2015年5月31日日曜日

「一番好きな場所」

 自己紹介に準ずる話の切り出し方として、「あなたの一番好きな場所はどこですか。」というのがあります。一番というのは難しいですが、3つくらいならすぐ挙げられます。土手の道、フェルメールの絵のある家の中、大学の総合図書館。自分の原風景は山と川が一緒に見える所だろうと感じていますが、川沿いの道はりくと一緒に歩くのでなければつまらないところです。家の中は一番ほっとするところですがどこかへ出かけて戻ってくるところです。

  大学の総合図書館は自宅以外で最も落ち着く場所です。何年か前に卒業生でも入館カードを作れることがわかり、今は更新しながら利用させてもらっています。ささいなことのようにですが、すごいのはここの椅子です。木製の細い肘掛け付きで、腰掛と背もたれが布張りの何の変哲もない椅子なのですが、何時間座っていても全く疲れないのです。腰掛と背もたれの角度が絶妙なのか、普段乗る高速バスのシートよりも楽で、場所によっては机の下に足を載せられる横木が渡してあり快適この上ないのです。いつごろいかなる人間工学に基づいて作られたものなのか知りませんが、相当古い同じの椅子が何百脚と配置されています。学生が思い思いの場所で読書に耽っていたり、パソコンに向かっていたり、考え事をしていたりして、静かな時間が流れていきます。毎日歩いていけて、定時に行って定時に帰るような生活ができたらさぞ楽しいだろうなと夢想することたびたびです。

2015年5月28日木曜日

「二人の少年」 

 私が帰省する時、高速バスを待つ間いつも立ち寄るファミレスに必ずいる高校生がいます。いなかったことがありませんから毎日来ているのだと思います。きっと開店と同時に来店し朝食をとり登校時間までそこで過ごすのです。私が見かける時、彼はいつも壁に寄りかかり眠っています。スマホをいじっているとかテスト勉強をしているとかいうことは一度もなく、いるかいないかわからないようにひっそりと眠っているのです。その時間を睡眠時間と決めていて、あとの時間は活発に活動しているという可能性がないとは言いませんが、ちょっと想像できません。

 もう一人は先日ドローンの事件に関連して逮捕された15歳の少年です。「動画配信業」と名乗っていたのは冗談かと思ったら、本当にそれでお金を稼いでおり支援金も受けられるシステムを利用していたのです。そのためになんでもかんでも(家族との言い争いまでも)中継配信していたようで、自ら配信した警察官とのやり取りにより墓穴を掘ったようにも思えます。ドローンを取り上げられて「返して下さい。それは任意ですか、強制ですか。」と警官に問いただしていたのは、ドローンを直接取り締まる法律がまだない以上、手を出せるはずがないことを知っていたからでしょう。結局しばらくして見せしめのような形で逮捕となりましたが、あれは、「注意も聞かずここまでされたんじゃ、逮捕もやむなし。」という一般的見方を醸成したように感じます。

 最初の高校生の方は、学校に行っている限り一応の要求は満たされる状況にあるのでしょうが、本人の希望かどうかはともかく、毎日ファミレスで朝食ということ自体が或る意味絶望的な状況ではないでしょうか。社会で毎日起こることはろくでもないことばかりで目覚めたくない気持ちはわかりますし、現状にも未来にも希望がもてないのだろうと思います。それでも地球規模で見ればこの国はまだましな方なのだという事実にさらに重いためいきをつかざるを得ないのです。一瞬一瞬を動画として垂れ流すのも眠り続けるのも同じことかもしれません。

2015年5月24日日曜日

「紅春64」

朝の散歩から帰ってりくを外につないだまま、近所の郵便ポストに行こうとして思い直し、りくを家に入れました。以前、ただならぬりくの鳴き声がして外に出てみると、なんとビーグルのような犬がひとりでそこにいたのです。私が出ていくと去って行きましたが、なにかの拍子に家を跳び出して歩いていたのでしょう。喧嘩でもしたのではないかとりくの体を見ましたが、とくに怪我はなかったのでほっとしました。そういうこともあったし、また何があるかわからないので危険は避けるに越したことはありません。ひそかに恐れているのはりくが持ち去られてしまうこと、りく可愛いからなあ。あまり抵抗もしなさそうだし心配です。

 その日、起きてきた兄が言いました。
 「今朝6時半ごろでかけた?」
「えっ、りく吠えたの?」
「階段の下で明確に吠えた。」
私はがっくりします。15分も家を空けてはいないのに、「姉ちゃんいなくなった。捜して。」なのです。たぶん訴える相手がいない時は吠えていないと思うのですが、早朝出かけるのはやめるしかないのでしょうか。

2015年5月20日水曜日

「知恵と清い心」

 最初の人類の話として、創世記にエデンの園にてアダムとエバが禁じられていた木の実を食べてしまったという記述があるのは、たいていの人が何らかの形で知っていることでしょう。私もよく知っている話と思っていたのですが、細部の記憶がおぼろげだったのでこのたび読み直してみたら、「えっ、そんな話だったっけ。」という有様でした。おさらいしてみると・・・
エデンの園には食べるに良いあらゆる木があり、中央には命の木と善悪の知識の木があるのですが、神は善悪の木から実をとって食べることを禁じました。理由は食べれば必ず死ぬからということでした。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 (創世記2章9節)
・・・・
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2章16~ 17節)

「善悪を知る木」の実というのが、なぜか私の頭の中では「知恵の実」となっていたのですが、これはひょっとすると蛇とのやり取りからの連想だったのかもしれません。つまり、「神のように善悪を知る」→「賢くなる」→「知恵を得る」という類推です。

蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。(創世記3章 4~6節)

善悪を知るというと、なんとなく倫理的なことを思い浮かべてしまうのですが、やはりこれは高度な知恵に関わるものなのかもしれません。しかし普通に考えれば、食べたら必ず死ぬものとは毒物であり、知恵とは毒物なのだと聞けばなるほどと思わぬわけでもありません。

 こんなことにくどくどこだわっているわけは、盲学校で出会った一人の生徒を思い出すからです。15歳は過ぎていましたが、体は小学生くらいで重度の知的障害がありました。一緒に授業をしていて感じたのは、本当に天使のような生徒さんだということでした。心がきれいというのはこういうことを言うのだろうといつも思わされました。日本語で「知恵がつく」とか「入れ知恵」とかいう言葉が決していいことを表さないように、人間の知恵は悪へまっしぐらに向かうものかもしれないと思ったものでした。

 先日兄から聞いた話で、善悪を知ることから無縁のはずの動物の方が、よほど知恵があると思った出来事がありました。疲れて帰宅しりくと散歩に行った兄が、トイレもせずにだらだらふらふらしているりくに腹を立て、傘でバシッとたたいたところ、りくはびっくりしてそれから泣きながら「なんでいじめるの?」と抗議したそうです。りくは普段無駄吠えなどで叱られるときは自分でも悪いとわかっているので、頭を垂れてちゃんと叱られたままになっています。兄はりくに謝ったそうですが、りくはしつけで叱っているのと怒りに任せて叱っているのの違いがわかるのです。大人でもしつけと称して子供を折檻するということがあり、自分では気づかない、もしくは気づきたくないということがよくあるのは痛ましい事件となってから知らされることです。子供は何が何だかわからない怒りの爆発を受け入れるしかありませんが、動物にはそれは違うとわかるというのは、いったいどっちが賢いのでしょうか。善悪と無関係に生きている動物の方が善悪を知っているという逆転が起きているのです。

 創世記の話の続きは、蛇の誘惑に乗って始めにエバそれからアダムが善悪の知識の木の実をとって食べますがなぜか二人は死ぬことはなく、ただ自分たちが裸であることを知りいちじくの葉をつづり合わせて腰に巻き、神の来られる音を聞いて木の間に身を隠します。神の戒めを破った人間は、それまで許されていた命の木から実をとって食べることのないように、すなわち永遠に生きることのないようにエデンの園から追放されるのです。

主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」(創世記3章 22節)

食べたら必ず死ぬというのはどうなったのかと考えると、体は生きていても死んでいるのと同じ状態という解釈は、こじつけではなくあり得ると思いました。そういう状態の人を見ることは結構ありますし、自分もそういう状態に陥ってしまったことが何度もあるからです。また、体にしても永遠に生きることはないのですから、別の言い方をすればいつか必ず死ぬということなのかもしれません。読めば読むほど不思議な話で、なんだか初めて聞く話のように感じました。

2015年5月18日月曜日

「楽園のかけら」

 夏が来る前の本当によい季節、朝起きて公園に行くのが楽しみです。4時半には空が白み始め、希望に満ちた気持ちになってきます。私の行く大きな公園は特に花壇のようなものはなく樹木と池と草原(くさはら)が主なのですが、唯一今の季節に見られるのが菖蒲です。湿地帯のところに黄色い花を咲かせており、木製の遊歩道から楽しめます。すぐそばの池の葦の茂みからはガマの鳴き声が聞こえてきます。ところどころにある原っぱには昔懐かしいシロツメグサが群生しており、この草がこれほど見られるところは珍しいと思います。

 ぱあーっと空が明けてゆく中で公園を回っていると、ロンドンのセント・ジェームズパークやソールズベリーの小川のほとりを思いだし、昔の王侯貴族か荘園領主のような気分になってきます。公園や土地をそんな美しい状態に保つのは大変なことでしょうが、私は何もしなくてよいので気楽です。また、そういう方々はたぶんこんな朝早く散歩や領地の見回りはなさらないでしょうから、この美しさは知らないかも。これはまさしく最初の天地の美しさ、神様がご覧になればやはり「はなはだよかった。」とおっしゃるのではないでしょうか。

2015年5月14日木曜日

「都バスの旅 その3」

散策にはもってこいの季節、今回は根津、亀戸、築地を巡る旅です。タイムスケジュールは都バスのホームページで最新の時刻表をお確かめください。

8:43  池袋東口パルコ前バス乗り場 上野公園行き乗車
9:40   東大農学部前降車 ハチと上野先生の像見学
徒歩で根津を散策
10:30  根津駅前バス停から亀戸駅前行き乗車
11:20 亀戸駅前降車
軽食
12:14  築地駅前行き乗車
13:05  築地駅前降車
築地散策、休憩または食事
14:10(25,37)  築地三丁目バス停から、新橋行き乗車
14:27(54)  新橋駅前バス停から小滝橋車庫前行き乗車
15:30 (16:00)大久保通り降車
「池袋―渋谷」ライン乗車、新宿または袋駅にて解散

2015年5月11日月曜日

「紅春 63」

 今年のゴールデンウィークはどこにも行かずじまいかなと思っていたら、最終日に兄が急にりくと私を遊びに連れ出してくれました。いつものあづま運動公園です。りくは大喜びでしたが、やはり少しずつ年をとっているのか落ち着いて車に乗れるようになってきました。たくさん歩き、写真も撮りました。お水はたくさん飲みましたがおやつはあげても食べません。このへんがりくの独特なところです。

 家族連れがすれ違う時、りくにいろいろな言葉をかけてくれたりします。
「鼻に何かついてるな。」
私はうつむいて心の中でつぶやきます。
「ついてるわけじゃないんですけど・・・」
今年の定期検診で獣医さんに聞いてみようと思っているのですが、これも年のせいなのか鼻の毛が薄くなって地毛の黒っぽい色になっているのです。カモノハシのようにも見え、家では50年前にはやった名前「はなおかじった」君と呼んだりしています。今年言われて驚いたのは、
「あ、つけまつげつけてる。」
りくは昔から二重まぶたなのですが、その毛がだんだん白くなって、言われてみれば白いつけまつげのようです。

 私が民家園を見学に入った時、りくは垣根の向こう側を行けるところまで並行してついてきたそうです。30分ほどで出た時にはいませんでしたが、しばらくすると一目散に駆けてくる物影が・・・りくがドーンと飛び込んできました。あとどれくらい一緒に遊べるのでしょうか。

「短期記憶の危機」

 このところ認知症に関わるニュースを聞かない日はありません。先日は盗難にあったと訴える老婦人をを成年後見人がなだめている場面を見て未来の自分の姿かもしれないと思いました。今でさえ立った拍子に何をするんだったか忘れたり、ついさっき聞いたばかりのことを思い出せなかったりと、とみに不安を感じることが頻発しているのです。女性の方が男性より惚け(この言葉に蔑視や揶揄は含みません。)やすい気がするのですが、これは女性の方がながいきだからかもしれません。

 少しでも自分の発症の時を遅らせるため私がしていることは、記憶や思考にほんのちょっとだけ負荷をかけるということです。無理をすると続かないのでほんのちょっとしたことです。都バスの路線開拓とかワードの小技を増やしていくとかゲーム性と実益を兼ねたものです。パソコンのキーボード操作のコマンドも増やしていきたいのですが、飽きっぽいしマウスを使った楽な方法についついながれてしまいます。

 いつもはバスの中でパソコンを使わないのですが、今回音が漏れないようにイヤホンをしてほぼ音声頼みで原稿を書いてみたら結構問題なく使えました。音声入力だと酔わないというのも新しい発見でした。しかしサービスエリアでのバスの集合時間が何時何分だったか自信がなかったり、トイレにバッグを置き忘れそうになったり、ぎょっとするようなことが起き、これでは本末転倒だと反省。あれは他のことに気をとられたゆえの現象だと思いたい。 記憶にとどめたいことはだいたい書いたし、ブログも終わりにしてもいいかなあと思う一方、「いやいや、これもボケ防止の1つ。」と思い直したりしています。

2015年5月7日木曜日

「除染後の庭」

 昨年12月に地区の除染が行われました。母が植えた草花も多かったので残念だったのですが、樹木以外は泣く泣く根こそぎ除染をお願いしました。除染後に帰省した時、地面から緑色のものはいっさい消えて土と砂だけになっていました。表土はすべてこそげ取られ埋められたのです。空き家になっている隣家の庭はいつも雑草が茂り放題でしたが、見事に何もなくなっていました。なんとも味気なくがっかりしましたがいたしかたありません。りくが砂を持ち込まないように家に入れる時手足を念入りに洗わなければなりませんでした。

 3月に帰省した時驚いたのは、つくしんぼがぞっくり生えていたことです。今は青々としたスギナになっています。自然は強いとつくづくおもいました。花の季節が来て、諦めていたヒヤシンス、水仙、チューリップもほんの何輪かですが花お咲かせたのには大感激でした。こうなるとこれから夏に向けて雑草取りが待っているのは覚悟しなければなりません。手が掛かるというのは生命あるものの宿命なのですからこれはよいことなのです。

2015年5月5日火曜日

「子供の日に寄せて」

 差別、貧困、犯罪・・・ この世にはこんなに悲惨なことがあるのかと知らされる毎日です。少し前にクローズアップ現代で「赤ちゃんポスト」のその後について放送していましたが、つらすぎて途中から見ることができませんでした。中には物心がついてから預けられた子もいたと知って、胸がしめつけられる思いでした。また「ここに入れてくれたから今のお父さんとお母さんに会えてよかった。」と言っている子もいました。よい里親でよかったとはいえやはり胸が痛みます。自分の存在が親にとって迷惑なものだったということを、この世に存在した瞬間から否応なく知らされるというのはなんということか。

 子供についてまず思うのは、とにかく弱い存在だということです。赤ちゃんや幼児はもちろんのこと、小学生でも中学生でも高校生でもとにかく弱い。何かちょっとしたことでもあればすぐに生きられなくなってしまう存在、親をはじめ周囲の愛が注がれることなしには決してちゃんと育つことができない存在だということです。これは誰でも自分の来し方を振り返れば深く納得することなのではないでしょうか。人が起こす事件で一番痛ましいもの、一番許しがたいものは、子供に対する虐待です。なぜならそれは子供の心に取り返しのつかない傷を残すに違いないからです。

 人はなかなか自分を客観的に見ることができないものですが、自分の来し方を振り返って自分について何か一言でいうとするなら、「愛されて育った子供だった」ということです。それ以外に言い表しようがない、それだけは否定しようがないのです。大抵の親はそういうものだと言えばそれまでですが、そうでもなさそうだと最近思います。世間的に見れば普通に幸福そうな家庭で育った人でも、大人になって親との関係を見つめ直し、自分は親の願望をかなえるために利用されてきたのではないかとの思いに苦しんでいる人も少なからずいるのです。今はっきりわかるのは、私をはぐくんだ愛の源が神様から出たものだったということ、本当に愛されて育った子供でした。

2015年5月1日金曜日

「認知症と自己実現」

 友人のお母様が少し認知症の症状が出られたとのことで、たびたび実家に帰省するようになりました。彼女は自分の母の姿に将来の自分を見ているのでした。「私もああなるのよ。」と彼女が行ったのは惚ける(この言葉に蔑視や揶揄は含みません。)ことそれ自体ではなく、お母様の繰り言の中身です。それは自己実現ができなかったということに尽きるようですが、主婦として家族のために尽くしていらっしゃったのだから十分立派な人生だと思います。1~2時間ほどしか滞在できない場合でも娘が新幹線と電車を乗り継いで、往復8時間もかけて日帰り帰省をしているのが何よりの証拠です。また友人自身、フルタイムで働きながら二人のお子さんを育てているスーパーウーマンなのですから、何をか言わんやです。

  家族を成り立たせるには相応の自己犠牲が必要ですが、おそらくこれは成員の誰もが「自分が一番犠牲になっている」と感じるものなのでしょう。客観的事実とは別にその感情があまりに積もってしまうのはなんとかしたいものです。自己実現と自己犠牲のほどよいバランスが幸福感をもたらすのだと思います。

 教会で出会う方々はどうして惚けないのだろうと思うことがあります。年齢を伺う機会があった時などは、思わずのけぞるくらい若々しいのです。忙しく立ち働いているので60代後半かなと思っていた方がそれよりずっと前に後期高齢者になられた方だったりして、本当に驚かされます。また、穏やかな老後を送られている方のこれまでの人生をたまたま知る機会があった時、想像を絶する苦難の連続に言葉を失ったこともあります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙一 5章 16~18節)

私にはとてもできそうにない気がしますが、その通りの人生を生きて来られた方なのでしょう。
自己実現と幸福感は必ずしも一致するものではないでしょうし、自己実現と認知症はさらに無関係かもしれません。慰められたのは、施設で暮らしている高齢の女性が、ある日娘さんの付き添いで自宅に帰られても「ここはどこ?あなたは誰?」という状態だったのに、教会に連れていったらそこはわかったというのです。神様のことはちゃんとわかるという、そんな幼子のような信仰に戻れるなら惚けるのも悪くないかなと思います。