2017年10月26日木曜日

読書の秋 ~『神が遣わされたのです』を拝読して~

  福島教会『月報』の一頁と四頁に毎月保科隆牧師が書かれる文を私はいつも楽しみにしています。とても筆達者な方だと思っておりましたが、それもそのはず、先生は大変な読書家、勉強家で、またずっと書いてこられた方だったのです。そしてこのたびそれらをまとめて本になさいましたので、ご紹介いたします。

  『神が遣わされたのです』は、説教、エッセイ、論文、信仰問答の四部構成になっています。保科先生は、神学校卒業後、関西学院教会、富山の高岡教会、東京の高幡教会、静岡の藤枝教会、仙台東一番丁教会、そして福島教会へと遣わされてきましたが、どこに行ってもそこへ派遣されたことを自分の使命として、そこでできることに専心してこられました。大変な経験の中にもその意味を見出し、いつも前向きに進んできた不屈の人なのです。殊に東日本大震災の後は、東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」の室長として、特に子供たちにとって必要な支援活動に力を注いでこられました。その関連で支援していただいた台湾の教会や関西学院大学にも招かれ、お忙しい日々にあって活力にあふれて活動されています。先生の説教やエッセイを読むと、これまで自分を導いてこられた神を畏れて拝し、その時々で出会った人々や事柄を神が与えられたものとして受け取っておられるのだということがとてもよくわかります。

  先生のもう一つの側面が顕れているのが「論文」ですが、これは現在礼拝後に不定期でもたれている教理を学ぶ会を髣髴とさせます。『ハイデルベルク信仰問答』を皆で読みながら保科先生がしてくださる解説の中に、神道や仏教との比較が出てくることがよくありますが、日本の文化や宗教に大変造詣が深い方なのです。そういったことに疎いボーン・クリスチャンが全く知らないようなことをいろいろ教えていただけるので、とても興味深く聞いています。「論文」ではそれにとどまらず、日本国の成り立ちや日本語について多くの分析を行っており、未知の分野を垣間見ることができました。とりわけ日本語と地域の共同体が日本人の精神風土に及ぼした現象について、牧師の立場から感じてきたことが語られており、非常に興味深く読みました。その先に生まれたのが「キリスト教信仰四〇問答」です。それまで教会員と共に読んだいくつかの「信仰問答」について触れた後、今回「キリスト教信仰四〇問答」を書かれた事情が記されています。 すなわち、『ハイデルベルク信仰問答』ほか、西洋の『教理問答』が優れたものであることを認めつつ、それらが日本の文化や歴史、日本人の宗教性を踏まえたものではないため、日本の福音伝道の課題についての問いを十分考えた信仰問答ではないということです。それに正面から向き合ったのが「キリスト教信仰四〇問答」で、つまり、これは日本の様々な地域でその土地の言葉や文化に身を置きながら真剣に伝道に取り組み、牧師として務めてこられた保科先生にしか書けない信仰問答なのです。その言葉には体験に裏打ちされた重みがあり、考えさせられることが多くあります。

  今年は宗教改革500年の記念の年ですが、保科先生が古希を迎えられた年でもあります。これまで考えて来たことや書かれてきたものを一冊の本にまとめられたのは我々にとっても本当によいことでした。神様が保科先生を選んで遣わし、これまでの七十年を通して導き守られてきたことを知ることができ、誠に感謝です。