このところ世間を騒がせた話題が2つありました。S氏のゴーストライター事件とO女史のSTAP細胞捏造疑惑です。前者の記者会見には200以上のメディアが殺到したようで或る外国メディアの参加理由は「おもしろそうだったから。」ということでした。 両者の共通点は「普通こんなことはないだろう」という盲点をついた並外れて非常識な事件であることと、また効率化を最大限に目指す路線を突き進んだなれの果て的様相を呈していることです。
もちろん相違点もあります。前者は人殺しとかではないけれど、「人としてそれはやってはいけないことでしょう。」ということに手を染めてしまったという点です。特に義手の少女や被災地の少女の心を弄び、人々の倫理観や惻隠の情まで利用しつくそうとした点が許せない気持ちにさせます。
後者はわからないことだらけですが、想像してみるに実験中に何か興味深い事象に出会ってしまった(もしくは出会ったと思った)のではないか、その着想を足がかりに発展させた仮説の裏付けを取り始めたことが出発点ではないのでしょうか。全くの想像ですけど。
科学の世界はわかりませんが、文献に限って言えば思いこみから探し始めるとそれを支えてくれる記述は必ず見つかるように思います。そのうち「こうだったらおもしろいのに。」という願望と現実の区別がつかなくなっていくということはままあるように思います。傍から見れば不正な操作でも本人の意識の中ではあくまで捏造ではありません。
ただ今回の件で気になるのは、3年間で研究ノートが2冊だったとされることです。ちょっと何かを書くにしても資料やノートはすぐ膨大になることから考えて一番疑問なのはここです。そもそも彼女がチームリーダーを務めていたそのチームというのはどのような構成でどのような実務を行っていたか聞いた覚えがありません。実験のデータなどはその方々が管理しているのでしょうか。研究環境が明らかにされなければなんとも判断できません。それにしても研究ノートが2冊ってことがあるのでしょうか。本当ならやはりとてもまずい気がします。本人が「この研究は根拠のないことだった。」と悟って捨てる決心をすべきレベルでしょう。少なくとも少し寝かせるとか時間をおく必要があったように思います。
しかしその場合、正規の常勤職員なら問題ないかも(いややはりあるのか、成果をあげられないということは。)しれませんが、そうでない場合は先行きはどうなるのかという問題がでてきます。職場環境は千差万別でしょうが今はどこでも苛烈になっていることは想像に難くありません。キャリアプランとか査定のための自己申告書を書いたことのある人ならわかるでしょうが、ああいったものはある程度実現の見通しのあるものしか書けません。短期での成果を求められる昨今ならなおさらです。5年、10年先に成果が出るかもしれないが今はなんだかわけのわからないものについて書くわけにはいかないのです。ちょっと目端の利く程度の研究ならいざしらず、今隆盛のやり方で偉大な研究がなされる見込みはきわめて少ない気がします。もしそういうものを求めるなら、採算度外視の放し飼い、大半の職員に無駄飯食わせてもしかたないと腹を据えて覚悟の上、真の逸材を発掘するしかないでしょう。やる人は放っておいてもやるのですから。
一人の研究者が一から十まで悪辣で全く偽りの研究をしていたとは思えないし、職場の体制がどうなっていたのか大変不可思議です。最先端の研究を正しく評価できるかどうかが問題なのではなく(そこまで求めるのは酷というもの)、皆が成果主義にとらわれて忙しすぎ、自分が名を連ねた研究論文にも目を通せないほどだったとしたら、根本的に体制を考え直さないといけないだろうなと思います。他大学の共同執筆者はお気の毒だった気がします。
この件はなんだか夢のある話だっただけに、がっかりして疲れてしまったという人も多いでしょう。針のむしろにいるであろう本人に会見が求められているのは致し方ないこととはいえ、女の立つ地平とメディアの立つ論理の地平は全くずれているので、いずれにしてもメディアが求めている「真相」などというものが明らかにされることはないでしょう。