2017年6月17日土曜日

「テレビとの決別」

 ずいぶん前から、「もうテレビはいらないんじゃないか」と思っていました。以前職場で、お子さんもいらっしゃる方でしたが、「うちにはテレビがないの」と言っていたのを聞いて、「ほう、それはそれでいいかもしれない」と強く思ったのを覚えています。テレビの音声が入るラジオを使ってみて何の支障もないのは実感できていましたが、ふんぎりがつかないまま惰性でそのままになっていました。

 きっかけはNHKの訪問でした。地デジテレビを持っていて衛星放送を受信できるマンションなどに居住している場合、衛星放送受信料も支払わなければならないと放送法で決まっているそうです。契約させられてしまいましたが、見てもいない衛星放送受信料まで支払えというのはおかしい、あまりにも横暴だと感じました。その時は末端の請負業者と言い争いたくもないので黙って判を押しましたが、この時はっきり「テレビを処分しよう」と決めました。長いこと迷っていたことについて、背中を押してもらえてむしろよかったと思ったくらいです。

 三日後にはリサイクル業者に電話してテレビを引き取ってもらい、「TV処分代」と書かれた領収証をもらい、NHKに電話して解約手続きをしました。書類が送られるまで十日もかかるそうで、料金は日割りではなく月単位でかかるというあきれ果てた怠惰な体質をこの期に及んで知りました。業者は怪訝そうに、「故障したんですか」と尋ねましたが、処分したのは全盛だった頃のシャープのアクオス(亀山モデル)、8年で壊れるはずがありません。ただ、諸行無常の言葉通り、社会の状況は一変しています。衛星受信料契約手続きをしてから一週間もしないうちに、契約を解除するとはNHKも予想していなかったかもしれません。私にとってどうにも不可解なのは、どうしてマンションに於いて地上波とBSを分けて受信ができるようにしないのか、そして受信した通りに受信料を徴収するシステムを構築しないのかということです。その方が長期的に見て受信料収益を減らさずに済むに違いありません。

 使用してもいないものに課金することを世間一般では詐欺と言います。こんなことができるのは、「テレビなしでやっていけるはずがない」という驕りがあるとしか思えません。しかし時代は変わったのです。受信料を徴収していない放送局にしても、番組の三分の一がCMではどうしようもありません。テレビというメディアが新聞同様終焉に向かっているのが誰の目にも明らかな今日、せいぜいできるのはその速度をほんの少し遅らせ、延命を図ることだけでしょう。