少し前に、知り合いの方から「私の友人のために祈っていてほしい」との話があり、事情を聴くと、「親友が手術を受けることになったから」とのことでしたので快諾しました。それから1カ月ほど過ぎる頃、「友人は退院し、自宅に戻ったが、なお引き続き祈っていてほしい」との連絡がありました。手術が無事終わり、術後もよくて退院できたことを神に感謝し、ご自宅での生活に慣れていかれるようにと願いつつ祈っておりました。それから2カ月ほどして再び連絡があり、「友人は再入院となりました。今度は緩和ケア病棟です」との連絡がありました。「これから先どのようにお祈りしてよいのかとても辛い気持ちです」とあり、引き続きお祈りしてほしいと書かれていました。確かに、再入院となった当人はもちろん、知らされた方にとっても大変お辛い状況だと思いました。私は返信に様々なことを述べるなかで次のような文も書きました。
「テレビのCMで『年寄りはみんな寂しいんだ』というようなフレーズが聞こえてきた時、『そんなことないよ』と思わず口にしていました。イエス様が共にいてくださるのを知っていることはなんとありがたいことでしょうか。」
すると返信が来て、次のように書いてありました。
「あなたにお祈りをお願いして本当によかった。今の私は昨日のどう祈っていいのか分からないという私ではなく、主に望みをおき今の彼女のことをしっかり受け止め、愛する親友とそのご家族のことをお祈りさせていただきたいという新しい気持ちになりました。」
そうなのです。人には災いは付き物で、いつ思いもかけない災難に見舞われるかわからず、そうなると林の木々のように動揺し、心に不安が沸き上がることは避けられません。そんな時こそ祈りの基本に返ればよいのです。イエス様は言われたではないですか。
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる (マタイによる福音書28章 20節)」と。
イエス様が「世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と言われているのです。イエス様が世の終わりまでいつも共にいるのに、「寂しい」なんてことはあり得ないでしょう。キリスト者はそれをただ信じればよいのです。