仏教とキリスト教(あるいはプロテスタント神学)との違い
Ⅰ 罪の赦し、贖罪に関して
こうしてみると「人の救い」という点で、浄土真宗とキリスト教はかなり近接していることが分かります。しかし前述の本願ぼこりに関して言えば、「聖書のみ」の立場から見るとやはり違うと言わざるを得ません。というのは例えば、ヨハネによる福音書8章にはこんな話があるからです。姦通の罪で石打の刑に引き出された女をイエスは窮地から救いますが、最後にイエスは女に、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言葉を掛けるのです。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 (ヨハネによる福音書8章3~11節)
また、ローマの信徒への手紙5章20節には、「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」とあり、洋の東西を問わず本願ぼこりのような考え方をする人がいたことを知るのですが、すぐ後の6章1~2節で、「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう」と述べて、パウロはこのような誤った考えを斥けて罪を戒めています。
キリスト教が古代ユダヤ教から生まれたことは歴史的事実で、ユダヤ教における罪とは神との契約(約束、戒め)を破るという意味であり、その契約は律法として旧約聖書に示されています。キリスト教は旧約聖書を受け継ぎながら、イエス・キリスト御自身を新しい契約として新たな救済史を歩み始めました。『讃美歌』の262番に「十字架のもとぞ いとやすけし、神の義と愛の あえるところ」という詞がありますが、これはイエスの十字架刑について適切に示した詞であると思います。この詞は「十字架には神の愛があるから心安らかだ」と言っているのではありません。「十字架は神の義と愛が交わるところだから、心安らかだ」と言っているのです。神は正しい方なので罪をそのまま許すことは出来ません。と同時に、人としても単に「許す」と言われただけではこころさわぐのではないでしょうか。少なくとも私は、「それで私の罪はどうなるのか、罪はどこへ行くのか、そのまま残るのではないか」と不安になります。罪には贖い(あがない、償い)が必要です。それがあって初めて「赦される」のです。そのために神の御子イエス・キリストが遣わされ、その地上における言動は新約聖書に記されています。そこには人間の属性を超えたイエスの地上の生と、イエスがまことの神であることを知って新しく生かされていった人々の姿があります。
ルターは人の罪が贖宥状によって救われるとした当時の教会の在り方に「否」と言い、信仰の規範を「聖書のみ」に求めました。聖書のどこにも贖宥状により救われるという根拠はなく、そもそも人は行いによっては救われ得ず、「生涯絶えず悔い改め、神の御子なる主イエス・キリストによる贖罪を信じる以外に、救いはない」と考え、「信仰のみ」の立場を表明したのです。また、この時代聖書を自分で読める人はほぼ聖職者(学者)だけでしたから、誰でも読めるようにと聖書のドイツ語訳を進めました。こうしてプロテスタント教会が生まれましたが、既存の教会(カトリック)にとってどれほど苦々しく、目障りなものであったか想像に難くありません。
Ⅱ 精神と物質の二元論に関して
浄土真宗において、自分の力で功徳を積むことなどできない、自力による救いはないと気づいた時、阿弥陀仏自らが自分を招いてくれていることを知ることは、どれほど人々に希望をもたらしたことでしょう。先に「阿弥陀仏のことが私にはまだよくわからない」と書きましたが、『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』及び『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』によると、「法性法身(ほっしょう-ほっしん)とは、真如法性のさとりそのものである仏身という意で、人間の認識を超えた無色無形無相の絶対的な真理のことをいう」とあります。大辞泉では「仏陀の肉体に対して、その悟った真如の法を本性とする色も形もない仏」と書かれていますから、これらを考え合わせると、仏はこのままでは見ることも理解することもできず、人と何のコミュニケーションも取れないことになります。そのため、方便法身が生じるのですが、前述の書によると「方便法身とは、衆生を救済するために具体的なかたちあるものとしてあらわれた仏身のことをいう」と書かれています。そしてこの両者は、「法性法身によって方便法身を生じ、方便法身によって法性法身をあらわすという関係であり、また異なってはいるが分けることはできず、一つではあるが同じとすることはできないという関係である」とのことです。つまり、「万物が本来平等一如であるという真如の世界にかえらしめようと、かたちをあらわし御名を垂れ、大悲の本願をもって救済せんとするのが方便法身すなわち阿弥陀仏であるとする」(浄土真宗辞典)というのです。人間には把握しようのない仏が、何らかの形をとって現れるのが阿弥陀仏であると解せられるので、阿弥陀仏とは霊的世界と現実世界とを架橋するもしくは包含する働きをもつ仏なのでしょう。
いずれにせよ、阿弥陀仏の無限の慈悲によりできる限り多くの人を浄土へ往生させるために、様々な手法が用いられ、その中には、「自己の功徳を他の人に振り向けて共に浄土に生まれようと願う」往相回向(おうそうえこう)や、「既に浄土に往生した者が再びこの世に還り、人々を教え導いて共に浄土へ向かう」還相回向(げんそうえこう)という方法があるようです。これらを考え合わせると、やはり浄土真宗では人が往生して仏になったり、再び穢土(この世)に戻って人を助けたりということが普通にあるようです。日本的霊性においては、心身は明確に分けられない行き来可能なものであるという趣旨のことを鈴木大拙も述べていましたので、こういったことは何の不思議もないことなのでしょう。
この点、キリスト教においては人が神になることは決してなく、ただ、「神の独り子イエス・キリストが歴史上一度だけ人としてこの世に降り、人として生きて、十字架の死により世人の罪を贖い、復活して天に上った」と、キリスト者は信じています。復活は体を伴ったものですが、その体とはヨハネによる福音書20章19節によれば次のようなものです。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。」 (ヨハネによる福音書20章19節)
ここでは、イエスは鍵をかけていた家にすっと入って来られたのですから、体といっても何かしら霊的な体と考えざるを得ません。鈴木大拙は西洋思想を精神と物質の二元論でとらえているようですが、キリスト教が必ずしも心身二元論であるとは言い切れないのです。
復活後のイエスのことは、ルカによる福音書24章13~32節のエマオ途上での出来事にも記されます。エマオまでの道を行く二人の弟子は、途中から同行した主エスと相当長い時間会話しながら歩いたにもかかわらず、同行者が主イエスだとは気づかずにいます。ところが宿泊することになり、一緒に食事の席に着いて、イエスがパンを取り、賛美の祈りをし、パンを裂いて渡した途端に、その人がイエスだと分かります。そして同時に、その姿が見えなくなるのです。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 (ルカによる福音書24章13~32節)
Ⅲ 輪廻と復活、あるいは時間意識に関して
先に「人が死ねば仏になる」というのが仏教の特徴ではないかと書きましたが、この根底には六道輪廻からの解放の願いがあるように思います。仏教誕生の地インドの思想に、「生物はその業の応報によって永劫に生まれ変わる」という輪廻転生の根本概念があります。虫や水牛に生まれ変わっても平気と言う僧もいたようですが、普通の人はこの輪廻の環から解放される解脱を願ったでしょう。因果応報の法則があるからこそ少しでも功徳を積んで解脱したい、浄土へ行きたいと願うわけです。
一方、前述のエマオでの出来事は非常に印象的で不思議な場面ですが、私には「その方がイエスだと分かった途端にその姿が見えなくなる」というのはキリスト教信仰の本質なのではないかと思えます。「キリストの復活」を信じがたいと感じる人は多いことでしょうが、キリストが十字架の死を遂げて復活し、天に上げられることがなければ、世にキリスト者は一人も生まれなかったはずです。なぜなら、神からの聖霊が降ることなしに、肉なる身体を生きる人がキリストを信じることはできず、キリストの死と復活なしには、人に聖霊が降るようになることはなかったからです。弟子たちでさえ復活後のイエスに出会っても始めはそれと分からなかったのですが、聖霊によってイエスが復活された神の御子であることが分かるやいなや、その体は見えなくなりました。その後は父であり、御子イエスでもある神なる聖霊が、この信じがたい出来事を信じる者たちに降って、この世にキリスト者が生まれていったのです。
キリスト者にとって恐らく仏教の輪廻思想ほど縁遠く、理解困難なものはないだろうと思います。キリスト者は、キリストの降誕、十字架の死および復活は歴史上一度だけ起きたことと信じており、時間が永遠に回帰するということ自体全く理解の外にあります。仏教とキリスト教の違いはもしかすると二元論かどうか以上に、根源的には時間理解(閉じている円環型か、閉じていない直線もしくは螺旋型か)に拠るところが大きいように思えてなりません。
Ⅳ 大地の霊性に関して
鈴木大拙は『日本的霊性』の中で、「日本的霊性は大地を離れられぬ」と述べました。これは日本に限ったことではなく、霊性や宗教は必ず土地に根ざしたところから生まれてくるものでしょう。そうでなく生じた宗教はいつか消えていくものです。しかし大地にもいろいろあって、日本のような豊かな大地と中近東の砂漠や荒野では全く事情が違います。別な本で鈴木大拙は「ヨーロッパのそこここの道端でキリスト磔刑の十字架像を見ると、どうにも残酷だと感じる」という趣旨のことを述べていますが、この感覚は私もよく分かります。日本のプロテスタント教会はそもそも何であれ偶像を遠ざけますので、象徴的に十字架のみを掲げ、カトリックのような磔刑像はありません。私もカトリックの連れ合いから十字架像をもらった時は違和感を拭えませんでした。また、『讃美歌21』の436番について、メロディは美しいのにあまり好きになれないと感じていた理由もこれに関係しています。「『十字架の血に 救いあれば、来たれ』との声を われはきけり/ 主よ、われは いまぞゆく、十字架の血にて きよめたまえ」という詞で、「どうしてことさら『血』という語を2回も使うのだろう。気持ち悪いな」と思っていたのです。しかし今は、人の罪(というか自分の罪)というものは、神の御子が筆舌に尽くしがたい苦しみの後に、傷つき血を流すことがなければ到底赦されないものなのだと、ようやく分かるような歳になりました。そして、リアルに残酷なものを避けたいという感覚は私だけのものではなく、ともすれば情緒に流される日本的感覚であろうという例は、たとえば『讃美歌』267番に見られます。この讃美歌は宗教改革者ルターの作詞・作曲によるもので、その4節は、「暗きのちからの よし防ぐとも、 主のみことばこそ 進みにすすめ。 わが命も わがたからも とらばとりね、 神のくには なお我にあり」という詞です。この「わがたから」は原文では「わが妻」であり、恐らく編集時に「それではあんまりだ」という意見が出て、やんわりとオブラートに包むような言葉に修正されたのでしょう。ここには山上憶良的感受性から来る家族愛(こういうのも私は大好きですが)の痕跡が見られます。しかし、「たから」と言えば「財産」と誤解されかねない懸念があります。自分の行為の結果、それを嫌い憎む者が家族に危害を加えることは苦痛の最たるものですが、この讃美歌を作ったルターの信仰はもはやそのようなことさえ超克したレベルにあったのです。この厳しさはまさしく荒野ならではの霊性から来たものであり、日本には無いものでしょう。その証のように、浄土宗の五逆の罪の四番目は「仏身を傷つけて血を出す」ことです。神の御子が体を傷つけられ血を流して死んだなどということがどれほど非道なことであるか、そしてそれ無しに人が救われることはないと考えるキリスト教は、日本的霊性にとっていかに異質なものかについてはこれ以上言葉を弄する必要はないでしょう。
Ⅴ 創造主なる神と被造物の自由意志に関して
もう一つ、仏教というか、日本的霊性が覚醒した鎌倉仏教の土壌とキリスト教の大きな違いについて指摘したい点があります。『古事記』を読んだとき真っ先に感じたこととして、日本には天地創造という観念はなく、或る意味、すでに初めから存在する現実的生活が出発点になっているのだなという印象が強くありました。この現実感覚は平安時代に「もののあわれ」という方向に著しく陶冶され、それが日本人の情緒の基盤を形成したと言ってよいでしょう。この点キリスト教は全く異なっています。すなわち、「光あれ」と言って光を在らしめた「創造主なる神」から全てが始まるのであり、、「初めに言葉があった」という以上、その世界は情緒的感覚を中心に形作られた世界とは、言うなれば、ねじれの関係にあるのです。現在でも欧米人と日本人の間で話が噛み合わない場合、そのような原因に根ざしていることが多いように思います。
後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102編19節)
ここから人間の自由意志が生まれてきたと言ってよいと思います。なぜなら、神が単に儀礼的・機械的に自分を賛美する人間を造るはずがなく、様々な選択の自由がある中で、神を礼拝し、喜んでその御旨を行うことを選ぶ人間を創造したはずだからです。「神の似姿」という言葉がありますが、「創世記」において、ごく初めの天地創造の段階から神が人をそのように造ったことが記されています。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 (創世記1章26節)
「我々」という複数形の語や誤解されがちな「支配」の意味に今は踏み込みませんが、神がご自分に似せて人を造ったという以上、人は本来神の法に適った行動をとれる人格をもったものとして造られたのです。実際、やむを得ず悪事に手を染めても誰も非難できないような極限状況においてさえ、自由意志により悪を選ばない人もいますし、それまではできなかったのに何らかの理由でそれができるようになる場合もあります。平安のうちに一日一日を過ごせることほど幸いなことはありませんが、それはどのような平安かと言えば、「あなた(神)は私たちを、ご自身に向けておつくりになったので、私たちの心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」(アウグスティヌス『告白』)という類いの平安です。これは、歳を重ねて私も心底から同意できる言葉です。人は意識すると否とにかかわらず、本性的にそのようなものとして造られたからです。イエス・キリストがご自分の命と引き換えに、全ての人を神に引き渡してくださったので、元来御前に顔を上げ得ない人間が、「私」を造られた方(ということは親ということですが)に対して、「父なる神様」と気安く話しかけることができるというのは信じがたいことです。しかし、聖書を通して語られる御言葉を信じ、「天の父よ」と祈ることができる時、アウグスティヌスならずとも、人は確かに真の憩いと安らぎを得られるのです。
以上、浄土真宗を中心に仏教とキリスト教について考えてきました。確かに浄土真宗では阿弥陀仏の無限の慈悲により、キリスト教では悔い改めによるキリストへの信仰により、いかなる罪、悪行からも救われると信じる点は酷似しています。しかし、これまで述べた5つの相違点を考え合わせると、やはり仏教とキリスト教の間には千里の径庭があると感じます。もっとも仏教に関して私はまだまだ全くの勉強不足ですので、ここまでを取り敢えず知り得たことから考えた今現在のまとめと致します。