2021年4月29日木曜日

「不正あれこれ」

  人はなぜ不正をやめないのか、なにゆえどう考えても不首尾に終わる案件に手を出すのか、ずっと不思議に思ってきました。政治家や高級官僚、および企業ぐるみの不正は当たり前としても(いや、当たり前にしてはいけないのですが)、研究不正、不正会計処理、普通の会社員・公務員の不正に至るまで様々な不正が日々起きています。

 科学者の不正について調べていて驚いたことがいくつかあります。現在ではデータに基づいた正しい仮説を権威ある科学誌に一日でも早く発表した者がオリジナリティを確保するわけですが、この点から見るとかつての偉大な科学者も結構グレイの判定となることがあるようです。ライプニッツとニュートンの微積分学発見の優先権論争は有名ですが、今日ではどうも相対性理論についても果たしてアインシュタインが最初なのかも確実とは言えないと考える人もいるようです。また、不正認定の基準が厳格に決まっている今日、エンドウ豆の実験で形質の遺伝法則を発見したメンデルもデータが法則性の仮説に合わせたかのように「きれいすぎる」と批判されたこともあるようです。本当はどうなのかは専門家が時間をかけて再実験しなければわからないことですが、遺伝に関する法則性の発見といったあまりに画期的な理論の場合、わざわざデータの実証をする科学者はほぼいないでしょう。そういう意味では他者によって再実証されていない理論は意外とあるのかもしれません。

 研究不正の歴史を見ると、中には明らかに生まれついての詐欺師的研究者もいます。有名大学で精力的に論文を書いて評価されていた学者が、実はファンタジー・ノベルを書くように次々と話を捏造していたというアッと驚く例もありますし、各国を渡り歩く外国人科学者の例で、名前を変えながら査読者を選べる機関に論文を投稿し、実は自分で査読者となって論文を通したというギャグのような話もあります。「そんなエネルギーがあるなら研究に向けなさい」と言いたくなります。病的不正論文の書き手は日本人も例外ではありません。不正論文というのは撤回論文の数で決まるらしいのですが、何と一位と七位が日本人、三十位以内に五人もいる有様です。2000年まではほとんどいなかったのにそれ以降増えたのは研究環境が急速に悪化していった背景があるとはいうものの、気の毒ですが、日本の威信を傷つけたのですから同情はできません。何より本人が築いてきた全てを失う愚かな行為です。

 他に名誉欲・金銭欲から不正に走る者もいます。製薬会社Nファーマの社員が複数の大学の医学部においてデータ改竄を請け負っていた事件は社会に衝撃を与えましたが、多額の金が研究室に奨励費のような形で落ちていたのですから、一人社員に罪を押し付けて済むものではありません。広告塔となって降圧剤の販売促進にお墨付きを与えた教授たちも同罪のはずです。一口に不正と言っても、データ改竄に関しては医学界、製薬業界が断然多い印象です。

 また、不正会計で凋落を決定的にしたT社は、かねてよりの業績悪化を自分の代で公開したくない代表により会計データ改竄のパワハラが行われ、社内での権力闘争もあり、抱えている原発会社の赤字を隠そうとしていたことも、株主の逆鱗に触れたようです。こうなるともう底知れぬ闇があるばかり、まっとうな社員が気の毒です。

 ごまかしの規模において劣るとはいうものの、建築業界の耐震偽装や杭打ち強度データ改竄問題、東京五輪エンブレムのデザイン盗用疑惑、音楽家としてのし上がろうとしたS氏の全盲偽装、考古学における遺跡埋め戻し事件など、すぐに次々と思い浮かぶのは情けなく恥ずべきことです。逆に「不正がほぼない学問の世界は数学である」というのはなるほどと頷けます。

 近年最も日本と世界の耳目を集めたのは、何といってもスタップ細胞事件でしょう。あの二週間、日本人は沸き立つような興奮から奈落の底に突き落とされ呆然自失したのではないでしょうか。毎日新聞の女性記者が一連の顛末を克明に記録し本にしていますが、彼女の取材をもってしても、会見の中でO女史が述べた「あなたは過去何百年の細胞生物学の歴史を愚弄している」というコメントが見つからなかったと書いています。査読論文を訳読して詳細に検討してもこの言葉が見つからないとすれば、この言葉はどこからきたのでしょうか。他の研究者から投げかけられた可能性もありますが、自身の心の深層の声を反映していたのかもしれません。なぜなら、人は自分の不正を誰よりよく知っており、そこを突かれる前に機先を制しようとして、まさに秘密の暴露を思わず口にしてしまうからです。私がそれを確信したのはあの研究ノートを見た時です。唖然としました。あれをみれば誰でも「これは違う」とわかります。博士号をもらった小学生がファンタジーを元手に、女性活躍社会の波に乗り、大人を巻き込んで引くに引けなくなったというのが真相ではないでしょうか。とはいえ、彼女は博士号を奪われただけでなく、一人の優秀な研究者の自殺を一生背負っていかなければならないのですから、よいことは何も残らなかったのです。その後の理研の対応には本当にあきれましたが、これが起きたのが現代でよかったと思うのは、インターネットが張り巡らされた世界では、真理の前に誰もが兜を脱がなくてはならないという点においてです。真相が暴かれるまでにかつては何年も要しましたが、今では二週間しかかかりません。もう何千、何万、何億という人の目をごまかすことはできないというのは、真理そのものにとって僥倖ではないでしょうか。


いかに幸いなことか

神に逆らう者の計らいに従って歩まず

罪ある者の道にとどまらず

傲慢な者と共に座らず

主の教えを愛し

その教えを昼も夜も口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。

ときが巡り来れば実を結び

葉もしおれることがない。

その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

神に逆らう者はそうではない。

彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。

神に逆らう者は裁きに堪えず

罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

神に従う人の道を主は知っていてくださる。

神に逆らう者の道は滅びに至る。

            (詩編 第一編)


2021年4月27日火曜日

「観光業というリスク」

 どうしたものかと考えています。東京では三度目の緊急事態宣言の発出。この一年間何をしていたのか、一向に感染症がおさまる気配がないのでは心理的に弱ります。感染症による死者が一万人をこえたと言いますが、最初の五千人が十カ月ほどの累計とすれば後の五千人はここ四カ月とのこと。長期化によって心身の弱りが重なった結果ではないでしょうか。たとえワクチン接種が進んだとしても、ウイルスの変異速度の方が格段に速いのですから、その後の展開に私は懐疑的です。

 ヨーロッパには観光が主産業という都市や国がたくさんあります。あるどころか、多くの名だたる国の首都はかなりの度合い、観光に依拠しているといってよいでしょう。確かに快適な観光環境の運営や観光客の応対は洗練されていますが、私はいつも何か割り切れない思いを抱いたのを思い出します。歴史の重さや伝統・文化の圧倒的なすばらしさをずっしり感じながら、他に産業が見当たらない時、「これでいいのか」という思いが頭をかすめるのは、車や電化製品を怒涛のごとく輸出していた国の旅行者だったせいなのでしょう。産業立国のドイツ人の連れ合いの言葉の端々からも、大きく観光業に傾斜した生業に対して同様の思いが見て取れました。この点、日本人とドイツ人の心性は非常に似ており、観光立国での休暇の快適さを享受しながら、何だか手放しでは喜べない思いをしていたのでした。

 日本では2008年10月に観光庁が設置され、訪日外国人の数は2008年の835万人から(一時東日本大震災で622万人に減ったものの)、2019年には3188万人まで、通常あり得ないほどの急速な伸びを見せました。これについては地方の自治体やNPOによる長年にわたる地道な努力もあれば、ブームに乗っただけの業者の呼び込みもあったのですが、日本の魅力を世界に知らせる機会になったのは良いことだったと思います。ただ、その伸びが急激すぎて無理があったり、なりふり構わぬ金儲けに走る業者がいたりすると、地元の生活者の不興を買った側面も見逃せません。観光業はどんなに盛んに見えても、観光客頼みの寄る辺ない産業です。社会が一挙にそちらに振れてしまってその他の産業が等閑にされると、万一の時どうにもなりません。

 まさか全世界的にこれほど移動の制限がかかる時代がこようとは、誰が予測し得たでしょう。ヨーロッパの観光地はいま無事なのでしょうか。日本人が訪れていないことだけでも大変さが思いやられます。以前、さほどの富裕層でなくても一年の半分をクルーズ船で過ごす観光客の話を聞いたことがありますが、まだクルーズ船の旅をしたい人はいるのでしょうか。日本人なら東南アジア、ヨーロッパ人ならイベリア半島周辺の保養地で一年の半分を過ごすという年金生活者はみな無事なのでしょうか。ほんの数年前には全く思いもしなかった事態が起こったことで、これからどれほどの予測しえないリスクがあるかと考えることは、何をしてどこで生きていくかという問いを根本から問い直すことになるに違いありません。とはいえ、最も手堅いと思われてきた外食・飲食業さえ普通に運営できない感染症時代の到来をどう考えたらよいのでしょう。


2021年4月23日金曜日

「紅春 177」


 今年の狂犬病注射は「6月に動物クリニックで」、と兄と話し合ったばかりでしたが、届いたはがきで近くの集会所が接種会場の日、9時前からりくが盛んに散歩に行きたがったので、「注射、行ってみる?」とりくに尋ねるとまんざらでもない様子。

 春の陽ざしの中、だめもとで行ってみると、今年は集まってくる犬の数も少なく比較的静かな環境。はがきを係の人に渡して、不穏な空気を感じ取ったりくと向き合い、首をぎゅっと引き寄せて抱きしめている間に、獣医さんが目にもとまらぬ速さでおしりにチクッ。りくは鳴きも吠えもせず、これであっけなく終了です。いつだったか犬が集まり過ぎて阿鼻叫喚の様相を呈していた時は、注射も大変だったっけと思い出し、「りく、頑張ったね。お利口さんだったね」と褒めて帰宅しました。

 帰る道々、りくの体に異変がないか見ていましたが、無事でした。それから5時間ぶっつづけで昼寝した後、むくっと起きて散歩を所望。もう完全に大丈夫です。ハーネスの首に輝くブルーのメタル・プレートは、狂犬病注射を済ませた勇者の証です。万一、どこかで迷子になっても、番号により飼い主が特定できるから、ちょっと安心かな。


2021年4月20日火曜日

「不確定な社会における予約とは」

 日本の緊急事態宣言は物理的に交通を遮断するものではないものの、心理的に移動の制限を求められるのは確かです。そのためたびたび出される宣言によって、旅客運送業は長期にわたって苦境に立たされています。一方、利用客が極端に減っているせいで、顧客にとっては運賃の大幅割引という恩恵が受けられる現状もあり、これはコロナ禍にあってもどうしても移動しなければならない人にとっては有難いものです。

 JR東日本の大人の休日俱楽部の特典は、50代まではあまり使い出がなく、3割引きとなる60歳からが出番だと思っていました。ところが、コロナ禍では格安のeチケットは1カ月前なら半額からあり、タッチだけで乗り降りできる手軽さも手伝って、会員としてのメリットの活用に関しては依然として「待った」の状態です。半額のeチケットが売り切れた後も、35%引きのeチケットがあれば、これはほぼ自由席券の大人の休日倶楽部と同料金です。

 ここで生じるのが予約についての利便性の問題です。指定席込みのeチケットは遅れずに乗るにはどうしても早く駅に到着しがちです。予約した新幹線を待つ間にもっと早い列車を何度見送ったことでしょう。その点、駅に着いて最初に来た列車に自由席券で飛び乗るのは本当に気楽です。また、地震の影響で運休や遅延などの場合にも払い戻しの面倒がなく、日をずらすなり高速バスに切り換えるなりすればいいだけなので自由に予定を変更できます。予約というシステムは安定した社会、物事が確実に進む平時にあってこそ威力を発揮するもので、物事が順調に進まない場合は予約の解除および後始末にかかる労力は膨大なものとなります。みどりの窓口で、各顧客の個々の事情説明や果てしなく続く質問に笑顔で丁寧に応答する職員には本当に脱帽ですが、これらは本来しなくてよいはずのもの。運休や遅延が起こるとまず窓口での状況把握が必要になるため、自分で予約を変更できるeチケットの強みが無効になってしまうのです。今は行動の自由度という利点が費用の高さという欠点を上回る時代なのかもしれません。

 新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった日、或る自治体の接種予約者のうち2名が会場に現れず、ワクチンが無駄になったことが大々的に報道されました。詳細は知りませんが、250名のうち来られなかったのが2名だけというのは表彰もんだなと思ったのは私だけでしょうか。高齢者ともなれば体調が急変することもありましょうのに、99%以上の人が予定通り接種できたとは本当に律儀で真面目な対応と言うべきです。これはむしろ、余った場合のワクチンの活用法を決めておかなかったことが手落ちで、「公平性を担保できない」との理由でその先を考えていなかったとするなら、役所ではあまりに硬直化した平時の対応が身体化しているのではないかと思います。通常業務に加えての仕事で役所も過酷な環境になっているのは承知していますが、外国からの輸入頼みの貴重なワクチンであればこそ、踏ん張って様々な事態に備えるシミュレーションを作成しておいてほしい。何しろ今は緊急事態、非常時なのです。それにしても、緊急事態が日常化している今日、未来に対するそこはかとない不安はそのまま予約というシステムの揺らぎにつながっています。


2021年4月17日土曜日

「余剰と過剰の時代」

 欲しいものがない時代になって久しくなります。今では「無くなって欲しいもの」の方が多いのです。直感的に言って、世界に飛び交うパソコン上のメールや電子情報、紙媒体も含め世の中の活字や画像、電波で運ばれるマスコミ情報の85%はおよそ無駄なものではないでしょうか。暇つぶしに書かれたこの文ももちろんそうですし、ニュースを聞こうとラジオを付け、民放のボタンを順に押したら、全局CMだったということもまれではありません。よほど物が売れないのでしょうが、本末転倒です。

 私が困るのはインターネットで送られてくる不必要な情報です。セキュリティ・ソフトを入れているので、ひどいスパムが届くことはありませんが、迷うのはロゴはよく使う通販会社ながら、本当にそこから送られているのか怪しいものがあるのです。この迷う時間が無駄です。何かこちらに不具合があるようなことを言ってくるのですが、それが本当かどうか、送り主が確かなところかどうか、私は確かめる手立てを知りません。気分は決して良くないですが、そういうメールは無視して削除です。基本的にこちらから主体的に働きかけようとしてできない場合にのみ、どうするか考えることにしています。IT機器に疎い者が身を守るにはまずそこからです。

 パソコンのソフトは、セキュリティの向上というお題目を唱えてよくバージョンアップしますが、これも迷惑この上なく、無駄です。企業にとっては売上アップの手段なのでしょうが、ユーザーにとって使いづらくなる場合が非常に多いので、本当にやめてほしい。とくに今まであったお気に入りの機能が無くなっている場合は「ふざけるな」という気になります。重要な機密事項を扱うような場合は別にそれ用のセキュリティを備えた製品を開発すればよいだけで、その他大勢の一般庶民にはこれまでのソフトを末永く使わせてほしい。普段使いの気晴らしで、毎回アカウントやパスワードを聞かれたのではたまったものではない、そう思っている人は相当数に上るでしょう。

 バージョンアップにはお為ごかしのようなものもありますが、もう一つ見逃せないのは製品での事故や顧客からのクレームによるものです。例えば、使用時の洗濯機に自動で鍵がかかるようになったのはそのような経緯からでしょう。安全は大事です。子どもの事故を防ぐための対策は必要です。しかし、ここで考えなければならないのは、そこから一足飛びに、洗濯時に自動で鍵がかかる洗濯機をデフォルトにする必要はないということです。これによって不便になった人は、便利になった人の何百倍もいることでしょう。鍵のかかる仕様を別に作ればよいだけです。洗濯機を回し始めてから、「あ、あれもあったな」と、思い出して洗濯槽に投げ入れる私のようなずぼらな人間には、自動でロックされてしまう実家の洗濯機は本当に不便です。そのせいで二度目の洗濯をするのは水と電気の無駄。洗濯くらいぼーっとした状態でもできるようにさせてください。

 新商品を開発される方に声を大にして言いたいのは、「この製品はこのままでいい」という本物のユーザーはまさに「このままがいい」がゆえに、製造者には感謝こそすれ、何も言わないのです。それなのに声の大きいクレーマーの言うことばかり聞いて、その対処法を一般消費者に広げていくのは間違っています。次々に新製品が出て市場であり余る物、配慮と忖度の過剰でどんどん不便になっていく物、誰の得にもならないこの状況を生み出している原因を考えてほしい。現状は余剰、過剰によって生み出された製品やサービスの不快さが、利便性という快適さを越えてしまっているのです。

 欲しいものがない時代と言いましたが、それは損益分岐点を考慮して営まれるシステムでの話です。すなわちそれは、資本主義経済のもとでは完全に行き詰っているが、次のヴィジョンが全然見えないという、公然の事実を示すにすぎません。そのため、ものすごくニッチな市場で熾烈なアイディア競争が行われており、後代には経済民俗史的意味がありそうです。

 私も一つ、欲しい物のアイディアを思いつきました。「食べごろバナナの宅配」です。冬はなかなか熟せず夏はすぐに傷んでしまうバナナの宅配は相当難易度が高そうです。昔うちでも取っていた朝の牛乳配達のように、ちょうど食べごろのバナナを毎日運んでくれたら試してみるかもしれないな。商品が生ものなので、これはただのサブスクではなく、人件費を考えるととても無理そう。以前東京駅の地下にバナナの自動販売機がありましたが、あれも消えたしな。明るい見通しではないけれど、半分遊び心、半分探求心(気候・気温とバナナの成熟度関数の研究)で、こぢんまりとやるのはあり得るかしら。何しろ恐ろしいことに、一番過剰なのは人間という時代が来ているのですから。


2021年4月14日水曜日

「紅春 176」


  兄からとんでもない話を聞きました。或る朝、階下に降りて行ってもりくがまだ寝ている。揺り動かしても起きない。ハッとして、「りくは一人で逝ったのか」と一瞬頭が白くなった時、りくがむっくり頭を上げた・・・。

 「なんてこと言うんだ」と思いましたが、兄は兄で自分が看取る気でいるのですから、普段いない私が軽々に口出しできることではありません。兄はりくをなでながら、「りくは兄ちゃんがいる時に逝くんだぞ」と話しかけていました。

 まだまだ元気なのですが、りくの睡眠と覚醒の境界が判然としなくなってきているのも事実です。私が帰省してもいつも寝ており、気づいて喜び勇んでくることはなくなりました。しかし先日は、荷解きをしてからりくに声をかけようと思っていたら、いつのまにかりくがぬっと横に現れ、私がぎょっとして「あら、りく起きたの?」と声をかけると、「姉ちゃん、なんでいるの?」というように、不思議そうな顔でこちらを見ていました。

 りくを外に出して一緒に庭仕事をしていた時、「あれ、りくどこだろう」と見たら、ロープが木にからまって動けないのに、声も出さずにじっとしているのです。「りく、『ワン』して姉ちゃん呼ばなきゃダメでしょ」と言って解いてやったのですが、以前ならうるさいほど鳴いて知らせたのにと、その変わりように悲しくなりました。と同時に、注意して見ていないと大変なことになりかねないと気を引き締めました。

 時々何の拍子か、回路がつながったように、昔の活発な動きを見せてぬいぐるみを振り回したり、部屋を駆け回ったりするのを見るのはとてもうれしいですが、やはり全体的な衰えは明らかです。愛しいものの日々の様子を見て、兄のようにこれからのことを思い描いてしまうのも無理からぬことなのです。


2021年4月12日月曜日

「いわゆる金銭問題の解決法」

  肉親のいわゆる金銭問題でもう何年も結婚に進めないカップルがいます。これを暗澹たる気分で見守り、新たに出された文書に頭を抱えた人も多いことでしょう。気の毒なのはなまじ法律家を目指す人を結婚相手に選んだ女性です。これまでの経緯を明らかにすることで少しでも理解を得ようとされているのですが、これは残念ながら裏目に出たようです。もともとこの問題にさほど関心がなかった私でも、聞くともなしに情報をフォローしているうち、「発表内容はもう少し何とかならなかったのか」とがっくりしました。

 お金にまつわるこんな内情を知りたくなかったというのが、私には正直なところです。法律家の目から見ると、発表された28ページにもわたる内容には借金と解決金を取り違えているなど、いろいろと不備もあるようですが、そんなことより湧き上がるのは、「解決金という名目でよいから、とにかくお金は返した方がよい」という思いです。キツイ言い方をすると、贈与であるにせよその発生事由がなくなっているのに「よく受け取ったままでいられるな」という気持ちで、私などには思いもよらないことです。一番ぎょっとしたのは、「将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します」というくだりと、「録音をはじめとする記録はあるものの」の部分です。この過剰な恐怖感こそが、これを書いた人は「いただいたお金は借金だった」ということを誰よりも意識していた刻印であると感ぜずにはおれません。

 もしかすると私は勘違いしているのかもしれませんが、それは一般人が普通に聞いて思い違いするほどこれまで複雑な対応がなされてきたということです。お相手の方が気の毒で仕方ありません。いま求められているのは法律家としての手腕ではありません。現実的によい方向へ話を進めることを第一の達成目標とするなら、もはや誰もが100%納得できる方法はないと覚悟を決め、「双方が折り合いをつけるためのなにがしかの解決金を支払い、文書に留める」という方法しかないのではないかと思います。そしてこの交渉の間にはちゃんとした法律家に入っていただき、内容については公表しない(双方の署名文書があり、落着したことだけ発表してもらう)のが鉄則でしょう。世間もなんとなくもやもやと納得できない気がしているのですから、これで三方一両損です。ただ時節柄、私自身が一番感じたことは、どんなことでも免疫がないのは恐いなということです。


2021年4月9日金曜日

「エアコンの新設」

  面倒くさがりの性分が歳と共にひどくなっています。引っ越しなどはもってのほか、同じところに二十年住んでおり、エアコンは以前の住居からはずしてもってきた1台がリビングにあるだけです。それでずっとやってきましたが、ここ数年の夏の暑さは半端ではありません。夏はリビングの片隅に布団を移動して寝ていましたが、それも3カ月となるとさすがに無理、家の中が片付かない。それまでも何度も浮上しては面倒になってやめていた寝室へのエアコン新設を真剣に考え始めました。

 三月、四月は新年度の準備で電化製品の売れる時期、急ぎでなければこの時期は避けるようアドバイスされていたのに、やる気になった時を逃すと私はきっと動かなくなる、やっぱり今しかないと思いました。まずは家電量販店に行き、エアコンのカタログ一揃いを入手。私の希望としては、一切精妙な機能は求めず、部屋が冷えればよいというだけですが、具体的には、機種は100ボルト用であること、望むらくは昨年製品の型落ち、エコである(消費電力および始動電流が低い)こと、運転音が低いこと、値が張らないこと、といったところです。私は東京では暖房を付けたことがないので、一瞬「冷房だけでもいいかな」という気になりましたが、これからは歳を取るばかり、寒さを感じるかもしれないと暖房機能もあるものにしました。考えてみれば、これも人生最後のエアコンかもしれません。

 意外に忘れがちなのは室外機。ベランダが広いところならあまり考える必要はありませんが、私はメジャーで計測し図にしてメモしました。雨どい用の排水管があるのと水の通り道として床面に段差があるのがネックになるかもしれないと思いました。最後にカタログから3つに絞り、さらに熟慮して一つに決定。それは今リビングについているのと同じ企業のものでした。う~ん、私の見立ては昔から変わっていないのかも。

 はじめは量販店に行って対面で購入しようと思ったのですが、人が多いかもと思ったら疲れてきて、量販店のネット販売があったことを思い出しました。製品記号を打ち込むと、なんと三つの代表的量販店とも「売り切れ」「販売休止」。無理もない、四月だもの。それから念のため某通販会社で調べると、こちらは「あと2台」の表示。こういう時は迷ってはいけない、取付工事はどうなるのかという疑問もそこそこにとにかく注文しました。電化製品を通販で買ったことはありますが、それは工事無しで使えるものばかり。説明によると、製品が届くころに工事会社から日程確認の電話があるとのこと。そうか、まず製品が届くので保管し、それから工事業者が来るのかと理解しました。

 ところが翌日もう電話があり、ベランダの広さなど聞かれてから、日程の話になりました。月曜はどうかというので、「たぶん日曜にエアコンが届くと思うのですが、大丈夫でしょうか」と尋ねると、電話口の事務の女性が「エアコンが届くってどういう意味ですか」と言う。私はハッとして「もしかしてエアコンも業者さんと一緒に来るんですか?」と聞くとその通りとのこと。それは便利、一件落着です。

 あとは取付作業ですが、私が業者の車が来ることを管理人さんに伝えるのを失念し、ご迷惑をかけましたが、その日はマンションの予定が何もない日だったので大目に見てもらえました。作業の方はじっとベランダの様子を眺めていましたが、車から室外機の足台でぴったりのものを取り出してきて、高低差のずれを修復し無事設置してくれました。非常に丁寧な作業で全体で2時間半くらいかかりましたが、とてもすっきりと取り付けていただきました。「へえ~」っと思うほど昔の機種とはかなり形態の違うエアコンで、なんだか期待が高まります。ベッドの下にうずたかく積もっていたホコリもきれいにし、ついでに向きを変えてみたら部屋が広く使えて、何だか別の部屋になったみたいです。

 通販のレヴューの中には随分ひどい工事業者もいるような話があったので、ちょっと恐れていたのですが、室外機の足台の別途請求もなく、気が抜けるほど楽でした。すなわち、通販で設置工事付きの電化製品を購入した感想は、「やってみたら何も問題がなかった。便利さもここまできたか」というものです。これじゃ、世界の長者番付一位になるわけだわな。ともかく、これで今年は猛暑の夏をなんとか乗り切れそうです。


2021年4月7日水曜日

「AI医師を試してみたい」

  私はできれば医者とはかかわらずに過ごしたい人間なのですが、やむなく通院を続けています。それも長期間になり、残念ながら今後も続けなければならないようです。これまで医師が二人変わって、今は三人目。タイプが全く違う三人なので、こちらも戸惑っています。

 一人目は対面の診察を大切にし、こちらの質問にできるだけ短く答えてくれる医師でした。検査結果を毎回プリントアウトしてくれたので、帰宅してから病状を考える手立てとなりました。「高熱が出たら必ず救急車ですぐ来るように」とも言ってくれ、実際はどのような対応になるにせよ、その言葉だけで安心感がありました。

 二人目の医師はてきぱきとした研究者タイプで、別な観点からの検査と分析でこちらも理解を深められましたが、異動のため数回で診察が終わったのは残念でした。

 三人目の医師は、こちらから聞かないと詳しい説明がなく、ついいろいろと聞いてしまうので、先生のペースを乱してしまうようです。検査結果のプリントアウトもこちらから言わないと渡してもらえず、こちらも忘れてしまうのでデータが飛び飛びにしか残りません。先生に聞きたい内容を心の中でまとめて行くのですが、私がうまく説明できずに話が嚙み合わない。お忙しいのはわかるのですが、もう少し共感的に話を聴いてもらえたらなと思うこともたびたびです。

 通院歴の長い患者として望む医師の理想像は、なんといってもまずよく勉強して、海外の医学論文にもキャッチアップし、臨床の場で生かす方法をいつも頭の片隅で考えているような医師です。

 例えば尿酸値の高い患者に対し、「レバーはよく食べますか?」「ビールは飲みますか?」と聞くのは当然ですが、その二つは患者でも知っているプリン体の多い食べ物です。これらはどちらかというとバリバリの現役会社員や体を使った労働を担うことの多い人が好む食べ物ではないでしょうか。どちらも普段食べない患者は何がいけないのか悩みます。

 先日、私は「果糖が尿酸値を上げること」、「カフェインもプリン体である」と知り、深く納得しました。私の故郷はフルーツ大国といえる県であり、果物は体の半分がそれでできているのではないかと思うほどの好物です。また、コーヒーは普段最もよく飲む飲料の一つで、これも私の生活に欠かせないものですが、カフェインとプリン体の化学構造はそっくりだというのです。

 私はこれらの情報を自分で調べたり、たまたま別のことを調べていて知ったりしたのですが、こういったことを医師から伝えられていたら疑問は氷解していたはずです。ちなみに、尿酸値が高くても良い点はあることを知ることができたのはうれしいことでした。カフェインも尿酸も動物の動きを活発にするとのことで、カフェインがそうなのは知っていましたが尿酸もそうだったのかと驚いただけでなく、或る大学での大規模な調査により、「尿酸値の高い人は記憶力や認知機能が高く、将来認知症になる可能性が低い」ことがデータ解析によって証明されていることも知りました。こうなると尿酸値の見方も変わってきます。

 私は検査慣れしていて、正常値の範囲を気にしていましたが、「これも一概には言えないのではないか。正常値を多少外れていても異常とは言えないのではないか。私は正常化バイアスに惑わされてきたのではないか」という気がしてきました。何より自分を作ってきた、そして毎日おいしく食べている(飲んでいる)ものがそんなに悪いもののはずがありません。

 というわけで、私は「どんな質問にも最新の研究成果を引用して答えてくれ、長時間の質問も許してくれるAI医師の診察を受けてみたいと思うのです。こういった総合診療医的な能力はAI医師の得意とするところなのではないかと思うのですが、いかがでしょう。こんな願いは我が儘でしょうか。


2021年4月2日金曜日

「紅春 175」


  春が来て、4月にすぐやってくるのが狂犬病の予防接種です。昨年は新型コロナウイルスのため、日程表による集会所ごとの注射はなくなりましたが、今年はどうなるのでしょう。またりくは、6月には毎年の定期健診、フィラリア検査、混合ワクチン接種などを行ってきましたが、これらをどうするかで兄と話し合いました。ここしばらくウイルスやワクチンのことを調べていたので、私の考えは固まっていました。

「りくも14歳だし、可哀想だからもうワクチン接種はしなくていいんじゃない?」

これまでよかれと思って受けさせてきましたが、ワクチンの危険性を知った今となっては受けさせたくない。りくが1歳前の最初の接種では、「家に帰ってきて具合が悪くなり、吐いていた」と父が言っていたのを思い出しました。その後成犬になってからも、予防接種のあとはたびたび体調悪そうにして寝ていました。化学物質に対して生物は哀れなほど脆弱です。特にワクチンを混合して一度に打つのは負担が大きすぎます。もうご老体なので昨年は注射のあと針跡から出血して、再び診察室に戻されました。可哀そうなことをしました。

「そうだな、もういいな。外犬ならともかく、りくはずっと家の中にいるから」

兄も賛成です。

「狂犬病はどうする? 狂犬病もやめる?」

これは少し悩みます。

「前に野生のハクビシンを見たって言ってなかった?」

「この5年は見てない」

日本ではもう狂犬病の予防接種もホントはいらないと思うのですが、万々一外から持ち込まれたウイルスが無いとは言えない。もし野生の動物に感染していたら、時々外に置いているりくも危ないだろう。なにせ、最近は外にいる時も全く無防備状態でぼーっとしているので、身を守るすべがない。

「一応、狂犬病予防法で義務付けられてるし、万一感染した野生動物がいたら大変だから、これだけは受けさせよう。でも、集会所まで歩いて行って、注射して歩いて帰るのは、もうりくには無理だと思う。定期健診の時、獣医さんでやってもらおう」

 こうして、今年度の方針が決まりました。これで少しはりくの体も楽になるでしょう。りくはこちらの談合内容を知らずにすやすや寝ています。