もう二カ月以上前のことですが、私が編集後記を書いた会報のことで或る方からおはがきを頂きました。その時は「ご丁寧にありがたい」と恐縮し、お礼を後日口頭で伝えただけでしたが、よく考えると実際「有難い」ことだったと最近思うようになりました。編集後記は実際の編集作業を誰がしたかとは無関係に会報委員が順番に書いていますが、その号は私の番で、追悼のページについて中心に書きました。会員の中にはご高齢の方も多いので、会報に天に召された方の「追悼」のページが掲載されることがあります。その号もそうでした。おはがきをくださった理由は、「追悼」のページ内に載せきれなかった背景について、編集後記で触れたこととも関連していましたが、趣旨は「心からの共感」を伝えたいとのことでした。
しかし、編集後記の署名はアルファベットの頭文字でなされており、はがきの書き出しも「M・K様ですよね」で始まっていました。私は会報委員ですが、客員なので各委員会の構成員としては名前は記載されていません。ですから、私が会報委員であることを知らない方も結構います。依頼されて会報や他の紙面に原稿を書いたのはこれまで五、六回でしょうか。してみると、おはがきをくださったご年配の方は、編集後記のM・Kという署名だけを見て、なんらかの理由で執筆者が私であると断定し、その日のうちに名簿から私の住所を探しおはがきをくださったということになります。数日待てば教会でお会いするのですから、私が書いたものであることを確かめ、言葉を交わすこともできたはずです。そう考えると、編集後記はいかにも私が書きそうなことが私の言葉遣いで書かれていたことになり、その方は私の言葉遣いの刻印からそう確信して、時を移さず筆を執り共感を示してくださったのです。こんなことはなかなかできないことで、「有難い」というのはそういう意味です。人に固有の文体というものがあるのかどうかわかりませんが、私の書いた編集後記(固有名詞は不記載)を記しておきます。
編集後記
五頁にある句は、「次回はダンナ様にお会いしたいわ」との○○姉の求めに応じて見舞われた□□夫妻が、病室から満開の桜を見て ○○姉が口にされた句を書き留められたものです。「花彩る春を/この友は生きた、いのち満たす愛を/歌いつつ……」(『讃美歌 21 』 三八五番)。私たちは、大切な人が群れの中から天に移される時、堪え難い寂しさの一方で、共に過ごせたかけがえのない時間の、この上なく幸福な記憶で満たされます。召された者たちは生きている者とは違う仕方で私たちに触れ、私たちの歩みは強くされて、復活の初穂となられたキリストを感じるのです。
私たちの世界には、大きな気候変動や想像を絶する事件・事故が絶えません。神様が良しとされた世界へ、全ては神への立ち返りを求めているように思います。「わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った(イザヤ書四四章二二節)。」
七月号も多くの方々のご協力により発行することができました。会堂建築着工という神のわざに感謝と祈りをもって応え、その恵みを味わいつつ過ごしたいと願います。(M・K)