高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出されました。稼働している原発を止める判決は初めてのことだそうです。再稼働してから3月初旬に4号機で送電開始中緊急停止した原発であり、もともと運転開始から40年で廃炉という原子力規制のルールを破って再稼働された原発でしたから、当然の決定でしょう。折しも福島原発事故から5年を迎えるという時期に、地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされているころで、隠蔽にしろ怠惰にしろあきれ果てた無責任さに事故再発の不安を感じた頃でした。
小泉元首相が「原発はゼロにすべき、できるんだから。」と言ったそうですが、政治家と意見が一致することは珍しいながら、これには全面的に賛成です。全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電は本当にあくどいと思いますが、原発に関する訴訟では、よく断層の位置がどうとか、災害に対する備えの万全性についての話になります。これは全く意味のない議論だと思います。想定外どころか、原発に飛来物が落ちるとかテロとか国を破滅させるに十分な仮定はすぐ思いつきます。現に、先日のベルギーのテロでは原発が標的の一つだったと言われています。これはヨーロッパ全土を震撼させたはずです。壊滅的な打撃を与えられるのですから狙われるに決まっていると思うのが普通でしょう。たとえ想定外のことであっても、それが起きたら国が滅ぶようなものを置いてはいけないのです。福島原発の事故後、放射線量が高くて立ちれない広大な土地ができ、普通の暮らしが戻った土地でも処分できない膨大な量の汚染された土が庭先に積み上げられています。日本は広大な国土を失ったのです。これは、他国による侵略とか今後数十年にわたる他国への割譲のようなものであれば、とっくに戦争になっていたであろううような状況なのです。原発廃止はそのくらいの深刻さをもって決断しなければならないことです。二度目があったら日本は完全に吹っ飛ぶでしょう。全国土が住めない状態になったら、ディアスポラとなって世界に散らばるか、汚染された国土で死を待つかしかないのです。そうならなければいいと思いますが、困るのは、普通レベルの悪いことは確率論で考えてもよいが、原発に関しては確率論で考えてはいけないということです。どんなに可能性が低くても起こる時には起こるのです。現にすでに一度起きた。これを警告として受け止められずに、「ユニークな国民だったけど、結局愚かだった。」と世界史に記されたくはありません。
問題は、いつもそうですが長期的な苦悩と短期的な苦悩です。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な展開で、当時野田首相が再び原発推進方向に変わったのはきっとこのへんの事情です。しかしちょっと考えれば、日本政府の姿勢というものがどういうものかわかります。たとえば原発事故当時、10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町は、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げましたが、当日の風向きから結果的にこれは最悪の避難先でした。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information、通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念うを優先した結果でした。国は原発を作るだけ作って、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施を自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。
こう考えると、原発政策それ自体、制度設計が間違っていると言わざるを得ません。政府と電力会社は、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか脅しをかけてきますが、やる気がないだけです。脱原発のエネルギー政策では原発産業に関わる人の暮らしは変わらざるを得ませんが、他のエネルギー産業等での雇用に取り組むのが国の仕事でしょう。その過程はつらいことになるかもしれませんが、未来の子孫のためにやっていただくしかありません。長い目で見ればどちらが安全な日本になるかは明らかで、取り返しのつかないことになる前に始めてください。まず政府が電力会社と結託して唯々諾々と従うのではなくエネルギー政策の転換を公表すること、また原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるような姑息なことはやめ、電力会社の社員の雇用をできる限り守りながら脱原発政策を推し進めていってほしいと思います。