2017年10月22日日曜日

「文集制作の延長上に」 

 若い方々はもちろん、ひょっとすると四十代の人もがり版というものを知らないのではないかと思います。今五十代の人たちがそれを知る最後の世代かも知れません。私の小学校時代の担任は大変熱心な先生でしたが、放課後よく汚れ除けの黒い布の腕サックをして、カリカリと鉄筆を動かしていた記憶があります。中学になるとボールペン原紙というものが出てずいぶん楽になったようでしたが、ガリ版ほどくっきりと文字が書けず、また間違えた時うまく修正できない点はガリ版と同じでした。

 中学、高校時代は1年単位で必修クラブというものがありましたが、今思い出すとそのうち何回かは文芸クラブに入っていました。活動内容はほとんど覚えていないのですが、銘々が好きな文を書く時間というぬるいクラブだったことは間違いないでしょう。高校の時は確か一度くらいは机をロの字型にして、それぞれの創作内容について話す時間があった気がしますが、なんとなく違和感を感じたので覚えているのです。何を書きたいのかを書く前に説明するのは困難ですし、そんなものはうまく言語化できないものだと感じていたのだと思います。いずれにしても、最終的には必ず文集という形にしていました。ボールペン原紙に書いて皆で印刷し、表紙の方も絵のうまい子が描いて色画用紙に印刷し、ホチキスで留めて完成。出来上がるとやはりうれしいもので、友達にもあげていたかも知れません。

 先日、この一年間集中的に読んでいた旧約聖書にまつわる物語が完成しました。せっかくですし、今年はなんといっても宗教改革500年の記念の年だから何か形にしておこうと調べてみたら、データさえ作成すれば本の形にしてくれるネット上のサービスがあることがわかりました。思えば、間違いが許されなかったボールペン原紙の時代から10年、ワープロの登場で可能になった文字の自由な修正、挿入、移動は夢のような機能でした。それからさらに30年、パソコンはインターネットで結ばれ、何でも可能にしてくれる便利なサービスが提供されているのです。製本にしても一冊から作ってくれるので自分用に一冊注文し、入稿したものが本の形になって戻ってきた時はうれしかったですが、その気持ちはまさしく文芸クラブで文集が出来上がった時のうれしさでした。お世話になっている方、笑って受け取ってくれそうな方に少しずつ配っていますが、感覚としては自費出版というものでは全くなく、文集を作って「はいっ」と友達に配っていたことの延長上にあることです。ご迷惑でしょうが、もし届いたら笑って受け取ってください。決して感想などは求めませんから。