2021年5月27日木曜日

「往年の山ガール」

 大学を卒業して赴任した先は西多摩のはずれでした。「あの頃、よく山歩きをしたなあ」と無性に懐かしく、朝三時起きでおにぎりを握り、水と非常食を持ってわくわくしながら出かけたことを思い出します。ちょっと車で行けばもう登山口という場所に住んでいたのですから、今思うと時期を逃さず山歩きをしておいてよかったなと思います。今は視力的にも体調的にも到底できないことですが、あの頃は元気いっぱい活力にあふれており、「一人では何かあった時危ない」との周囲の声もなんのその、山歩きは一人でするものと思っていました。読み漁ったその手の本の一冊、ラインホルト・メスナーの『ナンガ・パルバート単独行』を引くまでもなく、世の登山家はみな基本的に単独行動ではありませんか。レベルは全然違っても、自分ですべての計画を立て、自分のペースで歩く単独行でなければ意味がないと思っていました。そして、それは実に楽しいものでした。

 引き出しの整理をしていたらその頃のメモが見つかり、私の山歩きは1980年代後半の2年間に集中していたことが分かりました。1980年代後半といえばバブル真っただ中のはずですが、都心の狂騒を遠く離れて山歩きに没頭できたのは幸いなことでした。まず近場の低い山から始め、体を慣らしてからだんだん高く遠くへの山行をしましたが、1日行と半日行のルートを考え、奥多摩の山はほとんどしらみつぶしに歩いたと言ってよいほどです。季節は春から秋に限られ、冬山は守備範囲外。東北人として冬という季節に見せる山の姿が人間の手に負えるものではないことを知悉していたからです。交通手段はほぼ自家用車ですが、車を登山口に止めて同じ場所に戻る場合と、車は駐車場に止め、そこからバスを利用して登山口まで行き、山登りをして駐車場に戻る場合がありました。山の北面から登り始めて南面の駐車場に下りたら、ダンプカーのあんちゃんに「もう下りてきたの」と驚かれたことがありました。登り口のあたりに採石場があって、その運搬の仕事をしている人に目撃されていたのです。個々の山々の風景はほぼすっかり忘れていますが、柔らかく弾力のある山道の感触は足裏にリアルに残っています。メモに沿って、ざっと歩いたところを書き残しておきます。

198×年

7月  ・軍畑-高水三山-御嶽駅

    ・奥多摩駅-鋸山-大岳山荘-御岳山-鳩ノ巣駅

    ・境橋-避難小屋-御前山-小河内峠-奥多摩湖

    ・ドラム缶橋-イヨ山-ツネ泣き峠-三頭山-鞘口峠-ドラム缶橋

    ・東日原-稲村岩-鷹ノ巣山

    *ほかに群馬県みなかみ町藤原での谷川岳登山あり

8月 *帰省中に一泊で飯豊連峰縦走

9月  ・川井-獅子口小屋-川苔山-鳩ノ巣

    ・小川谷橋-天祖神社-小川谷橋

    ・小川谷橋-分岐-酉谷小屋跡-酉谷山-ハナト岩-一杯小屋-東日原

10月 ・沢又-白地平-権次入峠-棒ノ折山-沢又

    ・鴨沢-小袖乗越-七ツ石小屋-雲取山-鷹ノ巣小屋-倉戸山-奥多摩湖

11月 ・御祭-三条の湯-北天のタル-(飛竜山)禿岩-サオラ峠-丹波

    ・二ノ瀬-黒エンジ尾根-笠取小屋-黒エンジ尾根-将監小屋-三ノ瀬

198△年

2月  ・柏木野-連行山-生藤山、三国山-浅間峠-上川乗-柏木野

3月  ・丹波村 越ダワ-小菅-白糸の滝-フルコンバ-ノーメダワ-追分-藤ダワ-丹波

4月  ・仲の平-西原峠-仲の平

    ・宝-千段の滝-白竜の滝-三ツ峠-宝

5月  ・鳩ノ巣-大根山の神-本仁田山-奥多摩駅

    ・有馬ダム林道-日向沢峠-有馬ダム林道

6月  ・乾徳山入口-銀晶水-錦晶水-扇平-乾徳山山頂-笠盛山-黒金山-大ダオ-徳和

    ・新地平-雁峠-水晶山-雁坂峠-雁坂嶺-雁坂峠-新地平

7月  *群馬県みなかみ町藤原での武尊山登山。

*一泊で富士山登山。

10月 ・瑞牆山荘-富士見平-瑞牆山-富士見平

    ・富士見平-大日小屋-金峰山-大日岩-富士見平-瑞牆山荘


 こうしてみると、この飽くなき収集癖ともいえる情熱はすごい。これも或る種のバブルと言ってよいでしょう。結局、奥多摩の山を歩き尽くし、大菩薩峠を越えてほとんど甲府近くまで足を延ばし、車を使っても一日では山に登って帰って来られない事態に至って、ようやく止みました。行き着くところまで行って山歩きバブルが弾けたのです。最後は奥秩父の山行で終わりました。

  唐突に始めても違和感がなかったのは子どもの頃の山歩き体験があったからです。こういう原体験があるかどうかで、その後の自然との関わり方が違ってきます。自然の中での子どもの頃の楽しい体験がなければ、自然に関心が持てず森林を保守しようとする気持ちなど生まれないでしょう。自然の中で遊ぶ心地よさは一生ものです。それがかなわない歳になっても、まさに夢は山野をかけめぐるのです。


2021年5月25日火曜日

「ももジュースの恵み」

 以前友人からストレートの桃ジュースをいただいて美味しかったことを思い出し、探してみました。するとJR駅の自販機で売られているレアもの以外に、なんとJAふくしま未来でもストレートの桃ジュースを出していることがわかりました。こちらは缶ジュースですが190gの飲みきりサイズ、さっそく通販で箱買いしました。 すぐに届いて飲んでみると、やはりストレートはうまい。すっきり甘すぎず、濃縮還元ジュースとは全然違います。

 販売者の住所は福島の隣の伊達市、そして保原といえば前に父が入院していた病院のそばです。夏の終わりから半年間、毎週新幹線で帰省して見舞っていましたが、ローカル線の駅からも1キロ以上離れた病院でした。周囲に高い建物など何もない、だだっ広い果樹園の中に立っていた印象しかありませんが、窓から見えた桃畑と吾妻山の美しさは忘れられません。父は春になる前に退院したので、桃畑が花を咲かせた様子は見られなかったのですが、一面開花した桃畑を描いた大きな絵画が掛かっていた記憶があります。「あそこの桃か~」と思ったら感無量でした。

 製造所が山形というのはちょっと心当たりがあります。先日帰省したとき直売所で山形のりんごジュースを売っていたので試してみたのですが、これがやはりめっぽう美味しかったのです。まったく同じサイズの缶ジュースだったので、同じ加工場所かもしれません。ももジュースは「常温で保存してください」と書いてありますが、もちろん数本はすぐ冷蔵。そもそも常温とはどのくらいの範囲の気温なのか。辞書の一つに15℃という説があり、こうなると真夏には部屋置きというわけにはいかないでしょう。これからの季節、冷えた桃ジュースほど疲労回復に効果的なものはありません。なにしろ桃は古事記の世から魔性の果物、炭酸水も用意して暑気払いの準備は万端です。


2021年5月23日日曜日

「林業女子」

  このところずっと林業づいています。昨年大胆に枝を切り落とした庭木が美しい花を咲かせたのがきっかけかもしれません。ずっと欅だと思っていた木の白い花を見て、ネット検索したところどうもヤマボウシのようです。両親が植えた木をこの歳まで知らずにいたとはなんとも私らしい情けない出来事です。山法師(やまぼうし)はミズキ科とのことで確かにハナミズキに似ていますが、こんな美しい花は見たことがないと思うほど清新なたたずまいです。昨年手を入れたので美しい花を咲かせてくれたのでしょう。10メートルから15メートルほどにもなるそうで、すでにてっぺん近くは大型の脚立でも全く届かず、枝を切るのは無理そうです。

 世界中に四万本の木を植えたという生態学者の宮脇昭先生の御本に触発されたり、世事に疎いため映画化されたのに知らなかった『神去なあなあ日常』(三浦しをん著)や、若者だけの林業会社東京チェンソーズの奮闘を書いた『今日も森にいます』を読んだりするうち、すっかり頭は林業モードになりました。若い方々が林業に取り組まれているのは、一つにはそこに他では得られない癒しの空間があるからでしょう。山主さんと力を合わせてぜひとも頑張ってほしいです。

 なんだか私も木に触れたくなって、古くなりすぎて放ってあったまな板にかんなを掛けてみようと思い立ちました。ミニかんなを購入し「こんなんで大丈夫かな」と思いながら使ってみると、しゅるしゅると面白いように削れ、子どもの頃父とした日曜大工を思い出しました。木の匂いは本当にいいものです。すっかり固くなって滑らなくなっていた箪笥の引き出しも相当削って、ずいぶん楽に動くようになりました。 

 林業は今始めても結果が出るのは早くとも三十年後、もっと長く五十年、百年というスパンで考えなくてはいけないところが同じ自然にかかわるものでも農業とは違います。戦後の林業は経済合理性に振り回された歴史でしたが、林野庁も含めもうそういう時代ではないことを皆気づいているはずです。林業に関わる人がそれぞれに後世の子孫に受け渡すべき森林を守りつつ、生活を楽しんでいける道を模索してほしいと思います。あと何十年か若ければ林業女子としてお役に立つこともできたかもしれませんが、今となってはせめて消費活動で日本の林業を盛り立てるしかないようです。

 さっそく檜一枚板の大き目のまな板を購入しました。魚を丸ごと捌けそうな大きさですが、台所では使いません。リビングのテーブルの一辺に置いてみたらちょうどよい大きさです。檜の匂いが部屋中に広がって、なんとよい香りであることか。テーブルに突っ伏して頬をつけていると、あまりにいい匂いでもう離れられません。傍から見ると何してるのかと思われそうですが。ぜひとも少しずつ、サイズ違いのヒノキ板をそろえていきたい。"touch wood"や"knock on wood"という言葉が幸運と結び付けられているのは、誠にゆえ無きことではありません。


2021年5月16日日曜日

「40年後のリトル・トリー」

  今から30年ほど前、ジャン・ジオノの『木を植えた男』(もしくは『木を植えた人』)という本が話題になりました。一人で黙々と植林した人物の行いは、確かに立派な行為であると思ったものの、心のどこかで当たり前のことが何故そんなに話題になるのか、腑に落ちませんでした。私が休日によく歩いた奥多摩の美しい山々はどこも手入れが行き届いた植林の山だったからです。あれがどれほど大変な作業だったか、今では想像がつきます。毎月帰省して手入れするごくわずかばかりの敷地の庭でも、帰って来ると草茫茫になった様子を見て、気持ちが萎えるほどですから。

 森林は人間にとって、まず食料源、および居住空間や木造船などの移動手段を作る原料として重要でしたが、それにもまして、燃料という最初のエネルギー源として用いられるようになって、どんどん姿を消すようになりました。植林というメンテナンスがなされず、伐採されるだけだったため、元来森林が豊かだったパレスチナやギリシャはすっかり禿山、荒地となりました。二千数百年前に作られたソロモン神殿やフェニキア人の木造船にはレバノン杉が用いられ、それはまさしく富の象徴だったのです。日本でも植林がなされるようになったのは最近のことにすぎず、古代の都が奈良から京都に移ったのは、木の伐採が進んでもはや奈良ではエネルギー源が確保されなくなったことが大きな要因の一つだと言われています。

 内閣府の将来推計人口によると、2060年に日本の人口は8,674万人になると予測されており、そのうちおよそ4割が65歳以上の高齢者です。これほどの人口減少と高齢化が予想されている中でコンパクト・シティ構想が出てくるのでしょうが、一方、郊外の里山や森林、山林はどうやって保持していくのかという問題は、あまり顧みられていないように思えます。

 ところが、聞いて驚いたのですが、今現在日本の国土がどれくらいが本当に日本のものなのかわからないという、さらに仰天の大問題があるというのです。地籍がはっきりしていないことに加えて、土地の所有権の売買が個人間の取引で済んでしまうため、水源地を含む山林地帯や港湾をもつ地方の土地が大量に外国人の手に渡っていると言います。これは全く法律に則って行われているのですから、外国人を責めるわけにはいきませんが、一度外国に売られた土地はまず買い戻せません。そのうえ、外国人に限りませんが、所有者が転居しても届け出が義務付けられていないので、固定資産税の支払い請求書が転送されず、課税逃れが横行しているようです。こうなってくると実際に土地を所有しているのは誰かを突き止めるのは至難の業で、相手が日本に居住していない外国人であればなおさらでしょう。世界各国の土地制度は様々で、一片たりとも外国人には売らないという国もあれば、外国人が買える土地の種類や用途を厳密に規定している国がありますが、フリーパスというのは日本だけです。何百年も自国内で完結していた土地所有の意識が、社会の変貌、流動化についていけず、法整備が追い付いていないのです。さらに驚くのは、政府内や地方自治体の中に、「外国企業が地域おこしをしてくれて、経済的に潤っているのに、何か問題でも?」という意識の人が少なからずいて、ネットオークションで離島の販売もされているというのですから、恐ろしいことです。今や「40年後に果たして日本という国は存在しているのだろうか」と、他ならぬ外国人にまで心配されているのです。

 もはや日本の消滅は人間が先か、国土が先かという様相を呈しています。ここで思い出すもう一冊の本は、フォレスト・カーターの『リトル・トリー』です。「トリー」がTreeのことだと知ったのは読んでからでしたが、これは自然と共存しながら、山に生きるチェロキー族の血を引く子どもの成長の記録です。子どもに自ら生きる力をつけさせるため、祖父母がとった見守りの教育は見事としか言いようがありません。ネイティブ・アメリカンは地中の虫さえ殺さぬよう熱湯を土に捨てたりしないと聞いたことがあります。まことに思慮深く知恵に富み、自然を敬う高潔な人々でしたが、結局開拓者に土地を奪われてしまいました。彼らにとって土地は生活の基盤、自然そのものであり、それゆえ「土地を所有する権利」という意味が理解できなかったのです。現代人とて空気や水といった自然の恵みを享受せずに生きられる人はいないのですから、土地の所有は或る意味矛盾であり、無意味なことだと思う人も少なくないはずです。しかし、世界の大方のルールが別なのであれば、何か抜本的な手を打たなければ、現在日本列島に住む人々もかつて北米に住んでいた原住民と同じ道を辿るほかないでしょう。40年後に自分はいませんが、日本人がネイティブ・ジャパニーズとして、使い出のない狭苦しい「居留区」に閉じ込められて、観光業で生きるほかない姿を想像したくありません。居留区だけではありません。その地に愛着を持って、自然を慈しみ、共存していこうとする強い意志なくしては、土地はあっという間に痩せた荒地になってしまうでしょう。自然や土地を換金物としか見ない人々が適切なメンテナンスを施したことはこれまでなかったのですから。世界中の、使い捨てにされ、放置され、荒廃した土地と土壌の歴史から多くを学ばなければならないと思います。津波で塩害があろうと、原発事故で放射能汚染があろうと、なんとかして健康な土壌を取り戻そうとする人々の努力を決して馬鹿にしたり、笑ったりしてはならないのです。



2021年5月13日木曜日

「紅春 179」

 


 帰省している間、りくにこき使われています。朝は午前3時頃から断続的に何度もやって来ます。散歩に行きたくて仕方ないのです。今は午前4時くらいには空が白んでくるので、諦めて散歩に出かけます。りくは極めてシャキッとして、意気揚々と出かけます。ちょっとの匂い情報も逃すまいと、くんすかくんすか真剣に嗅ぎながら歩いています。普段の様子からすると、いかに「意欲」というものが生物の行動の基盤となっているかを実感します。

 一方で、最近はお風呂に入れるのが本当に大変になっています。前回、8分くらいも我慢できず大騒ぎだったので、今回は手順と方法を変えて5分を目指しました。まず、

①バケツにシャンプーを溶いておき、

②シャンプー水を掛けながらさっと洗い、

③最後に風呂桶に入れてお湯で流す。

 これで最初に風呂桶に入れてお湯で体を濡らし、一度出してシャンプーで泡立てるという手間を省略できます。いい考えだと思い、実際5分でできたのですが、りくは②からすでに唸り声を上げ、③ではほとんど小狼の咆哮状態でした。

 りくの体を拭いて茶の間に行かせ、風呂場の掃除を終えた時には、「外に行きたい」の猛攻撃が止まりません。体を乾かすために外に繋いでおきたいのはやまやまですが、まだハーネスもしていないのに勝手口にすっ飛んで行き、すでに上がり框の下に降りています。こういうことは今までなかったことです。完全に暴走老犬化しています。その後、様子を見ながら草むしりをしていると、りくはすっかり落ち着いて好々爺然としていましたが、もはやどちらが本性なのかわかりません。歳を取って頭の回路が切れやすくなっていることは確かでしょう。


2021年5月7日金曜日

「最弱の国、日本」 

 いや、驚きました。東京オリンピックのことが何もわからない。「えっ、確か7月開催じゃないの?」と、日本人は誰もが呆然としているはずです。個人の予定でさえ8月くらいまでの分は決まっているというのに、4年に一度の国際大会についてまだ何も決まっていないとは! 関係者は皆ババを引きたくないのかIOCの言いなりで、もはや誰の目にも明らかな事態を前に思考停止の様子見状態。国民は情けなさにうつむき、世界はあきれています。でも・・・・。

 世界には本当に驚くほど様々な国があり、日本はどうしてこうも弱いのかと感じている人は多いでしょう。鵜の目鷹の目の猛禽類のカモにされ、押し売りや嫌なことを強要される。反知性的妄執と事実歪曲の言いふらしがお家芸の集団ヒステリーに小突き回される。ルール無用のハードパワーを背景に傍若無人の立ち居振る舞いで、お為ごかしの自己中に踏みにじられる・・・。日本は何をされてもじっと我慢の、まことに羊のごとく弱い国です。


なにゆえ、国々は騒ぎ立ち

人々はむなしく声をあげるのか。

   (詩編 第二編一節)

 こういった国々が常にトラブルの種を発掘し、それをビジネスにしようと無理難題を言ってくるのですからたまったものではありません。時々、「とても付き合いきれない」と疲れてしまい。鎖国して貧乏になってもいいんじゃないかと思うのは私だけでしょうか。ただ普通に静かに暮らしたいという人間は、こういう状況がほとほと嫌になり、引きこもりたくもなろうというものです。どうして穏やかに生きられないのでしょう。社会で人が生きるのに大事なものの筆頭はまず「信頼」でしょう。約束を守り、誠意と節度をもって対面することがなければ、親しい付き合いなどできません。現状では、まっとうな人が付き合ってはいけない人がいるのと同様、「付き合っちゃいけない国ってあるよな~」と思わざるを得ません。

 「そだね~」は、平昌五輪でその愛らしさから一挙にお茶の間の話題をさらったカーリング女子日本代表の言葉ですが、LS北見の選手の銅メダル獲得以上に、あの天真爛漫な無条件の信頼感に接して人々は胸を突かれました。どんなことでも絶対に否定から入らない、まず相手の言うことを受け止めるという、かつて知っていたのに日常生活で忘れかけていた信頼の姿勢を思い出させられたとも言えましょう。こういったものは今の世界ではまずひとたまりもなくひねり潰される類のものでしょう。でもそれはまだかろうじて存在していたのです。

 確かに日本はだめなところも多い。リーダーシップはとれる人も、はっきり物が言える人もいません。普通に見たらダメダメの国です。しかし、リーダーシップがとれてはっきり物が言える人がいた時は、ろくでもないことをしてきたことを日本人は知っているのではないでしょうか。そして、そのダメダメの国で未曽有の原発事故が起きた時、全電源喪失という暗黒の海に投げ出された原発村の現場指揮官は部下を束ねて最後まで踏ん張り、沈没船を捨てて逃げることはなかったことを日本人は知っているのではないでしょうか。津波ですべてを失った避難所で、名もない人々が互いに譲り合って過ごし、また、国中が困難な時期をいつも通りの治安の良さで協力しながら乗り切ったことは日本人が誇るべきことではないでしょうか。

 年々きつくなる社会状況の中でたびたび陰鬱な事件が起こります。それでも日本人は信頼を基本に据えて、相手を思いやって生きようとしています。そうでなければ、忘れ物や落し物がちゃんと戻ってきたり、訪日外国人の多くがリピーターになるようなことはないでしょう。シンカンセンがなかなか外国に売れないのは、過密ダイヤを定時に運行できる芸当は勤労と相互信頼の賜物であり、一朝一夕にできるものではないことをどの国も知っているからではないでしょうか。

 古来から日本の社会形成の要諦は、まず何をおいても「敵をつくらない」ことにありました。東にめだかの学校あれば、生徒も先生もみんなでお遊戯しており、西に我先にと豆を食べに来る鳩あれば、「みんなで仲良くたべにおいでね」と言い、南にカニの床屋あれば、春は早うから働いて(たぶん)チョキンに励み、北に冬場凍結する池あれば、どじょっこもふなっこも共々に、「天上こ張った」の「夜が明けた」のと、驚いたり喜んだりする。そうやって彼らは生きてきたのです。そういうところに私も住みたい。

 日本は世界で最弱の国で、おかれた立場に大いに苦しんでいますが、恐らくそれでいいのです。なぜなら敵を作らないということこそ、文字通り「無敵」だからです。ふと、どこか全然別なところで同じ話を聞いたことを思い出しました。不思議なことにこれは、歴史や文明圏を全く異にする二千年前の中東に生きた人が記していることと同じです。初期のキリストの伝道者だったパウロは、持病の苦しみを取り去ってくれるよう、三度も神に願ってかなえられませんでした。


「ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」

(口語訳聖書 コリント人への第二の手紙12章9節)


 なるほどなあと、今まったく違った文脈で私はその言葉をかみしめています。


2021年5月5日水曜日

「郵政民営化の罪々」

  2021年4月1日、日本郵便は「はがきや手紙など郵便物の土曜日配達を10月から廃止(速達や書留、ゆうパックなどの荷物の土日配達は継続)する」ことを発表しました。 そればかりでなく、『翌日配達』を原則取りやめ、配達にかかる日数が1~3日延びるとのこと、郵政民営化が決まった時からわかっていたことですが、「ああ、やっぱり」という思いです。民営化前にも宅配便は離島や僻地での配達を郵便事業に頼っていたのですから、本来こういうものは民営化してはいけない事業だったのです。

 そもそも郵政民営化は、ゆうちょとかんぽの潤沢なマネーを狙う米国の年次改革要望書に従って、小泉純一郎首相のもと行われたことが今では明らかになっています。実働部隊は筋金入りの新自由主義三羽ガラスで、竹中平蔵(郵政民営化担当大臣)、規制改革・民間開放推進会議議長宮内義彦オリックス会長、銀行界からは三井住友出身の西川善文初代日本郵政代表執行役社長(のちに第2代日本郵政公社総裁)によって断行されました。竹中氏は、サブプライムローンという詐欺的な商品を証券化して売りさばき世界中を苦難に陥れた当該国について、2008年4月に或る番組の中で次のような見解を述べました。

 「サブプライムローンそのものが悪いわけではない、・・・・ある国が政治的な意図をもってアメリカの金融機関を乗っ取ってしまったら、アメリカ経済が影響を受けるのではという懸念も出てきている。・・・・日本郵政は民営化したので、・・・アメリカから見ると安心して受け入れられる民間の資金。アメリカに対しても貢献できるし、アメリカの金融機関に出資することで新たなビジネスへの基礎もできる。・・・『民営化された日本郵政はアメリカに出資せよ』と申し上げたい。」

 この発言にはあっけにとられるほかなく、人の不幸を弄ぶあまりの暴言にふつふつと怒りが沸いてきます。こういうのを普通「国を売る行為」と言うのではないでしょうか。

 またその後起きたいわゆる「かんぽの宿問題」も同様です。日本郵政が全国のかんぽの宿170施設と社宅9物件を109億円という破格の安さで、なんと郵便民政化に大きく関わっていた宮内氏が会長を務めるオリックス不動産に一括売却するというのですから、鉄面皮も甚だしい。批判が相次いだのは当然でしょう。加えて、民営化後に次々と明らかになったかんぽ事業での不正販売は、経営陣の過度なノルマ達成の押し付けが引き起こしたものでしたが、会見時の西川総裁の態度の悪さは誰の目にも「こりゃ、だめだわ」と映ったことでしょう。

 一連の方々の言動から私が感じることは、「この方々は自分が日本の国民であるという感覚はないのではないか」ということです。新自由主義者には国民経済という視点がありません。その発信地米国の国益を自国の国益に先んじて考え、そして何より自分の利益のみを考えた行動に徹しています。

 幸い、政権交代(新政権そのものはお粗末でした)があったり、300兆円ともいわれたゆうちょマネー(ゆうちょとかんぽの金融2社のお金)が株式市場で売られ、「虎の子の国民の財産を失えば日本は終わる」と、事の重大性を理解した憂国の政治家もまだいたらしく民営化法は法改正され、加えて東日本大震災による復興財源が必要になるなど様々なことがあって、2017年9月までに完全売却が定められていた株式は「できるだけ早期に処分」と変わりました。株式市場というのは賭博場です。安心して預けていたはずのお金が紙くずになる一方、海の向こうのどこかでは必ず莫大な儲けを得る人がいるのです。

 ゆうちょマネーは国債に当てられ、財政投融資に回される大事なお金です。株価買い支えのためどんどん膨れ上がる「赤字」国債は、それはそれで頭の痛い問題ですが、低成長時代の屋台骨となっているのも事実です。「バランスシート的には今のところ問題ない」という根強い専門家の意見もあるようですが、このあたりのことは私にはわかりません。いずれにしても、無駄な公共事業やそれにまつわる汚職、官僚の天下り先問題は解決されなければなりませんが、道路や橋といった国土の重要インフラの改修費用さえなくしたらどうするつもりでしょうか。

 2020年11月末現在、日本郵政はゆうちょの89%、かんぽの64%の株式を保有とのことですが、日本郵政には国が57%出資しており、金融2社の民業を圧迫しないよう新商品・サービスの発売には国の認可が必要という規制がかかっています。しかし、日本郵政(現社長は増田寛也氏)はこの足枷を解くため、2025年までに保有する金融2社の株式の割合を50%以下にしようと企図しています。2020年9月中間期の単体決算で、ゆうちょ銀行株は株価が簿価の半額以下になったため、ルールに従い下がった分の減損処理で約3兆円もの特別損失を計上しましたが、まだまだ諦める気はなさそうです。

 郵政民営化を考える時、類比的に国鉄民営化が頭をかすめます。儲かる路線をもったJR東海がある一方、どう頑張っても儲からないことが初めから分かっており成果を出せずに自殺に追い込まれた社長がいたJR北海道がもう一方にあります。そして今度は郵政民営化です。国鉄民営化より郵政民営化の方が経済的見地から圧倒的に波及する広さも深さも大きいですが、郵便事業だけ取り出せば地方切り捨てという根本問題は同じです。どんなに僻地でもどれほど遠い離島でも国民が住んでいる限り、インフラを整えておくのは国民国家の基本でしょう。効率一辺倒の理屈をつけて大事なインフラを奪っておいて、国防も何もあったものではありません。諸外国ともめている日本の領土はすべて離島です。日本政府が本当に国を守る気があるのかどうか、私は大きな疑念をもっています。

 この原稿のタイトルは「郵政民営化の功罪」のはずだったのですが、書いているうち「功」がほとんど見つからないことに気づきました。強いて挙げれば、郵便局員の不正が数多く見つかったことくらいでしょうか。あるいは特定郵便局問題でしょうか。そのくらいの弊害はあるでしょう、なにせ150年も続いたシステムなのですから。それはそれで別個に正せばよいことで、やがて国民の生活が必ず揺らぐとわかっている政策を実行したことは許しがたいと思います。言われたくないことでしょうが、米国でさえ郵便事業は国有であることを新自由主義者だって知らないはずはありません。これだけをとっても、彼らが国のことには関心がない、金のことしか頭にないことがわかるでしょう。


2021年5月4日火曜日

「紅春 178」

 


 高速バスのありがたさは十分身にしみている私ですが、さすがに寄る年波には勝てなくなってきました。片道12時間のフライトも平気だった若年期も今は昔、4時間半のバス旅もちょっときつくなってきました。なんだかんだで一日つぶれますし、乗っているだけではあっても体は疲れます。

 早く帰省したいと思うもう一つの理由は、年老いて弱ってきたりくが待っているという、或る種強迫観念めいた気持ちです。実際はぐっすり寝ているだけなのですが、りくを思うと居ても立ってもいられず、早く行って好きなだけ外を歩かせたい、脚を強くしてやりたいと、気が急いてしまいます。

 先日、早朝6時台のバスでJR駅まで行き、7時台前半の新幹線に乗ったところ、何と9時半には実家に到着しました。これは早い! 体も楽だし、着いて丸一日使えます。

 りくはもちろん寝ていましたが、私が台所でガサゴソしているうち目覚めたらしく、隣の部屋で様子を見ていると、すっくと立ってタタタッと台所を急いでチェック。荷物に気づいて家の中を探し始め、私を発見しました。「兄ちゃんが出て行ったと思ったら、姉ちゃんが来たの?」と不思議そう。すぐ散歩に連れ出し、下の橋まで一周。何といってもまだ午前中でたっぷり時間があり、体も疲れてない。かてて加えてちょうどいい気候ということもあり、午後にも「散歩連れてってください」の真剣お座り攻撃を受け、今度は上の橋の近くのコンビニまで。帰ってきてお昼寝のりくに「楽しかったね」と声をかけながら、今後は新幹線で帰省かなと感じています。大きめの地震が起こると新幹線は最低5時間は止まるので、予定は吹っ飛んでしまうんですけど。


2021年5月3日月曜日

「病原と闘う身体」

  少し前に非定期的にくる持病による体調の崩れがやってきました。普段は「だるい」と形容する身体がだんだん「痛い」になってくるので、とにかく横になって寝るだけです。全身の痛みが高じてウンウン唸りながら伏せることになっても、体が睡眠を激しく欲するらしく、眠れないということはありません。食欲は全くありませんが、何とか口に入りそうな果物(バナナ、りんご、柑橘類)、ヨーグルト、乳酸菌飲料などはいつも備えており、目が覚めた時に少しずつ補給するので心配はありません。そしてまた昏々と寝るのです

 この「発作」は、起こる原因もきっかけも分からず突然来るのには参りますが、最近これは体が異物の侵入と一生懸命闘っている状態なのだろうと思うようになりました。普段は跳ね返している細菌やウイルスでも、たまたま取り込む量が多かったり強力だったりすると、負けまいとして自然免疫力を総動員して微熱を出したり、睡眠状態を持続させることで自然治癒力を最大化しようとする結果なのではないかと思うのです。病原菌と闘う身体のイメージを持つと、夢かうつつかわからない状態で伏している間も、「体よ、頑張れ~」と自分を励ますことができる気がします。

 丸一日寝てもよくなっていないと少し凹みますが、そういう時は大抵まだまだ眠たいので寝れるだけ寝ます。体調が悪いと気弱になり、この状態で一番自分を脅かすのは、「このまま寝たきりになったらどうしよう」という恐れです。そんな時は、「前日より良くなっているのは確かだ」と言い聞かせながら、元気になってやりたいことを考えます。「寝たきりになるわけにはいかない。まだ読みたい本がある」、「読んだり書いたりできないと惚けてしまうかもしれない」、「それにはとにかく眠らないと・・・」と、朦朧とする頭で堂々巡りしつつ横になっています。早く良くなって好きなことをしたいという意欲はとても大事だと思います。幸い丸二日寝ても全然回復しなかったことはこれまでありません。格段に体調が良くなっているのは、家の中を動き回れるようになるのでわかります。こうなるともう早い。翌日には外に出られるようになり、翌々日には早朝の散歩もできるようになります。もともと動き回るのが好きなので、朝起きてちょっと体を動かし、「ああ、完全に治った」と実感する時は本当にうれしいです。自然治癒力だけで回復できるのは何とありがたいことでしょうか。