どうしたものかと考えています。東京では三度目の緊急事態宣言の発出。この一年間何をしていたのか、一向に感染症がおさまる気配がないのでは心理的に弱ります。感染症による死者が一万人をこえたと言いますが、最初の五千人が十カ月ほどの累計とすれば後の五千人はここ四カ月とのこと。長期化によって心身の弱りが重なった結果ではないでしょうか。たとえワクチン接種が進んだとしても、ウイルスの変異速度の方が格段に速いのですから、その後の展開に私は懐疑的です。
ヨーロッパには観光が主産業という都市や国がたくさんあります。あるどころか、多くの名だたる国の首都はかなりの度合い、観光に依拠しているといってよいでしょう。確かに快適な観光環境の運営や観光客の応対は洗練されていますが、私はいつも何か割り切れない思いを抱いたのを思い出します。歴史の重さや伝統・文化の圧倒的なすばらしさをずっしり感じながら、他に産業が見当たらない時、「これでいいのか」という思いが頭をかすめるのは、車や電化製品を怒涛のごとく輸出していた国の旅行者だったせいなのでしょう。産業立国のドイツ人の連れ合いの言葉の端々からも、大きく観光業に傾斜した生業に対して同様の思いが見て取れました。この点、日本人とドイツ人の心性は非常に似ており、観光立国での休暇の快適さを享受しながら、何だか手放しでは喜べない思いをしていたのでした。
日本では2008年10月に観光庁が設置され、訪日外国人の数は2008年の835万人から(一時東日本大震災で622万人に減ったものの)、2019年には3188万人まで、通常あり得ないほどの急速な伸びを見せました。これについては地方の自治体やNPOによる長年にわたる地道な努力もあれば、ブームに乗っただけの業者の呼び込みもあったのですが、日本の魅力を世界に知らせる機会になったのは良いことだったと思います。ただ、その伸びが急激すぎて無理があったり、なりふり構わぬ金儲けに走る業者がいたりすると、地元の生活者の不興を買った側面も見逃せません。観光業はどんなに盛んに見えても、観光客頼みの寄る辺ない産業です。社会が一挙にそちらに振れてしまってその他の産業が等閑にされると、万一の時どうにもなりません。
まさか全世界的にこれほど移動の制限がかかる時代がこようとは、誰が予測し得たでしょう。ヨーロッパの観光地はいま無事なのでしょうか。日本人が訪れていないことだけでも大変さが思いやられます。以前、さほどの富裕層でなくても一年の半分をクルーズ船で過ごす観光客の話を聞いたことがありますが、まだクルーズ船の旅をしたい人はいるのでしょうか。日本人なら東南アジア、ヨーロッパ人ならイベリア半島周辺の保養地で一年の半分を過ごすという年金生活者はみな無事なのでしょうか。ほんの数年前には全く思いもしなかった事態が起こったことで、これからどれほどの予測しえないリスクがあるかと考えることは、何をしてどこで生きていくかという問いを根本から問い直すことになるに違いありません。とはいえ、最も手堅いと思われてきた外食・飲食業さえ普通に運営できない感染症時代の到来をどう考えたらよいのでしょう。