2020年4月3日金曜日

「各国の医療:悪疫への対応力」

 新型コロナに対応する各国の医療の在り方に関する研究の総括は騒ぎがおさまってから、即ち早くて1年後くらいにわかるはずですが、終息に至るまでの要因をいくつか考えてみます。

 1.人種・民族による相違点
 民族の慣習という面からみると若干の影響はあるでしょう。例えば、ヨーロッパではラテン系の国々で感染が速かったのは、やはりよくしゃべること、身体的接触が挨拶の一部となっていること、また、日本で初期の感染が緩やかだったのは、検査実数が少なく、信頼できる基礎データがないという重大な問題はあるものの、マスク着用やうがい・手洗いが普段から生活になじんでいたことが要因として考えられるでしょう。この点で、マスク不足から何度も喧伝された「マスクに予防効果はない」という言い方は本当に罪深いものだったと思います。自分が感染しているかどうかわからない状況で、マスクをしなければ他人を感染させてしまうのですから、声を大にして「マスク(あるいはそれに代わるもの)は着用が不可欠」というべきだったのです。ニューヨークでは今になってそれが痛恨の極みだと考えられているようですが、WHOが何と言おうと、こういう時は自分の直感を信じて行動しないといけません。

 いずれにしても、ホモ・サピエンスに感染するウィルスとして、人種・民族の違いが感染を左右する根本要因にはなり得ず、iPS細胞研究の山中伸弥教授の言うように「日本だけこのまま終わるとは到底思えない」のです。感染してもほとんど無症状の人と重症化する人の差異は、年齢や基礎疾患、免疫力の差などが考えられますが、ひょっとしたらそれ以外の要因があるのかもしれません。たとえば、ウィルスにはS型とL型があるとの話ですが、ウィルスは何らかの複雑な組み合わせを通して、或る種の因子を持った人に取り付いた場合に、そうでない人とは違った展開を引き起こすというようなことがあるのかもしれません。今後このあたりのことが解明されることを願っています。

 
2.医療体制の相違点
 これについてまずは端的に、①人口に対する医師・看護師・医療スタッフの数、②人口に対する病院数・病床数、③人口に対する稼働できる医療機器数などの総合力により比較可能です。他国のことは知らないので何とも言えませんが、日本では医師が本当によく踏ん張っていると体験的に断言できます。以前、大学病院で予約していた担当医がお休みだったので「今日はだめだな」と思ったところ、休日だった初対面の医師が呼び出されたらしく、たいして待たずに診察を受けることができました。こういう真面目さは当たり前と考えてはいけないと思います。その時は、「先生も突然で大変だったことと思いますが、本当にありがとうございました」とお礼を言って診察室を出ました。

 しかし、こういった医療の頑張りにも限度があります。感染爆発して医療崩壊が起きたら、もう機能しないのはイタリア、スペインその他の例で明らかです。ですから、このような感染性の疫病に対する医療は平時の医療体制では全く歯がたちません。感染リスクは老若男女、富者も貧者も、健やかなる者も病める者も平等に襲います。およそ考えられる限りの自衛手段を個々人がとること以外できることはありません。

 
3.人の活動・移動制限に伴う相違点
 国ごとの違いが露わになるのがこれを実効あるものにする方法です。やり方によっては人権保護に抵触するからです。独裁制の国では、中国のように、ウィルス感染を止めるためにあらゆる手段を講じることができ、またIT機器によりそれを効果的に行える場合、比較的はやく終息できます。また、欧米の多くの国では、事前に法制化してある非常事態宣言等により、法の力で強制的に人の活動や移動を止めることになります。欧米的価値観からすれば、どれほどの行動制限まで耐えられるかが問われますが、人によっては報道されるような中国の統制なら「コロナに感染した方がまし」という考え方もあるかもしれませんから、このへんは微妙な兼ね合いが求められるでしょう。

 日本の場合はなんと「自粛」です。緊急事態宣言といっても、法的拘束力がないことが知れ渡っており、その言葉のインパクトはともかくとして、これが出されようと出されまいと一人一人が自分の危険な行動を自粛することが、一日も早く感染を終息させることにつながります。これを強制力を伴わない、あたかも社会契約説を地で行くやり方で成し遂げなければなりません。「自分は感染しても大丈夫」と考え、自分勝手に行動する人がいる限り、いつまでたっても不自由な制限が解けません。実際、「まだそんなことやってるのか」と唖然とするような行動も散見されますので、皆が自らの欲望を抑えて「一日も早く日常を取り戻す」ための大人の行動をとれるかどうかがカギです。つまり、日本の場合はとりわけ人間的成熟を求められる対処法なのです。


 国の経済的支援政策について延々と議論されていますが、切迫している個人事業主等に対して、とにかく速やかに手を打ってほしいです。エイプリールフールかと思うような「全世帯へのマスク二枚の配布」をしている場合ではありません。感染拡大の影響で困っている方々にピンポイントで援助してほしい。この方々が倒れてしまってはならないのです。日本では「格差社会」が問題になりつつも、世界的に見れば、今でもかなり平等な社会だと思います。平時には優れた医療システムも、疫病の流行という膨大な感染者を生む事態の前では通用しないという点で考えさせられたのは、各国の社会的格差の度合いです。国民皆保険のないアメリカであっという間に感染が拡大した背景には、べらぼうに高い医療費のために医療を受けられなかった人もいるはずですし、ドイツも当初はうまく対処できていましたが、感染者が増えすぎてもう無理です。実はドイツは医療制度が一本ではなく、富裕層の医療を担うもう一本別の制度があります。数からいってこちらはすぐに病床が埋まることを考えると、はじかれた人はどうなるのかと考えてしまいます。繰り返しますが、悪疫の流行に関しては普段合理的に思われるシステムも無力です。できるだけ平等に治療を受けられる日本のシステムが崩壊しないことを願うばかりです。新型コロナ感染が世界的終息をみた後、いったいどんな世界になっているのでしょう。そして、この災厄の各国の総決算はどのようになされるのでしょう。