2014年7月8日火曜日

「マナーハウス」 


 眠り病の間、夢でも見ればまさしく夏の夜の夢だったのですが、全く見なかったのは残念です。ふと初めてストラトフォード・アポン・エイボンを訪れた時のことを思い出したのですが、今思うと途方もない贅沢をしていました。まだ20代の終わり、お金もなかった頃なのに、「もう来ないかもしれない」と思いあらゆる旅程を最大限後悔のないように組んだようです。あの頃はインターネットも手近にはなく、「地球の歩き方」頼みでした。怪しげなガイドブックとの評価もありましたが、私はそれで困ったことは何もありません。体験者の書き込みで作られる先駆的な旅行案内だったと思います。

 その夏私は「真夏の夜の夢」が初演されたというマナーハウスに泊まったのでした。田舎の富豪の邸宅とはこのようなものかと半ば感心したのは、すっきりした清々しさ。もちろん400年以上も前のことですから高層建築になるはずはないのですが、他の家は4~5階建てくらいの建物なのにここは確か2階建て程度の、高さを押さえた造りでした。敷地が広ければ垂直移動をする手間は無い方が楽に決まっています。

 初演の舞台の目の覚めるような芝生の広大な敷地に、落ち着いた茶色の邸宅・・・大変好ましいものでした。こう書いていて、あのマナーハウスに最も近い建物として思い浮かんだのがなんと福島県立美術館なのでした。もちろん美術館の方が何倍も広く高さも高いのですが、あれを小振りにすればイメージがとても似ています。ここにも正面手前に芝生がありますし、背景の山の色をもう少し明るい緑に変えればとても近い印象になります。設計者があのマナーハウスを知っていたのではないかと思うほどです。

 シェークスピアの妻アン・ハサウェイの実家の前で言葉を交わしたオランダ人に、どこに泊まっているか聞かれ、「マナーハウス」と答えたらぶっとんでいました。B&Bの本場ですし、気持ちの良い手頃なゲストハウスもたくさんあるのですから当然です。この時代、日本からは金持ちはもちろん貧乏人も大挙してヨーロッパを訪れていました。彼が自分の時計も電卓も全部日本製だと言った時、その話題は避けたいと思ったのは、日本はエコノミックアニマルというありがたくない呼び名で呼ばれていたからです。今から見ればこの頃の日本のアニマル度などまだかわいいものだったという未来が来るとは誰も想像できなかったことでしょう。宿も郵便で予約のやりとりをしていたのですから、よくやってたなあと今更ながら感心してしまいます。

 その頃確か1ポンド280円くらいだったのですが、私はその年は英国以外行く予定がなかったのでトラベラーズチェックを全てポンド建てで持っていきました。あの頃は飛行機のリコンファームも必須でしたし、クレジットカード以外にトラベラーズチェックも必須のような感がありました。マナーハウスをチェックアウトするとき、会計がドル建てと勘違いし処理しようとしたところで、私がポンド建てであることを指摘すると平謝りしましたが、ポンド建てのトラベラーズチェックを持っている人などあまりいなかったのでしょう、うれしそうでもありました。