2014年8月12日火曜日

「少女よ、起きなさい」


 少し前にクリスチャンと仕事について書いた時、仕事と信仰に接点はないと述べましたが、勤めていた頃を振り返って例外的にあった接点を1つ思い出しました。99の失敗や失望の中でやっと1つあったよかったことです。

 担当クラスに一人過年度生がおりました。彼女が留年した理由はひどいアトピーが原因でした。もちろん治療もしておりましたし、長期の休みには療養もしていたのですがいっこうによくならず、欠席が増え単位を修得できなかったのです。確か1年生を2回やり、2年から3年にはなんとかぎりぎりで進級できたものの、3年になりまた病状が悪化して学校に来られない日が続いていました。

 すでに大幅に欠席日数の限度を超えており卒業は絶望的でしたが、担任として本人やご家族と連絡を取り、本人の状態を会議で定期的に報告していました。卒業を認定する会議が近づいてきて、会議で報告するために家庭訪問を行うことにしました。住所から近くまで来たのですがなかなか家がわからず、うろうろしながら探していますと、ずっと間断なく或る音が聞こえることに気づきました。ピシャピシャというその耳慣れない音が、人が肌をたたく音だと気づいた時、私は慄然としました。
「これは地獄だ・・・」。
生徒がかゆみに耐えかねて自分の肌をたたいている音によってその子の家がわかるとは。この生徒はずっとこうして一日を過ごしていたのです。

 学校に帰り学年の先生に見てきたことを話し、「この生徒のことも卒業認定会議の俎上に載せてほしい。」と言いました。欠席時数オーバーといってもそれがわずかな時数なら事情によっては卒業が認められるのですが、この生徒の場合は通常会議にもかけられないくらい時数が多かったのです。話し合いの末、俎上に載せることに同意をもらいました。

 「会議は通らないだろう。でも話だけはしておきたい。」というのが私の気持ちでした。ピシャピシャというあの音が耳を離れません。これから高卒の資格もなしに社会に出たらあの子はどうなってしまうのだろう。これまで4年間在籍した学校として何かできることはないのか・・。

 生徒本人と保護者には、これまでの事例から卒業は難しいだろうことは告げてあり、両者ともやむをえないこととして納得していました。本人も保護者もうなだれてなんと弱弱しかったことか。ああ、彼女を誰も救うことはできないのか。イエス様が一言、「タリタ・クミ(少女よ、起きなさい。)」と言ってくださればこの子は起き上がれるだろうに、と思うしかなかったのです。

 会議の前日、人望もあり頼りにしていた学年団の同僚が言いました。
「川辺野さん、気の毒だけどあの子は卒業できないよ。」
彼なりに他の同僚と話をしつかんだ感触だったのでしょう。
「うん、わかってる。」

 翌日の会議は長時間に及びました。事実関係の説明をし、質問に答え、自分の意見を述べました。こんなに大幅な欠席時数オーバーを会議に持ち出すこと自体非常識だという意見もありました。もっともなことです。私の説明が長すぎると一括する人もいました。確かにそうでしょう。この時学年代表が「担任の最後の言葉を聞いてあげてください。」と静かに言ってくれたのはうれしかったな。

 結果は多数決で決まるのですが、信じられないことに「卒業を認める」との決定でした。これが波及する影響を心配する人もいましたが、今はこの生徒をどうするかということが重視されたのです。私は心の中で快哉を叫び、心から神に感謝しました。あとで聞いて驚いたのは、この生徒の卒業が認められたのは担任の弁が立ったからだと、まるで舌先三寸のように思った方がいたことでした。話すのが苦手な私の言葉が会議の時には通じたのだとしたら、それは神様の力添えがあったからにほかなりません。