2014年7月28日月曜日

「飽食の都」


 東京に30年も住んでいながら、私は新宿の某名高いフルーツ店の超有名なフルーツバイキングに行ったことがありませんでした。こういうものは大都会でしか味わえないので試してみるのも一興と思い、先日友人と行ってきました。予約していけばすぐ入れるのですが、ネットで見たところすでに1カ月先までいっぱいだったので、当日席を求めて、出たとこ勝負です。

 開店時間の30分前に到着しましたが、すでに同じく当日席に並ぶファミリー層や女性客で熱気にあふれていました。ちなみにここは男性だけでは入れないという逆差別的条件がありますが、食べる量と料金の兼ね合いを考えると、まあ妥当なルールでしょう。待合場所の椅子に座りきれないほどの光景を眺めながら、これが毎日繰り広げられる東京という都市のエネルギーをあらためて感じたのでした。

 食べ放題は90分1本勝負なので、初回に入れなければ90分待つことになったところでしたが、運よく初回に滑り込めました。欲望の都を象徴する食の祭典、食台には文字通り食べきれないほどのフルーツや料理、デザート類が並んでいました。4年前に来たことがあるという友人の話では、その時より種類や量の水準(当然料金も)がかなり上がっているとのことでした。第一ラウンドこそ人でごった返していましたが、人間そうそう食べられるものではありません。制限時間の半分でもう満腹状態となり、あとは取ったものを残さぬよう、また別腹で入るものを考えながら時を過ごしました。

 食べ物のおいしさと豊かさにどこかで罪悪感を感じるほどでしたが、それに関連するちょっとした事件がその後に起きました。隣のテーブルの二人連れの一人が小さないちごのショートケーキを6個お皿にもってきて(それだけでも驚きでしたが)、上の苺だけ取ってあとの皿を下膳場所に置いたのです。恐るべき暴挙、食べ物に対する冒涜を目撃し、目が点になってしまいました。びっくりした我々の表情を見たのか、その人は「食べ放題なんでしょ。」と誰に言うともなく言いました。何より一番驚きあきれまた気が沈んだのは、あとで友人がいみじくも言っていたように、「あれをしたのがおそらく60代後半という年齢の人だというのが痛いよね。」という事実でした。小学校高学年かと思われるお孫さんと一緒に来ていて、孫のために苺を取り分けていたようでした。人生の後半戦、若い世代に伝えることがあるであろう年代の方がこれでは・・・と、やりきれない気持ちになったのでした。

2014年7月24日木曜日

「走る人」


 梅雨のさなか、朝起きたら小雨で走りに行けなかった翌日、今朝もだめかなと思っていたら、7時くらいに晴れ間が見えました。次の日は台風で大雨間違いないので、「今日を逃したら3日間走れなくなってしまう。」と思い、いつもはすでに帰ってきている時刻でしたが、出かけることにしました。行きたくなければ行かなくてもいいのですが、ジョギングすると体がほぐれて調子が良いとわかったのです。

 自分が走る人になるとは思っていませんでした。といっても、歩くのよりちょっと速い程度のジョギングです。若い方には必ず抜かされていきます。若い方に限らず、往年のアスリートと思われるオレンジのTシャツのおじいさんにもすいすい抜かされます。しかもこの方はゴミ袋を持ってごみを拾いながらジョギングしているのです。こういう方がいるから世の中が成り立っているのです。さらに「朝のおはよう声掛け運動」もしているのか、私にも挨拶してくださいます。先日などは「一緒にがんばりましょう。」とまで言われてしまいました。美しい緑に囲まれた周回路を走り、豪快な声で鳴いているガマガエルのいる池のほとりでラジオ体操をするとすっきりし、とても体が軽くなって一日を過ごせます。ありがたいことです。

2014年7月21日月曜日

「いじめについて思うこと」


  最近学校でのいじめについて、再び考える機会があったので、思い出しながら書き留めておこうと思います。人は自分の体験からしか語れずそれが唯一絶対の真実だと言う気は毛頭ありませんが、なにしろ高い代価を払って悟ったことですので、書き残す価値はあるだろうと思います。

 学校でのいじめに解決があるとしたら、最良なのは子供が子供だけの閉じた人間関係の輪の中でいつしか正常な状態に戻ることですが、そういう幸運はたいていは訪れません。となると、大人が介入するしかないのですが、第一義的に対応を迫られるのは担任です。ですから、まず担任が状況をできるだけ正確に把握することが必要です。いじめる側は、子供だけの空間から大人が介入するレベルに変わった時、それをルール違反だと感じいじめが激化することが多いですが、まず担任が問題を認識しないことにはいずれ事態がもっと深刻になることは明らかです。

 しかし残念ながら、マスコミ等でもこれだけ問題になってきた事象であることからもわかるように、大人が問題を把握しても真の解決に至ることはまれです。教員が連携して目を光らせても、できるのはせいぜい見えるところではいじめをさせないというくらいです。ですから、とりあえず対症療法として様々な保護の手段を考えて実行することになります。「いじめる方が学校にのさばっていじめられる方が学校に行けないのはおかしい。」というのは正論ですが、義務教育段階では加害者の登校を止めるのも難しい場合が多く、精神的・身体的危機が迫っているなら、被害者の方が転校するのもありでしょう。いったん人間関係ができてしまうと修復することはとても難しいので、環境を変えるという選択肢は決して悪いものではありません。高校などではいじめている方を謹慎処分にしたり、度重なれば停学、退学も不可能ではないものの、学ぶ権利を奪うことになるわけですから、その決断を実行に移すには学校側に相当な覚悟が必要です。「様々手を尽くしたが今の状況では、いじめられている生徒の人権を守るには、いじめている生徒を退学にする以外方法がないということに、一点の曇りもなく首肯できるか。」と自問してみて、その通りであった場合にだけ行うことが可能になるでしょう。

 一方で必要に応じそのような緊急避難的方法もとりながら、被害にあっている生徒に対してまず言うこと、そして言い続けるべきことは、「あなたは絶対に悪くない。」ということです。悪くなくてもつらい状況に変わりはないのですが、何か自分が悪いのではないかという無意味な苦悩からは救われます。そのうえでアドバイスするとしたら、きついようですが、一言で言うと「強くなってください。」ということです。往往にしていじめの被害にあう生徒が持っている心の優しさを私個人はかけがえのないものと思っていますが、残念ながらそれだけではいじめに対抗できないのです。これはもう処世術と割り切って、覚悟を決めていじめの首謀者に敢然と立ち向かう必要があります。言葉や態度でいじめを受けたとき、はっきりと言葉に出して、できれば多くの人が見ている場所で、
「あなたのしていることはいじめです。個人攻撃はやめてください。」
と言えばいいのです。「悪いのはいじめているあなたであり、私は絶対にそれを許さない。」という気持ちをきっぱり見せることです。どんな形でも相手に自分を認めさせること、相手に「なんだか不気味だな、ちょっと怖い・・・。」と思わせるくらいでいいのです。これは決然と本人がやる以外ないのです。

 がつんと言い返した時、学校では手が出るようなけんかはできれば避けたいですが(学校という場では暴力事件に関しては必ず処分があります。)、いじめの解決だけに関して言うなら、けんかになってもいいと思います。私の知っている男子生徒の例では、その子は背は小さかったのですがガッツがある子で、けんかで徹底的に相手に殴らせたというのです。笑いながら殴らせてやり、そのけんかは終わったのですが、相手はそれ以後「俺に手出しできなくなった。」と言っていました。すごい世界でお薦めできませんが、その子なりに相手に自分を認めさせたのだと思います。

 いじめは決してきれいに解決はしません。えげつないやり方でも何でもできることはやるしかありません。女子生徒の場合は、言葉によるいじめ、無視、仲間外れという場合も多いでしょう。もし私が当事者なら、言葉を選びに選んで台本を書き、首謀者にその面前で呪いをかけますね。いじめをやめない限り解けない呪いを。呪いというのは得体のしれないものだけに、いったんかかるとかけられた者は自らを呪縛してしまい逃れられなくなるのです。以前「盗難考」に書きましたが、私自身には呪いの威力は実証済みであっけないものでした。でもそのあと自己嫌悪に陥ることは避けられません。どっちをとるかですね。

2014年7月18日金曜日

「子どもとお金」


 子供のころ使っていた机の中から当時の通帳を見つけ思い出したことがあります。高校時代、日直の仕事の中に、クラスのパンの注文を取って始業前に購買部に頼みに行くという務めがありました。こうしておくとお昼にクラスごとに注文していたパンが届くのです。私がこの仕事を嫌だったのは朝からお金を扱わなければならなかったからです。始業前にはきれいに手を洗ったことは言うまでもありません。

 子供のころ、といっても結構大きくなってからですが、何かの折に「そういうものは自分でお金を稼いで買いなさい。」とか「そういうことは自分で稼いだお金でやってください。」と言われることがありました。高校生くらいになればアルバイトすることを悪いとは思いませんが、当時田舎ではそんなものはありませんでしたし、アルバイトをしている人は周囲に一人もいませんでした。だからこそ親も平気でそう言えたのだと思います。

 お金は貴いものですが同時に汚れたものでもあるという感覚が昔はあったように思います。私が子供のころは、子供はお金から遠ざけられており、子供がお金の話をすることを大人は極端に嫌っていたように思います。それは品のないこと、はしたないことだったのです。今そのような感覚を子供はもっていないのではないでしょうか。お金に関してあまり浮世離れしているのも困りものですが、疑似的にであれ子供に株式運用のまねごとをさせるなどはやめておいたほうがよいように感じます。うまく言えませんが、忌むべきものとしてのお金の一側面を子供の時に体得できないと金銭感覚が大きく損なわれるような気がするからです。昔と一番違うのはお金の持つこの半面の重苦しさが消えてしまったことです。今では大人も、ビジネスに関わる人だけでなく、政治家・官僚から一般庶民にいたるまでお金の話しかしません。なんとつまらないことでしょうか。

2014年7月14日月曜日

「紅春 47」


 最近私は、父が使っていた和室を寝室としているのですが、必ずりくがやってくるので自分の布団のわきにりくの毛布を敷いて寝床を作ってあります。これはなかなか良い方法で、りくは時々私の足元の布団の上に乗ってこようとするのですが、「だめです。」と言うとあきらめて自分の寝床にすごすごと戻ります。

 夏の朝はだいたい5時半頃起きて支度をし、りくと散歩にでます。先日気配を感じて目を開けたらすぐ上にりくの顔が・・・。それから前足で肩をポンポン叩かれたので、
「まだそんな時間じゃないでしょ。」
と言って時計を見ると20分の遅刻。もうそんな時間だったのです。いつだってりくが正しい。

 外出するとき、茶の間と和室の襖はだいたい閉めておくのですが、帰ってくるとたまに開いていることがあります。たまたま家に寄った兄が、「りくがカシャカシャしていたので開けてやった。」とのこと。外出するとき私は必ず
「行ってくるよ。お留守居頼むね。」
とりくに声を掛け、りくも私が勝手口から出ていくのを見ているのですが、そのうち、「ひょっとしたら和室にいるのではないか。」と思い探すようなのです。

そういえば、父がいた頃りくは、
「りく、カシャカシャじゃなくて、ノックはトントンってするんだよ。」
と言われていたっけ。お父さん、それはりくには無理でしょうが。

2014年7月11日金曜日

「非クレーマー的苦情」


 福島教会の会堂再建がなる今年、会堂建築支援商品としてレターセットを作ってみました。出発点はいつも趣味の延長で、何かできて「まあいいかも。」と思ったら本腰を入れて商品化を考えるというお気楽な手法です。それを福島教会で試験的に販売し、また奈良に住む母教会が一緒の参謀に見てもらったり、彼女が通う大阪の教会の方々に使っていただいたりして、そのご意見、アドバイスを頂戴しながら改善できるところは改善してできあがるのです。

 先日は、東京で私が通っている渋谷の教会のミニバザーに参加させていただきました。
「ちょうどよかった、聖句入りでなかなかいいのってないのよね。」
などと言われるととてもうれしいものです。自分でも、
「最近は手紙を書く人なんていないよなあ。特に縦罫の便箋なんていらないだろうなあ。」
と思っていたのですが、縦罫は持参したものが全部売れました。
「普段はメールだけどたまに手紙を書くときはいい紙に、縦書きで書きたい。」
という需要もあるのだとわかりました。たくさんお買い上げいただき、会堂建築献金ができるのは本当にありがたいことです。

 使っている紙は飛天紙と呼ばれる大変美しい和紙です。いつもネット通販で取り寄せていますが、先日ちょっと困ったことがありました。取り寄せた中の1束がこころなしか緩く波打っており、一部裏面にかすかな筋が入っているのです。自分で使う分にはまあ我慢できる程度ですが、商品となるとそうもいきません。メーカーにとっても憂慮すべき問題だろうと思い、お手紙を書いて返送することにしました。

 私にとって一番困るのはクレーマーだと思われることです。私は最近激化している常軌を逸したクレーマーを腹立たしく、また嘆かわしく思っています。あの他罰的な心性が心底嫌いなのです。同類に見られないよう、言葉に注意して手紙を作成しました。趣旨は、「御社の製品は大変美しい紙で気に入ってこれまで使用してきたこと、今回返送するものは、自分としては許容の範囲を越えていると思うがいかがか、今後もこの紙を使っていきたいと思っていること。」の3点です。郵送してすぐに対応してくれたようで、「確かに紙の状態にご指摘の問題を確認しました。これから原因の調査にあたります。とりあえず新しいものをお送りします。」とお電話をいただきました。

 その後は製品に関して全く問題ありませんが、ちょっと気になるのは、なんだか注文してから発送されるまでとても迅速になった気がすることです。たまたまかもしれませんが、以前は商品の到着まで4~5日みていたのに今は2~3日で届くようです。まさか、要注意お客様リストに載ってしまったのではないでしょうね。

2014年7月8日火曜日

「マナーハウス」 


 眠り病の間、夢でも見ればまさしく夏の夜の夢だったのですが、全く見なかったのは残念です。ふと初めてストラトフォード・アポン・エイボンを訪れた時のことを思い出したのですが、今思うと途方もない贅沢をしていました。まだ20代の終わり、お金もなかった頃なのに、「もう来ないかもしれない」と思いあらゆる旅程を最大限後悔のないように組んだようです。あの頃はインターネットも手近にはなく、「地球の歩き方」頼みでした。怪しげなガイドブックとの評価もありましたが、私はそれで困ったことは何もありません。体験者の書き込みで作られる先駆的な旅行案内だったと思います。

 その夏私は「真夏の夜の夢」が初演されたというマナーハウスに泊まったのでした。田舎の富豪の邸宅とはこのようなものかと半ば感心したのは、すっきりした清々しさ。もちろん400年以上も前のことですから高層建築になるはずはないのですが、他の家は4~5階建てくらいの建物なのにここは確か2階建て程度の、高さを押さえた造りでした。敷地が広ければ垂直移動をする手間は無い方が楽に決まっています。

 初演の舞台の目の覚めるような芝生の広大な敷地に、落ち着いた茶色の邸宅・・・大変好ましいものでした。こう書いていて、あのマナーハウスに最も近い建物として思い浮かんだのがなんと福島県立美術館なのでした。もちろん美術館の方が何倍も広く高さも高いのですが、あれを小振りにすればイメージがとても似ています。ここにも正面手前に芝生がありますし、背景の山の色をもう少し明るい緑に変えればとても近い印象になります。設計者があのマナーハウスを知っていたのではないかと思うほどです。

 シェークスピアの妻アン・ハサウェイの実家の前で言葉を交わしたオランダ人に、どこに泊まっているか聞かれ、「マナーハウス」と答えたらぶっとんでいました。B&Bの本場ですし、気持ちの良い手頃なゲストハウスもたくさんあるのですから当然です。この時代、日本からは金持ちはもちろん貧乏人も大挙してヨーロッパを訪れていました。彼が自分の時計も電卓も全部日本製だと言った時、その話題は避けたいと思ったのは、日本はエコノミックアニマルというありがたくない呼び名で呼ばれていたからです。今から見ればこの頃の日本のアニマル度などまだかわいいものだったという未来が来るとは誰も想像できなかったことでしょう。宿も郵便で予約のやりとりをしていたのですから、よくやってたなあと今更ながら感心してしまいます。

 その頃確か1ポンド280円くらいだったのですが、私はその年は英国以外行く予定がなかったのでトラベラーズチェックを全てポンド建てで持っていきました。あの頃は飛行機のリコンファームも必須でしたし、クレジットカード以外にトラベラーズチェックも必須のような感がありました。マナーハウスをチェックアウトするとき、会計がドル建てと勘違いし処理しようとしたところで、私がポンド建てであることを指摘すると平謝りしましたが、ポンド建てのトラベラーズチェックを持っている人などあまりいなかったのでしょう、うれしそうでもありました。

2014年7月5日土曜日

「机の中の埋蔵品」


 小学校から高校まで使っていた机の整理をすることになりました。引き出しにはあるわあるわ、今ではガラクタとしか呼べない物の数々・・・。漫画、定期購読していた「中学生文学」、写真、貯金通帳、漫画の模写、雑誌の付録やお菓子のおまけ、リリアンやフェルトの手芸品、昔やなせたかしが監修していた「詩とメルヘン」から気に入った作品を書き写したと思われるメモ帳、笛などなど。

 高校時代(県立の女子高でした。)の図書館報というのもありましたが、校長が寄稿しているタイトルに仰天、なんと「女に学問はいるか?」なのです。これは「女に学問はいらないというのは歴史的事実であった。」に始まり、戦後の女子学生亡国論までの歴史を俯瞰した学問のすすめで効果的な読書法を説いているものでした。いつの時代の話でしょうかと思いましたが、昨今の都議会のセクハラやじ問題を考えると、人の意識はちっとも変っていないのかもしれません。

 もう一つ隔世の感があったのは、小学校と高校という公教育の場で月1回の貯金の集金が行われていたこと。小学校では農協が、高校では地方銀行が学校に来て積み立てができたのです。小学校では100円から500円くらいを毎月預けていた記録がありますが、これは貯蓄や倹約の習慣を身に着けるためのものなのでしょうか。1年で1500円ほどにしかなっていませんが24円も利息がついており今では考えられない高利率です。

 一番おかしかったのは「変人友の会 会員証」。「この会員証を他人に貸与することはできません。」「この会員証には期限がありません。」「会員をやめたい方は幹部に申し出てください。」等の注意書きがあり、幹部には高校時代の級友3名の名前と電話番号が書かれています。写真の代わりに似顔絵が描かれたこの会員証がクラスに何枚配られたのかわかりませんが、ああ、高校生ってほんとにヒマなのね。

 こうして机の中には、おそらく当時は大事であったもの、もしくは捨てるに捨てられなかったものがどんどんたまっていったのです。さてさて、これらをどうしたものでしょうか。

2014年7月2日水曜日

「超高齢化社会の関心事」


 中年を過ぎた人々が集まる場では健康談義に花が咲くのが常ですが、先日会った友人とはさらに一足飛びにその先を行く話題が中心でした。一言でいうと、「自分の葬りは誰がしてくれるのか」という少々ヘビーな話題です。彼女の母堂はご健在ですが一昨年父君を亡くし、本人もご兄弟もお子さんがいないという点では私と状況が同じです。一致した見解は、「葬儀はいらない」および「死後何日も発見されないのは困る」という2点です。

 彼女が「一緒に老人ホームに入ろう。」と言うので笑ったのですが(なにしろ彼女はまだ40代後半)、これから団塊の世代がどんどん高齢化し、高齢者施設に入れずあぶれる人が東京だけでも100万人とも言われていること、さらに数年前から政府が介護付き老人ホームの建設を抑制する方向に転じたこと(時代の要請をまったく無視していると思うのですが、老人の面倒は家族・親族に見させるという方向へ本格的に舵を切ったということでしょう。)などを考えると、我々の世代までの余裕は到底見込めないと思うのです。

 彼女の叔母と義父がそれぞれ入居している老人ホームの話も聞きましたが、施設ごとに特徴があり一長一短といった感じでしょうか。以前、生徒の引率で超高級老人ホームを見学したことがありましたが、個室ではあるもののごく限られた空間に最小限の身の回り品がこぎれいに並んでいるだけのあまりの生活感のなさに思わずぞっとし、自分がこういうところで生活するのは無理だとわかりました。なにしろこれまで好き勝手に自分のペースで暮らしてきたのですから、いろいろな制約に耐えられるはずがないのです。また、亡くなる2か月前まで好きなものを自分で調理し食べていた父を見てきたので、あれが理想的であっぱれだったと思ってしまいます。

 ご夫婦のどちらかが先に亡くなってもお子さんがいる方には切迫感がないと思うのですが、子供がいない場合、法律で決められた火葬と死後の様々な処理は誰かに頼んでおくしかありません。しかし彼女の指摘によると、子供がいても同居でなければ発見が遅れる可能性はあるし、子供の方が先に亡くなることだってあるので結局安心はできないとのこと、なるほど。

 人間の寿命が延びれば延びるほどおひとりさまが増えていくわけですが、その葬りについては手が打たれていないのが実情です。成年後見人制度もありますが、まだまだ不備が多く福祉的な観点が全く欠けているので今のところ使い物になりません。おそらくこれから整備されていかざるを得ない分野だろうと思いますが、その恩恵に浴するにはまずもう少し長生きしなければなりません。

 それにしても、明日の生活もままならないという暮らしをしている人々も世界中にはたくさんいるというのに、平均余命がまだ30年もある人間が葬りについて頭を悩ませている国というのは本当に平和なのでしょう。まあ、今考えても仕方がないと割り切ってできるだけ健康に留意し、楽しく充実した悔いのない毎日を送るのが一番でしょうね。