2017年12月19日火曜日

「パスすること、パスされること」

 勤めていた頃、なかなか大変だったのは年度末の仕事の受け渡しでした。組織として正常に業務を保つためには、新たにその任に就く人が前任者から手順やコツを受け継いでいかなければ新年度にうまく事が運びません。しかし世の中には、特に誰の仕事というわけではないが受け継がれてきた大事な事柄や、表立って口にすべきではないものの自分が体得した暗黙の知恵というものがあります。これは伝える相手を或る程度慎重に選ばなければなりません。伝えたところで活用されるとは限りませんし、途切れてしまうことの方が多いような微妙な事柄です。受け渡す方は明確な意思があるのですが、受け渡される方はそれに気づくことも気づかないこともあります。気づくのは大抵相手が「あなたに話しておくね」という言葉とともに話すからですが、気づかない場合もしばらくして「そう言えば・・・」と思い出すなら、受け渡しは成功です。

 今年は宗教改革500年という特別な年でした。ちょうど準備が整って、ルターがヴィッテンベルクの城教会の扉にに95か条の論題を打ち付けた頃、旧約聖書を俯瞰した物語を本の形にして友人や親族、知り合いに配ることができました。殊にキリスト教や聖書と縁がない方々を意識して書いたもので、宗教改革500年に免じて受け取っていただこうと思ったのです。自分が今書きたいのはこれだけであり、今書けるのはここまでだという作品が出来ましたが、本に関しては読む気がない本が送られてくることくらい面倒なことはありません。感想等のご心配等は無きようにと申し添えて恐る恐る送りました。年末年始の時間に余裕のある時にでもパラパラ見ていただけたらいいなというくらいのつもりでしたが、予想に反して、非常に多くの受け取り手がお忙しい日々の生活の中で丁寧に読んでくださり、返信までいただけたのは本当にうれしく有り難いことでした。

 東京でかよっている教会では、特にお世話になっている方や今でも福島のために様々な形でご支援をいただいている方にお礼の意味で手渡しています。行くときはいつも何冊か携帯し、渡すチャンスが巡ってきた時に渡せるようにしています。オンデマンド製本なので一冊からでも作成でき、在庫を抱えるということはないのですが、何冊か註文して手元に置いておくといつの間にか無くなっています。本というものは基本的に誰かに渡すしかないものです。ですからここで起こるのは、誰かにお渡ししたいのだが、それが誰なのかまだわからないというゲームのようなものなのです。先日、礼拝中にすばらしい美声で賛美の歌声を響かせていた隣の席の若い方に、礼拝後そのことを告げて少し言葉を交わした時、話の終わり頃その方に「あのう、○○さんから聞いたのですが・・・」と、本について切り出されました。こういう時は「あ、この方にお渡しすればよいのだ」とわかるので本当に楽です。ボールを求めてきた相手にすかさずパスを出せた時はとても気分の良いものです。「ともかくもパスがつながった」と安堵し、あとはお任せすればよいと感じるからです。パスを出す相手がわかったのに自分がボールを持っていなかったり、自分が不意にパスを出されてあたふたしないように日頃から準備を怠らぬことが大事だなと感じています。こうやって大昔から人間の生存にとって大切なことが受け渡されてきたことは確実だからです。