中年を過ぎた人々が集まる場では健康談義に花が咲くのが常ですが、先日会った友人とはさらに一足飛びにその先を行く話題が中心でした。一言でいうと、「自分の葬りは誰がしてくれるのか」という少々ヘビーな話題です。彼女の母堂はご健在ですが一昨年父君を亡くし、本人もご兄弟もお子さんがいないという点では私と状況が同じです。一致した見解は、「葬儀はいらない」および「死後何日も発見されないのは困る」という2点です。
彼女が「一緒に老人ホームに入ろう。」と言うので笑ったのですが(なにしろ彼女はまだ40代後半)、これから団塊の世代がどんどん高齢化し、高齢者施設に入れずあぶれる人が東京だけでも100万人とも言われていること、さらに数年前から政府が介護付き老人ホームの建設を抑制する方向に転じたこと(時代の要請をまったく無視していると思うのですが、老人の面倒は家族・親族に見させるという方向へ本格的に舵を切ったということでしょう。)などを考えると、我々の世代までの余裕は到底見込めないと思うのです。
彼女の叔母と義父がそれぞれ入居している老人ホームの話も聞きましたが、施設ごとに特徴があり一長一短といった感じでしょうか。以前、生徒の引率で超高級老人ホームを見学したことがありましたが、個室ではあるもののごく限られた空間に最小限の身の回り品がこぎれいに並んでいるだけのあまりの生活感のなさに思わずぞっとし、自分がこういうところで生活するのは無理だとわかりました。なにしろこれまで好き勝手に自分のペースで暮らしてきたのですから、いろいろな制約に耐えられるはずがないのです。また、亡くなる2か月前まで好きなものを自分で調理し食べていた父を見てきたので、あれが理想的であっぱれだったと思ってしまいます。
ご夫婦のどちらかが先に亡くなってもお子さんがいる方には切迫感がないと思うのですが、子供がいない場合、法律で決められた火葬と死後の様々な処理は誰かに頼んでおくしかありません。しかし彼女の指摘によると、子供がいても同居でなければ発見が遅れる可能性はあるし、子供の方が先に亡くなることだってあるので結局安心はできないとのこと、なるほど。
人間の寿命が延びれば延びるほどおひとりさまが増えていくわけですが、その葬りについては手が打たれていないのが実情です。成年後見人制度もありますが、まだまだ不備が多く福祉的な観点が全く欠けているので今のところ使い物になりません。おそらくこれから整備されていかざるを得ない分野だろうと思いますが、その恩恵に浴するにはまずもう少し長生きしなければなりません。
それにしても、明日の生活もままならないという暮らしをしている人々も世界中にはたくさんいるというのに、平均余命がまだ30年もある人間が葬りについて頭を悩ませている国というのは本当に平和なのでしょう。まあ、今考えても仕方がないと割り切ってできるだけ健康に留意し、楽しく充実した悔いのない毎日を送るのが一番でしょうね。