2014年8月1日金曜日

「クリスチャンと仕事」


 先日、クリスチャンの方から仕事と信仰の接点についてお話を聴く機会がありました。ビジネスや一般的ないわゆる文科系の職場はなんとなく想像がつくのですが、その方は科学者でしたので理科系の職場はどんなものだろうと興味をもって聴きました。しかしお話を聴いて、やはりと言おうか、そこも他と全く変わりない世界だとわかりました。それどころか、むしろ他の分野より自らが信じる職業倫理を貫くのが困難な社会ではないかと思いました。そういう気はしていたのです。昨今のSTAP細胞騒動や製薬会社N社の社員による大学におけるデータ改ざん事件などをニュースで聞くにつけ、「あそこまでの問題が起きるにはその背後に同様の事例が山ほどあるのでは・・・」と感じていましたが、やはりそのようです。

 退職して以来、職業に就いていれば避けることのできない倫理上のストレスから解放されたことが、何より一番ほっとしたことです。それなりに自分に許せる範囲で仕事ができている時はいいのですが、時折「これを許してはならない。」とか「これが通るならここで働くことに意味があるのだろうか。」と思うことが起きます。

 情けないことですが、仕事についていた間私の信仰生活はまさにあって無きがごときものでした。仕事上の問題を信仰的に解決するなどということは到底望めない机上の空論のように感じていました。他のクリスチャンはどうしているのだろうと思っていましたが、例外的にできている方はいるのでしょうが、今回お話を聴いてわかったのは、あえて身もふたもない言い方をするなら、「仕事と信仰に接点はない」ということです。仕事はこの世の論理で動いており、それは神の論理とは違うのですから当たり前なのです。仕事で職業倫理を貫くことは時に非常に困難で、本当に貫こうとすると苦悩の中にまっさかさまというのが普通のことなのです。

 ただ、だからこそ神様の言葉を聴きたくなるということは言えるでしょう。実行できないまでも、一点ででも神の言葉によって示される世界に接していないと仕事をする意味自体がなくなるからです。