2017年11月24日金曜日

「全寮制高校のあり方」

 先日、都立秋川高校の開校から閉校までを描いた『玉成寮のサムライたち』という本をいただき、例によってプリンターの文字認識ソフトを使って読み終えたところです。この本は、昭和40年(1965年)に将来の日本を担う若者を育てる目的で東京西多摩の秋留台地に開校し、平成13年(2001年)に閉校する(ただし、噴火による三宅島からの全島避難生徒の受け入れ先として、校舎は2007年まで使用された。)までの過程を、閉校までの最後の三年間を舎監長として勤務した教員の目から描いたドキュメンタリーとも言うべき作品です。

 表題の 「玉成寮のサムライたち」というのは、全寮制秋川高校から巣立っていた生徒たちのことなのですが、最初その言葉を聞いた時、私はてっきり学校側の教員たちを指す言葉だと思っていました。私が西多摩に勤務していた頃の秋川高校は、既に相当な困難校として知られており、同じく困難校で早朝から夜まで想像を絶する勤務をこなしていた者にとって、全寮制高校など悪夢でしかなく、それを担う教員はサムライと呼ばれるにふさわしいと思ったからです。同じ地区にある学校だったのにこれまでこの本を読むまで秋川高校について何一つ知らなかったことを思い知らされました。秋川高校は経済成長真っ只中の時代に教育の不在を憂えた教育長の主導で動き出した計画だったというのも驚きですが、1959年のイギリス視察によって、イートン校の人格陶冶の教育に強い感銘を受け、それをモデルとして設立されたというのもびっくりでした。イートンと聞いて私が唯一思いつくのは、ナポレオンを破ったンウェリントン公の言葉とされる次の言い回しです。
   The battle of Waterloo was won on the playing field of Eton.
 (ワーテルローの戦いにおける勝利はイートンの校庭で培われた。)

 結局、秋川高校は34期生を最後にその歴史を閉じることになったのですが、これを短いと見るかはともかく、その時間を懸命に過ごした生徒と教員がいたのは事実です。『夜のピクニック』で初めて存在を知った40キロ行の夜行軍(本では80キロだったかしら)は秋川でも行われていたことを知り、それぞれの年ごとにドラマがあり、それは決して忘れられない記憶として一人一人の胸に刻まれたことだろうと思いました。多くの優秀な人材を世に送りながら、この高校の壮大なヴィジョンがなぜ現実にうまくいかなかったのかについての私の考えを一言で言えば、イギリスが紛れもない階級社会なのに対し日本はこの上ない平等主義を標榜する国であったこと、また、この時期を通して概ね国が平和だったからという以外ないように思います。教育は誰のものかという問いの答えが紛う方なく個人に帰せられ、どんな教育を選ぶかという問題がひとえに個人的な事柄として定着していく時代こそ、まさしくちょうど秋川高校が世にあった期間です。それなりに人生で成功する道筋があるのに、個人の自由な生活を犠牲にして好き好んで集団生活をする高校時代というものが、あまり魅力的でない選択肢の一つになってしまったのです。

 この点に関して私がいつも思うのは、江戸末期以降の日本がなぜ西洋の植民地化を免れたのかということです。その一因が江戸時代の幕藩体制にあるのは明らかで、まさにそれぞれの「くに」である藩が知力を尽くして生き残ろうとする不断の戦いがあってのことだと言ってよいでしょう。完全な中央集権の政体であれば西洋文明の襲来に際し身動きがとれず、間違いなく植民地化されるというおぞましい結果になっていたにちがいありません。様々なことがありながらも、明治新政府へが誕生し(その過程で個別の戦いにおける勝ち負けがあり、会津藩等の悲惨な結末を生んだのはやりきれないことではありますが)、とても手放しで喜べない多くの出来事の末に、ともかくも植民地化を跳ね返すことができたのは言祝ぐべきことでしょう。

 この本の第3部で公立全寮制中高一貫校の創設が提案されていますが、もし全寮制高校(あるいは中高一貫校)が成果をあげる時があるとしたら、国にとっては不幸な時代、即ちこれほど教育が行き詰った現在こそその時なのかもしれません。私塾を除けば日本で最も成果をあげた教養教育は旧制一高と言われていますが、それは学ばなければ死ぬ(国が滅ぶ)という状況でこそ可能になったものなのです。経済格差が広がり教育が完全に個人のものになった今になって、英国のパブリック・スクール並みの全人教育を目指せる土壌が醸成されたというのは皮肉なことです。もちろん一番大事で一番難しいのは、そのような自覚と気概がある生徒を選抜できるかということであり、送り出す家庭の姿勢も大事です。なにしろ平和な時代の恩恵として、もうだいぶ前から日本の若者は30歳成人論が出るほど子供化しているのです。もう一つ見過ごせないのは家庭教育との兼ね合いで、全寮制を選んだ場合、子供として家庭で過ごすかけがえのない時期を放棄する選択にならざるを得ないという事実を各人がどうとらえるかという問題です。ヨーロッパの全寮制というと消すトナーの『飛ぶ教室』に描かれるギムナジウムが頭に浮かびますが、幼い時から個としての確立を強いられて育つヨーロッパにおいてさえ、早くに親元を離れることは子供の人生を左右する大問題です。うまくいかなかったときの責任を取れる者はいないのです。まして乳幼児期を母親とともに生活するのが一般的な日本にあっては事はそう簡単ではないでしょう。親子ともどもその覚悟ができるかどうかです。全寮制学校での生徒の成長の成否は、生徒それぞれの性格に大きく依存するのは間違いなく、もともと外向的な個性であればあまり苦も無く集団生活を送れるかもしれませんが、生来内向的で人とのコニュニケーションが苦手な生徒はその壁を打ち破るまでが大変です。うまくいくかどうかは本人次第もしくは運次第といってよいかもしれません。

 他人事のように軽々には言えませんが、個人が自分のための教育環境を求めて海外に脱出する事態が続いている今、公立全寮制中高一貫校の創設は本当にもう最後の切り札なのかもしれません。それも東京だけでなく全国各地にそのような学校があり、それぞれの確固たる方針に基づいてなされる教育をゆるす道が開かれる必要があるように思います。明治期以降の個人主義的リアリズムが教育の底流から消えることはないとはいえ、歴史を大局的に見れば教育が個人のものであった時代はこれまでなかったのであり、今後そうなるとしたら国の消滅がすぐそこまで迫っていると言わざるを得ないでしょう。日本に限ったことではないとはいえ、社会がここまで追いつめられてしまった時代の厳しさを感じます。