2015年5月5日火曜日

「子供の日に寄せて」

 差別、貧困、犯罪・・・ この世にはこんなに悲惨なことがあるのかと知らされる毎日です。少し前にクローズアップ現代で「赤ちゃんポスト」のその後について放送していましたが、つらすぎて途中から見ることができませんでした。中には物心がついてから預けられた子もいたと知って、胸がしめつけられる思いでした。また「ここに入れてくれたから今のお父さんとお母さんに会えてよかった。」と言っている子もいました。よい里親でよかったとはいえやはり胸が痛みます。自分の存在が親にとって迷惑なものだったということを、この世に存在した瞬間から否応なく知らされるというのはなんということか。

 子供についてまず思うのは、とにかく弱い存在だということです。赤ちゃんや幼児はもちろんのこと、小学生でも中学生でも高校生でもとにかく弱い。何かちょっとしたことでもあればすぐに生きられなくなってしまう存在、親をはじめ周囲の愛が注がれることなしには決してちゃんと育つことができない存在だということです。これは誰でも自分の来し方を振り返れば深く納得することなのではないでしょうか。人が起こす事件で一番痛ましいもの、一番許しがたいものは、子供に対する虐待です。なぜならそれは子供の心に取り返しのつかない傷を残すに違いないからです。

 人はなかなか自分を客観的に見ることができないものですが、自分の来し方を振り返って自分について何か一言でいうとするなら、「愛されて育った子供だった」ということです。それ以外に言い表しようがない、それだけは否定しようがないのです。大抵の親はそういうものだと言えばそれまでですが、そうでもなさそうだと最近思います。世間的に見れば普通に幸福そうな家庭で育った人でも、大人になって親との関係を見つめ直し、自分は親の願望をかなえるために利用されてきたのではないかとの思いに苦しんでいる人も少なからずいるのです。今はっきりわかるのは、私をはぐくんだ愛の源が神様から出たものだったということ、本当に愛されて育った子供でした。