2020年4月22日水曜日

「資本主義の終わり」

 新型コロナによる外出自粛の中でつらつら考えるに、行きつくところは「これって終わるの?」に尽きます。ワクチンが実用化されるのに1年などと聞くと、たとえ医療崩壊を起こさない程度に感染者が増えていったとしても、1年で自然におさまるはずがないのです。集団免疫は十分な数の人が感染することによって、感染していない人が集団的に守られるというのですが、この集団免疫の形成がなされる人数はウイルスの感染力によって違うとのことです。新型コロナの場合は5割とも6割ともいわれているようですが、たとえば東京1200万人の半分、600万人が感染して抗体をもつまでにどれだけの日数がかかるのでしょう。毎日200人の感染なら、えっ、3万日、って何年だ? さらに日々の感染者が多ければ、重症化する人も多くなり、確実に死亡する人が増えてしまうでしょう。これは一日も早くワクチンを実用化してもらうしかないように思いますが、ウイルスが変異することまで考えるとこの方向に考えても頭が痛くなります。

 このままいくと、外出禁止は終わらない。ということは、人間の営みの多くが止まったままになるだろうと推測されます。もしかすると今かろうじて成り立っている企業の経済活動も厳しく制限されることさえ起こり得るかもしれないのです。家で読書に没頭というこの上ないユーフォリアに包まれ、「あ~、こうやって資本主義の時代が終わっていくんだなあ」と感慨深く思うのです。折しも米国市場で、NY原油先物が史上初めてマイナス価格で取引を終了というニュースが流れました。飛行機は飛ばない、自家用車での移動も禁止、工場もストップという先の見えない状況では、原油はだぶつき、お金を払ってでも引き取ってもらいたい物になってしまったのです。先進国だけでなく、世界中の困難な地域、特にアフリカ大陸に待ち受ける今後の展開を思い浮かべると、この疫病の終息はいつになるのか想像もつきません。

 もちろん、いつかは終わるのでしょう。そして、資本主義経済も息を吹き返すのでしょう。ただ、少なくともこの十年、末期的な事態を目の当たりにして、「始めがあれば終わりがある」と漠然と思ってきた資本主義の終焉の姿がコロナ騒動のおかげではっきりと視覚化された気がします。これから先は小さな共同体での助け合いや顔の見える付き合いが日常生活に必要なインフラになるのかもしれません。洋裁が得意な友人が型紙から形態保存マスク製造に熱中し、試作品を何十と作って完成させた労作を送ってくれました。ベージュのブロードの生地でオシャレなマスク、こういうのはとても有難くうれしいものです。先日、通院のため乗ったバスではマスクなしの人が1割ほどいましたが、全員年配の男性でした。いまやドラッグストアでマスクを見かけるのは単に幸運としか言えない感があるので、マスクなしでも責められませんが、普段から声を掛け合う人間関係を築くことがこれから来るであろうもっと大変な事態を乗り越える力になるのだろうと思わずにはいられません。