2014年8月19日火曜日
「モンテーニュの『旅日記』」
モンテーニュの「旅日記」を少しずつ読んでいます。なるべく物を増やしたくないので図書館で借りて読もうかとも思ったのですが、手元に置いてもいいかなあと思い直し購入しました。理由は貸出期間内に読み切れないかもということ、また、彼の生きた時代がシェークスピアの時代とかぶることに気付いたからです。シェークスピアがイギリスを出て外国を旅行したという記録は全くありませんが(逆に出ていないという証拠もありません。)、戯曲の舞台として出てくる外国の状況を、現実と合っているにせよ合っていないにせよ、どのようにして知ったのかは大きな謎です。「旅日記」は1580年に書かれたものが、1774年に出版されたのが最初のようですから、シェークスピアが読んだ可能性はないのですが、いずれにせよ、彼の時代のヨーロッパ大陸はこんなふうだったのかと想像してみるだけでも楽しいものです。(意外に知られていないことですが、この本は途中までモンテーニュの秘書によって書かれたことになっています。モンテーニュ自身が書いた後半部分と筆致がとても似ているので、前半は秘書が書いたという記述を疑問視する人もいるようです。)
まだ途中ですが、この本を読んで認識をあらたにしたことがずいぶんあります。一つはヨーロッパにおけるドイツ圏のレベル。私の印象ではドイツ圏というのはヨーロッパの壮大な田舎であり、文化的にも生活水準も他の地域より若干劣ると思ってきたのですが、どうやらこれは全く思い違いだったようです。モンテーニュはドイツ圏の街々の豊かさ、美しさにしきりに感嘆しています。ガスコーニュでも見たことのないほどの立派なブドウ畑や美しい広場、家の造りの工夫(例えば暖房システムや急な傾斜の屋根)、清潔な暮らしやおいしい食事など、「我が国にはない」、「我が国より上である。」といった感想が満ちています。歯車を使った焼き串や湾曲した水管(だったかしら、すでに記憶が曖昧・・・)といった職人の手による珍しい機械や面白い装置類なども興味深く調べてほめそやしています。ドイツ圏からイタリア圏に入る時には快適だったドイツを去るのが名残惜しかったようですし、実際フィレンツェではおいしく豊富だったドイツの食事を懐かしんでいます。
もう一つは宗教に関してです。当時はルターの宗教改革から60年ほどした頃にあたりますが、旧教と新教がさまざま入り組んだ宗教事情ではあるものの、思った以上に緩やかに共存しているらしいことです。ツヴィングリ派の牙城とも言える地域もかすめていますが、地域内でさほど宗教的軋轢があったようには見受けられません。信教が違う男女間での結婚も普通に行われ、より熱心な方の宗旨に従うことも一般的だったようです。
「旅日記」を読んでいると気が晴れるのは、47歳という当時としても長旅をするには決して最適とはいえない年齢でしかも持病もちのモンテーニュが、まるで「地球の歩き方」を持ったバックパッカーのように「何でも見てやろう」という精神で快活に旅していることです。若干細かすぎる指摘もありますが、曇りのない目で見たことをのびやかに描いていて好感が持てます。こういう書きぶりは真に人生を楽しんでいる人にしかないものです。