2015年7月8日水曜日

「国籍とお国柄」

 7月5日の「柴犬とオランダ人と」(というブログ)にギリシャの国民投票のことが載っていました。日本での報道のされ方でもモラル崩壊的なギリシャの現状にあきれ、うんざりしている雰囲気がありありとわかりましたが、このブログを見るとさらに一歩進んで、EUの中心メンバーたる国がギリシャをどうみているかよくわかり、まさに思った通りの反応でした。

 筆者のご夫君のオランダ人が、「カオスだね」と他人事のように語っておりましたが、あの態度はヘルベルトでもまったく同じだったでしょう。ヨーロッパは一つといっても北と南では民族が違うし、気質が全然合わないのです。公には口にできないことですが、北の人たちは腹の底で南の人たちをばかにしきっているのを言葉の端々に感じます。本国の一大事にあたって500ユーロの飛行機代をかけて投票のためにギリシャに帰った同僚の話が出てきましたが、北の合理的な社会生活になじんでしまうと、もう一人の同僚のようにギリシャ人やめてドイツ国籍をとる人がでてくるのも無理からぬこととうなずけます。

 もう一つ面白かったのが、これに関連して筆者が父親から最近聞かれたという言葉、「ミユキは何人(なにじん)なの?」 この場面に柴犬のセナが、「あなたの娘は今も変わらず日本人です」と答え、ご本人も、「何があろうと日本国籍死守しますよ!」とコメント。そうです、そうあるべきです。どこのことだったか記憶があいまいなのですが、昔列車でヨーロッパ大陸を移動していた時のこと、「国境を越えるってどんな感じかな。」と思っていたら、車掌がパスポートを確かめに来ただけで拍子抜けしました。その時、たまたま同じ座席に乗り合わせたバックパッカーのイタリア人と台湾人の女の子のうち、台湾の女の子の方が車掌に連れて行かれてしまいました。彼女のパスポートでは入れなかったのです。

  パスポートに厳然たる価値の差があることを目の前で見たのはこれが初めてでした。その点では日本のパスポートはほぼ最強です。パスポートは国籍のある国で発行されるものですが、どこで生まれたかで待遇が天地の差ほども違ってしまうこれほど理不尽なものもないでしょう。これに関してはただただ日本人に生まれた幸運を感謝するしかありません。国の先人たちが明治以来営々と努力し、国際社会に築き上げてきた地位を象徴するものなのです。ありがたいことです。