが戻った人々が多い地域もあります。山菜取りのような楽しみはもうもてませんが、農産物に関しては放射線検査をしないと市場に出せないので、ある意味、他県より安心できる面もあります。しかし廃炉が進むどころか、いまだにしばしば放射能漏れが起きる現実を前にして、「うつくしま福島」と呼んでいた故郷はもう永遠に戻らないのだという悲しみが増し、二度目があれば日本自体が吹っ飛ぶにもかかわらず、自分たちの犠牲が何も生かされていないことには絶望的な気持ちを抱いています。これが原発事故前と違う、福島を覆う決して晴れることのない今の現状の本質だと私は思います。
1.除染について
現在除染した土が庭の車置き場の下に埋まっています。近くに仮置き場が確保されたらしく、もう少ししたらそれうを掘り起こして移動するという話になっています。それから中間貯蔵施設に搬入され、やがて最終処分場に移されるのでしょう。気の遠くなるような話です。しかも、放射性廃棄物の最終処分方法がまだ見つかっていないのですから、ほとんど茶番であり、真剣に考えているとは誰も思っていません。
2.フクシマの人間と動物に対する放射線の影響について
これについては震災より5年となる今年公表された研究結果について以前触れました。浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)と、南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)のような信頼できる調査結果もある一方で、検証もされずに日本外国特派員協会での記者会見で発表された、福島県の子供の甲状腺がんの発生率に関する研究結果(岡山大学大学院、津田敏秀教授)もありました。冷静に分析すれば、もはや「東京は安全だ」とか、「西日本なら大丈夫」とかさえ言っておれない状況になっている可能性があるのに、それが本当に深刻な事態として受け止められておらず、比較検証もされていない研究結果が一方的に発表され、福島だけが危険であるかのような風評が独り歩きしていくことに福島県民は傷ついています。
3.政府と電力会社の態度
今年に入り高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出された頃と時を同じくして、福島原発が地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされたり(実際のメルトダウンの発表は2か月後でした。)、また最近「炉心溶融という言葉を使わないようにというのは官邸の指示だった」とか、「いやそんなことは言っていない」とかの泥仕合があり、住民不在の様相を強めています。
全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電はあくどいの一言ですが、何より悲惨な実例となったのは、原発事故当時10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町が、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げた際、当日の風向きから結果的に最悪の避難先となった例です。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念を優先した結果でした。
原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。国は原発を作るだけでよく、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施は自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。事実として切り捨てられたということ、そして避難区域解除と住民帰還の推進が現実的に政府と電力会社の経済的事情にすぎないということが、今県民の心に重苦しくのしかかっています。
4.制度としての原発を支えるもの
原発に関する訴訟でよく問題とされる断層の位置や災害に対する備えの万全性について、これを意味のある議論だと思う人はどれほどいるのでしょうか。最近地震のあった熊本にしても北海道にしても、特に危険が喧伝されている地域ではなかったことを考えれば、これほど地震の多い列島に原発を置くこと自体狂気の沙汰だとなぜわからないのか不思議です。今では地震だけでなく飛来物落下やテロの危険も現実味を帯びています。実際美しかった福島がフクシマという膨大な量の汚染された土地に変わってしまい、日本は戦争があったわけでもないのに肥沃な国土を広範囲に失ったのです。いまだ事態が一向に収束しないにも関わらず、原発堅持の姿勢が変わらない、我々がこれほどの犠牲を払っているのはいったい何なのかというやりきれなさに福島県民は打ちのめされています。
これまでのことを総合的に考えると、原発政策はそれ自体制度設計が間違っていると言わざるを得ません。しかしこのままでは電力会社は自己保存にしがみつくのを止めず、これまで同様、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか言うばかりです。また電力会社と政府が結託して、原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるようなことを止めないでしょう。これは結局のところ国民の足元すなわち本音を見越しているのです。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々が、冷静に考えれば責任のとれないことを引き続き行っていられるのは、やはり国民の過半が暗黙の了承を与えていることを知っているからです。しかし我々が未来の子孫のことを真剣に思うなら、不便を覚悟でエネルギー政策の転換を支持するしかないように思います。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことですが、各地の震災現場を目にして誰もが思うのは、人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーだということでしょう。身体が求めるのは、質素でもおいしいご飯であり、ゆっくりつかれるお風呂であり、またゆったり眠れるふかふかの布団でしょう。国の進むべき方向性を変えるためには、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性を実際に模索していくしかないのではないでしょうか。
一口に福島と言っても被災状況は様々であり、家族、土地、家、生きがい等を奪われ、癒えることのない悲しみを抱いている人々がいる一方、福島市のようにとりあえずの暮らしが戻った人々が多い地域もあります。山菜取りのような楽しみはもうもてませんが、農産物に関しては放射線検査をしないと市場に出せないので、ある意味、他県より安心できる面もあります。しかし廃炉が進むどころか、いまだにしばしば放射能漏れが起きる現実を前にして、「うつくしま福島」と呼んでいた故郷はもう永遠に戻らないのだという悲しみが増し、二度目があれば日本自体が吹っ飛ぶにもかかわらず、自分たちの犠牲が何も生かされていないことには絶望的な気持ちを抱いています。これが原発事故前と違う、福島を覆う決して晴れることのない今の現状の本質だと私は思います。
2016年6月16日木曜日
「紅春 88」
朝の散歩でよく出会う年配のご夫婦がいます。りくをかわいがってくれ、頭頂部のハゲがある間は「ハートちゃん。」と声を掛けてくれていました。りくは一度はそばに行ってくんくんし、それから気ままに振る舞っているので、「ちゃんとご挨拶してください。」と言うのが日課のようになっています。
「日が長くなりましたね。」
「朝明るくなるのが早いので、もう待ってられないんですよ。起こしに来ます。」
「中で飼っているんですか。」
「そうなんです。」
「ハートちゃん、おはよう。朝はうれしいね。」
「りく、今日もおはよう言えてよかったね。それじゃ、また。」
りくにとって朝の散歩は新聞を読むようなもの。そんなにくんくんせずにもう少し上を向いて歩きなさいと言いたいほど、真剣に匂いを嗅ぎながら歩いていますが、ほぼ毎朝会う方がいるのはよいものです。
「日が長くなりましたね。」
「朝明るくなるのが早いので、もう待ってられないんですよ。起こしに来ます。」
「中で飼っているんですか。」
「そうなんです。」
「ハートちゃん、おはよう。朝はうれしいね。」
「りく、今日もおはよう言えてよかったね。それじゃ、また。」
りくにとって朝の散歩は新聞を読むようなもの。そんなにくんくんせずにもう少し上を向いて歩きなさいと言いたいほど、真剣に匂いを嗅ぎながら歩いていますが、ほぼ毎朝会う方がいるのはよいものです。
2016年6月14日火曜日
「業務用スーパー」
東京と言えどもコンビニ以外で24時間やっているスーパーマーケットはそうたくさんはありません。深夜出かける習慣がないので必要もないと思っていたのですが、最近利用法がわかってきました。ちょうどウォーキングによい距離のところにチェーン店の業務用スーパーがあることがわかり、このところよく訪れています。深夜ではなく早朝利用するという手があったのです。これまではどんなに早くても簡易スーパーで朝7時、大きなスーパーで9時が開店時刻でしたから、朝5時に買い物をするという可能性に考えが及びませんでした。朝のウォーキングの帰りに寄ってこれることで涼しいうちに買い物が済むというのは、特に夏場は重宝しそうです。
店は業務用スーパーなので野菜にしても肉や魚にしても1パックが大量であることが多く、レストランや小料理屋の買い出しで来ていると思われる人ももちろんいます。しかし、必ずしも食品関係の業者が来ているわけではなく、個人の顧客も普通にいます。出勤前に買い物をしているとおぼしき方もいます。私はもともとてきぱき見て回れない性格なので、あまり人のいない時間帯にじっくり店内の品物を見られるのは助かります。品出しで忙しそうな店員さんには迷惑かもしれませんが。
私が気に入っているところは、それほど広い店内ではないのに、普通のスーパーではあまり見かけない旬の食品があること、ここに来ないと手に入らない飲み物や乳製品、特にチーズ類の種類が豊富なところです。すっかりはまったのがお魚、とくに刺身類。旬のいかにも新鮮なものが入っているのでいろいろ試すうち、魚は刺身に限るとまで思い始めています。いつも出かける前に買い物リストを考えていきますが、特に必要なものが思い浮かばないような時は別に夏みかん2個とかホウレンソウとパプリカとかでもよいのです。些細な物でも目標ができれば弾みがつくし、大抵は他に買ってみたいものが見つかるので結構な荷物を持って帰ることになることもしばしばです。今は朝のウォーキングにもちょっとした楽しみが加わった感じです。
店は業務用スーパーなので野菜にしても肉や魚にしても1パックが大量であることが多く、レストランや小料理屋の買い出しで来ていると思われる人ももちろんいます。しかし、必ずしも食品関係の業者が来ているわけではなく、個人の顧客も普通にいます。出勤前に買い物をしているとおぼしき方もいます。私はもともとてきぱき見て回れない性格なので、あまり人のいない時間帯にじっくり店内の品物を見られるのは助かります。品出しで忙しそうな店員さんには迷惑かもしれませんが。
私が気に入っているところは、それほど広い店内ではないのに、普通のスーパーではあまり見かけない旬の食品があること、ここに来ないと手に入らない飲み物や乳製品、特にチーズ類の種類が豊富なところです。すっかりはまったのがお魚、とくに刺身類。旬のいかにも新鮮なものが入っているのでいろいろ試すうち、魚は刺身に限るとまで思い始めています。いつも出かける前に買い物リストを考えていきますが、特に必要なものが思い浮かばないような時は別に夏みかん2個とかホウレンソウとパプリカとかでもよいのです。些細な物でも目標ができれば弾みがつくし、大抵は他に買ってみたいものが見つかるので結構な荷物を持って帰ることになることもしばしばです。今は朝のウォーキングにもちょっとした楽しみが加わった感じです。
2016年6月11日土曜日
「職務質問」
何日かぶりで晴れた風のない日、今日を逃したら当分行けないだろうと思い、自転車で買い物に出かけました。普段は運動かたがた歩いて行くことが多いのですが、今日の目的地はやや遠いのと買い物リストには北海道産小麦3kgがあるため、ちょっと気合いがいるのです。行く途中でも感じたのですが、この日は涼しげな青い半袖の制服を着た警官の姿が結構目につきました。
用事を済ませての帰り道、ここにもあそこにもという感じでお巡りさんの傍らを通り過ぎたのですが、もう少しで自宅という時、「すみませ~ん。」と追いかけてくるお巡りさんがいるではありませんか。怪訝な気持ちで自転車を止めて応じました。
「自転車の照合をお願いしたいのですが。」
「何かあったのですか。」
「自転車の盗難が多いので調べているんです。こちらは長くお使いですね。」
ええっ、私も調査対象なのか。こんなおばさんでも怪しまれるのか。確かに人の外見によって声掛けに差をつけてはいけないのだろう。それに私は紫外線を避けるよう言われているので、夏でも長袖を着、マスクをし、帽子を目深にかぶっている。傍から見ればかなり怪しげ・・・。確かに自転車は相当錆びている。まだ動くから捨てられないし、このくらいの方が盗まれる可能性が低いと思っていたが、実は逆なのか。でもこんなピンクのハンドルカバーがついてる自転車を盗むのは勇気がいるのでは・・・。いろいろな思いが頭を駆け巡る。
「もう十年以上使ってます。どうぞ。」
「お名前お願いします。」
お巡りさんが無線で私の防犯登録番号を告げてやりとりし、直後に
「ありがとうございました。照合できました。」
「大変ですね。」
お巡りさんは一礼して戻っていき、私はそのまま何事もなく帰宅しました。家に帰ってつらつら考えましたが、自転車の盗難といった軽犯罪にこれほど真面目に取り組んでいるとはえらい。都民の税金を貪っているとしか言いようのない都知事の卑しさと比べたら、暑い中淡々と職務をこなす都の職員の姿勢は高貴と言えよう。めったに言葉を交わす機会はないのだから、「お仕事がんばってください。応援してます。」と言えばよかったなあというのは、いつものように後知恵でした。
用事を済ませての帰り道、ここにもあそこにもという感じでお巡りさんの傍らを通り過ぎたのですが、もう少しで自宅という時、「すみませ~ん。」と追いかけてくるお巡りさんがいるではありませんか。怪訝な気持ちで自転車を止めて応じました。
「自転車の照合をお願いしたいのですが。」
「何かあったのですか。」
「自転車の盗難が多いので調べているんです。こちらは長くお使いですね。」
ええっ、私も調査対象なのか。こんなおばさんでも怪しまれるのか。確かに人の外見によって声掛けに差をつけてはいけないのだろう。それに私は紫外線を避けるよう言われているので、夏でも長袖を着、マスクをし、帽子を目深にかぶっている。傍から見ればかなり怪しげ・・・。確かに自転車は相当錆びている。まだ動くから捨てられないし、このくらいの方が盗まれる可能性が低いと思っていたが、実は逆なのか。でもこんなピンクのハンドルカバーがついてる自転車を盗むのは勇気がいるのでは・・・。いろいろな思いが頭を駆け巡る。
「もう十年以上使ってます。どうぞ。」
「お名前お願いします。」
お巡りさんが無線で私の防犯登録番号を告げてやりとりし、直後に
「ありがとうございました。照合できました。」
「大変ですね。」
お巡りさんは一礼して戻っていき、私はそのまま何事もなく帰宅しました。家に帰ってつらつら考えましたが、自転車の盗難といった軽犯罪にこれほど真面目に取り組んでいるとはえらい。都民の税金を貪っているとしか言いようのない都知事の卑しさと比べたら、暑い中淡々と職務をこなす都の職員の姿勢は高貴と言えよう。めったに言葉を交わす機会はないのだから、「お仕事がんばってください。応援してます。」と言えばよかったなあというのは、いつものように後知恵でした。
2016年6月7日火曜日
「サイフォン」
以前カフェ・バッハでコーヒーを飲んでから、サイフォンで淹れるコーヒーが気になりだしました。まだ豆から挽いてこだわりのある淹れ方をするところまでは興味がないのですが、ずっと前に買ったサイフォンを見つけて使ってみることにしました。普段ドリップ式の家庭用コーヒーメーカーを使っていますが、気まぐれでサイフォンを買ったことがあったのです。豆は普通にどこでも手に入る挽き豆です。
サイフォンは最初の設定をする時、なんだか面倒な気が先立つのですが、慣れてしまえばなんでもありません。蒸気が出てお湯が上がってくるまでに時間がかかるので、時間的な余裕は必要です。アルコールランプを用いたいかにも実験室のような装置は長続きしそうにないし、ちょっと危険な気もするので電気式のを用いています。セットしてから別のことをしているうち、ゴボゴボと好ましいお湯の沸く音がしてくるときが楽しいですね。1分ほど煮出してから熱源から外し、下のフラスコにコーヒーが落ちるまで1分。このころには香ばしい匂いが部屋中に広がって、これも焼き立てパンと並んで幸せの香りです。
サイフォンのいいところは何と言ってもコクのあるコーヒーが出来上がるところでしょう。一度に3、4杯できるので保温用のステンレスボトルに入れておくといつでも熱々をいただけます。手間なのは豆殻の片づけですが、これはおいしいコーヒーを飲むための代価なのでしかたありません。特に布を巻いた仕切り用の円盤は洗って水を入れたコップに浸けておかないと匂いが出るので注意です。豆殻は棄ててもいいのですが、とりあえず乾燥させて脱臭剤として利用しています。
2016年6月4日土曜日
「1年間だけのクラスメート」
先日行われた同窓会は、自分の半生をあらためて思い起こす機会となりました。半生どころかこれまでの来し方全部を振り返ることになったと言ってもいいくらいです。その後おこなったことの結果として一番うれしかったのは長年連絡できなかった旧友と連絡がとれたことでした。
彼女は小学校も一緒だったのですが、小学校では接点がなく、同じ中学に進学したことで仲良しになった友人でした。ものすごく頭のいい人で、小学校6年時に行われた2回の校内テストで一度もかなわなかった唯一の子です。親しくなってみると、もうこの世にこんな性格のいい人がいるのかと思うほどで、天使のような存在でした。よく昼休みを一緒に図書館で過ごした記憶がありますが、「何かいい本ないかな。」と聞いたら『ビルマの竪琴』を薦めてくれました。まったく読んだことのないジャンルの本であまり面白そうでもないなと思ったのですが、読んでみたら実に面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだのを覚えています。同じクラスだったのは1年間だけで、クラス替えの時にとてもがっかりしたのです。
中2以降は高校時代も含めてクラスが違ったので疎遠になってしまい、40年近くがたちました。今回の同窓会後に元気でいるかどうかだけでも知りたいと思い、「どうかな」と不安な気持ちで心当たりに手紙を書いたら本人でした。見覚えのある自筆の字で返事が来た時のうれしかったこと。元気で幸せに暮らしていることがわかって本当に安らかな気持ちになりました。私が覚えていないエピソードを書いてくれていましたが、たぶん私のことなので当時から独りよがりな考えでいろいろ迷惑かけてたんだろうなと思います。昔と変わらない優しい性格のままでした。
同窓会で声を掛けてくれた人の中に、中1の一年間だけ一緒のクラスだった級友がいました。まったく見た目が変わっていなかったのでまずそのことに驚き、落ち着いた話し方も変わっていなかったのでうれしくなりました。名刺のやり取りをし(私のは肩書なしのもの)、しばらくしたらブログにコメントをくれました。真面目な性格も全く変わっていないのでなんだかおかしくなりました。別の友人が言うように、真面目というのは最高のほめ言葉です。このおかしさを共有してくれるのはあの時のクラスメートだけでしょう。私自身はあの頃とはずいぶん変わった気がしていたのですが、その彼に「40年ぶりですが全然おかわりなく、驚きました。」と言われてしまうとは。でもこれもきっとほめ言葉ですね。
もう一人、こちらも同窓会でお話しできたのですが、やはり中学入学時に同じクラスだった級友が来ていました。大学は同じでしたが、キャンパスで会うことはなく、もらった名刺を見たら農学博士。会わないはずです、農学部は道路の向こう側、信号か上空にかかる橋を渡っていかなければ行けないところにありますから。
彼についての私の強烈な記憶は何といっても数学の時間に「二等辺三角形の頂点と、底辺の中点を結んだ線は、底辺と垂直に交わる」ということの証明問題で、背理法を用いたこと。つまり、「二等辺三角形の頂点と底辺の中点を結んだ線が底辺と垂直に交わらないと仮定すると矛盾が起こる」ことを示して、「よって、垂直に交わる」という証明をしたことです。
「今の何。」という感じで、茫然としました。世の中にはなんて頭のいい人がいるのだろうと。
そのことを話したら、「いやな奴だったでしょう。」との返事。
まったくそんなことなかったし、そんなこと思った級友もいないはず。ただただ、「すごいなー。」と思っただけです。40年たっても鮮明に覚えているのですから、どれほどインパクトが強かったかわかります。彼にそう伝えたのですが、「ほんとにいやな奴だったと思いますよ。」との返事。ああ、この人も思うところあって同窓会に来ていたのだと、すっかり親近感がわきました。私にとってはほとんど学問への目覚めのような出来事だったのに、相手の記憶は違っていた。自分の認識と他者の認識は絶えずずれるのだということを強く意識した出来事です。
この方ともクラスが一緒だったのは1年間だけで、高校も違いましたから本当に40年ぶりの再会でした。今思い出してもあの頃は勉強が本当に楽しかったなあ。いずれにしても、ただ面白いから、純粋に知りたいから勉強するという気持ちだけに駆動されていた中学時代の学業との向き合いは、こういう級友すべての方々との幸福な出会いなくしてありえなかったということを深く悟ったことでした。
彼女は小学校も一緒だったのですが、小学校では接点がなく、同じ中学に進学したことで仲良しになった友人でした。ものすごく頭のいい人で、小学校6年時に行われた2回の校内テストで一度もかなわなかった唯一の子です。親しくなってみると、もうこの世にこんな性格のいい人がいるのかと思うほどで、天使のような存在でした。よく昼休みを一緒に図書館で過ごした記憶がありますが、「何かいい本ないかな。」と聞いたら『ビルマの竪琴』を薦めてくれました。まったく読んだことのないジャンルの本であまり面白そうでもないなと思ったのですが、読んでみたら実に面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだのを覚えています。同じクラスだったのは1年間だけで、クラス替えの時にとてもがっかりしたのです。
中2以降は高校時代も含めてクラスが違ったので疎遠になってしまい、40年近くがたちました。今回の同窓会後に元気でいるかどうかだけでも知りたいと思い、「どうかな」と不安な気持ちで心当たりに手紙を書いたら本人でした。見覚えのある自筆の字で返事が来た時のうれしかったこと。元気で幸せに暮らしていることがわかって本当に安らかな気持ちになりました。私が覚えていないエピソードを書いてくれていましたが、たぶん私のことなので当時から独りよがりな考えでいろいろ迷惑かけてたんだろうなと思います。昔と変わらない優しい性格のままでした。
同窓会で声を掛けてくれた人の中に、中1の一年間だけ一緒のクラスだった級友がいました。まったく見た目が変わっていなかったのでまずそのことに驚き、落ち着いた話し方も変わっていなかったのでうれしくなりました。名刺のやり取りをし(私のは肩書なしのもの)、しばらくしたらブログにコメントをくれました。真面目な性格も全く変わっていないのでなんだかおかしくなりました。別の友人が言うように、真面目というのは最高のほめ言葉です。このおかしさを共有してくれるのはあの時のクラスメートだけでしょう。私自身はあの頃とはずいぶん変わった気がしていたのですが、その彼に「40年ぶりですが全然おかわりなく、驚きました。」と言われてしまうとは。でもこれもきっとほめ言葉ですね。
もう一人、こちらも同窓会でお話しできたのですが、やはり中学入学時に同じクラスだった級友が来ていました。大学は同じでしたが、キャンパスで会うことはなく、もらった名刺を見たら農学博士。会わないはずです、農学部は道路の向こう側、信号か上空にかかる橋を渡っていかなければ行けないところにありますから。
彼についての私の強烈な記憶は何といっても数学の時間に「二等辺三角形の頂点と、底辺の中点を結んだ線は、底辺と垂直に交わる」ということの証明問題で、背理法を用いたこと。つまり、「二等辺三角形の頂点と底辺の中点を結んだ線が底辺と垂直に交わらないと仮定すると矛盾が起こる」ことを示して、「よって、垂直に交わる」という証明をしたことです。
「今の何。」という感じで、茫然としました。世の中にはなんて頭のいい人がいるのだろうと。
そのことを話したら、「いやな奴だったでしょう。」との返事。
まったくそんなことなかったし、そんなこと思った級友もいないはず。ただただ、「すごいなー。」と思っただけです。40年たっても鮮明に覚えているのですから、どれほどインパクトが強かったかわかります。彼にそう伝えたのですが、「ほんとにいやな奴だったと思いますよ。」との返事。ああ、この人も思うところあって同窓会に来ていたのだと、すっかり親近感がわきました。私にとってはほとんど学問への目覚めのような出来事だったのに、相手の記憶は違っていた。自分の認識と他者の認識は絶えずずれるのだということを強く意識した出来事です。
この方ともクラスが一緒だったのは1年間だけで、高校も違いましたから本当に40年ぶりの再会でした。今思い出してもあの頃は勉強が本当に楽しかったなあ。いずれにしても、ただ面白いから、純粋に知りたいから勉強するという気持ちだけに駆動されていた中学時代の学業との向き合いは、こういう級友すべての方々との幸福な出会いなくしてありえなかったということを深く悟ったことでした。
2016年6月1日水曜日
「紅春 87」
恒例の三種混合ワクチン接種の季節です。上京する日の前日、いつもの動物病院につれていったのですが、りくにとっては病院は鼻の出来物の切除とか、例のパニック症状の治療(これは別の病院でしたが)とか、楽しいところではないので、待合室では落ち着かない様子でした。20分ほど待って、「りくちゃん、どうぞ。」の声で中へ。
体重測定、体温検診、問診、そして嫌いなワクチン注射。獣医師、インターンらしい獣医見習い、女性の助手、飼い主の二人と、人間5人がかりで囲まれての診察でした。がっかりしたのは体重が500gほど減っており9kgそこそこ、「これ以上減らないようにしてください。」と言われました。深いため息です。食が細い犬、おいしいものしか食べない我儘犬はどうしたらいいのか、いつも頼んで食べてもらっている感じなのです。その後、奥の部屋でフィラリア検診の注射を受けて終了でしたが、フィラリアの結果を待つ間、りくの猛烈な「もう帰ろう」アピールのせいで、待合室の方が涼しいのにしかたなく外で遊ばせていました。フィラリアは陰性、詳しい血液検査の結果は後で送られてくることになっています。
家に帰ってどっと疲れ、りくと一休みしました。少しして獣医師の言葉を思い出し、
「りく、ちょっと食べてみようか。ちゃんと食べないと駄目なんだよ。」と、
朝食べ残した食事を少し手のひらにのせてあげてみたら食べる。そのやり方を繰り返して全部食べました。いつもそううまくいくわけではないでしょうが、お皿では食べないが手のひらからなら食べる・・・。くっ、こんな箱入りではどうしたらよいのか。父が過保護に育ててしまったのか(グルメ犬にしたのは間違いない)、それとも他の家族が甘やかしたのか、・・。反省はするが今更どうしようもない。
毎年のことですが、、その後注射の影響でりくは不調な様子でした。背中に触ると注射したあたりだったのかキャン鳴きが出て、また兄との散歩でも綱を引いた時キャン鳴きが出たとのことで、とにかくゆっくり寝せました。昨年のパニック症状が出たらどうしようかと怖くなりましたが、眠ったあとのりくはすっかり回復し、いつものりくに戻っていたのでほっとしました。それにしてもちょっと医者に行っただけでこの騒ぎ、このか弱さでは・・・と思うと、また深いため息が出ます。
体重測定、体温検診、問診、そして嫌いなワクチン注射。獣医師、インターンらしい獣医見習い、女性の助手、飼い主の二人と、人間5人がかりで囲まれての診察でした。がっかりしたのは体重が500gほど減っており9kgそこそこ、「これ以上減らないようにしてください。」と言われました。深いため息です。食が細い犬、おいしいものしか食べない我儘犬はどうしたらいいのか、いつも頼んで食べてもらっている感じなのです。その後、奥の部屋でフィラリア検診の注射を受けて終了でしたが、フィラリアの結果を待つ間、りくの猛烈な「もう帰ろう」アピールのせいで、待合室の方が涼しいのにしかたなく外で遊ばせていました。フィラリアは陰性、詳しい血液検査の結果は後で送られてくることになっています。
家に帰ってどっと疲れ、りくと一休みしました。少しして獣医師の言葉を思い出し、
「りく、ちょっと食べてみようか。ちゃんと食べないと駄目なんだよ。」と、
朝食べ残した食事を少し手のひらにのせてあげてみたら食べる。そのやり方を繰り返して全部食べました。いつもそううまくいくわけではないでしょうが、お皿では食べないが手のひらからなら食べる・・・。くっ、こんな箱入りではどうしたらよいのか。父が過保護に育ててしまったのか(グルメ犬にしたのは間違いない)、それとも他の家族が甘やかしたのか、・・。反省はするが今更どうしようもない。
毎年のことですが、、その後注射の影響でりくは不調な様子でした。背中に触ると注射したあたりだったのかキャン鳴きが出て、また兄との散歩でも綱を引いた時キャン鳴きが出たとのことで、とにかくゆっくり寝せました。昨年のパニック症状が出たらどうしようかと怖くなりましたが、眠ったあとのりくはすっかり回復し、いつものりくに戻っていたのでほっとしました。それにしてもちょっと医者に行っただけでこの騒ぎ、このか弱さでは・・・と思うと、また深いため息が出ます。
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