2013年7月8日月曜日
「自画像」
中高生の頃、私は「ど」が付くくらい真面目な生徒でした。中学では特におとなしくて目立たなかったけれども、なんとか華やかな女子のグループの末席に連なり、楽しく過ごすことができました。先日、中学卒業の時に作った分厚い文集をパラパラめくっていたら、クラスメートの1人が一人一人の得意分野や目立った特徴、その頃夢中になっていたものなどをうまくとらえて、全員の未来予想を書いているのが見つかりました。K君―数学教師「関数・放物線」専攻、T君―警視庁「麻薬取締り係」、Kさん―2代目キャンディーズ、Kさん―とんぼ鉛筆K.K.社長、Sさん―M.ポルナレフファンクラブ会長、Nさん―笑い袋製作隊長などなど、「ああ、そんなことに夢中になってたなあ」と微笑ましく思い出しました。
ところが私の将来は的外れなのです。「漫画家(本人も希望)」とあり、「まさかね、なんだろうこれ、意外性の受け狙い?」と思いました。もう一人のクラスメートのページには「3年3組いろはがるた」が載っていて、一人一人の特徴をとらえて詠み込んでありました。その中で私は「た」で始まるところに、「たちよみ得意はかわべのさん」と詠まれ、ご丁寧に注までついていました。「かわべのさんは西沢と岩瀬(市内の二大書店)をあらしている。『ドカベン』の一巻から十数巻までたちよみで読んだ。」 いや、これはあり得ない。確かに『ドカベン』は読んだが、そんなに入れ込んだ記憶はないし、十数巻も立ち読みをするはずがない。
しかし、次第に私の心に不穏な影が差してきました。不安に駆られ自分のページをめくってみると、驚くなかれその半分が漫画の模写で埋め尽くされていました。天を仰いで嘆息するほかありません。イラストならともかく、自分はこういう文集に漫画を描く人間ではないと固く信じていましたし、こういうものに漫画を描くような人を軽蔑してきたのです。あの頃、少しはおバカなことしてたよなあと思ってはいたものの、これほどの大馬鹿だったとは。もう取り返しがつかない。恥ずかしくてのた打ち回り、全員の文集を回収して燃やしたくなりました。どんなに普段真面目でも、後世に残るのは文字になったもの、あるいは書かれたものだけなのです。
この日、最も驚いたのは奥付というか編集後記を見た時でした。自分が編集委員に名を連ねていたのです。しかも編集後記の名前の配置からすると、どうも私は学級委員副委員長を務めていたようなのです。文集作成という実務(この文集は全くの手作りです。)をした記憶も、その当時学級委員をしていた記憶もありません。身を入れてやった仕事なら必ず覚えているはずです。ですから、みんなでわいわい印刷なんかをしているところに一緒にいただけという可能性が高いのです。「書かれたものとして残っている私」と「当時の記憶の中の私」は別人です。それはもう書かれたものが絶対です。人はこれほどまでにセルフイメージを美化してしまうものなのでしょうか。恐ろしいことです。