2013年6月17日月曜日
「歴史を知ることの難しさ」
「八重の桜」をほぼ毎週視聴していますが、はっきり言って見ていて面白いものではありません。会津ゆかりの者の義務として見ないわけにはいかないのです。中立的な立場で見られるなら、有事の際の身の処し方などを学べるドラマなのかもしれませんが、そうでない場合、見ていると薩長はもちろん、ご都合主義の権化とも言うべき将軍慶喜、様々な画策をする公家の腹黒い方々に対する悪感情が湧いてくるのは避けられません。(もちろん、薩長はじめ皆様方にそれぞれの言い分がありましょう。) 松平容保は名君なのでしょうが、時代の流れに翻弄され自らの決断を踏みにじられておよよと涙する場面が多く、見ているとやりきれなさにぐったりします。日本が国民国家となって百数十年経った今でさえ、身近に歴史を知ればこうなのです。柴五郎の手記など読めばなおさらです。
歴史を知るとはこういうことかと思います。シンガポールに建てられた、第二次世界大戦中の日本軍による虐殺の鎮魂碑に、 Forgive, but Never Forget. (許そう、しかし忘れまい。) と刻まれていると言います。分別に富んだ言葉ですが、実際に実践するのはとても難しいのではないかと感じます。一度あったことは、何倍にも増幅し表現されて当たり前ですし、同胞に起こったことだという意識が強ければ強いほど、人間的心情として「許すまじ」という気持ちが募ってくるのが自然です。それを政治的に利用しようとする意図を持った人がいれば、もうお手上げではないかと思います。