まだワールドカップバレーを引きずっています。共に戦った疲れだけではありません。結果的に日本は、ブラジル、ポーランド、アメリカに次いで4位となり大健闘だったのですが、私には忸怩たる思いがあります。
11か国と戦う10戦目のブラジル戦の前に、主力選手IとFが「試合に出してほしい」と直訴したというのです。発端は前半何戦目かのアメリカ戦において、主力選手の一部に出番がなかったことにあります。それはアメリカ戦に勝つことより、主力の温存を図ったという以外の見方が私にはできないのですが、世界大会においてそんなことがあってよいのでしょうか。連戦で体は疲れているでしょう、日本の選手は体力的に不利だというのもその通りでしょう。しかし、選手はみなプロであり、自分の体のことは誰よりわかっているはずです。4年に一度しかない大会で、ランク的に強い相手に対して主力を出さないということはありえないことだと私には思えます。選手は勝負したいに決まっています。たとえ、完膚なきまで打ちのめされても、長い選手生活を考えればそれ以上に得るものがあったはずです。
監督のこの判断に私は愕然とします。自分も選手だったのだから、そのくらいわかっているはずですが、解説の元全日本センタープレーヤーのKも最終戦に勝って4位で終わることを最優先に考えていた節があるので、日本はずっとそういう考え方で来たのかもしれません。はっきりいいます。だから駄目だったのです。十代、二十代、あるいは三十代でも、最前線で戦う若者にとって、不戦敗はないでしょう。相手がどんなに才能にあふれ次元の違うレベルにあっても、挑戦するのが若者です。かなわないから体力を温存し、それ以降の戦いに備えるというのは若者をつぶすことに直結するでしょう。これはひどい、ひどすぎる。
今アジアチャンピオンはイランなのだそうですが、それを私が知らなかったのは、その座がいろいろな国の手に渡ってきたからです。「イランにできたなら、僕たちにできないことはない」とのI選手の言葉が紹介されていましたが、そうなのです。マンハッタン計画でアメリカがひた隠しにしたのは、原爆が完成したという事実そのものだったと聞いたことがあります。「アメリカにできたのなら我々にもできるはず」とドイツに思わせないためです。「○○にできて私にできないはずがない」と思えるのが若者だと言ってもよいと思います。この推力がなければ、若者が限界を超えてその力を爆発させることはないでしょう。本来自分が持って生まれたものからは到底できないようなことまでできてしまうのは、このような時だけです。この実体験があれば、今度は「一度できたのだから、またできる」と思えるようになり、さらなる挑戦をすることもあるでしょう。いわゆる天才との才能の違いを思い知らされ、「自分にはできない」と認めるのは何度も挑戦した後でよいのです。大人は若者のブレークスルーの機会を奪ってはなりません。
それをまざまざと見せてくれたのは、最終のカナダ戦でのN選手の進化です。最年少まだ十九歳ですが、もはや押しも押されもせぬ大黒柱となりました。フルセットにもつれ込んだ5セット目、8対9で負けていた大詰めの場面、ラジオにかじりついて聞き入っていると、彼のサーブの局面で日本は何と7連続得点で会場総立ちの勝利。そのうちサービスエースが5本、しかもこれらは相手の遅延行為と言ってもよいような試合中の間合い取りにも全く動ぜず、ビッグサーブを決め続けたほとんど神がかり的なパフォーマンスでした。私はスポーツに疎いのですが、アスリートが脱皮した瞬間に初めて立ち会った気がします。大人の方々にお願いです。どうか若者の成長を妨げるようなことだけはしないでください。「監督を替えろ~」などと言うと、プロ野球の負け試合でくだを巻いているおじさんたちと同じになるので、そうは言いませんけど。