2017年10月28日土曜日

「紅春 114」

りくと散歩するには風のない穏やかな日か、陽の陰ったちょっと肌寒いくらいの日がちょうどいい散歩日和です。今年は秋らしい秋の日が殆どありませんが、明日は東京へ帰るという日、薄曇りの絶好の天気だったので、りくと少しだけ遠出しました。コンビニへは土手をずっと歩いて行って、幹線道路に出会ったところで曲がればよいので安全です。いつも行く方角と逆方向なので、りくも普段と違う気分を味わえるようです。途中、ゲートボール場のある草地を通って行きますが、最近ゲートボール人口が減っているというのは本当のようです。

 コンビニに着いてりくを奥のフェンス(ちなみに向こう側はりんご畑というのどかな場所にあります)にりくをつないで、「姉ちゃんちょっと言って来るよ。すぐ戻るから待ってて」と言います。別に絶対買わなければならないものはないのですが、散歩に来たからにはその証を持ち帰らないとつまらないというわけで、無くなりかけてたコーヒー一袋に決めました。ここに来るのは三度目で、最初の時は心細げに吠えていましたが、この日は買い物を終える2分間の間おとなしくしていました。私がすぐ戻ってくることがもうわかったのでしょう。こちらが感心する位、りくは本当に何でもよく覚えているのです。帰りはあっという間に家に着き、結構な距離を歩いたので一緒に家に入れました。りくは乾燥鶏肉のおやつ、私はコーヒーで一休みです。



2017年10月26日木曜日

読書の秋 ~『神が遣わされたのです』を拝読して~

  福島教会『月報』の一頁と四頁に毎月保科隆牧師が書かれる文を私はいつも楽しみにしています。とても筆達者な方だと思っておりましたが、それもそのはず、先生は大変な読書家、勉強家で、またずっと書いてこられた方だったのです。そしてこのたびそれらをまとめて本になさいましたので、ご紹介いたします。

  『神が遣わされたのです』は、説教、エッセイ、論文、信仰問答の四部構成になっています。保科先生は、神学校卒業後、関西学院教会、富山の高岡教会、東京の高幡教会、静岡の藤枝教会、仙台東一番丁教会、そして福島教会へと遣わされてきましたが、どこに行ってもそこへ派遣されたことを自分の使命として、そこでできることに専心してこられました。大変な経験の中にもその意味を見出し、いつも前向きに進んできた不屈の人なのです。殊に東日本大震災の後は、東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」の室長として、特に子供たちにとって必要な支援活動に力を注いでこられました。その関連で支援していただいた台湾の教会や関西学院大学にも招かれ、お忙しい日々にあって活力にあふれて活動されています。先生の説教やエッセイを読むと、これまで自分を導いてこられた神を畏れて拝し、その時々で出会った人々や事柄を神が与えられたものとして受け取っておられるのだということがとてもよくわかります。

  先生のもう一つの側面が顕れているのが「論文」ですが、これは現在礼拝後に不定期でもたれている教理を学ぶ会を髣髴とさせます。『ハイデルベルク信仰問答』を皆で読みながら保科先生がしてくださる解説の中に、神道や仏教との比較が出てくることがよくありますが、日本の文化や宗教に大変造詣が深い方なのです。そういったことに疎いボーン・クリスチャンが全く知らないようなことをいろいろ教えていただけるので、とても興味深く聞いています。「論文」ではそれにとどまらず、日本国の成り立ちや日本語について多くの分析を行っており、未知の分野を垣間見ることができました。とりわけ日本語と地域の共同体が日本人の精神風土に及ぼした現象について、牧師の立場から感じてきたことが語られており、非常に興味深く読みました。その先に生まれたのが「キリスト教信仰四〇問答」です。それまで教会員と共に読んだいくつかの「信仰問答」について触れた後、今回「キリスト教信仰四〇問答」を書かれた事情が記されています。 すなわち、『ハイデルベルク信仰問答』ほか、西洋の『教理問答』が優れたものであることを認めつつ、それらが日本の文化や歴史、日本人の宗教性を踏まえたものではないため、日本の福音伝道の課題についての問いを十分考えた信仰問答ではないということです。それに正面から向き合ったのが「キリスト教信仰四〇問答」で、つまり、これは日本の様々な地域でその土地の言葉や文化に身を置きながら真剣に伝道に取り組み、牧師として務めてこられた保科先生にしか書けない信仰問答なのです。その言葉には体験に裏打ちされた重みがあり、考えさせられることが多くあります。

  今年は宗教改革500年の記念の年ですが、保科先生が古希を迎えられた年でもあります。これまで考えて来たことや書かれてきたものを一冊の本にまとめられたのは我々にとっても本当によいことでした。神様が保科先生を選んで遣わし、これまでの七十年を通して導き守られてきたことを知ることができ、誠に感謝です。


2017年10月22日日曜日

「文集制作の延長上に」 

 若い方々はもちろん、ひょっとすると四十代の人もがり版というものを知らないのではないかと思います。今五十代の人たちがそれを知る最後の世代かも知れません。私の小学校時代の担任は大変熱心な先生でしたが、放課後よく汚れ除けの黒い布の腕サックをして、カリカリと鉄筆を動かしていた記憶があります。中学になるとボールペン原紙というものが出てずいぶん楽になったようでしたが、ガリ版ほどくっきりと文字が書けず、また間違えた時うまく修正できない点はガリ版と同じでした。

 中学、高校時代は1年単位で必修クラブというものがありましたが、今思い出すとそのうち何回かは文芸クラブに入っていました。活動内容はほとんど覚えていないのですが、銘々が好きな文を書く時間というぬるいクラブだったことは間違いないでしょう。高校の時は確か一度くらいは机をロの字型にして、それぞれの創作内容について話す時間があった気がしますが、なんとなく違和感を感じたので覚えているのです。何を書きたいのかを書く前に説明するのは困難ですし、そんなものはうまく言語化できないものだと感じていたのだと思います。いずれにしても、最終的には必ず文集という形にしていました。ボールペン原紙に書いて皆で印刷し、表紙の方も絵のうまい子が描いて色画用紙に印刷し、ホチキスで留めて完成。出来上がるとやはりうれしいもので、友達にもあげていたかも知れません。

 先日、この一年間集中的に読んでいた旧約聖書にまつわる物語が完成しました。せっかくですし、今年はなんといっても宗教改革500年の記念の年だから何か形にしておこうと調べてみたら、データさえ作成すれば本の形にしてくれるネット上のサービスがあることがわかりました。思えば、間違いが許されなかったボールペン原紙の時代から10年、ワープロの登場で可能になった文字の自由な修正、挿入、移動は夢のような機能でした。それからさらに30年、パソコンはインターネットで結ばれ、何でも可能にしてくれる便利なサービスが提供されているのです。製本にしても一冊から作ってくれるので自分用に一冊注文し、入稿したものが本の形になって戻ってきた時はうれしかったですが、その気持ちはまさしく文芸クラブで文集が出来上がった時のうれしさでした。お世話になっている方、笑って受け取ってくれそうな方に少しずつ配っていますが、感覚としては自費出版というものでは全くなく、文集を作って「はいっ」と友達に配っていたことの延長上にあることです。ご迷惑でしょうが、もし届いたら笑って受け取ってください。決して感想などは求めませんから。

2017年10月18日水曜日

「見張りと見守り」

 先日礼拝後の小さな集まりで、その日担当された方が旧約聖書の『エゼキエル書』から見張りの務めということについて話されました。最初私はピンとこなかったのですが、それは私が普段聞いている口語訳聖書ではエゼキエル書に見張りという言葉が出てこないからです。ではなんと訳しているかというと「見守り」という言葉です。「見張り」と「見守り」は日本語では明らかにニュアンスが違う言葉です。ちゃんと調べたわけではありませんが、英語だと watchman のようでそれこそ「見張り」なのでしょうが、原語はたとえば watcher 的な意味まで含むような言葉なのかどうか気になります。いずれにしても口語訳ではなぜ「見守り」と訳しているのか少し考えてみました。

 口語訳では「見張り」とか「見張る」いう言葉はむしろ『エレミヤ書』に多いのですが、これはよくわかります。エレミヤはエルサレム陥落を砂かぶりで見てきた人であり、それを食い止めるためにイスラエルの民全体に警告を発し続けた人です。その気の進まない仕事にほぼ一生を捧げたこの預言者はそのことで命を狙われさえしました。異教の神々に傾いていく人々に警告し続けたまさに「見張り」の人と言えるでしょう。しかし、エゼキエルの場合はもう神の答えは出ています。エルサレムは陥落し、ユダ王国は滅亡し、ブジの子祭司エゼキエルはバビロン捕囚の憂き目にあっているのです。エゼキエルはもうこれ以上悪くなりようがない状況で預言者として立てられた人です。異郷の地で異教の神々のど真ん中で暮らすイスラエルの民にとって「見張り」は必要ないのではないでしょうか。ケバル川のほとりで集会をもつイスラエルの民に今何か言うべきことがあるとしたら、「我々の神に立ち返ろう」しかないはずです。どん底から求めるものがあるとしたら、エルサレム帰還へのかすかな希望です。その意味では「見守る」という訳はしっくりくるような気がします。エゼキエル書33章6節にこんな言葉があります。

しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。 (口語訳)

 透徹した頭と熱い心を持つエゼキエルが自らに課した務めの厳しさを物語る言葉であり、エゼキエルの面目躍如と言える語り口でしょう。


2017年10月14日土曜日

「紅春 113」

りくはこの10月で11歳になりました。相変わらずおっとりとして優しく、そしてヘタレです。先日は毎月恒例のお風呂に入れる時、以前の失敗の反省からちゃんと2階に行く階段の上り口の柵を閉めて準備したところ、そのあたりでうろうろしながらしっかり両手を柵にかけて兄の助けを求めていました。このままではネジの部分がまたとれてしきり板が落下する心配があるので、現在思案中です。柴犬のよいところは適度な大きさであること。小さすぎもせず大きすぎもしない。いざという時には、さっと抱っこできるのがつよみです。ゴールデンレトリバーだったりするとそうはいきません。

 誕生日の日は朝からあいにくの雨で、できるだけ好きな散歩につきあってあげようと思っていたのに、残念でした。まあ、りくは誕生日とは知らないと思うのでよかったのですが。雨が上がってからリクエストに応じて土手の道を散歩しました。行った道を戻るのですが、「そろそろ帰ろうか」と言って歩く速度を緩めると、ちゃんと理解してくるっと向きを変えます。たまにもっと先に行きたい時は心残りのようでちょっと残念そうな顔をしますが、大人になってほぼ大体聞き分けがよくなりました。たまに、いじましく少し行っては振り返りまた帰り道を数歩歩いて振り返りなんてこともあり、そういう時は時間があれば、「そんなに行きたいなら行っていいよ」とこちらが折れることもありますが。いずれにしても、歩くスピードはちょうどいいし、散歩の仕方がわからなかった子犬時代を思い出すと感無量です。その日のご飯は豚肉を蒸してトッピングしてあげましたが、もしかするとりくは、いつも食べてる鶏肉の方が好きなのかもなあ。


2017年10月10日火曜日

「変わりゆく大学図書館」

 通院する病院が変わってから大学の総合図書館に寄る機会が少なくなってしまいましたが、しばらくぶりで行って来ました。あまり行かなくなったもう一つの理由は、そこがずっと改修工事をしていたことです。(まだ続いており、この日も図書館は工事の音で相当うるさかったです。)三階の広かった読書室が半分に区切られた時から想像できていたことですが、残念な結果になりました。入り口が反対側になったのはいいとして、内装が新しすぎてきれいすぎ、アメニティがとりわけ重視される場所以外は前とは比べものにならない醜悪さを呈していました。図書館というところは、天井の高さや部屋の造り、本の配置のたたずまい全部を含めて図書館だと思うのですが、ほとんど劇画的に破壊されてしまいました。かろうじて4階に以前の天井と壁が少しだけ残っていましたが、全体として仮小屋のような安っぽい造りです。本はそのままあるのでよいとしなければなりませんが、あの長時間座っていても全く疲れない古めかしい机と椅子もほぼなくなって本当にがっかりです。パソコンが使える机もあるのでまだ耐えられますが、数は激減し、新しくできた地下自習室(入口は別)にそのための広大な空間があります。しかしそこは在学生以外は使えないので残念です。まあ当然なんでしょうけど、なんとなく排除された気分で面白くありません。そんなに頻繁に行くわけではないのだから、広い心で使わせてくれてもいいのになあ。

 それにしても、あの重厚な高い天井の図書館はどこへ行ってしまったのでしょう。ちょっとやりすぎかというほどの、三階まで続くだだっ広い赤いじゅうたんの階段も今となっては懐かしい。図書館の価値は本の数と同じくらい空間の広さにもあると思うのは私だけではないはずです。実際あそこにいくとインスピレーションが刺激され、いろいろな想像がわいたものでした。私にとっては『薔薇の名前』の図書館を唯一体験できる場所でしたが、こんな狭苦しいお粗末な図書館になってしまい、立案した人は何を考えているのかと失望のあまり嘆息しました。大学の敷地にはどんどん建物がたち、従来の建物は仕切られてどんどん小さくなっていく・・・。これじゃあ、人間もどんどん小粒になっていくのではないですか? この日、図書館とは別にびっくりしたのは中央食堂が3月いっぱいまで工事で閉鎖されていたこと。あそこがなくてどうやって昼時の大学の胃袋を満たすつもりなのかは謎です。この日は第二食堂に行きましたがやはり込んでましたねえ。私はゆったりした気分を味わいに大学の敷地に行くのですが、もはや前提が間違っているのでしょうね。せかせかした雰囲気に取り囲まれた感じでトホホなことが多い日でした。

2017年10月6日金曜日

「将棋会館訪問の楽しみ」

 最近はディスカバー・ジャパン的な現象があちこちで起きていますが、今年日本中の耳目を集めたのはなんといっても藤井四段の活躍で脚光を浴びた将棋の世界でしょう。流行には人並みに興味がありますので、先日友人と日本将棋会館のある話題の千駄ヶ谷に出かけてきました。都バスの北参道停留所で降りるともうお昼どき、となれば、やはりみろく庵に行かねばということで環状4号の高架に沿って東に歩いて5分で到着しました。ミーハーに徹し、藤井四段が注文したことで有名となった豚キムチうどんを食べました。料理を作るのはご主人、アルバイトはいるでしょうが、基本的におかみさんが接客というごく家族的な経営のようです。おかみさんは気さくな人で、今でこそ一字のフィーバーは去ったものの、夏の間どれだけ同じメニューがでたことかと話してくれました。これまでほぼ年中無休だったそうですが、今は休み(月曜が多い)を入れることにしたとのこと。行った日が休業日でなくてラッキー、とてもおいしいお店でした。

 すぐ南に建つ国立能楽堂は休演日でしたが、庭を一周して玄関から中を眺めるだけで満足し、いざ日本将棋会館へ。千駄ヶ谷は初めて来ましたが、適度に日常の風景が身になじむ、落ち着いた感じの良い町でした。鳩森神社の中を通っていくと近いようです。友人がお参りしている間、こういう時でもないと神社を通ることはないのであたりを散策。最近神道や仏教にも詳しい牧師先生に聞いた話を思いだし、静かにお願い事をしている友人に、「銅鑼を鳴らして神様を起こさないとだめだよ」と忠告してしまいましたが、よかったかしら。

 将棋会館は5階建てで2階までは見学でき、1階は将棋用品、お土産物屋、2階は道場で対戦をしている組がいくつかありました。将棋のたしなみのない我々はこれだけ見れば十分です。1階では将棋盤や駒を真剣な表情で静かに選んでいる人もいましたが、こちらは冷やかしで申し訳ない。「お饅頭ないの~、普通あるよね」などと能天気なことを言っていたのは我々だけでした。でも、碁盤の目になった箱に将棋の駒の形をした小さなお饅頭が入ったお土産があれば、大好評を博すること間違いありません。せっかく来たので藤井四段のクリアファイルや将棋の文字の入った文房具を買って将棋会館を後にしました。関西の将棋会館もそうだと思うのですが、この将棋会館を建てるのに尽力したのは、たしか大山康晴でしたっけ。勝負の世界で名を残すのはもちろんのこと、しっかりこういう施設を作るという大仕事をした大山康晴はやはり偉かったと思う一日でした。


2017年10月2日月曜日

「読むと聞くの違いとは」

 情報の収集や娯楽の中心が「読む」から「聞く」に段々と移行してきて、そろそろ10年ちかくになるでしょうか。ずっと活字が異常に好きだったのに、それをあきらめなくてはならなくなり、もう生きる楽しみがないなと思うようになった頃、音声ソフトに出会いました。「読む」と「聞く」の違いが身にしみてきた今、両者が思考に及ぼす影響が少しわかってきた気がします。両者の相違点を思いつくままに箇条書きにかいてみます。

1.情報を得る機会
「読む」ことはその気がないとできないが、「聞く」はその気がなくても聞こえる。(その気があって聞く時は「聴く」と書くべきか。) したがって、「聞く」方は長いコードのヘッドフォンを使えば家事をしながらでも、またICレコーダーに入れれば散歩しながらでも聞けるが、「読む」方は基本的に机に向かって落ち着いて読まなければ読めない。草原に寝そべって、電車の中で、ということはあるにせよ、他のことをしながら読むことはできない。

2.コンテンツの入手方法
「読む」方はただそこにある活字を読めばよい。これまで出されたもの全てが対象である。「聞く」方はデータとして存在するものであることが第一段階である。したがって著作物として読めるのは、50年以上前に書かれた著作権の切れた本である。それを入手して音声ソフトで読ませる、あるいは読ませたものを録音する、ここまではまあたいした手間ではない。問題は今そこにある活字を読む場合であるが、これはプリンターで読み取り、文字認識ソフトでデータ化するという段取りが入る。一頁一頁やらないといけないのでよほど読みたい本でないと、できればしたくない作業である。しかも、文字認識の精度がいまいち精妙さに欠け、なおかつ音声ソフトで読み上げる時に読み違いもあるので二順の意味でゆがんでしまう可能性が高い。書いてあることの概要がわかる程度だと割り切って使うならそれでよいし、慣れてくると推測も働くのでやはり重宝する。

3.聞き流しと精読
「聞く」と「読む」に関して、脳内で起きていることの違いを感じるのがこの両者である。「聞く」場合は基本的に聴いたものはその場で消え、どんどん音声が続いていく。わからないことがあっても飛ばすしかない、それは引っ掛かりとして頭に残る。その繰り返しである。一度聞いたものをもう一度聞いたり、結構長い一続きのものを通して聞いたりする場合、脳内で意外な気づきが生じることがある。「えっ、これってあれとつながっているの? おお、これってあれのこと?」という具合である。たぶん高速でテキストをスキャンするために起こることなのではないかと思う。それから精読に入る。キーワードで検索をかけ、あっちこっち調べまわして「う~ん、そうだったのか」ということになる。

 聞いている時と読んでいる時に脳内で起きていることがどれほど違うのか知りませんが、上記の点に関して言えば、おそらく尋常ならざる速読ができる人は同じことが読むことだけによって起こるのでしょう。私の場合は「聞く」生活になってから生じるようになった現象ですが、これも全く見えないのか、或る程度見えているか、生まれつき見えないのか、見えていた時期もあったのかによっても差が出るだろうと思います。古来、語り部というか詩人というか物語を朗唱してきた人々は、盲いた人ではなかったでしょうか。音声は基本的に一続きのものであり、始まったら終いまで聞かなければならないのです。しかし活字はそうではありません。本には厚さがあり、どこからでも読め、これが大事なことですが、どのへんを読んでいるのかがはっきりわかります。つまり、文字は或る種の時間意識と関係しているといってよいでしょう。意外に思われるかもしれませんが、一続きの朗唱を全部聞くことに長い時間がかかることとは裏腹に、それは無時間の感覚に支えられた者なのです。物語が文字通り口伝だった時には時間の観念はなかったのではないか、少なくとも現在の意味での時間はなかったのではないかと思います。