2019年12月30日月曜日

「紅春 150」

今年は比較的穏やかな年の瀬となりましたが、福島は吾妻おろしが半端なくすごい。日差しはあるのに強風という日、りくが若い頃なら本人が望めば寒風の中でも外に置いたのですが、さすがにご老体となると本人の気持ちとは別に体のことを考えてやらなくてはなりません。

 先日、うっすらと雪化粧して風花の混じる晴天の日、雪見障子を上げて日差しが射し込む窓際でりくは居眠りをしていました。が、突然、「ワワワワワン」とけたたましい咆哮がして、驚いて「どうしたの?」と声を掛けると、猫が悠然と庭を横切って行くところでした。りくは火がついたように起こって立ち上がり、勝手口にダッシュしようとしていましたが、「悪い猫だねえ」とりくをなだめて落ち着かせました。

 こんなことは本当に久しぶりでした。耳が聞こえていたころはいつも猫の声に怒っており、また、玄関先で何頭かの猫が座談会をしていると「わしのシマを荒らしおって」と猛然と抗議、猫を蹴散らしていました。りくは元来おとなしい子なのですが、縄張りが荒らされることに関してだけは許せないらしく、スイッチが入ってしまうようでした。

 「まだこんなところがあるんだなあ」と私は、実のところ、ちょっとうれしかったのです。2019年も終わります。りく、来年も元気でいようね。

2019年12月27日金曜日

「紅春 149」

先日朝4時半にりくに起こされ、バタバタと午前中の仕事を済ませてふっと気が緩んだのか、猛烈な睡魔に襲われました。「眠気が到来した時に寝るのが一番いい」というのが最新の研究結果と聞いていたので、さっそく朝寝。すると12時と12時半にりくがやって来ました。これは「お腹すいた」か「散歩行きたい」だなと思い、すっきりした気分で起きてみると、りくはご飯をやっても食べないし、散歩もせがまない。

 ようやく、あれは「姉ちゃん、大丈夫?」という様子見だったのだとわかりました。本当に優しい子です。りくに心配されているようではだめだなと思いつつ、「散歩行く?」と聞いたら、もう大喜び。高速で部屋を駆け回ったり、おもしゃのぬいぐるみをくわえて何やらはしゃいでいます。その日は福島の冬には珍しい快晴のお天気。年の瀬とは思えない暖かさの中、りくと2キロほどの散歩を楽しみました。


2019年12月24日火曜日

「紅春 148」

りくの老化の症状はまあまあ安定しています。散歩以外ほぼ一日中寝ているのは今までと同じですが、最近は夜明けが遅いのでやって来るのが5時過ぎです。私は目覚ましを使わず起床はりく頼みなので、私の起床も遅くなっています。先日は朝りくが起こしに来たとき時計を見たら5時17分、思わず「えー」と声を上げたのは、その日が冬至で、その前日に朝やって来た時間が5時16分だったことを思い出したからです。ちなみに福島市の日の出の時間は下記の通りです。
12月21日     6:49
12月22日(冬至) 6:50
 りくは日の出のきっかり1時間33分前に起こしに来ていたのです。「きっかり」といってもその意味が私にはまだわかりませんが、おそらくりくが空の白み具合を感じる最初の時刻なのでしょう。りーくん、君は超優秀な明るさ体感犬なのか。姉ちゃん、それほどとは知らなかったよ。

 しかし、りくがこの能力を発揮するには一つ大きな難点があります。その日の天気によって空の明るさには有意な差があるのです。昨日は朝方まで雨が降っていたから、りくの明るさ体感センサーがはじき出した時刻はなんと6時56分。これはさすがに寝坊です。また、前日の就寝時刻もセンサーの感度に影響するらしく、人間が夜更かししたり逆に極端に早寝したりするとだめみたい。りく、繊細だからなー。


2019年12月22日日曜日

「大掃除とお片付け」

 大掃除の季節ですが、私の場合はすでに終了しています。マンションの消防点検・排水溝清掃の時期に合わせて、6月と12月の第一週にやってしまうからです。大掃除とかお片付けとか聞くとどうしても笑ってしまう友人の話があります。郊外から都心に引っ越す時、もうすでに都心で暮らしていたので前のマンションの片づけがとても大変だったという話です。仕事があるため週末しか片付ける時間がなく、またなぜか彼女が一人で一家分の片づけをすることになったため、片付け専門の業者を頼んだそうです。何週間か通って一緒に片づけ(というか処分)をしていったのですが、或るとき時次週の予定を決めようとして、業者に「今日で終わりにしましょう」と言われたというのです。おそらく処分量が業者が予想していた量をはるかに上回っていたため、業者もさじを投げたらしいのです。私も片付けられない質ですが、これはすごい話だと爆笑してしまいました。こういう気の置けない友人がいると、たまに家でお茶する時多少ちらかっていても「床が見えてるなんてすごい」と褒められてしまうのですから、楽ちんです。

 片付けといえば、友人から最近聞いた話もあります。フルタイムの仕事があり、子育てや家事もしている超多忙な人ですが、ついに家の大掃除・片付けを思い立ち、二人の手伝いを頼んだというのです。この時手伝いに見えたのは二人とも40代くらいの女性(いわゆるおばさん)で、和気あいあいで片付けていったとのことでした。昔の手紙や子供たちの学校の作品類もたくさん出てきて、作業する中で処分するかどうか聞かれ、
「手紙は、川辺野さんのはとっておいてください。他の人のは名前を言ってください」
「川辺のさんの手紙、多いですね。筆まめなんですね」
という会話があったそうな。筆まめなのは彼女の方で、いつもさらさらと返事を書いてくれていたなあという印象です。それにしても、私には瞬間的な決断力がないので、私が片付け作業をするなら他人に助けを頼むのは難しく、一人で「う~ん」と悩んで唸りながら処分していくことになりそうです。

 作業の途中で出てきたジグソーパズルをぶちまけてしまい、子供たちとやり直したという話もあり、そこからの連想でなぜかテレビドラマの話が出て、ずいぶんと話は転々と移り変わり、最後は「家族論」になりました。家族同士の会話はなんというか中身を問題にするなら本当にくだらないことばかりなのですが、家族以外とはとてもできないようなくだらない内容の連続こそが家族を成り立たせているもののようです。お互い相当言いすぎていても翌日にはケロッと忘れていられるというのも家族ならではです。家族に関しては、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」行ってきます」「ただいま」「おやすみ」等の挨拶ができていればなんとかなるんじゃないかなというのが結論です。

2019年12月16日月曜日

「アドベントの日々」

 某重大犯罪の裁判経過を聞きながら、とても暗澹たる気持ちになりました。このケースは見ず知らずの複数名を殺傷した動機が、「刑務所に入っていたいから」というもので、犯人は殺傷の手口をむしろ自慢げに話し、「もし無期懲役でないなら、刑務所を出た瞬間にまた人を殺します」と言い放っていました。罪を犯した悔悟があらばこそ、その償いが意味を成すのでしょうに、今回のケースは救いの足掛かりも何もない、まさしく救いのないものとなりました。

 これほどの悪を見せつけられると言葉もなく、きっとこの人は人類を絶句させるために事件を起こしたのだと思わざるを得ません。もちろん、ここに至るまでの道のりを思うと、他人の想像を絶するひどい環境や出来事を経験した人なのかもしれません。勝手な憶測で語ることはできませんが、大局的にみると、容疑者は悪にまみれた人の世で培養されて出現した得体の知れない生物、もはや人間に罰を加えるために到来した怪物のように思えます。

 そして認めたくないことですが、この世の罪悪というなら、自分もその中に住んでいる以上、全くの無関係と言える人はいません。無論、大多数の人は誰のことも傷つけてはいない、ましてや殺人などしない。その通りです。実行に至るか否かの間には千里の径庭があります。しかし、言葉や行いを通じて相手の心に与えた打撃についてはどうでしょう。最近はハラスメントのことが話題になります。一口にハラスメントと言っても、セクハラ、パワハラ、モラハラ、アカハラ(高等教育でアカデミックな分野における前三者を含んだ形態のハラスメントのことらしい)と様々です。これもよくよく考えると難しい問題で、相手がそう感じたらハラスメントというのであれば、およそ人間同士の接触においてハラスメントでないことがどれだけあるかと思わざるを得ないのです。とくにハラスメントの場合、本人はたいてい「良かれと思って」しているのがほとんどですから、ますます難しい。自分でも気づかぬうちに、相手に回復不能の傷を負わせていることはないでしょうか。あるいは端的に、心を殺すことも?

 新約聖書の福音書では、イエスが捕らわれた後のペテロの姿を捉えています。マルコ及びルカによると、その夜、大祭司の屋敷の庭にいたペテロは火にあたっていたとの記述があり、それゆえ顔が照らされて「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」との証言が出ます。ここで火というのは光といってもよいもので、ペテロには光が当たっていたのです。しかし、彼はそれを気に留めていないのです。もしペテロがこの時、自分を照らす「光」について証しすることができていたならどうだったでしょうか。すべてが変わっていたはずです。しかし、それは夜の闇の中にいるペテロが自力で理解できるようなことではなかったのです。福音書に余すところなく描かれている弟子たちの無理解が示すように、イエスが誰であるかをまだ知らないペテロには無理なのです。ペテロだけでなく、すべての人間に不可能なことです。ヨハネによる福音書の冒頭で「暗闇は光を理解しなかった」と書かれているとおりです。さて、その状況で、「あなたもイエスと一緒にいた」と言われてペテロはそれを否定します。ペテロはこれを三度繰り返すのですが、マタイ及びマルコはそれぞれの福音書において、「ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた」と記しています。「呪いの言葉さえ口にしながら」とは、「もしそれが本当なら、私は呪われよ」とペテロが自分に向かって言ったということなのでしょう。これはペテロが自分で自分にかけた呪いでした。呪いはかけた人によってしか解除することができません。ペテロはこのままではどうあっても呪われたままだったのです。復活されたイエス・キリストに出会うまでは。

 ペテロが呪いから解き放たれ、再び命の息吹を帯びて目覚ましい働きをするようになったのは、復活のキリストに出会って以降です。なるほど、そういうことだったのかと深く納得しました。アドベントにイエスの降誕物語だけでなく、最晩年の十字架と復活物語を読むのは誠にふさわしいことです。それらは一つの事なのですから。暗い世相の中では毎日が主の降誕を待ち望むアドベントです。

 

2019年12月12日木曜日

「太陽光発電」

 きっかけはLEDの懐中電灯を買いに行き、近くにあった小型ガーデン・ライトを見つけたことでした。頭頂部に太陽光パネルが貼ってあり、暗くなると自動で点灯するあれです。うちに庭はありませんが、なんとなく心惹かれて、何個か購入しました。昼間窓辺に置いて陽に当て、夕闇が迫るころ部屋のあちこちに配置すると、これが十分明るい。日が短くなるこの季節、いつも気鬱になることが多いのですが、小さな光があるだけで気持ちを温かく満たしてくれます。気が付けば、これはただの太陽光、万人に与えられる神様の恵みです。「ただの」は「唯の」であり、まさしく「無料の」です。これを利用しない手はないなと楽しくなってきました。

 「あの小さなパネルでも一晩中輝くエネルギーを貯められるのなら」と、さっそく某通販サイトで太陽光パネルの研究。まずはお試し用に一番小さい部類の縦横40cm角×2枚組購入を決定。ジャクサ探査機はやぶさの太陽光パネルを彷彿とさせる代物でとてもよい感じです。アウトドアで使用することが想定されているらしく、持ち手がついて折りたたんで鞄のように持ち歩けるようになっています。USB端子がついているので携帯電話やスマホを充電できるだけでも、大いに役立つことでしょう。

 ここでハタと気づくのは、これは災害時に必須のものだということです。チャンスがあれば電子機器によって他の人と連絡が取れる状態であることは重要です。と、その時、目に留まったのは小型充電器です。これがあれば太陽光を電気の形で貯めておき、必要に応じて取り出すことができます。今までこういうことを考えてこなかった自分に愕然とし、とりあえずお試し用に一番小さな、従って一番出力のちいさなモデルを選びました。昔の小型カセットデッキくらいの大きさです。私が選んだポイントは、パネルから太陽光を取り込む挿入口があることと、コンセントの差込口があって電気を取り出せることです。

 商品が届き、毎日いろいろと試しています。太陽光パネルでは、マイクロUSBの出力口にLEDのスタンドライトをつないで十分な充電ができます。また、昼間パネルと充電器をつないで電気を貯め、夜間に充電器のコンセントに乾電池用充電器をつなぎ、単三4本や単四4本は十分に充電できます。うちには電池使用のラスタンドイトが2つ、テレビはなく乾電池用のラジオが1台とマイクロUSB接続用のラジオが1台あるだけなので、これで十分です。パソコンは位置的に遠いのでつないでいませんが、災害時には力を発揮してくれるはずです。つまり、災害時の情報収集と緊急時の発信については、太陽さえ出てくれれば無制限に可能ということでこれはありがたい。

 うちにある他の家電は、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、エアコン、炊飯器、湯沸かし器といったところですが、これらは到底小さな充電器では動きません。(コードレス掃除機の充電はできました。)もっと大型の充電器なら動くものかどうか、この実験には相当の出費が見込まれます。一戸建ての方なら、屋根に太陽光パネルをつけて電力を売るというのはよい選択だと思います。このところずっと曇りがちでしたから充電に時間がかかるという印象はありますが、考えてみれば今は一年中で最も太陽の力が弱い時期です。それでも陽の光が燦燦と降り注ぐような日は、結構すぐに「フル充電」の表示がでます。既得権を脅かされるので反対する人はいるでしょうが、それはそれとして、単純に国としてこの方向に進めばいいのではないでしょうか。明るい方へ、光の方へ。もっと光を!

2019年12月9日月曜日

「乗り物あれやこれや」

 それぞれの交通手段には、歴史の影というべき特有性がまとわりついているように思います。鉄道は近代になって以降最も身近で便利なものですが、『オリエント急行殺人事件』や『点と線』の時刻表の謎解きのように、なにやら殺人事件と組み合わされることが際立っています。飛行機およびその原初的形態である客船はパニック系と親和性がある気がします。以前JALの機内で『タイタニック』を見たと言ったら、「えっ、あんなパニックものを…。ルフトハンザではあり得ない」とヘルベルトに驚かれたのを思い出します。自家用車はもちろんロードムービー系ですが、限られた人数で移動するせいか、結構ワイルドな展開になる(今、念頭に浮かんでいるのは『テルマ&ルイーズ』かな)という印象です。そしてバスというと、これはいつも乗っているので断言できますが、カフカ的不条理の世界を存分に味わえる乗り物です。

 バスを利用するにあたって一番難しいのは、意外にもきちんと乗り場の前で待っているということなのです。田舎道でバスを待つ場合は、道を挟んでほぼ真向いにあるので、方向さえ間違わなければ何の問題もありません。しかし、都市ではそうはいきません。乗り場は交差点から確か50m話さなければならないので、たいていは交差点を通り過ぎてしばらくいったところにあり、すると道路の両側でバス停のある位置が相当離れてしまいます。それでも必ず交差点を過ぎてからという決まりならよいのですが、たまに何らかの事情で交差点の手前にあることもあるので、こうなるといくら行っても乗り場が見つからないという困難な事態に遭遇します。それでも諦めずにどんどん進むとなんと次の乗り場が現れ、こうして一駅歩いてしまうこともしばしばです。大きな鉄道駅のそばでは、降車の位置と発車の位置が大幅に離れており、すぐには見つからないということが起きます。これは国の内外を問いません。私はウフィツィ美術館(フィレンツェ)の一日券で入って途中抜け出してシエナに行き、十分間に合う時間にバス停にいたら、そこが降車場所だとわかり、ウフィツィの閉館前に戻れるよう、発車場所までヘルベルトと300mを全力疾走したことがあります。さらに問題を困難にするのは乗り入れているバスが1社でない場合です。同じ名前のバス乗り場でも、別のバス会社が10mほどずらして乗り場の表示を出している場合があり、15分ほども待っていた人が乗り場違いで置いてきぼりを食い、目の前を自分の乗るべきバスが通り過ぎていくのを「あ~」と頭を抱えて呆然と見送っている場面を何度か見ています。こういうのは気の毒でなりません。

 前乗り、後ろ乗りを正しく選択し運よく予定のバスに乗れたとして、次に生じるのは運賃支払いの問題です。現金だけからICカードもOKになって、私はどれほど助かっているかわかりませんが、都バスのように西多摩を除く全区間に通用する一日券なら楽ですが、KKバスのように他県にわたっているためにICカードの一日券がない(削り落とし式の紙のカードの扱いにくさは以前書きました)という不便さを感じることもあります。子供の頃主流だった、切符を差し込んで印字するという様式はさすがにもうないのでしょうか。一つの路線なら何駅分乗ってどこで降りても同一料金というのは、運転手さんの負担軽減の切り札なのかもしれません。私がバスで一番気に入っているのは、一度乗ってしまえば降りるときにICカードや切符を取り出す必要がないことです。これに慣れてしまうと、たまに電車に乗ったとき降りてから改札の前で「あ、出るときもカードタッチが必要だった」ともたもたすることになります。

 そこもクリアできて最後にやってくるのは降車バス停の壁です。「〇〇橋」があり、「〇〇三丁目」があり、「〇〇三丁目交差点」があり、となると、降車バス停をうろ覚えで乗った場合は「どこでおりればいいんだ~」という事態が発生します。「△△二丁目」、「△△三丁目」、「△△四丁目」の次が「△△六丁目」となるケースでは、降車バス停を「△△五丁目団地」と教えられて初めてその地域に来た人は一瞬不安になること請け合いです。このあたりの困難さは外国でも日本でもあまり差がありません。外国の場合は「□□で降ろしてください」と運転手さんにお願いしておくのが一番です。自分で降りるバス停を探せず、何度か失敗して学びました。

 東京のようなバス路線網が発達したエリアでは、上級者向けの楽しみもあります。二点を結ぶ行程を考える時、全く違う路線が意外なところで交わっていたり、または呼び名の全く違う双方のバス停がごく近いので、ほんの少し歩けば大きな時間の節約になったり、うれしい発見のバス旅を楽しめるといった利用法です。都バス一日券と都バスの全路線地図だけもって、路線網を山野に見立ててオリエンテーリングのような遊びも面白そうです。

2019年12月3日火曜日

「一年が速すぎる」

 流行語大賞(今年はONE TEAM)が話題になる季節となったことにもう仰天しています。一年の始まりがつい二、三か月ほど前だった気がするからです。例年に比べても、いくら何でも早すぎる気がするのでその原因について考えてみました。

①歳をとった
 1年の長さは人生の長さと関係していると言われています。十歳の子どもにとって1年は人生の十分の一ですが、例えば五十歳の人にとっては1年は五十分の一に過ぎません。五十歳の人にとって十分の一の長さと言うと5年ですから、これが十歳の子どもの1年に当たる・・、そう考えると「なるほどなあ」としっくりきます。昔は時間はゆっくり流れており、1年は結構長いものでしたから。今はその5倍以上の速さで1年が過ぎる・・・納得です。

②よく寝た
 私は睡眠時間が長い方です。加齢のせいで起床時間が早まっていますが、そのぶん就寝時間が早くなったり(そう言えば、夜7時に家の中が真っ暗だったので私が倒れているのではと、帰宅した兄をぎょっとさせた事件もありました)、また、昼間急激な睡魔に襲われて昼寝をしたりしているので、8時間は十分寝ています。また、具合が悪くなるととにかく寝る。こんこんと半日、一日、二日、三日くらい平気で寝ます。もちろん時々起きて、水分や栄養は適宜摂取。さすがに三日も寝ると、たいていの体調不良は完全に回復。睡眠は時に医者や薬に勝ります。睡眠おそるべし。ただ、寝ている時間はこの世の時間には組み込めない。1日寝ていた日には当然「今日は何もできなかったなあ」と思います。

③本をたくさん読んだ、書き物もした
 本を読んでいる(聴いている)時間には、私はどこかわからないところに行っています。これに一番近い感覚は、睡眠中に見る夢の中ですが、ちょうどハッと夢から覚めるように「本から覚める」と言う感じです。書いている時も同様で、どこか別の所にいる自分がいろいろなことを考えています。なんとなく自分がキーボードを打っていることは把握しているのですが、この場にいない気がするのです。いずれにしても明確に覚醒した時には、この世的には何時間もたっているのです。だから、読んだり書いたりしている時間もこの世の時間には組み込めない。この世というのはご飯を食べたり、外出したり、家事をしたりしている時間で、これはこれで大事な時間です。

④いろいろと事件が起きた
 親族や知人で亡くなった方がおりますと、心の中で喪に服する時が流れるので気が付けばもうこんなに経ったのかと思います。りくの体調の変化もいろいろあって気を揉むことが多かった気がします。元号が変わり、即位に関わる行事が多かったのも時の速さを感じる一因かもしれません。さらに、11月末に来日したフランシスコ教皇のインパクトはとても強いものでした。プロテスタントの私はさほど注目していなかったのですが、さすが世界数十億の信徒を抱える宗教指導者はかくあるべしという威厳と気品と慈愛が全身から湧き出ているような方とお見受けしました。教皇というとどうしても世界史の中に登場する激烈な権力闘争の勝者という先入観があり、そこまではいかずとも相当なやり手だろうという予想に反し、ほとんど聖人というイメージを具現化した人物のように思えました。都内のカトリック系の大学での講演か、あるいは東京カテドラル聖マリア大聖堂での若者との集いか、ニュースでフランシスコ教皇の言葉を聞きましたが、言っていることは「弱い立場の人の側に立って考えてください」、「誠実な人でいてください」などの、その言葉だけ取ればだれもが言いそうなことなのですが、もう圧倒的な優しさと確信に満ちていて、言葉というものはだれがそれを発するのかが第一義的に重要だと思い知らされました。日本の政治家にはあのオーラは薬にしたくもない、本当に影さえないと感じました。

 そんなこんなで、本当に盛り沢山の1年でした。私なんぞが忙しいはずはないのに、しみじみ「あ~忙しかった」。いや、本当に忙しい師走はむしろこれからか。あと1か月近くの日々、1年の締めくくりらしく落ち着いて過ごしたいです。