2022年5月30日月曜日

「狂騒のテレビ、ラジオの作法」

  テレビから遠ざかってラジオ生活になり、気づいたこととして、「ラジオはメディアの中ではストレスが少ない」ということがあります。テレビと違い、「今日のニュースの項目はこちらです」といった指示語が無いので聞いているだけで完結するからばかりでなく、「無駄に心が乱されない生活」ができると感じます。ラジオ生活になるまでは、テレビがこれほど煽情的なメディアとは思っていませんでした。何よりラジオのアナウンサーや出演者は抑制が効いていて、気分よく聞いていられます。私の感じとしては、ニュースも簡潔で変な解説が無いし、正確な事実だけ教えてくれます。朝は天気予報が頻繁に聞けるし、交通情報も詳しくわかり、どこへ行くわけでもない全くの外野なのに、「へえー、今はあのへんが渋滞か」などと、なんだか楽しい。また、ラジオとの違いで顕著なのは、テレビは犯罪のニュース報道が多すぎるということです。テレビで煽り運転の詳細などを聞いて「世の中にはいろいろな人がいるんだな、気を付けなくちゃ」と思うことは確かにありますが、四六時中事件の報道があると、日本中で毎日凶悪犯罪が起きているのかと誤解を与えている面もあるのではないでしょうか。きっと視聴率が取れるのでしょう。あくまで「日本の犯罪発生率は世界でも最低レベル」という事実を踏まえておかないと、こちらも不安を文字通り煽られてしまいます。

 とはいえ、犯罪は世の中を知る格好の教材です。最近の話題はアブ町(耳で聞いていると感じが分からない。阿武隈川の最初の二文字かな)の誤送金事件でしょう。「フロッピーってまだあったのか」とまず大笑い、それからこの前時代的記憶媒体が公的機関で使用されているという問題の根深さを大いに考えさせられました。当初はあまりに面白いので、朝晩のニュースを注意して聞いているだけでしたが、誤送金されてしまった人(この時点では被害者?)のことがわかるにつれ、ほとんどテレビはお祭り状態になっていきました。事件に関わる報道を見守っている自分も含めて、「こういう視聴者がいるからますますテレビは煽情的になるんだな」と反省しつつも、展開の早い事件をフォローし続けました。

 誤送金された人が全額ネットカジノで使ったのかどうかの真相はわかりませんが、被害者が相当怒っていたのは確かです。想像ですが、たまたまではなく自分が狙い撃ちされたのではないかとの疑惑、町の態度が次第に高圧的になり、侮辱を受けたと感じられる出来事等が高じた結果、犯罪の要件を明確に自覚しつつ、「打撃を与えてやろうと思った」というところまで行ってしまったのかもしれません。そして、こういう心の動きは普段から不遇感がある人には珍しくないことかもしれないのです。本来小さな町なら、「今度から気を付けてくださいよ」「はい、すみませんでした」で済むことだったことかもしれません(町に甘すぎだけど)。、もちろんどんな場合でも犯罪に手を染めない人がほとんどなのでしょうが、こんな形で試されて罪を犯してしまった若者が気の毒です。

 今回の騒動の最も大きな成果は、当初の「回収はほぼ無理だろう」との見通しに反し、9割以上のお金が戻ってきたことにより、国税徴収法の威力が世に知らされたことです。現場実録「税金滞納で家財を差し押さえ」といったテレビ番組からの情報とは違い、場合によっては「超過差押の禁止」も何のその、何が起こってもおかしくない国税徴収の対応があり得るとのメッセージを、日本の全住民は衝撃をもって受け取ったことでしょう。(国税徴収法では差し押さえる範囲について、第六十三条に「徴収員は、債権を差し押さえるときは、その全額を差し押さえなければならない。・・・」とあるのです。)記者会見で中山弁護士は、「(決済代行業者が)なぜか満額を払ってきた」ととぼけたことを語っていましたが、国税徴収法以外に「犯罪による収益の移転防止に関する法律」や「マネー・ロンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」などを駆使して関係各所に対応を求めたことは間違いなく、今回のアッと驚く結果となりました。恐らく日本の住民に「絶対に税金は滞納してはならない」と印象付け、また「税金滞納者と取引きしたら大変なことになる」と、グレーゾーンで商売をしている業者を心底戦慄させたことでしょう。しかも、この法律は地方税や社会保険料にも準用されていて、その徴収にも使われているようです。国民年金保険料の未納者などは少なくないと言われていますので、結局、今回の事件で一番得したのは国税庁をはじめ国家が決定したお金の徴収権を持つ官公庁だったのではないでしょうか。


2022年5月27日金曜日

「天候と健康」

   夜が明けるのが早くなると自然とうれしくなり、早朝の散歩も無理なく続けられています。先日の通院では前月の検査結果を受けて「四月にしては良い状態」とのこと、パアーッと気持ちが明るくなりました。このままの状態なら減薬できるかもしれないと言われ、鼻歌を歌いたいくらい・・・、現金なものです。毎日ウォーキングしてるし、ラジオ体操も欠かさない、鉄卵の白湯を飲んでるし、食事や睡眠も気を遣っている・・・。しかし、それらは結局のところほとんど天候・気候に支えられてできていることなのです。

 ここ数年、個人的に天候に対する関心が高まっています。単にその日その日の気温や降水、日差しの強さによって外出等の行動が影響を受けるためばかりではなく、そういった要素がこれほど体調に顕著な変化を与えるとは知らなかったからです。「寒い」とか「蒸し暑い」と感じても平気で予定通り動けた頃とは違い、これまでたゆまず動いてくれた体は、降り積もった年月の間に、気候・天候変化に応じ、手や指の関節が痛む、膝や腰が痛い、体がだるい、といったあからさまな不具合の症状にすぐさまつながるようになりました。

 鬱々とした冬が終わり、よい季節になったなと思ったのもつかの間、このところすでに夏を思わせる暑さとなってきました。人間にとって過ごしやすい気候・天候の時期がとみに短くなっていると思うのは私だけではないでしょう。いよいよ日ごとの天候・気温チェックが欠かせなくなっています。今年はどんな夏になるんでしょ、あんまりの酷暑は勘弁してほしいな。さ、雨は何時に止むのやら、今日もまず1時間天気のチェックからです。


2022年5月23日月曜日

「巧妙化する偽メール」

 以前電子メールについて、「偽メールに侵食されて、やがてメールという便利な通信手段が消滅していくだろう」という趣旨のことを書きました。今では登録してある友人・知人からのメールと、自分でアクションを起こした通販会社からの返信メール以外は読まなくなり、様々なカード類、通信・交通・金融企業からの緊急連絡メールは片っ端から迷惑メールに分類してサクサクと処理しています。迷惑メールに分類しても相手方には何の通知も送られることはないと知ってがっかりですが、逆に相手を刺激する(この宛先は「生きている」と相手を元気づかせる)こともないので、目障りなものはどんどん消しています。迷惑メールは3年で900通ほどになっていました。「緊急」「アカウント」「無効」「追加サービスが無料」「確認メール」といったキーワードは自ら偽メールであることを教えてくれています。「ポイント」云々は本当の場合もあるようですが、別に要らないので無視。いずれにしてもメールの本文には触れず、いったん閉じてから、ホームページを通して確かめればいいのです。

 ところが最近新手の偽メールが登場しました。某通販サイトの名で「あなたのクレジット番号で以下の方より注文がありました。普段と違う使われ方なので通知します」という旨のメールで、注文者の氏名と住所(関東近県)、注文品と価格(9万円程度)が書いてあります。実在する人・実在する住所かどうか分かりませんが、ぎょっとしたのは確かです。すぐメールを閉じて、通販サイトのホームページから注文履歴を確かめました。自分が注文した以外の履歴はありません。つまり偽メールなのです。念のためもう一度メールを開き、これまで自分が注文した時の、本物の「ご注文の確認」メールと比べてみると、まず「〇〇〇〇様」という私の名前のところが「△△△△△△(メールアドレス)様」となっており、相手は「私が誰であるか」を特定できていないことが一目瞭然です。また、本物はどのクレジット会社のカードで注文されたかが載っていますが、偽物の方はただ「クレジット」としか書いてありません。どの会社のクレジットカードを使用しているかも特定できていないのです。当該メールをすぐ迷惑メールに追加しましたが、これは今までより一段階巧妙な仕掛けになっていると認識を新たにしました。同じメールを受け取った人が、当該メールに乗っていた名前と住所に連絡をとらなければよいが・・・と心配になりました。

 もう一件は、別の通販サイトから来た「ご注文の確認」メールです。一見普段のものと変わらない体裁ですが、問題は、その直前の数日間に私は何も注文していないということでした。たとえ注文後に来たメールでも、私の場合「あ、確認メールが来たな」と眺めるだけで終わりですが、もしかすると本文をクリックして確かめる人もいることを狙っての偽メールかも知れません。こちらも念のためホームページから注文履歴を確認しましたが、覚えのあるもの以外注文された形跡はありませんでした。このメールも迷惑メールに追加です。

 本当に恐ろしい時代です。もはや「来るメールは全て偽メールと心せよ」ということなのでしょうか。警察関係の方に願うことは、このような一般人を陥れようとするメールは国家の基盤を突き崩すものなのですから、サイバー犯罪関係の人材や取り締まり機能を充実させて、被害に遭う人を一人でも少なくしてほしいということです。また、電子メールという通信方法のプラットフォームを提供しているインターネット企業に対しても、「手をこまねいていないでちゃんと対処しなさい」と、憤りを禁じ得ません。どんな差し障りがあるのか、ないのか、私には分かりませんが、各国の警察とタッグを組んで真面目に取り組んでほしいです。今回私が送られた偽メールについても、警察のどこかに連絡するような場所があるのでしょうか。多くの方の強力があれば犯人を突き止めることができるということはないのでしょうか。こういうことに疎い人でも協力する意志はあるので、そういった広報活動もしていただきたいです。


2022年5月18日水曜日

日本的メンタリティ ―仏教とキリスト教(3)―

仏教とキリスト教(あるいはプロテスタント神学)との違い

Ⅰ 罪の赦し、贖罪に関して

 こうしてみると「人の救い」という点で、浄土真宗とキリスト教はかなり近接していることが分かります。しかし前述の本願ぼこりに関して言えば、「聖書のみ」の立場から見るとやはり違うと言わざるを得ません。というのは例えば、ヨハネによる福音書8章にはこんな話があるからです。姦通の罪で石打の刑に引き出された女をイエスは窮地から救いますが、最後にイエスは女に、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言葉を掛けるのです。

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 (ヨハネによる福音書8章3~11節)

 また、ローマの信徒への手紙5章20節には、「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」とあり、洋の東西を問わず本願ぼこりのような考え方をする人がいたことを知るのですが、すぐ後の6章1~2節で、「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう」と述べて、パウロはこのような誤った考えを斥けて罪を戒めています。

 キリスト教が古代ユダヤ教から生まれたことは歴史的事実で、ユダヤ教における罪とは神との契約(約束、戒め)を破るという意味であり、その契約は律法として旧約聖書に示されています。キリスト教は旧約聖書を受け継ぎながら、イエス・キリスト御自身を新しい契約として新たな救済史を歩み始めました。『讃美歌』の262番に「十字架のもとぞ いとやすけし、神の義と愛の あえるところ」という詞がありますが、これはイエスの十字架刑について適切に示した詞であると思います。この詞は「十字架には神の愛があるから心安らかだ」と言っているのではありません。「十字架は神の義と愛が交わるところだから、心安らかだ」と言っているのです。神は正しい方なので罪をそのまま許すことは出来ません。と同時に、人としても単に「許す」と言われただけではこころさわぐのではないでしょうか。少なくとも私は、「それで私の罪はどうなるのか、罪はどこへ行くのか、そのまま残るのではないか」と不安になります。罪には贖い(あがない、償い)が必要です。それがあって初めて「赦される」のです。そのために神の御子イエス・キリストが遣わされ、その地上における言動は新約聖書に記されています。そこには人間の属性を超えたイエスの地上の生と、イエスがまことの神であることを知って新しく生かされていった人々の姿があります。

 ルターは人の罪が贖宥状によって救われるとした当時の教会の在り方に「否」と言い、信仰の規範を「聖書のみ」に求めました。聖書のどこにも贖宥状により救われるという根拠はなく、そもそも人は行いによっては救われ得ず、「生涯絶えず悔い改め、神の御子なる主イエス・キリストによる贖罪を信じる以外に、救いはない」と考え、「信仰のみ」の立場を表明したのです。また、この時代聖書を自分で読める人はほぼ聖職者(学者)だけでしたから、誰でも読めるようにと聖書のドイツ語訳を進めました。こうしてプロテスタント教会が生まれましたが、既存の教会(カトリック)にとってどれほど苦々しく、目障りなものであったか想像に難くありません。


Ⅱ 精神と物質の二元論に関して

 浄土真宗において、自分の力で功徳を積むことなどできない、自力による救いはないと気づいた時、阿弥陀仏自らが自分を招いてくれていることを知ることは、どれほど人々に希望をもたらしたことでしょう。先に「阿弥陀仏のことが私にはまだよくわからない」と書きましたが、『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』及び『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』によると、「法性法身(ほっしょう-ほっしん)とは、真如法性のさとりそのものである仏身という意で、人間の認識を超えた無色無形無相の絶対的な真理のことをいう」とあります。大辞泉では「仏陀の肉体に対して、その悟った真如の法を本性とする色も形もない仏」と書かれていますから、これらを考え合わせると、仏はこのままでは見ることも理解することもできず、人と何のコミュニケーションも取れないことになります。そのため、方便法身が生じるのですが、前述の書によると「方便法身とは、衆生を救済するために具体的なかたちあるものとしてあらわれた仏身のことをいう」と書かれています。そしてこの両者は、「法性法身によって方便法身を生じ、方便法身によって法性法身をあらわすという関係であり、また異なってはいるが分けることはできず、一つではあるが同じとすることはできないという関係である」とのことです。つまり、「万物が本来平等一如であるという真如の世界にかえらしめようと、かたちをあらわし御名を垂れ、大悲の本願をもって救済せんとするのが方便法身すなわち阿弥陀仏であるとする」(浄土真宗辞典)というのです。人間には把握しようのない仏が、何らかの形をとって現れるのが阿弥陀仏であると解せられるので、阿弥陀仏とは霊的世界と現実世界とを架橋するもしくは包含する働きをもつ仏なのでしょう。 

 いずれにせよ、阿弥陀仏の無限の慈悲によりできる限り多くの人を浄土へ往生させるために、様々な手法が用いられ、その中には、「自己の功徳を他の人に振り向けて共に浄土に生まれようと願う」往相回向(おうそうえこう)や、「既に浄土に往生した者が再びこの世に還り、人々を教え導いて共に浄土へ向かう」還相回向(げんそうえこう)という方法があるようです。これらを考え合わせると、やはり浄土真宗では人が往生して仏になったり、再び穢土(この世)に戻って人を助けたりということが普通にあるようです。日本的霊性においては、心身は明確に分けられない行き来可能なものであるという趣旨のことを鈴木大拙も述べていましたので、こういったことは何の不思議もないことなのでしょう。

 この点、キリスト教においては人が神になることは決してなく、ただ、「神の独り子イエス・キリストが歴史上一度だけ人としてこの世に降り、人として生きて、十字架の死により世人の罪を贖い、復活して天に上った」と、キリスト者は信じています。復活は体を伴ったものですが、その体とはヨハネによる福音書20章19節によれば次のようなものです。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。」 (ヨハネによる福音書20章19節)

 ここでは、イエスは鍵をかけていた家にすっと入って来られたのですから、体といっても何かしら霊的な体と考えざるを得ません。鈴木大拙は西洋思想を精神と物質の二元論でとらえているようですが、キリスト教が必ずしも心身二元論であるとは言い切れないのです。

 復活後のイエスのことは、ルカによる福音書24章13~32節のエマオ途上での出来事にも記されます。エマオまでの道を行く二人の弟子は、途中から同行した主エスと相当長い時間会話しながら歩いたにもかかわらず、同行者が主イエスだとは気づかずにいます。ところが宿泊することになり、一緒に食事の席に着いて、イエスがパンを取り、賛美の祈りをし、パンを裂いて渡した途端に、その人がイエスだと分かります。そして同時に、その姿が見えなくなるのです。

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」  イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 (ルカによる福音書24章13~32節)


Ⅲ 輪廻と復活、あるいは時間意識に関して

 先に「人が死ねば仏になる」というのが仏教の特徴ではないかと書きましたが、この根底には六道輪廻からの解放の願いがあるように思います。仏教誕生の地インドの思想に、「生物はその業の応報によって永劫に生まれ変わる」という輪廻転生の根本概念があります。虫や水牛に生まれ変わっても平気と言う僧もいたようですが、普通の人はこの輪廻の環から解放される解脱を願ったでしょう。因果応報の法則があるからこそ少しでも功徳を積んで解脱したい、浄土へ行きたいと願うわけです。

 一方、前述のエマオでの出来事は非常に印象的で不思議な場面ですが、私には「その方がイエスだと分かった途端にその姿が見えなくなる」というのはキリスト教信仰の本質なのではないかと思えます。「キリストの復活」を信じがたいと感じる人は多いことでしょうが、キリストが十字架の死を遂げて復活し、天に上げられることがなければ、世にキリスト者は一人も生まれなかったはずです。なぜなら、神からの聖霊が降ることなしに、肉なる身体を生きる人がキリストを信じることはできず、キリストの死と復活なしには、人に聖霊が降るようになることはなかったからです。弟子たちでさえ復活後のイエスに出会っても始めはそれと分からなかったのですが、聖霊によってイエスが復活された神の御子であることが分かるやいなや、その体は見えなくなりました。その後は父であり、御子イエスでもある神なる聖霊が、この信じがたい出来事を信じる者たちに降って、この世にキリスト者が生まれていったのです。

 キリスト者にとって恐らく仏教の輪廻思想ほど縁遠く、理解困難なものはないだろうと思います。キリスト者は、キリストの降誕、十字架の死および復活は歴史上一度だけ起きたことと信じており、時間が永遠に回帰するということ自体全く理解の外にあります。仏教とキリスト教の違いはもしかすると二元論かどうか以上に、根源的には時間理解(閉じている円環型か、閉じていない直線もしくは螺旋型か)に拠るところが大きいように思えてなりません。


Ⅳ 大地の霊性に関して

 鈴木大拙は『日本的霊性』の中で、「日本的霊性は大地を離れられぬ」と述べました。これは日本に限ったことではなく、霊性や宗教は必ず土地に根ざしたところから生まれてくるものでしょう。そうでなく生じた宗教はいつか消えていくものです。しかし大地にもいろいろあって、日本のような豊かな大地と中近東の砂漠や荒野では全く事情が違います。別な本で鈴木大拙は「ヨーロッパのそこここの道端でキリスト磔刑の十字架像を見ると、どうにも残酷だと感じる」という趣旨のことを述べていますが、この感覚は私もよく分かります。日本のプロテスタント教会はそもそも何であれ偶像を遠ざけますので、象徴的に十字架のみを掲げ、カトリックのような磔刑像はありません。私もカトリックの連れ合いから十字架像をもらった時は違和感を拭えませんでした。また、『讃美歌21』の436番について、メロディは美しいのにあまり好きになれないと感じていた理由もこれに関係しています。「『十字架の血に 救いあれば、来たれ』との声を われはきけり/ 主よ、われは いまぞゆく、十字架の血にて きよめたまえ」という詞で、「どうしてことさら『血』という語を2回も使うのだろう。気持ち悪いな」と思っていたのです。しかし今は、人の罪(というか自分の罪)というものは、神の御子が筆舌に尽くしがたい苦しみの後に、傷つき血を流すことがなければ到底赦されないものなのだと、ようやく分かるような歳になりました。そして、リアルに残酷なものを避けたいという感覚は私だけのものではなく、ともすれば情緒に流される日本的感覚であろうという例は、たとえば『讃美歌』267番に見られます。この讃美歌は宗教改革者ルターの作詞・作曲によるもので、その4節は、「暗きのちからの よし防ぐとも、 主のみことばこそ 進みにすすめ。 わが命も わがたからも とらばとりね、 神のくには なお我にあり」という詞です。この「わがたから」は原文では「わが妻」であり、恐らく編集時に「それではあんまりだ」という意見が出て、やんわりとオブラートに包むような言葉に修正されたのでしょう。ここには山上憶良的感受性から来る家族愛(こういうのも私は大好きですが)の痕跡が見られます。しかし、「たから」と言えば「財産」と誤解されかねない懸念があります。自分の行為の結果、それを嫌い憎む者が家族に危害を加えることは苦痛の最たるものですが、この讃美歌を作ったルターの信仰はもはやそのようなことさえ超克したレベルにあったのです。この厳しさはまさしく荒野ならではの霊性から来たものであり、日本には無いものでしょう。その証のように、浄土宗の五逆の罪の四番目は「仏身を傷つけて血を出す」ことです。神の御子が体を傷つけられ血を流して死んだなどということがどれほど非道なことであるか、そしてそれ無しに人が救われることはないと考えるキリスト教は、日本的霊性にとっていかに異質なものかについてはこれ以上言葉を弄する必要はないでしょう。


Ⅴ 創造主なる神と被造物の自由意志に関して

 もう一つ、仏教というか、日本的霊性が覚醒した鎌倉仏教の土壌とキリスト教の大きな違いについて指摘したい点があります。『古事記』を読んだとき真っ先に感じたこととして、日本には天地創造という観念はなく、或る意味、すでに初めから存在する現実的生活が出発点になっているのだなという印象が強くありました。この現実感覚は平安時代に「もののあわれ」という方向に著しく陶冶され、それが日本人の情緒の基盤を形成したと言ってよいでしょう。この点キリスト教は全く異なっています。すなわち、「光あれ」と言って光を在らしめた「創造主なる神」から全てが始まるのであり、、「初めに言葉があった」という以上、その世界は情緒的感覚を中心に形作られた世界とは、言うなれば、ねじれの関係にあるのです。現在でも欧米人と日本人の間で話が噛み合わない場合、そのような原因に根ざしていることが多いように思います。

後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102編19節)

 ここから人間の自由意志が生まれてきたと言ってよいと思います。なぜなら、神が単に儀礼的・機械的に自分を賛美する人間を造るはずがなく、様々な選択の自由がある中で、神を礼拝し、喜んでその御旨を行うことを選ぶ人間を創造したはずだからです。「神の似姿」という言葉がありますが、「創世記」において、ごく初めの天地創造の段階から神が人をそのように造ったことが記されています。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 (創世記1章26節)

 「我々」という複数形の語や誤解されがちな「支配」の意味に今は踏み込みませんが、神がご自分に似せて人を造ったという以上、人は本来神の法に適った行動をとれる人格をもったものとして造られたのです。実際、やむを得ず悪事に手を染めても誰も非難できないような極限状況においてさえ、自由意志により悪を選ばない人もいますし、それまではできなかったのに何らかの理由でそれができるようになる場合もあります。平安のうちに一日一日を過ごせることほど幸いなことはありませんが、それはどのような平安かと言えば、「あなた(神)は私たちを、ご自身に向けておつくりになったので、私たちの心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」(アウグスティヌス『告白』)という類いの平安です。これは、歳を重ねて私も心底から同意できる言葉です。人は意識すると否とにかかわらず、本性的にそのようなものとして造られたからです。イエス・キリストがご自分の命と引き換えに、全ての人を神に引き渡してくださったので、元来御前に顔を上げ得ない人間が、「私」を造られた方(ということは親ということですが)に対して、「父なる神様」と気安く話しかけることができるというのは信じがたいことです。しかし、聖書を通して語られる御言葉を信じ、「天の父よ」と祈ることができる時、アウグスティヌスならずとも、人は確かに真の憩いと安らぎを得られるのです。


 以上、浄土真宗を中心に仏教とキリスト教について考えてきました。確かに浄土真宗では阿弥陀仏の無限の慈悲により、キリスト教では悔い改めによるキリストへの信仰により、いかなる罪、悪行からも救われると信じる点は酷似しています。しかし、これまで述べた5つの相違点を考え合わせると、やはり仏教とキリスト教の間には千里の径庭があると感じます。もっとも仏教に関して私はまだまだ全くの勉強不足ですので、ここまでを取り敢えず知り得たことから考えた今現在のまとめと致します。


2022年5月16日月曜日

日本的メンタリティ ―仏教とキリスト教(2)―

親鸞とその信心

 さて他方親鸞の出自ですが、知らずにいて仰天したのは、親鸞が源氏の親族で、源頼朝の甥にあたるということです。そして、保元の乱において崇徳上皇方の軍として戦い敗れた源為義は、源頼朝の祖父であり、保元の乱で相手方・後白河天皇の軍として戦った長男の源義朝の手で処刑されています。つまり源頼朝の父(親鸞の立場からすれば祖父)の義朝は父殺しをした人だったのです。

 これを知った時、私の中で多くのことが氷解しました。親殺しはどんな宗教、どんな社会でも重罪ですが、特に浄土宗ではそうです。浄土教の根本経典である『大無量寿経』には、四十八願という48の願がありますが、これは法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が仏に成るための修行に先立って立てた願のことです。(阿弥陀仏とは何か、まだ私にはよく分かっていませんが、この時代から百年後くらいに書かれた『徒然草』の243段「八つになりし時」には、子供の頃の兼好法師が「仏は如何なるものにか候ふらん」と問うと、父が「仏には人のなりぬるなり」と答えたという話があるので、そのように考えられていたのかと思います。もっともこの話は最初の答え方のせいで、父がドツボにはまる話でしたから、「人が仏になる」という理解でよいのかわかりません。)

 四十八願の第十八願は特に有名で、『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』の現代語訳によると、「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます」との願で、阿弥陀仏がいかに真摯に全ての人を浄土に救い入れたいと願われていたか察せられる言葉ですが、それでも五逆の罪を犯した者は救われないと言っているのです。五逆の罪とは、父を殺す、母を殺す、阿羅漢(=最高位の仏教修行者)を殺す、仏身を傷つけて血を出す、僧の和合を破る(=教団を分裂させる)の五つで、父殺しはその筆頭の大罪です。親鸞にとって祖父がその罪を犯しているとなれば、その血が自分にも流れていることを認めないわけにはいかなかったのではないでしょうか。紀元前5世紀のインドで父王を殺した阿闍世王に関して、教義的に救われる道はないかと探求した親鸞の強い思いもこれで理解できました。血統というものは自分ではどうにもならないのですから、この視点から眺めると「悪人正機」までの飛躍も納得できます。

 浄土宗を信じて法然同様流罪となり、大地に這いつくばって生きる民と生活を共にして、親鸞の信心はなおさら強まったのでしょう。親鸞は、信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰もが救われるという信心をさらに発展させて、「信じきれない」ことについての問いへと深化させていきます。『歎異抄』に、「念仏を唱えても喜びが起こらない。また、急いで浄土へ行きたいとも思わない」という弟子の唯円に対し、親鸞が「私も不審に思っていたが、お前もそうであったか」と答える箇所がありますが、信仰者としての親鸞の度量と包容力を感じ、実は私はここを『歎異抄』の白眉なのではないかと思うほどです。(原文:念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん」 と申しいれて候いしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり。) そして親鸞はさらに驚くべきことを口にします。「大喜びすべきところを喜べないのだから、なおさら往生は間違いない。喜べないのは煩悩のせいであるが、阿弥陀仏は何もかもご承知の上で煩悩具足の凡夫を助けるとおっしゃったのだから、まさしく他力の悲願は私たちのような者のためであったのだ、とわかっていよいよ頼もしく思った」と言うのです。(原文:よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどに喜ぶべきことを 喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思いたまうべきなり。喜ぶべき心を抑えて喜ばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたる ことなれば、他力の悲願は、かくのごときの我らがためなりけり と知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり。) これによれば、信じられなくても阿弥陀仏が救ってくださるのであるから、これ以上のことはありません。「信じられない心=悪心」と考えれば、悪人ほど救われなければならない人になり、ここから「悪人正機」が導かれます。しかしこれが誤解され行き過ぎてしまうと、本願誇り(阿弥陀仏の救いがあるのだからと平気で悪事をしてしまう、救いを確かにするためにいっそう悪事を重ねるというほどの意味か)をすることもあり得るし、実際そのようなこともあって、本願ぼこりは救われないとの考えも出てくるのですが、『歎異抄』によればそれさえ親鸞は「こんなことを言っている者は、阿弥陀仏の本願を疑い、前世で行った善悪の業を知らない者である(この条、本願を疑う、善悪の宿業を心得ざるなり)」と退けています。そして唯円に「お前はわたしの言うことに従うと言うが、私が千人殺して来いと言ったらそうするのか」と、無茶ともいえる問いをぶつけて、状況によっては誰も悪行を犯してしまうものだと説くのです。

 阿弥陀仏とキリスト教の神について考える時、どちらも全ての人を招いて救いたいと願われていることは間違いなく、さらに、キリスト者が神から呼びかけられてそれに応えたり、また神に「アッバ(父よ、お父ちゃん)」と呼びかけたりする人格的な関係であることはよく知られていますが、浄土系仏教の「南無阿弥陀仏」の念仏も、仏の名号を唱えることで阿弥陀仏への帰依を表明するだけでなく、阿弥陀仏の招きと阿弥陀仏への呼びかけでもあるようです。呼びかけと応答という点ではキリスト教と変わらないようにも思えます。全ての人が平等に浄土へと往生することができるためには、難しい修行ではなく誰でもできる念仏の唱名でよい、唱名ができない状況なら信じるだけでよい、信じることこそ難しいのだから信じられなくてもよい、どんな悪行をしても阿弥陀仏の大悲により救われる、いや悪人こそが救われるはずだ・・・と突き詰めていった結果、時に「浄土真宗は仏教ではない」と言われることもあるほど特異な教えになったのでしょう。


2022年5月14日土曜日

日本的メンタリティ ―仏教とキリスト教(1)―

  少し前に『古事記』を読んで感じた日本的メンタリティについて書きました。これは神道に関わることでしたが、もちろん仏教、特に鎌倉時代に日本的変化を遂げた仏教も日本における重要な宗教体系ですので、これについても少し知りたくなりました。とはいえ仏教は宗派も多く、浄土宗と禅宗では全く違う宗教のように感じますし、とても全部を把握することは無理に思えます。そこでここに一つキリスト教という軸を立てて考えてみることにしました。たとえば『日本的霊性』で高名な鈴木大拙に若くして師事していた岡村美穂子(「鈴木大拙館」の名誉館長)が、禅仏教を海外に紹介した鈴木大拙に同行した時の話でこのようなものがありました。講演の後に聴衆から、聖書の創世記に記されるアダムの堕罪について、「人間はどうすれば罪を犯さないようになれるのか」との質問があり、これに対して鈴木大拙は「もう一度アダムが罪犯せばいいのではないか」と答えたと言うのです(「大拙先生とわたし」2017年5月14日Eテレ)。これは「罪の自覚が出来ないから罪を犯すのだから、罪の自覚をするためにもう一度でも何度でも罪を犯せばいい、罪を自覚すれば人間は罪を犯さなくなる」という意味のようです。キリスト者からすれば絶句するほかない言葉で、禅宗との間にはほとんど接点がないと感じざるを得ません。体験を通して一瞬のうちに宇宙存在を把握する悟りを得るというようなことが仮にあるとしても、それはキリスト者にとって何の救いにもならないことは確かです。

 その点で、キリスト教と浄土真宗は似ているとよく言われます。東京拘置所医務部技官をしていた加賀乙彦は、精神的動揺をもたらす宣告を受けた死刑囚のうち、わずかながら泰然自若として過ごす者たちがいることに気づき、それらの人々は決まってキリスト教か浄土真宗を信じる者であったと述べています。なにしろ1549年に日本に初めてやって来たキリスト教(カトリック)の宣教師が、布教活動をする中で「日本にはルター派の異端信仰がすでに入っている」と言ったくらいですから、バテレンの目から見てもキリスト教プロテスタントと浄土真宗は信仰の在り方において非常に似ていることは間違いないでしょう。浄土真宗とプロテスタント信仰の違いを考える時、こういう問題はかなり昔に表明された考えでも何らかの手掛かりが得られると思い、四十年近くも前に行われた上智大学での9名の方々の講演録『親鸞とキリスト教―現代人に信仰を問う』(門脇 佳吉編、創元社1984年)を読みました。驚いたのは「この二つの違いを言い切ることは相当な難問らしい」ということと、探求を極めた信仰者ほど謙虚で、互いの信仰に対してシンパシーを感じているということでした。

 これまでの浅い仏教理解から、最初私は仏教とキリスト教の違いを挙げるのは容易だろうと簡単に考えていました。浄土真宗も仏教の一派であるので、一部「悪人正機」などの独自の教えはあるものの、基本的にそう変わらないだろうと思ったのです。例えば仏教の特徴を問われてすぐ頭に浮かぶのは、①人が死ねば仏になる、②仏は限りない慈悲により全ての衆生を救う、③天台宗や真言宗など或る種の修行によって救われるとする自力系と、浄土系仏教のような念仏を唱えることで救われるとする他力系がある、などです。しかし親鸞の信心とルターの神学を知るにつけ、両者の違いはなかなか一筋縄ではいかないと分かってきました。親鸞は六角堂での聖徳太子の夢告、ルターは落雷に打たれた体験から真の信仰を求め始め、それまで受けていた宗教的教えに背を向けて、己が信じる道へと踏み出していきます。その後の両者の困難な歩みを知るにつけ、本物の信仰者とはいかなるものかを突きつけられる思いです。

  仏教の伝来は6世紀の欽明天皇の時代だとされているものの、それは儀礼的仏教で合って、日本的霊性の覚醒は平安時代を経て鎌倉時代まで待たねばならなかったと鈴木大拙は述べています。うろ覚えですが、稲荷神に油揚げを供えて願いを取り引き的にかなえようとしたり、自分の好きな事物を断つのと引き換えに何らかの願掛けをするといったことは「断じて宗教ではない」という趣旨のことも述べていますから、鈴木大拙の念頭にあるのは、或る種の水準に達した体系をもつ宗教なのです。インドでも中国でも生まれなかった日本に独自の禅宗および浄土系仏教が出現してくるのは、まさしく京の都で育まれた貴族文化の時代から、大地に根差した武士の時代へと移り変わる戦乱期においてです。1173年生まれの親鸞はまさにこの激動期を生きた人ですが、私が驚いたのは9歳で比叡山延暦寺の慈円について得度したという事実です。ちなみに「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」という句は、夜遅く叡山に着いた際に「得度式は明日にしてはどうか」と言う慈円に対して答えた言葉と言われています。それから29歳で叡山を捨て法然のもとに走り、「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」(『歎異抄』)というまでのすさまじい気迫で弟子になるわけですが、その事情は容易に推察されます。

 慈円は天台座主に4度もついた人であり、その生涯を慮るにこのようなことは『白い巨塔』以上のえげつない学内外の政治力学に秀でた人でなければできないことに違いないからです。『愚管抄』を著した慈円は摂政関白・藤原忠道の子にして摂政関白・九条兼実の弟です。すなわち貴族文化の末期において権力の中枢に最も近いところにいたのです。1156年に起きた保元の乱とは、皇位継承に関して崇徳上皇と後白河天皇が、また摂関家においては藤原頼長と藤原忠道が対立し、それぞれが源氏及び平家の軍を頼んで戦い、武士の軍事力による統治を招いたとされる内乱です。後白河天皇側の藤原忠道は勝利側になりますが、忠道の子である慈円も乱世の到来を肌で感じたことでしょう。そしてやや年を経て、おそらくは悪い予感通りに、1221年(慈円66歳)に承久の乱が起こり、鎌倉幕府打倒のため挙兵した後鳥羽上皇は敗れて配流され、名実ともに鎌倉幕府の絶対的支配が決定的となります。これにより何とか公武の協調を模索してきた慈円の企図は崩壊し、兄兼実の孫で慈円が後見人となっていた九条道家の、甥の仲恭天皇は廃位となるのです。いずれにしても慈円は徹頭徹尾現世の中で生き、現世利益を求めた人です。直接の師として慈円をいただいた親鸞が彼を俗世の権化のように見ていたとしても頷けます。現存していないだけかもしれませんが、両者とも書き残した文に相手に関する言及が全くないという事実は、そのあたりの事情を雄弁に物語っているのかも知れません。


2022年5月7日土曜日

「生活空間のお手入れ」

  毎日の家事の中で一番気持ちがすっきりするのは掃除です。そして、掃除道具の中で最も役立つのは昔ながらの玄関箒であることを最近ますます実感しています。いわゆる「ほうき草」と言う畳用の柔らかい箒ではなく、もっと固い黒シダ箒でフローリングやカーペット、ラグ類を構わず掃くと、目に見えてゴミが出てきます。その場で塵取りに集めすぐごみ箱に捨てる。これを繰り返すとそう広くない私の住戸はあっという間にきれいになります。毎日、というか一日何回か同じことをするのですが、そのたびに必ずゴミが出るのにはびっくりです。人が汚すまいと生活していてもこれだけ綿埃や塵が出るとは。思い立ったらすぐ掃除、せっせと掃くと毎回それなりの成果が出ます。あまりに手軽に掃除が済むので今では掃除機はほとんど使わなくなりました。フローリング用のワイパーは掃除後に除菌シートを掛ける時に時々使います。掃き掃除は中腰で行うので、大腿四頭筋も鍛えられるように感じます。

 先月は実家の障子の張り替えをしました。いつ以来だろうと考えるともう十年は経っています。紫外線による日焼けで紙が弱り、急いで障子を開けようとしたり、目測を誤って紙を突いてしまったりと、ちょっとしたことで開いた穴がいくつかありました。いつも茶の間で一番障子の近くにいたりくが開けた穴は一つもありません。本当に賢い犬でした。開いた穴はそのたびに繕ってきましたが、もう限界だと感じ、面倒な張り替えに着手したのです。

 一番の問題は「障子を外してかつ戻せるか」ということで、以前は外した障子が嵌められなくなり父に入れてもらったのです。前回の反省を踏まえると、「決して一度に外してはならない」、もしくは「外した障子を時系列順にわかるように置いておかねばならない」ということです。どっちが奥でどっちが手前か、どっちが上でどっちが下かなどを間違えるともう入らないのです。「そもそも地震も多かったし、障子外れるかな」という不安もありましたが、大丈夫でした。職人さんの仕事とはたいしたものです。何度もの地震に耐え、間違えなければきちんと入るように作ってあるのです。その日は茶の間の障子2枚を1枚ずつ貼り換えました。障子紙を取り除いて木枠だけにしてしまうと、どの順序で張るのがよいかわからなくなるので、1枚を見本として確認しながらの作業です。下半分は上にスライドさせる雪見障子になっているので、その構造と取り外し方も思い出しました。

 この日はこの2枚で終了、翌日は上の小窓の障子の張り替えをして、兄と「小鳥の森」のペット霊園を訪れました。掃除にしても障子の張り替えにしても、身の回りをきれいに整えることは無心になれる作業であり、或る種のセラピーなのだと思います。「姉ちゃん、いつまでも団子虫になってちゃだめ」と、りくにも言われそうです。


2022年5月2日月曜日

「慰めの言葉と祈りについて」

 感染症の中で日常への復帰が模索され、生活が少しずつ戻りつつある今日、先日は教会で礼拝後に小さな会が開かれました。比較的同年代の方が出席される会で、対面で開かれるのは久々でしたので、互いに近況の報告などをしました。様々なことがありながらも、教会の方々がそれぞれの場で朗らかに前向きに過ごしていらっしゃることがわかって気持ちが明るくなりました。

 私が話したことの一つは、友人から受けた祈りに関する相談でした。その友人はだいぶ前に大病をなさったのですが、今は元気で信仰生活に励まれている方です。「5人部屋の入院で、その後3人が亡くなり、もう一人の方も緩和ケアに入られた。時々メールのやり取りをしているが、どのようにお慰めしたらよいか」という相談でした。改めて祈りについて考えてみると、私がそれまでしてきた祈りの多くはクリスチャンの間で交わされるもの、クリスチャンから「祈ってください」と言われた場合のことが多く、クリスチャン以外の友人・知人のための祈りは健康やご家族の無事などを願う一般的な祈りでした。また、祈りはそもそも神様に対してするものですから、祈りの言葉を当人に話すことはありません。一般の方のための具体的な祈りや当事者へのお慰めの言葉を求められたことはほぼなかった、ということにその時初めて気づきました。友人のすごいところは入院中も自分がキリスト者であることを言い表していたことで、それで特にどうということはなくても周囲の方はそのことを十分ご存じだったのです。

 友人と顔を突き合わせて話すうち、これは難問だと二人とも唸ってしまいました。相手がキリスト者であれば掛ける言葉はいくらもありますし、自分が同じ立場になってもキリストにある平安を得ることができることは確かです。しかしそうでないとすると、いくら考えても、例えば「痛みが和らぐこと」、「家に帰りたいというご本人の希望がかなうこと」くらいしか考えつかず、本当に不意を衝かれた感じでした。友人にとってもメールのやり取りで気分が沈むことは避け難く大変さが推察されましたが、私は「祈り続けていることは知らせた方がいいのではないか」と告げて、自分も祈ることを約しました。

 そのことをつらつら考えながら過ごすうち、思い出すことがありました。もう二十年も前のこと、父が秋から春にかけて半年ほど入院したことがあり、私も金曜夜の新幹線で毎週帰省して見舞っていた時のことです。病院でクリスマスをしたいと思った父は、病院の許可を取りスタッフの助けを借りて、クリスマス会をしたというのです。おそらく父が自分の言葉でキリストの誕生を語り、皆がよく知っているクリスマスソングを一緒に歌い、ケーキと一緒にお茶をいただいたというような会ではなかったかと想像するのですが、来られる方はどなたでもと食堂に招いたのでしょう。その後、年末年始はご自宅に帰られる方で病院は寂しくなりましたが、或る方が声をかけてきて「私はもう駄目なんです」と話されました。父が「あなたはこれまで家族を愛し、周りの方々のために一生懸命働いてこられたんでしょう。すばらしいことです」と言葉を返すと、その方の顔が明るくなられたと。これらの話を私は断片的に聞いていたのですが、今考えると、その方は父がクリスチャンだと知って弱音を吐かれたのでしょうし、父は「人と人との関係の中」だけで生きてこられた方のために、その人生の最良の部分に触れた言葉を返したのでしょう。「神と人との関係の中」においても生きてこられた方であるなら、また別の言葉があったでしょうが、今それが語れない以上、父の言葉は最善の言葉だったと思います。大事なのはそれを語っているのがクリスチャンだと相手が知っていることです。それでどうということも無いかもしれませんが、何か伝わるものがあるかも知れません。

 その会で私の次に話された方はつい最近家族を看取った話をされました。感染症対策のため身内も病室に入れない看護体制で1カ月ガラス越しに辛い時を過ごされましたが、亡くなられた時に看取りの場にいた看護師さんが「私はクリスチャンなので祈らせてください」とおっしゃって、祈られたのだそうです。キリスト教主義の病院ではなく、また亡くなられた方はクリスチャンではなかったのですが、「どれほど家族の慰めになったことか」とおっしゃっていました。神様の御計らいとしか思えない出来事です。

 「慰める」ということについて思い巡らすと、漢字というのは非常にすばらしい文字で、「慰める」の中の「尉」の文字は「火熨斗ひのし」を表しますから、これは今のアイロンのことです。だから「慰める」ということは、「クシャクシャになった心」に、「アイロンをかけて真っ直ぐ平にする」、「シワを伸ばして元の状態にする」ということです。ほんのちょっとしたことでも気持ちがめげて凹んでしまい、ギザギザハートからなかなか立ち直れないのが私たちです。本当の意味で「慰める」などということは神様にしかできないことではないでしょうか。考えさせられることの多い会で、恵みの時を与えられました。イエス様を通して神に出会い、生きる時も死ぬ時も平安の中におかれる方々の多からんことを祈ります。