2013年6月28日金曜日
「改憲論議」
改憲についての議論がかまびすしくなってきました。焦点の一つはもちろん9条で、時代にそぐわなくなっているという理由で、自衛権について何らかの改定をしようというものです。その前に改憲の発議要件を変えようとするのは問題外ですが、この改定に私が全く乗れないのは、中身に入る以前に日本と欧米では法に対する意識が違うためです。日本では法に依らない方法で実効性を高めるという手段が一般的にとられており、国民の合意のない案件を無理やり法制化した場合は、その法を盾にほとんど異常なほど苛烈で行き過ぎた実施がなされてきたことをいやというほど見てきたからです。
年に二回、日の丸・君が代問題に直面させられずに済むようになって、今さらながらそれがどんなにストレスだったかわかります。誤解のないように申し添えますと、私は、もし外国に住んでいるなら、機会あるごとに日本の良さを吹聴し、事あるごとに日の丸を振ってしまうような祖国愛に満ちた人間です。でも、敬意を払わねば処分するぞと言われているその対象に、敬意を持てる人がいたらお目にかかりたいと思います。
憲法9条と自衛隊は確かに矛盾をはらんでいますが、だからこそ何はともあれ、まもなく70年にもなろうとする平和が保たれてきたのです。日本はそういう仕方がうまく機能する国なのです。ですから、変な言い方ですが、決して欧米並みに法整備をしようとしてはならない、そんなことをしたら大変なことになると断言してよいでしょう。国防軍を認め、やむを得ない場合は使ってもよいことになれば、必ず過度に使用する方向へ振れるというのが、これまでの来し方から予想される事態です。国の思考様式や行動のスタイルというものはそうそう変わるものではありません。それを思うと私は改憲論議にはまったく乗れずげっそりしてしまうのです。
2013年6月26日水曜日
「紅春 29」
いい季節の散歩は本当に楽しいものですが、冬は大変です。特に雪道はただ歩くのも芸がないので時々買い物と組み合わせて遠出します。1キロくらい離れたコンビニによく行くのですが、りくにとって遠出の時は目新しい物が満載なのでうれしそうです。絶対必要なのはトイレ用品、道のりが長いので必ずします。
コンビニの駐車場の端の危なくないところにりくをつなぎ、
「すぐ戻るからね。いい子にして待っててね。」
と言い聞かせ、店に入ります。りくはおとなしく私を見送ります。買う物は決めてあるので時間はかかりません。店内から出てくる私の姿を見つけると、途端にりくは吠え始めます。私が駆け寄ると、全身で喜びを表現しまとわりついてきます。たぶん3分くらいしかたっていないのに、1ヶ月ぶりの再会かと錯覚するほどです。知らない人が見たら、動物虐待と思われないか心配になります。
2013年6月24日月曜日
「都会の快適生活」
移動の手段がバスにシフトしてから本当に楽になったと感じています。たまたま家の真ん前にバス停があり、しかも数分おきに走っているので、いつでも乗れる感覚です。帰省するため高速バスに乗るときも、これまたその乗り場の真ん前に止まるバスに直通で行けるのです。ほとんどタクシーを使っているのと同じ利便性を得ることができ、殊に持ち帰る荷物の運搬を考えた時、これを電車でやろうとするともうめまいを感じるほどです。
高速バスの乗り場のすぐそばにはファミレスがあるので、いつも1時間ほど早めに着き朝食をいただいています。7時から開いており結構人がいます。出勤前の仕事人が1日のスケジュールを立てていたり、退職後と思われる初老の人が新聞や本を読んでいたり、時には高校生が朝食をとっていることもあります。デフレもここまで来たかという値段設定のモーニングメニューをいただきながらバスの時間になるまでゆったりした時間を過ごせるのはありがたいことです。冬は特にここがなければ難しいでしょう。
原発事故後郡山に仮役場を移し2012年4月に帰村宣言をして役場を戻した川内村が、故郷の今後を考える機会を持った時、故郷に戻れない理由として放射能や雇用の問題もさることながら、都会の便利な暮らしを知ってしまったことがあげられていました。「都会の」と言っても郡山のことで東京ではなく、「便利な」と言っても「買い物が近くでできる」(帰村すれば隣接する市まで車で30分かけて行かなければ食料品も日用品も手に入らない)、「病院や高校が近くにある」(村には診療所が一か所しかなく、高校はない)といったごく当然のささやかな希望であり、故郷に帰らないという選択は確かに悲しいことではありますがそのことをいったい誰が責められるでしょうか。お年寄りに限らず、若い方や子育てが待ったなしの状況にある方にとっても無理もないことだと思ってしまうのでした。
2013年6月21日金曜日
「日本とドイツ 混雑と行列」
行列は日本人の本性なのでしょうか。人気のお店やイベントなどよくよく行列が好きなようです。村社会では流行を無視できないのか、他人の欲望するものこそが自分の欲望の対象なのでしょう。
初来日したときに、一度ヘルベルトを東京ディズニーランドへ連れていったことがありました。比較的空いている日で、10くらいのアトラクションを楽しめてよかったなと思っていたら、あとで「あんなに長い列に並んだのは人生で初めての経験だった。」と言われ、つくづく違う文化の人なのだと思いました。
ドイツでは、州ごとに数日ずつずらした夏休みのスケジュールが数年先まで組まれています。最初の州と最後の州では夏休みの始まりが一ヶ月以上もずれますが、それは一斉に夏休みになるとアウトバーンが車で渋滞するからだと知った時は、その思考の柔軟さに目が覚める思いでした。日本の高速道路と一つ大きく違うのは、土日はパーキングエリアに駐車中のトラックが目立つことで、それは特殊な許可を受けていない大型車両のアウトバーン走行が週末は禁じられているからです。週末のアウトバーンは旅行や行楽等の自家用車のためのものであり、それほどまでに混雑を嫌い避けようとするのです。そして、日曜の夜10時を期して待ちかねたように、また大型車両のエレファントレースが始まります。
夏休みの取り方にしても、高速道路の利用規則にしても、「おっ、これは合理的。日本でもやってみよう。」とはならないでしょう。とにかくみんなで一緒にやるのが好きな国ですから。渋滞も行列もこれはもう日本の風物詩。賑やかで活気があっていいではありませんか。私は苦手なので家でじっとしてますけど。
2013年6月19日水曜日
「刺繍生活 続く」
長らく取り組んできた刺繍がようやく峠を越し、最後に模様全体を囲む外枠を刺せばおしまいです。本当はレース編みを周囲に施すのですが、それは先生がやってくださるとのことでいよいよあと少し。
先が見えたことと単純な作業だったことですっかり気が緩んでいましたが、半分以上進んだところで左と右の端からの目数が合わないことに気づきました。間違えたなと思い見直しましたが刺し方に間違いはなく、目数を計算してみると理論上2目足りません。つまり編み図自体に誤りがあり、外枠全体を1目右にずらさないと模様を中央に入れることができないとわかりました。
先生に相談すると、相当進んでしまっていたためでしょう、
「そのままでいいわよ。」
というお答えでした。先生のお言葉とはいえそれはありえない、模様が中央に来ないなんて!
「いえ、これだけはやり直しさせてください。」
とお願いし、外枠の刺し直しをしました。色合いが微妙に違っていた糸をなんとか同じ色に統一できたこともあり、許せる範囲におさまってほっとしました。
出来上がったものを眺めるとなかなかよい、始めた時は「とても無理、できない。」と思っだけにうれしくなりました。やはり工夫と慣れで困難な問題もかなり解決できるのだなあと再認識しました。最初は災難以外の何ものでもないと思っていたのに、勉強にもなり自信にもなりました。
先生に提出し
「終わった~。」
と思ったら、
先生は点検されておっしゃいました。
「レース編みもやってみる?」
ぎょえーと思いつつ口を出た答えは、
「はい、せっかくだからやってみます。」
刺繍生活はまだまだ続きます。
2013年6月17日月曜日
「歴史を知ることの難しさ」
「八重の桜」をほぼ毎週視聴していますが、はっきり言って見ていて面白いものではありません。会津ゆかりの者の義務として見ないわけにはいかないのです。中立的な立場で見られるなら、有事の際の身の処し方などを学べるドラマなのかもしれませんが、そうでない場合、見ていると薩長はもちろん、ご都合主義の権化とも言うべき将軍慶喜、様々な画策をする公家の腹黒い方々に対する悪感情が湧いてくるのは避けられません。(もちろん、薩長はじめ皆様方にそれぞれの言い分がありましょう。) 松平容保は名君なのでしょうが、時代の流れに翻弄され自らの決断を踏みにじられておよよと涙する場面が多く、見ているとやりきれなさにぐったりします。日本が国民国家となって百数十年経った今でさえ、身近に歴史を知ればこうなのです。柴五郎の手記など読めばなおさらです。
歴史を知るとはこういうことかと思います。シンガポールに建てられた、第二次世界大戦中の日本軍による虐殺の鎮魂碑に、 Forgive, but Never Forget. (許そう、しかし忘れまい。) と刻まれていると言います。分別に富んだ言葉ですが、実際に実践するのはとても難しいのではないかと感じます。一度あったことは、何倍にも増幅し表現されて当たり前ですし、同胞に起こったことだという意識が強ければ強いほど、人間的心情として「許すまじ」という気持ちが募ってくるのが自然です。それを政治的に利用しようとする意図を持った人がいれば、もうお手上げではないかと思います。
2013年6月14日金曜日
「ベジブロス」
「船頭多くして船山に登る」の英語版、Too many cooks spoil the broth. (だったかしら)を知った時、ブロスってどんなスープなんだろうと思いましたが、要するにだし汁のことですね。最近とみに話題になるので一応試しています。今まで捨てていたものの再活用ですし、健康にいいと言うのでやらない手はありません。うろ覚えですが、これを取り入れた給食を出すようになってから、園児の欠席日数の平均が5日から1日に減ったという保育園があると言います。
作り方はいたって簡単。野菜の下ごしらえで出る野菜屑、人参の皮やヘタ、ブロッコリーの芯とか何でもよい(玉ねぎの茶色い皮やかぼちゃの種など「こんなものまで?」と思うようなものも全部)、普段から集めて冷蔵庫に保存し、両手いっぱいほど貯まったら1リットルの水に小さじ1の酒を入れて煮出すだけ。沸騰させたら弱火で20~30分煮る、私の場合はシャトルシェフに入れておく、これでおしまい。
紅茶色のいかにも強そうな液体が出来上がります。味噌汁やシチューに入れたり、煮物のだしにしたり何にでも使えるようです。野菜の匂いが強いだしなので少しずつ使うのがポイントかも。続けてみると、プラシーボ効果かもしれないけどなんだか元気がでてきたような・・・
2013年6月12日水曜日
「紅春 28」
この時期は、表面の剛毛から綿毛が飛び出ているなと思い、つまんでみるとごそっと驚くほど抜けます。首のあたりなどは下毛がだぶついたようになっているのでブラシを当ててやると、気持ちよさそうにしています。どんどん取れるのでちょっと心配になるほどで、いつまでやってもきりがありません。
「りく、ずいぶんやせたね。」
と言って、適当に終わりにします。父は風の強い日に土手の上でブラッシングをするそうです。
抜け毛の季節に特に大変なのはお風呂はです。風呂場の排水口は抜け毛の山、また風呂からあがった後にりくが歩いたところには毛が落ちています。
「りく、毛を落とすな。」
と父が言うのですが、それは無理というもの。りくが悪いわけではないのです。家中掃除機をかけてやっとお風呂が一段落、ふぅー。
秋にも毛の抜け替えがありますが春ほどではありません。抜け毛と言うとドキッとしますが、自然の摂理なので「りくの抜け毛は心配なし」っと。
2013年6月10日月曜日
「フーズム Husum 」
初めてドイツを訪れた時、思い立ってハンブルクからさらに北に列車で片道2時間かかるフーズムまで、日帰り旅行をしました。8月でしたが、北海に臨む北の町は、「灰色」とは言わぬまでも、真夏でもどこか寂しい雰囲気が漂っているのでした。港にはなぜか、「5月が来た Der Mai ist gekommen」のメロディが流れていました。往復の時間を考えると、滞在時間はわずかです。
フーズムを訪れたのはそこがシュトルム Theodor Storm の生地だからです(かつてはデンマーク領)。法律家として職に就きながら、かなわなかった未来への諦念や過去の幸福な記憶の中に静かに生きる人々を描いたこの作家が、どのようなところで生まれ育ったのかを見たかったのです。
おそらく『みずうみ(Immensee)』のモデルとなった原風景はどこかにあったのでしょうが、それにたどりつくことはできませんでした。彼が住んだ家はシュトルム記念館になっており、書斎の様子などを見ることができました。近くには彼の名をとった、その名もシュトルム・カフェ STORM・CAFE と彼の生家がありました。
「あなたのおうちにもよろしく言って。世界中であんな懐かしい家は二度と見つからないわ。」
『人形使いのポーレ (Pole Poppenspäler)』の中で、旅芸人の子リーザイがひとときを過ごした菩提樹とその下のベンチは・・・ ありました。もう二十年以上も前のことです。
2013年6月7日金曜日
「学校の終焉」
教育関係者と話をする機会があっても、言葉少なであまり話に花が咲きません。ため息交じりに「学校は終わったね。」と言えばそれで済んでしまうのです。それがあまりに自明なことのように思えるので、その中身を詳しく考えたことがありませんでしたが、実際どういうことなのか整理しておいた方がいいなと感じています。
校内暴力、いじめ、学級崩壊などの現象が起こる都度、これまでも何度か「学校は終わった」と言われてきましたが、それと今とはどう違うのでしょう。もちろん、それら全ての現象が末期的であり、現代社会の広範囲で根深い問題から生じているという意味では、即効性のある解決法は何もありませんが、個々の事態に対して昔も今も教員は痛々しいほど全力で取り組んでいます。
違う点があるとすれば、教育を受ける側がその相対的優位性を憚ることなくあからさまに語るようになったこと、また教育する側が最適化へのオブセッションというべき成果主義の呪縛を受けていることだと思います。生徒は「授業評価」により、一段高い視点から教師を評価することができるようになり、教師は「自己申告書」により、数値目標を設定し達成できたかどうか自己評価を行うようになりました。
「授業評価」が最悪なのは、生徒が教師を評価できる対象と思った途端に本来の学びが起動しなくなり、自分の不調を教師のせいできたとしてもそれがなんら本人に益をもたらさない点にあります。「自己評価」が最悪なのは、本来数値化できない教育の成果を数値化することによって、表面的に効率的な最適解にたどりつこうとするようになることです。これはまさにチェスタトンの言う「理性以外のあらゆるものを失った狂気の世界」です。
この2つの事態が同時に並行して起きるとどうなるかというと、それは学校教育が商品になったということです。そう言われても何が問題なのかわからないという人が多いかもしれません。それほどもう教育は商品なのです。それほど、致命的に学校教育は損なわれたのです。「学校は終わった」というのはそういう意味です。
2013年6月5日水曜日
「接着剤いろいろ」
ここ30年ほど、私にとって最強の接着剤はアロンアルフアでした。とにかく何でもくっつく驚きの粘着力を誇り、遠い昔、ぶつかって壊れた車のミラーを一時的に留めたことがあるほどです。ボンドは白い液体で木工用、セメダインは透明でプラモデル用と自分なりに明確なイメージがあり、木工やプラモデルと縁が薄くなって以来、それらの存在も頭の中から消えていきました。アロンアルフアは確か「ほこ×たて」で最も反発力が強い磁石との最強対決でも勝利し、その実力をあらためて世間に見せつけた感がありました。
ところがアロンアルフアにもやはり弱点はあるのです。シリコーンゴムの登場です。シリコーンはマイナス40℃から230℃までの温度変化に耐える大変便利な素材で、今やキッチン用品をはじめ様々な日用品に欠かせない存在になっています。これがアロンアルフアで接着できないと知った時は「え~っ」という感じでした。あまりに何でも付くので素材のことなど考えたことがなく、物の接着には何と何を付けるのかをまず知らなければならないという基本を忘れていたのでした。「シリコーンを接着できるものはないのか」と言うと、今のところ量販店で手に入るものとしては、セメダインスーパーX(エックス)があります。にわかに脚光を取り戻したセメダイン! 何にでも泣き所はあり、逆に言うと何にでもチャンスはあるということですね。
2013年6月3日月曜日
「起こらなかった事件」
ボストンマラソンのテロ事件は世界に衝撃を与え、その後の催しの警備が強化されましたが、ロンドンはともかく、かすみがうらマラソンに例年以上の警備が必要だと感じた人はどの程度いたのでしょう。日本にももちろんテロはありますが、イスラム思想がらみということでは事件など起こりそうな気がしないというのが本音でしょう。理由はいろいろ考えられます。日本では人種的偏見を露骨には表さない、宗教的に寛容である、他人とくに外国人に親切なところがある、隙が多すぎてテロをする気にならない、または手柄にならない等々、テロを行うのは得策ではないと思わせるものがあるのでしょう。
ボストンの件は事件の詳細や背景の解明を待たねばなりませんが、イスラム思想が絡んではいるものの本質的に移民問題であることは明らかです。外国からの移民が問題化するのは、どこの国でもその数が或る水準を超えた時です。それまでは、「わりと好きな国だから。」という理由でテロは起きないし、その逆の排斥運動も起こらないでしょう。
この「わりと好かれている」ということは実はとても大きなことです。それは、その逆の感情すなわち或る国に対する嫌悪感や敵対心を形成することとは違って、国家がコントロールしようとしてもなかなかできないことであり、民間レベルの交流や個人的な好み、民衆文化の高さなど国民個々人の感覚を中心に形成されるものです。BBCが毎年行っている「世界に良い影響与えている国」ランキングで2012年に日本は1位に選ばれています。テロや原発事故が起きた時に失われる取り返しのつかない損失は大きく報道されますが、起きなかった事件によって失わずに済んだ利益に関しては顧みられることがありません。でもそれはとても大きな財産なのです。
2013年6月1日土曜日
「夢うつつ 『引き裂かれた神の代理人』」
私の好きな(?)トンデモ本の類です。著者ジャン・ラスパイユは、いまだに存在すること自体驚きの王政主義者の領袖ですが、考えてみると全くありえない話ではないのです。世界史の授業で習ったように、教皇権の急速な衰退が後に教会の大分裂を招いたのは事実であり、二人の教皇の正統性が政治的力学上の問題であるなら、今のヴァチカンの現実もいわば偶然の産物にすぎないと言えます。
ヴァチカンからの刺客の手を逃れ、もう一人の教皇(大分裂によって生まれたアビニョンの教皇)の遺志を継ぐ系譜、自前の神学的教育機関さえ持たないこのブノワと呼ばれる一派は、既存のセミナリオで教育を受けた後、突然姿を消すというスパイもどきのやり方で自分たちの教皇を叙階してきたというのです。その名を口にしただけで火刑という時代も今は昔、ブノワは600年間に32代の教皇に受け継がれた後、最後の末裔が死んだのが1994年であるとのこと。しかも、ヴァチカンからの使者に看取られての最期だったというのです。にわかには信じられませんが、現実とは何かと考えると足元に浮遊感が漂ってくることは間違いありません。
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