2017年6月29日木曜日

「懐かしの中学生」

 史上最年少でプロ棋士になった中学生、藤井聡太が日本を席巻しています。私が将棋と聞いて頭に思い浮かぶのは二つだけです。一つは子供の頃読んだ四コマ漫画で、最初の一手を指した途端相手が「参りました」というもの。将棋の深遠さを知らされました。もう一つは教師として勤めてからのことですが、教室で生徒を当てる時の席順でしょうか。大抵は飛車か角の進み順、たまに「桂馬とび」を入れたりすると悲鳴が上がったものでした。

 このところの藤井フィーバーの根底には世間の安堵感があるのではないかと思います。もちろん彼は底知れぬ才能を秘めた天才ですが、或る意味人々をほっとさせるものを持っています。十代、それも前半で各方面の逸材が現れてきていることが顕著な昨今ですが、しかしそれはこれまでスポーツや芸能、歌やダンスという身体そのものが人目にさらされることを前提にした分野が多かったように思います。そして彼らはその分野の性質上、明るく活発で積極的な性格が目立っていました。しかし、藤井四段の場合は、リュックを背負ってとぼとぼ歩く姿はどこにでもいる地方都市の中学生ですし、はきはきと自分を主張することなく伏し目がちに訥々と話す様子は、押し出されてやむなく語っている少年にすぎません。ごく普通の家庭できちんとした育てられ方をしたこと、よい師匠に出会ったことなどが周辺取材から垣間見ることができ、とても懐かしい日本の中学生の原型を見ているようでした。
「ああ、まだこういうタイプの天才が絶滅していなかったのだ」
これが大方の率直な感想であり、それゆえみな安堵したのです。同時に、
「こういう子が才能を発揮できる場があって本当によかった」
とも思ったことでしょう。

 藤井四段をことさら有名にしたのは彼が会見で語った言葉でした。「とても中学生の言葉とは思えない」語彙であるとも話題になり、新聞を第一面から最後まで全部読んでいるという話を聞いて、やはり只者ではないと思った人も多かったでしょう。なにより、幼い時から将棋に負けると将棋盤を抱え込んで号泣していたという逸話から、そういう子供でなければとてもここまで来られなかったのも確かなことでしょう。しかし、彼について語る時のコメントで繰り返された、「まだ14歳の中学生が」という指摘は的外れだということは、自分がその年齢だった時のことを思い出せばすぐわかるはずです。思い当たることがないとしたら、その人は子供時代を忘れてしまったのです。14歳がどれほど大人であるか人は本当は知っているはずです。生活していく上でのほとんどのことが親頼み、大人頼みであったとしても、思考力の点では大人に劣るものではありません。ただ、置かれている寄る辺ない立場が重々わかっているので、心にどうすることもできない鬱屈を抱えているだけです。プロ棋士になるには、奨励会に入る、入って昇段していくという過程があり、なってからのタイトルを目指す一局一局の対戦の歩みは、聞くだけでも壮絶で厳しい世界です。藤井四段がいかに穏やかに見えても、我が内にとんでもないモンスターを宿している以上、どれほど高く大きな大志を秘めていることか想像もつきません。地元のプロ昇段の祝賀会で、50年以上なかったというタイトルを「東海地区に持って帰りたい」と抱負を述べていた時、その静かな闘志を見たと思いました。

 今回の快挙に水を差していたのは、竜王戦の賞金額や他の名だたる棋士の生涯獲得額などを調べ上げて情報を流している大人たちの態度です。そういう姿勢がこれまで子供たちの学ぶ力ををどれだけ損なってきたか、そういう風潮をあっさり退けるために藤井聡太が出現したのだということがまだわからないのかとあきれてしまいました。すでに詰んでしまった彼らの思考盤は救いようがありません。若き才能は余計な雑事に煩わされることなく一事に専心してほしいです。29連勝が結局するまでの間一番面白かったのは、夕飯に注文したチャーハンが売り切れでワンタンメンを注文し直したという話で、インターネット中継での「さすがにチャーハン売り切れまでは読めなかったか」というコメントは秀逸でした。