STAP騒動でのS氏の自殺は大変ショックなことでした。所属するR研は当初から組織への傷を最小限にすべく画策していた姿勢が顕著でしたが(「研究不正はO女史一人」と断じていた。)、残念ながら、やはりかなり問題のある組織のように思われ、死ななくていい人を死なせてしまった感があります。3月に辞任を申し出たときもそれを認めず、自殺する10日前ほどからは「ディスカッションが成立しない」という状態だったのに、役職を解くなど迅速な対応がなされずこのような事態に至ったのです。亡くなった時の報道で、センター長が「もう少し我慢してほしかった。」と述べていたのを見て唖然としましたが、さらには6月の改革委員会の提言をまともに検討しなかった理事長もやはり組織を最優先で考えていたのだろうと思います。上司の仕事というのは突き詰めれば、「部下がきちんと働けるよう目を配る」ということに尽きると思いますが、その最終的な形として「辞表を受け取る」という役割があります。直属の上司が機能しないとしても、ほかに誰ひとり「とにかく休め!」という人はいなかったのでしょうか。皆なすすべもなく座視しているだけだったのでしょうか。精神科医も含めて、「この人だけは自殺はない。」と思っていたのでしょうか。
遺書の内容が断片的に伝えられていますが、「もう限界を超え、精神が疲れはてました」、「もう心身とも疲れ、一線を越えてしまいました」、「こんな事態になってしまい、本当に残念です」、O女史に対しては、「私が先立つのは、私の弱さと甘さのせいです。あなたのせいではありません」「自分をそのことで責めないでください」、「絶対、STAP細胞を再現してください」、「それが済んだら新しい人生を一歩ずつ歩みなおしてください」という文面を見ると、この期に及んでこんなきちんとした遺書が書けるとは、日本最高峰の頭脳の恐ろしささえ感じます。
私が思うのはただ一つ、休ませてあげたかったなあということです。ここまできたら休むのに許可などいらない、診断書を出してただ休めばよかったのにと気の毒でなりません。具体的な雑事に取り込まれている時はそれ以外見えないことが多いのですが、休んでみれば他の道はいくらもあったでしょうに。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)
私にはこの箇所は文語訳の方がしっくりきます。
「すべて労する者、重荷を負ふ者、われに来れ、われ汝らを休ません。」
イエス・キリストは人の世の苦しみや悲嘆をご自身も経験された方です。人間の苦悩をつぶさに見てこの言葉を述べられたのです。S氏がこの御言葉を聴くことができればよかったのになあと残念でなりません。