2016年3月30日水曜日

「紅春82」

帰りが遅くなる日は、りくに朝できるだけたくさん食べてほしいのですが、食に関してりくは気ままなのでトッピングをしてもあまりたべないこともあります。しかたがないのでお皿に残したままでかけますが、帰ってきてなくなっていることはほとんどありません。それどころかまったく減っていないことが多いのです。

「お腹空いてないの?」
と言いながら、また少しトッピングして温めてやったりするとペロリとたいらげ、「もう一杯!」というようにお座りするので、あげるとまたペロリ。 
 お腹が空いていないわけではないのです。また、お皿からは食べない時でも手にのせてやったりすると次々と食べることもあります。生前父は、「フードを一粒一粒並べていくとりくが面白がって食べる。」と言っていたことがありました。

「犬はドッグフードのみによって生きるにあらず。」
そうなのです。りくにとって食べ物は単にお腹を満たすものではなく、家族によって自分がどれだけ大事にされているかということと密接に結び付いたものなのです。さほど空腹でない時でも、兄からもらうおやつは食べたり、自分の夕飯が済んだ後でも兄の夕飯にお相伴するポーズは忘れません。犬でもこうなのか・・・と思わされます。人であれ犬であれ、りくが家族の一員であるのは間違いありません。


「原発再稼働差し止め訴訟」

 高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出されました。稼働している原発を止める判決は初めてのことだそうです。再稼働してから3月初旬に4号機で送電開始中緊急停止した原発であり、もともと運転開始から40年で廃炉という原子力規制のルールを破って再稼働された原発でしたから、当然の決定でしょう。折しも福島原発事故から5年を迎えるという時期に、地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされているころで、隠蔽にしろ怠惰にしろあきれ果てた無責任さに事故再発の不安を感じた頃でした。

 小泉元首相が「原発はゼロにすべき、できるんだから。」と言ったそうですが、政治家と意見が一致することは珍しいながら、これには全面的に賛成です。全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電は本当にあくどいと思いますが、原発に関する訴訟では、よく断層の位置がどうとか、災害に対する備えの万全性についての話になります。これは全く意味のない議論だと思います。想定外どころか、原発に飛来物が落ちるとかテロとか国を破滅させるに十分な仮定はすぐ思いつきます。現に、先日のベルギーのテロでは原発が標的の一つだったと言われています。これはヨーロッパ全土を震撼させたはずです。壊滅的な打撃を与えられるのですから狙われるに決まっていると思うのが普通でしょう。たとえ想定外のことであっても、それが起きたら国が滅ぶようなものを置いてはいけないのです。福島原発の事故後、放射線量が高くて立ちれない広大な土地ができ、普通の暮らしが戻った土地でも処分できない膨大な量の汚染された土が庭先に積み上げられています。日本は広大な国土を失ったのです。これは、他国による侵略とか今後数十年にわたる他国への割譲のようなものであれば、とっくに戦争になっていたであろううような状況なのです。原発廃止はそのくらいの深刻さをもって決断しなければならないことです。二度目があったら日本は完全に吹っ飛ぶでしょう。全国土が住めない状態になったら、ディアスポラとなって世界に散らばるか、汚染された国土で死を待つかしかないのです。そうならなければいいと思いますが、困るのは、普通レベルの悪いことは確率論で考えてもよいが、原発に関しては確率論で考えてはいけないということです。どんなに可能性が低くても起こる時には起こるのです。現にすでに一度起きた。これを警告として受け止められずに、「ユニークな国民だったけど、結局愚かだった。」と世界史に記されたくはありません。

 問題は、いつもそうですが長期的な苦悩と短期的な苦悩です。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な展開で、当時野田首相が再び原発推進方向に変わったのはきっとこのへんの事情です。しかしちょっと考えれば、日本政府の姿勢というものがどういうものかわかります。たとえば原発事故当時、10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町は、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げましたが、当日の風向きから結果的にこれは最悪の避難先でした。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information、通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念うを優先した結果でした。国は原発を作るだけ作って、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施を自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。

 こう考えると、原発政策それ自体、制度設計が間違っていると言わざるを得ません。政府と電力会社は、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか脅しをかけてきますが、やる気がないだけです。脱原発のエネルギー政策では原発産業に関わる人の暮らしは変わらざるを得ませんが、他のエネルギー産業等での雇用に取り組むのが国の仕事でしょう。その過程はつらいことになるかもしれませんが、未来の子孫のためにやっていただくしかありません。長い目で見ればどちらが安全な日本になるかは明らかで、取り返しのつかないことになる前に始めてください。まず政府が電力会社と結託して唯々諾々と従うのではなくエネルギー政策の転換を公表すること、また原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるような姑息なことはやめ、電力会社の社員の雇用をできる限り守りながら脱原発政策を推し進めていってほしいと思います。


2016年3月28日月曜日

「パンを焼く幸せ」

 スーパーに行っても必ず手に入るわけではない必需品としてバターがあります。最近は見つけた時に買って冷凍庫で保存するのを忘れないようにしています。「バターって何に使うの?」と訊かれることがありますが、もちろんパンです。私はお菓子は焼かないのですが、バターロール生地のパンにはどうしても必要です。朝食用のパンはもうずっと自分で焼いていて買ったことがありません。お店が遠い環境でも、強力粉や全粒粉、バターさえあれば毎日の心配をせずに済み、本当に楽になりました。一度焼くと、冷蔵庫(場合によっては冷凍庫)保存、食べる直前に電子レンジで温めるという方法で二、三日はおいしく食べられます。ありがたい時代です。

 自分で焼くと言いましたが、そう言っていいのかどうか、もちろん機械が焼いてくれるのです。ホームベーカリーはこねから焼き上げまでやってくれますが、困るのは長く使い続けると内釜に焼きあがったパンがひっついてしまい取り出せないという事態が起こることです。こうなると内釜を交換するしかないようで、これが結構な値段。その頃には新しい機種が比較的手頃な値段で出ているので、いっそ新調しようかなという誘惑に駆られます。
「いやいやもったいない。こねの部分の機能はまだ十分つかえるのだから。それにこんな機械を使い捨てにするなんてとんでもないことだ。」
と自分を戒め、方法を考えました。そして焼の部分はノンオイルフライヤーかオーブンレンジに分担してもらうことで決着。こねあがったものを小分けにして手で丸めて焼くだけだし、むしろ食パン型になったものをスライスする手間が省けてよいくらいです。タイマーを使って朝焼きあがるようにすることはできませんが、夜中に機械が動き出して睡眠の妨げになることもなくかえってよかったかも。また最近は、なんだかやる気が出ない時、パンでも焼こうかなという気になるのです。自分で作っているとまで言うのはおこがましいですが、機械と人間の仕事分担のバランスがちょうどよく、何より焼きあがる時の香ばしい匂いが気持ちを上げてくれます。


2016年3月23日水曜日

「3割縮むといっても」

 2014年に誕生したパリ初めての女性市長イダルゴ氏が今年訪日したことが話題になりましたが、もっと驚いたのは「安全にパリ観光を」と観光PRを日本語でツイートしていたというニュースでした。自身の公式アカウントで観光客の回復を狙ったPRは2月中旬から見られるようになったとのこと、JALパックで大挙してパリに出かけ、ヴィトンやエルメスを買い漁って店員のねたみと顰蹙を買っていた往時を思い出すと、本当に隔世の感があります。2015年11月の同時多発テロ以降は、パリだけでなくモンサンミシェルなどの観光地も閑古鳥が鳴き、閉店に追い込まれたレストランもあるとか。日本人が行かなくなったからだけでもないでしょうが、わざわざ日本語でツイートするくらいだから相当なダメージではあるのでしょう。

 先日、日本は「ジタバタせずにおとなしく3割くらい縮むしかないと思う」と書きましたが、やはり3割も縮むにはどうしたって静かに縮むのは無理だろうと思うようになりました。日本人は世界中どこにでも行っていたので、観光客の減少という形で世界に与える影響はあるでしょうが、一番影響があるのはもちろん日本国内です。今でさえ、高齢者の増加で介護医療問題が噴出しており、これと連動して若い方々の生活苦も明らかになってきました。東京育ちの友人が福島弁が出てくると面白がって教えてくれたドラマを見たら、もう本当に驚きでした。バブル時代のドラマの華やぎが全くない。社会のどちらかというと底辺で働いてつましい生活をしている若者が、様々なことが起こるなか、それでも真っ直ぐに生きたいと支え合っている姿に胸を突かれる思いでした。若者にありがちな浮ついてはしゃいだ空気が鳴りを潜め、過酷な現実を受け止め生きていこうとする姿に、3割縮むというのはこんなにつらいことなのだとはっきり知らされました。

 こういう若者を応援できればいいのですが、年配者は年配者で大変なことがあります。たとえ経済的な不安がなくても身近な人や友人、知人がどんどん亡くなっていくのですから、気の滅入る現状です。今現在でもこんな状態ですから、今後どんな社会になるのか全く想像がつきません。社会全体が沸き立つような楽しい時代はもう来ないだろうということだけが確かなのです。 


2016年3月22日火曜日

「フクシマの人間と動物に対する放射線の影響」

  震災より5年目の先日、原発事故後の放射線の影響に関する現時点での研究結果が公表されました。一つは浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)、もう一つは南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)でした。

 1. 牛160頭(もともと殺処分になるはずだったものですが、家族同様にひそかに飼われていた)についての調査は、放射性物質を含まない水と餌を与えて、血液、尿、毛に含まれる放射性物質の量の変化及び遺伝子の変化を調べたものでした。その結果、放射性物質は3~6か月で体外に排出され見られなくなった、白血球の減少などの放射性物質の影響は現時点で見られないということでした。

2. 南相馬の調査の方は内部被爆に関するもので、震災後4年半のあいだ、坪倉医師が週の半分住み込んでのべ6万人に行った研究結果。内部被爆というのは、食べた物が体内に蓄積し継続的に体内で被爆し続けるということですが、南相馬に住み、現地の水道を使い、現地の食べ物を食べている住人に対し、坪倉医師がホールボディカウンターで放射線量を測った結果をまとめました。ホールボディカウンターとは、空港でボディチェックをするとき通るような、文字通り人が入れる大きさの装置で、体内からでる微弱な放射線を感知できるとのこと。その結果、大人に関しては、震災から8か月後の11月には68.8%の人から放射線が感知されましたが、1年3か月後には10%、2年3か月後には0~1.5%と減少していきました。子供に関しては、震災後7か月後には57.5%から出ていた放射線が、8か月で10%、1年3か月でほぼ0という結果でしたが、これは子供の方が代謝が速いためだと考えられるということです。この調査では、初めて南相馬に入った時に、すでに放射線量は非常に低かったと付け加えられています。

 お二人の研究を多としたいと思うのは、自分の身の危険を伴うかもしれないにもかかわらず、そこに生きる人や動物に寄せる憐憫と使命感から始められたことではないかという気がするからです。前者は、殺すよう命じられている牛と生活を共にする農家に寄り添い、今ここでしかできない資料を残しているのであり、後者は医師として週の半分を現地で生活しながら、そこに住む人々の健康と安全に関する資料を残しているのです。真っ先に子供の状態を調べたところにその誠実さが表れているように感じます。

 これは被爆5年後の放射線の影響に関する今現在の結果にすぎず、今後も継続的に研究は続けられていくのでしょう。原発施設で働く作業員の健康問題等は全く別の問題ですし、また一方で福島県の子供の甲状腺がんの発生率は20~50倍という気になる研究結果もあります。これは津田敏秀教授(岡山大学大学院)による研究で、東京の日本外国特派員協会での記者会見もありましたが、これについては様々な観点から考えなければいけないと思います。すでにデータ分析のずさんさが各方面から指摘されているようですが、私が疑問に思ったのは県内の放射線量の分布と甲状せんがん発生率に相関がないことと、他の都道府県との比較がないことです。福島では原発事故後、それぞれ2年くらいかけて子供全員に38万人規模の超音波スクリーニング検査をすでに2回おこなっていますが、他の都道府県では行われていません。県境を接する県でさえ実施されてはいないのですから比較はできません。何をもって20~50倍という数字が出たのでしょうか。以前、原発事故直後に首都圏でも線量計で個人が自宅近くの線量を測り、原発とは別な理由で線量の高い場所がわかって大騒ぎになった時、東京の職場で放射線量を測らないようにというお達しがでたことを思い出します。勝手に測られて汚染が判明したら大変なことになるからでしょう。

 もちろん原発事故による放射能汚染が福島の子供に影響がなかったと言っているわけではありません。大いにあるでしょう。しかし、上記から導かれる結論はもっと悪いものです。県内の汚染物質分布と甲状腺がんの発生率に相関がないということは、日本全国の都道府県でこの超音波スクリーニングが行われたら恐ろしい結果が出るかもしれないということではないでしょうか。福島では調べたからわかったのであり、他の都道府県は調べていない。明らかな病状が出て甲状腺がんと診断されるまで人数にカウントされることはないのです。原発は全国にあり、放射性廃棄物の処理ができないのがわかっているのですから、この問題は本当に深刻な事態として受け止めなければならないと思います。

2016年3月17日木曜日

「移民問題」

 移民政策がうまくいった国はないと言われています。ドイツの場合は、第二次世界大戦後の復興期に労働力不足を補うため、トルコから一時的に呼んだ単純労働者が家族と共に移り住み増大、近年は20年間で倍増し、なんらかの移民的背景を持つ人は住民の5人に1人という状況になっています。ドイツ社会になじんで生活できれば問題なかったのでしょうが、政教分離や男女同権といったドイツ社会の根幹に関わる事柄が、まさにイスラム教と相容れないものであったため対立は激化しています。今や元来のドイツ人が、イスラム教徒によって居場所を脅かされるような感覚をもっているのです。

 日本も人口減少により、将来移民を受け入れることなしには社会が維持できないと予測されていますが、ここは考えどころです。受け入れる移民のスタンダードを広く示しておくとしたら、これまでの失敗例に鑑み、その基準は経済上の理由だけのその場しのぎのものであってはならないと思います。人は必ず年をとるということ、やがて自分で動けない時が来るということ、抑えがたき望郷の思いを抱くかもしれないということ、人の最期は尊厳あるものでなければならないということ・・・。こういうことを考えると、移民問題はますます難しいものとなってきます。本人にとっても日本社会にとっても不幸な事態を招かないために最も重視すべきは、移住を望む人がそれ相応に日本社会を理解できているかどうかです。審査において、最低でも日本語による作文と面接が必要だと思います。なぜ日本に移住したいのかや日本社会に貢献できることについて、ある程度話したり書いたりできることは必須条件とすべきでしょう。もちろん、すでに日本に対しサポーター的見解を英語または母国語で発信しているといった実績がある方はこのような審査を免除して構わないでしょう。

 などと考えていたところ、2015年から改定された入管法が実施されていたことを知りました。新たに「高度専門職」という在留資格が創設され、この資格を持って一定期間活動した外国人を対象に無期限の在留期間を与えるという改定です。これまで在留期間は、永住者を除けば、3か月から5年の範囲でしたからこれは相当な優遇措置です。どの国家も自国の益に資する外国人を受け入れたいと思うのは当然ですが、入国管理局のホームページには次のようにあります。

 平成26年の通常国会において、「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律」(平成26年法律第74号)が可決・成立し、平成26年6月18日に公布されました。この改正法は、経済のグローバル化の中で、我が国の経済の発展に寄与する外国人の受入れを促進するため、高度の専門的な能力を有する外国人に係る在留資格を設ける等の在留資格の整備を行うほか、上陸審査の手続の一層の円滑化のための措置等を講ずるものです。

 「経済にだけ限定する必要はないのに・・・。」と思いつつ読み進めると、その後に、高度の専門的な能力を有する外国人材受け入れのための「高度専門職」在留資格の創設と、クルーズ船の外国人乗客を対象として、簡易な手続で上陸を認める「船舶観光上陸許可」制度の創設の説明が出てくるのですから、結局露骨にカネの話なのだとわかって本当にがっくりきます。これが、経済上の理由だけのその場しのぎのものでなくて何でしょう。富裕な者や高度に専門的な能力をもって日本に来る人なら、日本社会への理解もあるはずだということなのでしょうか。

 移民について考えましたが、実のところ移民問題というものは起こらない気がします。移民問題の発端は労働人口の減少ですが、そもそもこれを補う人工頭脳が今後急速に普及し、十年から二十年で人間の仕事の半分が代替されるだろうと予想されているからです。こうなると、もはや求められるのは人間でさえないということですから、これはこれで対処を要する別種の難問です。


2016年3月14日月曜日

「紅春 81」

朝散歩に行くときりくがよくくしゃみをします。一度すると止まらなくなるようで何度も続いて出ます。ずっと気になっていたのですが、思いついて家の周りを観察、垣根の一部にあるヒバの木が目につきました。そういえばずっと剪定をしていない・・・。

 春のような陽気となった日、よく見てみたら、花粉をたくさんつけて黄色くなったヒバの先端が見えました。花粉症に効く薬の広告で、杉林が黄色い花粉を大量に飛散させている映像が出てくることがありますが、まさにその小型版と言えるような恐ろしい光景でした。すぐに帽子、マスク、つるつるした生地の上着という装備でヒバを剪定。花粉は地面におおかた落ちたはずです。くしゃみの原因がこれだけでないのはわかっていますが、りくのくしゃみを引き起こす相乗効果を増す原因の一つをつぶせただろうと思います。あとはりくを観察です。

2016年3月10日木曜日

「これからの英語教育政策」

  水村美苗は、『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』の「七章―英語教育と日本語教育」において、3つの選択肢(英語を〈国語〉にするか、国民全員がバイリンガルになることを目指すか、国民の一部がバイリンガルになるのを目指すか)を挙げ、三番目の選択を推し進めるべきだと述べていますが、これは当然のことでしょう。

「日本が必要としているのは、専門家相手の英語の読み書きでこと足りる、学者でさえもない。日本が必要としているのは、世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である。必ずしも日本の利益を代表する必要はなく、場合によっては日本の批判さえすべきだが、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である。日本語を〈母語〉とする人間がそこまでいくのは、並大抵のことではない。」

 異論はありません。またその少し前で、「日本は国際会議にでかけられるだけの英語力をもった政治家さえ育っていない。国連や世界銀行で働く日本人の数も、日本の経済力を考えると、信じがたいほど少ない。」とも述べており、これも確かにその通りですが問題はどうやってそういう人材を育成するかということです。
 (私は、国際会議にでかけられるだけの英語力をもった政治家が出現するのを期待していません。「良い人とだけつきあっていたら選挙落ちちゃうんですね。」と平然と口にする政治家が、国際社会相手にありもしないことや間違ったことをペラペラ話されることの方が心配です。東京オリンピック招致のスピーチで安倍首相はこう述べました。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」 日本人が聞いて驚倒するような大嘘を英語で述べた実例です。もちろん政治家であれ誰であれ、相手に好印象を与える程度の普通の英語での身のこなしは身に着けてほしいですが。) 
 以前、卓越した英語の使い手である或る会社の社長さんが、商談では必ず通訳をつけると言っていたのを思い出します。国際舞台において、「一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材」を育てることはかくも至難の業だということです。ましてやそれを目指す一部の国民をどうやって選別するか・・・。思いつくのは2つだけです。

 一つ目は、国際舞台において一人の日本人として意味のある発言をするということを、人にリスペクトされる仕事にすること。これが良識ある有為な日本人を最も駆動する要因となるでしょう。もちろん、給与や年金等の国家的保障も手厚くし、安心して働ける環境を整備する必要があります。

 もう一つは、ここまできたらその人材は、「日本人」である必要はないのではないかということです。水村美苗が指摘するように、『ブリタニカ』において1万6千語近くを費やして「日本文学」という項目を書いたのは、ドナルド・キーンです。

 「その質と量において、日本文学は世界のもっとも主要な文学(major literatures)の一つである。その発展のしかたこそ大いにちがったが、歴史の長さ、豊かさ、量の多さにおいては、英文学に匹敵する。現存する作品は、七世紀から現在までに至る文学の伝統によって成り立ち、この間、文学作品が書かれなかった「暗黒の時代」は一度もない…。」

涙が出るような記述です。これはアメリカ人だからこそ執筆しえたわけで、同じことを日本人が書いたとしても採用されはしなかったでしょう。言語によるものではありませんが、日本のラグビーを世界に知らしめたのはマイケル・リーチに率いられた日本代表です。お二人とも日本に帰化していますが、そこまでいかなくてもサポーター的マインドを持った外国人を増やし、母国語で発信してもらうのはいかがでしょう。この点で功績のあった外国人にはもう少し簡単に永住許可を与えるという道を開いてもよいように思います。

 また、すぐにでもできる(あるいはもう行われているかもしれない)方法として、大学の日本学部で留学希望の学生を受け入れ、日本学の学びを手助けする方向を拡充し、さらにはその後の滞在について様々な整備をすることがあげられます。これは比較的容易にできることですが、現在、小学校から他の科目の授業時間をつぶしてまで行われている、実現見込みのない文科省のやみくもな英語政策よりは、はるかに弊害が少なく、また「一人の日本人として」の部分を「一人の日本サポーターとして」と読み替えるなら、英語で意味のある発言ができる人材を育てるという観点から、はるかに実効性が高いだろうと思います。



2016年3月5日土曜日

「静かに縮むしかないのでは」

 テレビを見る、CMが多すぎる、よほど物が売れないのだろうと思います。無理もありません。先日知ってちょっとびっくりだったのは日本の人口です。明治5年(1972)に3500万人弱、昭和11年(1936))に7000万人弱、昭和31年(1956)でも9000万人。「本当か?」と思わず再チェックしたほどです。1億人を超えたのは昭和42年(1967)だそうで、今は1億2700万人弱・・・。どう見ても急激に増えすぎたのです。そしてこの短期間に人口のおおかたが、「ま、こんなもんだろう。」と思う程度には物が行き渡ってしまったのですから、戦後の経済発展は奇跡ではない、ちゃんと種のある手品でした。そしてその反動として今があるのです。人口が縮む社会で物が売れるわけがない、デフレからの脱却など無理だと本当は誰も知っているはずです。

 グローバル資本主義はもう限界だといい加減みな感じているし、死活的に必要な物といったらもはやカネではなくて「水と食べ物とエネルギー」だと、日本人は震災を通して身をもって知らされました。本来ならば、「里山資本主義的サブシステムはあった方がいいよね、あとはゆっくり国土を整えながら人口が適度に縮むまで地味にしのいでいくしかないんじゃない。」となりそうですが、政府はそんなことは口が裂けても言えないのです。できるだけ多くの人がマネーゲームに興じてくれないと困る人たちの味方なのですから。最近は政府も余裕がなくなったせいか、様々なことがとみにわかりやすくなりました。政府ほか日本の主流に属している方々がやっきになって進めることと逆のことをしていれば間違いない、というところまで行きついてしまったのです。その結果、何もしないで静かにしているのが一番賢いということになりました。

 それにしてもテレビの現状は断末魔の様相を呈していると思うのは私だけではないでしょう。広告が多い、長いを通り越して番組自体がCMと化している、十把一絡げと言っていいほど大勢の出演者が内輪受けするネタで興じている、話題を出演者たちに振り分けながら司会者が喋りまくっている、いくらなんでもここまでと思うほど視聴者に配慮した子供だましの解説がなされている・・・・。それなら見なきゃいいでしょうと思われるかもしれませんが、この媒体の末路は定期的に確認する価値のあるほどのはっきりした劣化が見て取れます。テレビはマス・メディアというその言葉の定義からしてゆっくり縮むことができないので、気の毒といえば気の毒です。おかげで「メディアの終わりの一形態はこんなふうになるんだな。」と観察できるのです。社会学的視点で見ると歴史に立ち会っている気分で、これはこれで感慨深いです。

 熱帯や砂漠の植物を温室に置くようになってわかったのですが、これらの植物は、「お、つぼみが出たな。」「膨らんできた。」「ああ、花が咲いた。」というようなダイナミックな変化はないのですが、いつ見てもほぼ同じ状態で、ゆえに非常に長く咲いています。生物が変化するには多くのエネルギーを必要とするのですから、同じ状態を保てる限りそのままでいた方が長持ちするのだということは間違いないでしょう。ジタバタせずにおとなしく3割くらい縮むしかないと思うんですけど。

2016年3月1日火曜日

「献金にまつわる思い出」

  教会で献金のことが話題になることは少なく、私は会員同士で献金について話したことが一度もありません。献金と聞くと、私が思い出すのは母のことです。私は受洗が早かったこともあり献金については早くから意識していました。おこづかいから出していたと思うのですが、勤めるまでは結局親がかりでした。母は、「献金は楽に出せる額ではいけない。2か月たまったらこれは結構きついなと思うくらいの額でなければいけない。」と子供たちに言っていました。 ある日、たぶん高校生にはなっていたと思うのですが、母がとても興奮して聖書の箇所を示しました。

 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。   (マラキ書3章10節 口語訳)

母は「見つけた!」というように、「ほらここにこう書いてある。やっぱりそうなんだ。献金をもって神様を試みてよいのだ。」というようなことを話したのですが、私は何も応えることができませんでした。意味がわからなかったのです。イエス様はレプタ二つでも祝されたのではなかったか・・・。
若い頃はほしいものがたくさんあり、何かと物入りで、十分の一献金などとてもできませんでした。しかしこの頃、あの時の母のうれしそうな様子をよく思い出します。

 福島教会を献堂してまもなく1年になります。この間は本当にあふれる恵みをいただいた時間でした。私たちは全国から多くの献金をいただきました。クリスマスにも大きな支援金をいただき、まことにありがたく、今後の借入金の返済見通しについて安堵したことでした。きっとこれは私たちが自分たちで会堂を再建したかのような思い違いをしないためなのだと思います。

 母の言っていたことは全部本当だったと今はわかります。これから心からの献げものをもって神様を試み、神様が天の窓を開いて、福島教会だけでなく、とりわけ教区の教会、またキリストの名のもとにあるすべての働きの上に、あふれる恵みを注がれるのを見せていただきたいと思います。