2014年4月12日土曜日

「家の整理」


 このところ、自宅でも実家でも物の整理・処分ばかりしています。自宅の方は退職した時にかなり処分したのですが、その時の基準は「手近に置きたいものを除いて図書館にあるもの、お金で買えるものは処分する。他人が作ったもので貴重なもの、自分で作ったものでも再生が困難なものは残す。」というものでした。書物はほとんどなくなりましたがものを読む気力が低下したせいか支障はありません。他人や自分が作成したプリント類で今残っているものをみると、「あの時はまだこれが必要になるかもしれないと考えていたのか・・・」と思うようなものばかりで、今では全く不要なものです。

 相当昔の海外旅行の資料など何でもとってあったのには自分でも驚きましたが、もう書いて残しておきたいことはだいたい書いたし、これも処分です。自分が死んだ後に残ったら困るもの、昔の書き物や日記、古い郵便物の類も処分です・・・と、まだ終わってはいませんが方針はたちました。

 自分のものはそれでいいのですが、問題は実家の方です。父と母の30年分の品々がうずたかく堆積しています。母が亡くなって12年になりますが、父が生きていたついこの間、母の自転車を処分しようかと聞いたら「まだいい。」と言っていたのですからどれほど困難な仕事かわかっていただけるでしょう。場所を決めて、「今日は押入れのこの部分」、「今日は天袋」とがんばっているのですが、なかなか進みません。

実家での整理方針は、「利用できるものはできるだけ利用するが、どう考えても誰も使わない、役に立たないものは捨てる。」というものです。衣類はかなり捨てましたが、1回だけ「古着deワクチン」を利用しました。これは着払いの送り状を購入して衣類を送ると発展途上国の子供たちにポリオワクチンを寄付できるというものです。

 ダウンの寝具や大量の打ち綿が出てきたときはもったいないのでクッションに作り替え、和紙や母の書いた色紙が出てきたときはふすまを部分的に張り替え、というようなことをしていると、たびたび整理は中断し遅々として進まないのですが、たぶんこれこそが故人を偲ぶという行為なのだろうという気がします。故人が書いた原稿や手帳、故人宛ての郵便物の扱いは困りますが、これも段階的に心を鬼にしてやらねばならないだろうと思っています。