2014年8月22日金曜日

「世代論」


 同世代の友人と話していて気づくのは、若い人たちに対して非常に良い印象をもっていることです。これは私も同感で、若者の代名詞とされる「無礼」や「生意気」という側面が感じられず、「礼儀正しく」「素直」といった態度が顕著に見られます。ここでいう若い人というのは10代、20代の人たちで、いわば一世代おいて次の世代の人たちです。

 以前同窓会で上の世代の話になった時、学校などではまだ嘱託という形でその世代の方々は働いていらっしゃいましたが、ビジネス界ではさすがにもう引退しているとのことで「へえーっ、まだいるの?」と驚かれ、皆なんとなく口が重くなったのです。我々の世代は上の世代の政治運動、社会運動を見て育った世代ですが、特にその終わり方があまりに無残で情けなかったため嫌悪感を禁じえませんでした。にもかかわらず、「なぜ君たちは僕らの運動をひきついでくれないのか。」的な無言の圧力を感じて、ほとほと嫌気がさし煙たい存在として遠ざけたのです。だからこそ、木枯らし紋次郎が「あっしには関わりのねえことでござんす。」という台詞を呟いた時、我々は拍手喝采を送ったのでした。無論、上の世代からは我々は無気力・無関心・無責任の三無主義の世代として疎んじられておりました。

 そして下の世代はというと、我々にとってはこれまた頭の痛い存在なのでした。「新人類」とはよく言ったもので、それなりに常識に縛られていた世代からすると目が点になるようなことがよく起きました。この世代にとっては我々はウザい、目の上のたん瘤だったにちがいありません。

 接する世代間同士は互いに相手が苦手だというのは紛れもない事実で、これはある意味いたしかたないことでしょう。今の若い人たちは、実年齢では孫の年代ではありませんが、心情的には程よい距離があり、なおかつ態度がよろしいので好感が持てるのです。しかし、若い人が、素直で従順というのはいいことなのかどうか。一般的に若者がそうなっているのだとしたら、これは社会における生き残りの戦略に相違なく、社会自体がこれまでになく厳しい状況になってきたと言えるのかもしれません。