大相撲に関わる大騒動は発生から2カ月たっても解決の見通しはつかず、次の場所以降も尾を引くのは必至です。専門家の判断はわかりませんが、世間の方々はこの事件を学校での暴力行為とのアナロジーで見ているような気がします。高校に在籍した人なら誰でも在学中に暴力事件の1件や2件はあったでしょうし、その場合暴力行為の場に同席した人には場合によって暴力行為を行った人に準じるくらい重い罰が下ることがあるのも知っているのでしょう。その観点から見ると、この事件は子供を暴行された親が学校の指導を拒否して警察に駆け込み、一方で暴力を振るった生徒は自主退学(学校側の判断としても退学勧告)、暴力行為に同席した生徒への学校側の指導案は校長訓告程度といった具合に見えるようです。そのためかどうかわかりませんが、同席者への処分が軽すぎると一般の人は感じているようです。
しかし、学校に例えて言えば、今回のケースは加害生徒も被害生徒も指導案を決める職員会議の構成員の子供だという点が通常ではあり得ない事態なのです。言うまでもなく日本相撲協会は学校ではありません。理事はその運営に責任を持つ人々ですが、親方としては力士にとって疑似的な家族の長となり、相撲部屋は或る種の訓練・教育機関でもあるという込み入った構造になっています。そして何より力士は社会人としてお金を稼ぐ存在です。ただ、出し物の中身は武道に似てはいるが格闘技のようでもあり、親方でさえ「殴られて相撲を覚えてきたから全く手を出さないとなると、どう指導していいかわからない」といった側面も否定できないほど、訓練の場においても或る種の接触を伴う力の行使と切っても切れない世界のようだということがなんとなくわかってきました。加えて、相撲の発祥において神事があるのは確実で、国技として認められているとなると、事はさらに複雑になります。とはいえ、日本相撲協会ができてまだ百年もたっておらず、まして巨額の興行収入が動くようになったのは神代からのものであるはずがなく、ごく最近と言ってよいでしょう。
太古からの相撲という儀式とは別に、興行としての大相撲は百年たたずして制度疲労が顕在化してしまいましたが、この際、大相撲を抜本的に見直す機会としてはどうでしょうか。日本相撲協会は、これまで起きた稽古中の力士暴行致死事件や大麻服用問題及び賭博問題に比べたら小さい問題と高を括っていたのかもしれませんが、もう整理して考えた方がいいようです。決まり手や勝利までの闘い方が美しくない、勝つことだけに執着して横綱としての品格がないと言う、暴行事件とは直接関係のない意見も噴出しましたが、スポーツとしてはルール違反でなければ問題はないはずで、外国人力士がそこまで協会側の願望を忖度するわけもありません。大まかに言って、Judoのように世界的スポーツになる道を選択し、世界Sumo協会のような組織が決めるルールに則り、力と技を競うスポーツを目指すか、日本独自の美しい相撲道を極める道を選択し、外国人力士も日本の電灯を理解しその風儀に合う限りにおいて大金を手にするチャンスがあるといった国技としての大相撲を目指すかという、二者択一になるのではないかと思います。この場合、もちろん暴力はいけませんが、残念ながら、指導が行き過ぎてつい手が出てしまうといった事態を完全になくすのは難しいように思います。疑似家族制度の中で培われる伝統芸能ならそうなるでしょう。国民が「一つくらい青少年を丸ごと抱え込んで心身を成長させる格闘的武道があってもいい」と思えば相撲はその形で生き残り、日本はますます不思議の国としての希少価値を増すかもしれません。