2014年7月21日月曜日

「いじめについて思うこと」


  最近学校でのいじめについて、再び考える機会があったので、思い出しながら書き留めておこうと思います。人は自分の体験からしか語れずそれが唯一絶対の真実だと言う気は毛頭ありませんが、なにしろ高い代価を払って悟ったことですので、書き残す価値はあるだろうと思います。

 学校でのいじめに解決があるとしたら、最良なのは子供が子供だけの閉じた人間関係の輪の中でいつしか正常な状態に戻ることですが、そういう幸運はたいていは訪れません。となると、大人が介入するしかないのですが、第一義的に対応を迫られるのは担任です。ですから、まず担任が状況をできるだけ正確に把握することが必要です。いじめる側は、子供だけの空間から大人が介入するレベルに変わった時、それをルール違反だと感じいじめが激化することが多いですが、まず担任が問題を認識しないことにはいずれ事態がもっと深刻になることは明らかです。

 しかし残念ながら、マスコミ等でもこれだけ問題になってきた事象であることからもわかるように、大人が問題を把握しても真の解決に至ることはまれです。教員が連携して目を光らせても、できるのはせいぜい見えるところではいじめをさせないというくらいです。ですから、とりあえず対症療法として様々な保護の手段を考えて実行することになります。「いじめる方が学校にのさばっていじめられる方が学校に行けないのはおかしい。」というのは正論ですが、義務教育段階では加害者の登校を止めるのも難しい場合が多く、精神的・身体的危機が迫っているなら、被害者の方が転校するのもありでしょう。いったん人間関係ができてしまうと修復することはとても難しいので、環境を変えるという選択肢は決して悪いものではありません。高校などではいじめている方を謹慎処分にしたり、度重なれば停学、退学も不可能ではないものの、学ぶ権利を奪うことになるわけですから、その決断を実行に移すには学校側に相当な覚悟が必要です。「様々手を尽くしたが今の状況では、いじめられている生徒の人権を守るには、いじめている生徒を退学にする以外方法がないということに、一点の曇りもなく首肯できるか。」と自問してみて、その通りであった場合にだけ行うことが可能になるでしょう。

 一方で必要に応じそのような緊急避難的方法もとりながら、被害にあっている生徒に対してまず言うこと、そして言い続けるべきことは、「あなたは絶対に悪くない。」ということです。悪くなくてもつらい状況に変わりはないのですが、何か自分が悪いのではないかという無意味な苦悩からは救われます。そのうえでアドバイスするとしたら、きついようですが、一言で言うと「強くなってください。」ということです。往往にしていじめの被害にあう生徒が持っている心の優しさを私個人はかけがえのないものと思っていますが、残念ながらそれだけではいじめに対抗できないのです。これはもう処世術と割り切って、覚悟を決めていじめの首謀者に敢然と立ち向かう必要があります。言葉や態度でいじめを受けたとき、はっきりと言葉に出して、できれば多くの人が見ている場所で、
「あなたのしていることはいじめです。個人攻撃はやめてください。」
と言えばいいのです。「悪いのはいじめているあなたであり、私は絶対にそれを許さない。」という気持ちをきっぱり見せることです。どんな形でも相手に自分を認めさせること、相手に「なんだか不気味だな、ちょっと怖い・・・。」と思わせるくらいでいいのです。これは決然と本人がやる以外ないのです。

 がつんと言い返した時、学校では手が出るようなけんかはできれば避けたいですが(学校という場では暴力事件に関しては必ず処分があります。)、いじめの解決だけに関して言うなら、けんかになってもいいと思います。私の知っている男子生徒の例では、その子は背は小さかったのですがガッツがある子で、けんかで徹底的に相手に殴らせたというのです。笑いながら殴らせてやり、そのけんかは終わったのですが、相手はそれ以後「俺に手出しできなくなった。」と言っていました。すごい世界でお薦めできませんが、その子なりに相手に自分を認めさせたのだと思います。

 いじめは決してきれいに解決はしません。えげつないやり方でも何でもできることはやるしかありません。女子生徒の場合は、言葉によるいじめ、無視、仲間外れという場合も多いでしょう。もし私が当事者なら、言葉を選びに選んで台本を書き、首謀者にその面前で呪いをかけますね。いじめをやめない限り解けない呪いを。呪いというのは得体のしれないものだけに、いったんかかるとかけられた者は自らを呪縛してしまい逃れられなくなるのです。以前「盗難考」に書きましたが、私自身には呪いの威力は実証済みであっけないものでした。でもそのあと自己嫌悪に陥ることは避けられません。どっちをとるかですね。