2019年12月3日火曜日

「一年が速すぎる」

 流行語大賞(今年はONE TEAM)が話題になる季節となったことにもう仰天しています。一年の始まりがつい二、三か月ほど前だった気がするからです。例年に比べても、いくら何でも早すぎる気がするのでその原因について考えてみました。

①歳をとった
 1年の長さは人生の長さと関係していると言われています。十歳の子どもにとって1年は人生の十分の一ですが、例えば五十歳の人にとっては1年は五十分の一に過ぎません。五十歳の人にとって十分の一の長さと言うと5年ですから、これが十歳の子どもの1年に当たる・・、そう考えると「なるほどなあ」としっくりきます。昔は時間はゆっくり流れており、1年は結構長いものでしたから。今はその5倍以上の速さで1年が過ぎる・・・納得です。

②よく寝た
 私は睡眠時間が長い方です。加齢のせいで起床時間が早まっていますが、そのぶん就寝時間が早くなったり(そう言えば、夜7時に家の中が真っ暗だったので私が倒れているのではと、帰宅した兄をぎょっとさせた事件もありました)、また、昼間急激な睡魔に襲われて昼寝をしたりしているので、8時間は十分寝ています。また、具合が悪くなるととにかく寝る。こんこんと半日、一日、二日、三日くらい平気で寝ます。もちろん時々起きて、水分や栄養は適宜摂取。さすがに三日も寝ると、たいていの体調不良は完全に回復。睡眠は時に医者や薬に勝ります。睡眠おそるべし。ただ、寝ている時間はこの世の時間には組み込めない。1日寝ていた日には当然「今日は何もできなかったなあ」と思います。

③本をたくさん読んだ、書き物もした
 本を読んでいる(聴いている)時間には、私はどこかわからないところに行っています。これに一番近い感覚は、睡眠中に見る夢の中ですが、ちょうどハッと夢から覚めるように「本から覚める」と言う感じです。書いている時も同様で、どこか別の所にいる自分がいろいろなことを考えています。なんとなく自分がキーボードを打っていることは把握しているのですが、この場にいない気がするのです。いずれにしても明確に覚醒した時には、この世的には何時間もたっているのです。だから、読んだり書いたりしている時間もこの世の時間には組み込めない。この世というのはご飯を食べたり、外出したり、家事をしたりしている時間で、これはこれで大事な時間です。

④いろいろと事件が起きた
 親族や知人で亡くなった方がおりますと、心の中で喪に服する時が流れるので気が付けばもうこんなに経ったのかと思います。りくの体調の変化もいろいろあって気を揉むことが多かった気がします。元号が変わり、即位に関わる行事が多かったのも時の速さを感じる一因かもしれません。さらに、11月末に来日したフランシスコ教皇のインパクトはとても強いものでした。プロテスタントの私はさほど注目していなかったのですが、さすが世界数十億の信徒を抱える宗教指導者はかくあるべしという威厳と気品と慈愛が全身から湧き出ているような方とお見受けしました。教皇というとどうしても世界史の中に登場する激烈な権力闘争の勝者という先入観があり、そこまではいかずとも相当なやり手だろうという予想に反し、ほとんど聖人というイメージを具現化した人物のように思えました。都内のカトリック系の大学での講演か、あるいは東京カテドラル聖マリア大聖堂での若者との集いか、ニュースでフランシスコ教皇の言葉を聞きましたが、言っていることは「弱い立場の人の側に立って考えてください」、「誠実な人でいてください」などの、その言葉だけ取ればだれもが言いそうなことなのですが、もう圧倒的な優しさと確信に満ちていて、言葉というものはだれがそれを発するのかが第一義的に重要だと思い知らされました。日本の政治家にはあのオーラは薬にしたくもない、本当に影さえないと感じました。

 そんなこんなで、本当に盛り沢山の1年でした。私なんぞが忙しいはずはないのに、しみじみ「あ~忙しかった」。いや、本当に忙しい師走はむしろこれからか。あと1か月近くの日々、1年の締めくくりらしく落ち着いて過ごしたいです。