2017年7月30日日曜日

「宗教改革500年記念出版物によせて」

 日本キリスト教団出版局から宗教改革500年記念のシリーズ5部作が出版されます。東京神学大学の学長で中渋谷教会の代務をしてくださっている大住雄一先生はその監修者の一人であり、また第二巻『聖書 神の言葉をどのように聴くのか』の執筆者でもあります。私はもう紙ベースで本を購入することはないと思っていたのですが、先生が礼拝後に教会員に向けて「助けてください」とお茶目なアナウンスをされていたので、「おお、それでは私も貢献せねば」と思って手にした次第です。実際読むには一ページごとにプリンターにかけて文字を読み取らなければなりませんでしたが、あまり厚くない本だったので助かりました。

 私なりに要約すると、儀式やその他の宗教様式によらず、ただ「聖書のみ」から神の御言葉を聴くのは、宗教改革によって生まれたプロテスタントに極めて特徴的なことだということ、宗教改革によって個々人が聖書を所有して読むという成果がもたらされたが、それは或る程度聖書の多様な解釈を認めることにならざるを得ないということ、とはいえ歴史の示すところでは様々なことがありながらも勝手な解釈が生き残ることはなく、むしろそのことによって教会が確かな神の共同体として成長し手来たということです(間違っていたらごめんなさい)。

 第一章は明治初期のプロテスタント指導者が一堂に会した写真を紹介し、まず真っ先に彼らが行ったのは聖書の翻訳であり、その普及であったと告げています。ここで聖書の翻訳は原典に劣るものではなく、むしろ状況に応じて原典が表しえなかったものを補い、時代の新しい可能性を開くものであるとの記述になるほどと思いました。まさしく聖霊降臨の出来事に示されているように、私たちはみな自国の言葉で神の福音を聴くことができるのだということです。

 第二章は、律法の第三用法という言葉に注目して律法と福音の問題を扱っています。教派によって違いもあるようですが、そもそも律法はそれを守る者には祝福を、破る者には呪いを約束するものです。しかし、その完全な遵守は人間にはなしえないことがわかってき他時、価なしの契約へ道を拓くのはイエス・キリストです。それはアブラハムに対する祝福の廃棄ではなくキリストの義による律法の完成なのです。すなわち、イエス・キリストによって罪赦された者として律法を行うこと、これがいわゆる律法の第三用法です。二十世紀に大きな成果を残した旧約聖書神学においては、旧約の律法による救いはイエス・キリストによる救いに至る救済史の中で新たにとらえ直されました。神の現臨する場が天幕からイエス・キリストに取って代わられたのです。それは倫理的な律法のみならず祭儀的な律法をも引き継ぐものでした。

 第三章は、十戒を例に挙げて、聖書が多様な解釈をゆるすものであることを示しています。律法の要である十戒においてさえ、聖書そのものに由来すると考えられる違いが教派によって生じているのです。ここでは、出エジプト記20章と申命記5章の二つの十戒について二十世紀旧約聖書神学における諸説をを示しながら分析を加えています。この二つの十戒はもともと別個に存在したものが教会の中で一つとなったと見ることもでき、それ自体、宗教改革の聖書原理なくしてはあり得ないことが示されています。
 第四章は、プロテスタント牧師の最も重要な務めである説教について解説されています。キリスト教は徹頭徹尾言葉の宗教です。プロテスタント教会は、イエス・キリストの救いの出来事を語ることを最大の使命としながら、一方で見えない言葉である洗礼と聖餐というサクラメントを持っています。この章では再洗礼派や無教会主義との対比をしつつ、説教によって聖書を神の言葉として聴くとはどういうことかを述べています。

 第五章は、聖書と合理主義の関連について歴史的分析を行っています。植村正久の著作が示すところでは、エリートから社会活動家までを包含した明治期のキリスト教界の現状がわかると同時に、聖書を一字一句文字通りに信じる宣教師と聖書を歴史的合理性の観点から読む新神学との間の葛藤も伝わってきます。教理に注意を払いながらも教会の権威からは自由に、理性に従って真理に忠実に聖書を研究することこそ、宗教改革を経て可能となった聖書の読み方です。ここでは海老名弾正、新渡戸稲造の聖書受容に触れながら、自身の深い罪意識に基づいて歴史上の一点として現れたイエス・キリストによってのみ救いがもたらされたとの信仰に立つ植村正久を紹介しています。宗教改革によってもたらされた聖書の合理的解釈の多様性は、時に混乱を引き起こすこともありましたが、私たちは聖書の示す目的(キリストを証言すること)の核心を離れることなく聖書を読み続けたいものです。


2017年7月25日火曜日

「アスカちゃん!」

 久しぶりに、「柴犬とオランダ人と」のブログを開けてみたら6月末に再開されていたことを知り、「また毎日の楽しみができた」とお思ったのも束の間、アスカちゃんの現在の状態に絶句しました。脳腫瘍の末期で余命宣告をされたとのこと、とても言葉がありません。天真爛漫、お茶目で活発なアスカちゃんの姿が強く頭にあるので、体を傾けて歩いたり散歩中に倒れてしまったりするようになったということがにわかには信じられない気持ちです。会ったことはないけれど、もうりくの友達のような気がしていました。十万頭中十数匹しか現れない病で、十歳にも満たないまだ若い犬がかかるのは珍しいとのこと、なんでアスカちゃんが・・・というやるせない気持ちです。この一か月の記事を全部読み、とりあえずパソコンを閉じました。

 最初は3月頃に階段から落ちるようになったことが病に気づいたきっかけとなったようですが、医者からは関節炎の診断しかでず、何軒か通ってMRIを取ってもらってようやく病名がわかったそうです。まだ痛みを感じている様子はないとのことで少し安堵しましたが、医者からは安楽死という選択肢も考えておくように言われているようです。これまでのブログからどんなにアスカちゃん、セナちゃんをかわいがっていたかわかっているので、本当にお辛いだろうと推察するばかりです。私もしばらく何も手につかなくなってしまい、考えた末、初めてお便りコメントを書きました。りくのこともあるし(りくにも「アスカちゃん、大変なんだよ」と伝えました)、またフランクフルトの風景や情報もブログに書いていただいていたお礼も兼ねてお便りしました。慰めまたは励ましになったかどうかわかりませんが、遠くからながらアスカちゃん・またご家族皆様の平安をお祈りしております。


2017年7月23日日曜日

「幻のがまくん」

 朝の散歩から帰ってりくをつなぎ、草むしりをしていた時のことです。裏の小屋の前の雑草を取ろうとして、思わず「ヒッ」と飛びのきました。何か茶色の生き物がぬっと出てきてぴょんと跳んだからです。蛇かと思ってぎょっとしたのですが、それはどう見てもがまでした。すぐに草むらに隠れてしまいましたが、体調30センチ近くもある巨大で重そうながまでした。

 私が家の敷地内でがまを見たのはこれが初めてです。第一このへんには水がない。朝は草に露が降りていますがそれで生きられるわけではないでしょう。川までは直線距離で70メートルくらいでしょうが、そのあたりの河原に住んでいるとは思えない。ずっと離れた、りくの散歩道から見えるところにはがまの生息地があります。ごく小さな池のような水場なのですが、湧水がでているので生物が集まってくるようです。そこへ降りる階段はないので上から眺めるだけですが、「グァ、グァ」とがまの鳴き声がしています。しかし、兄の話ではそこのがまはさほど大きくはなく、10センチほどとのこと。また家までは300メートルも離れているので、そこから来たとも思えないのです。二日ほど前に大雨が降りましたが、道路が川になるほどの雨ではありません。何より心配なことに、近所に猫の多頭飼いをしている家があるのでうちの庭も我が物顔に荒らしていて、いつもりくの怒りを誘っているのです。りくはがまくんと仲良くやれると思いますが、猫に見つかったらひとたまりもないでしょう。とりあえず、がまくんの隠れ家を保持すべくその日の草取りは中止になりました。

 その晩、表通りの方で猫の鳴き声がひどく、りくが家の中で「ウーウー」唸っており、私はがまくん大丈夫かなと案じておりました。翌朝、昨日がまくんがいたあたりを捜してみましたが、当然のことながらもう見当たらず、きっと安全な場所に引っ越したのでしょう。こうなってみると、今更ながら私が見たのは本当にがまだったのかちょっと自信がなくなってきます。何かの前兆ではないだろうかと思ったりもします。がまくんよ、君はどこから来たのか、何者だったのか、そしてどこへ行ったのか・・・夏の朝に幻でも見たのではないかという、不思議な気分です。


2017年7月19日水曜日

「Paper Lanterns を見て」

 7月8日にニューヨーク国連本部で、核兵器の開発や保有、使用などを全面禁止する「核兵器禁止条約」が採択されたという報道がありました。唯一の被爆国である日本が参加しないのは、いつものことではありますが、私などには到底理解できないことです。おそらく、アメリカが参加しないから以外の理由はないのでしょが、公式的には「日本は核保有国と非保有国が協力する中で核兵器のない世界を目指しており、核保有国、非保有国の対立を深めるこのような条約交渉には署名しない」のだそうです。何とでも言えるものだと開いた口がふさがりません。。

 さて、偶然ですがその翌日の日曜日、礼拝後にごく少人数でPaper Lanternsという映画を見ました。太平洋戦争中に広島で捕虜となり、他の日本人同様、原爆投下により亡くなった米兵について、40年の歳月をかけて遺族を突き止め平和祈念館に被爆者登録した森重昭(もりしげあき)さんのドキュメンタリーです。この方は、 2016年5月27日に史上初めて米国大統領として広島を訪れたオバマ大統領が抱擁した方として注目を浴びました。映画自体は日本でもアメリカでも配給されていないもので、教会員でこの活動に携わっている方がいたおかげで大変貴重なものを鑑賞することができました。

 森さんは、8歳で被爆、その後40年ほどかけて、広島への原爆投下時に米飛行士捕虜12人(1945年7月28日、呉湾での戦いで、米軍大型機2機、小型機5機が撃墜されたことによる)が犠牲になったことを調査し、米国全土に国際電話をかけて全員の遺族と連絡をとるという地道な作業を丹念に行いました。原爆投下の犠牲者の中に米兵がいたことは伏せられており、米政府や軍から遺族へ知らされることもありませんでしたが、長年にわたる森さんの調査により、米政府および軍は初めてその事実を認めることとなりました。

 オバマ大統領の広島訪問には様々な難しい障害があったことと推察されますが、「謝罪はいらない、来て欲しい」という被爆者の訴えに応えたものであったのは間違いありません。森さんの活動も、敵味方を越えた人間として、その最期を遺族に知らせたものでした。大変な執念です。人は人間としてきちんと葬られない限り死なない。森さんはその葬りを自分の使命として行った人でした。

2017年7月15日土曜日

「紅春 108」

りくが無駄吠えをするようになりました。前から気づいていたのですが、なんとはなしに放っておいたらだんだんひどくなりました。父がいた頃はこまめに指導されていたのでしょうが、その後はすっかり緩んでいたのです。ここは再びしっかりしつけなければと思い、計画を立てました。りくが一番恐いのは、子供の頃からピコピコハンマーです。決して痛くはないのに、ピコっと叩かれそうになると首をすくめて嫌がります。おもちゃ箱をさがしましたが見当たらず、兄に訊くと壊れたから捨てたとのこと。あれなしにはりくのしつけはできないと、新しいのを買いに行きました。

 以前は百円ショップにあったはずですがもう売られていないようで、ホームセンターにもなく、初めてトイザラスに行きました。「ピコピコハンマーありますか」と尋ねるのは恥ずかしいなあと思いながら探していると、都合よく一つだけあるのを見つけ早速購入。後日、兄が捨てたはずのものも壊れたのは柄の部分だけで、まだ家にあったのを発見、とても良い音なので修理して使うことにしました。一つは茶の間に、一つは台所におき、りくが無駄吠えしたら「ピコッ」、また忘れて吠えたら「ピコッ」を繰り返すうち、だいぶ改善されてきました。最近は吠えたり、吠えそうになったらちらつかせるだけで、あきらかに我慢して吠えないようにしているのがわかります。「思い切り吠えたい! でも吠えるとあのハンマーが・・・」という感じで、ボソッ、ボソッとつぶやくようにしています。今のところ大成功です。

2017年7月11日火曜日

「怖すぎます」

 ここ何日か、聞こうとしなくてもラジオから漏れてくる呪いの叫びがあります。二人とも女性で、一人は運転経路を間違えた秘書を罵倒する国会議員、もう一人はネット上に夫への罵詈雑言を流している俳優の妻です。どうしてこうなってしまうのでしょうか。

 誰もが不思議に思うのは、社会における自分の地位や立場を考えると、自分に対してなされた他者の行為に比して、なぜここまでと思うほど過剰な反応をしていることです。一般の人の目には常軌を逸しているとしか見えません。ここから考えられることは、この方々は主観的には自己の生存権を侵されていると感じているのだということです。事実、国会議員Tの場合、秘書の身体を叩きながら、「お前は私の心を叩いている」と絶叫しており、彼女にとってこの行為は正当防衛なのです。経歴を見るとこれまで何一つ思い通りにならないことはなかったであろう高学歴の女性です。この方の場合は、国会議員という道を選んだことが唯一の失敗と言えるのではないでしょうか。もう少し自分の能力や努力がそのまま業績に反映されるような職を選ぶべきでした。政治などは或る意味人気商売で、しかもこの方の場合あらゆる点で自分よりはるかに劣る一般大衆を相手にするのですから、うまくいくはずがありません。いずれ国会議員は辞めざるを得ないと思いますが、それで転身できるならこの方にとってはよいことです。ただ家族、特にいきなり地獄に突き落とされた子供たちは本当に気の毒です。

 俳優の妻Mの場合は、献身的に夫を支えてきた伴侶というのが唯一のアイデンティティだと本人が自覚しています。夫から離婚を突きつけられることは自己の存在の基盤を失うことなのです。器用な人でもあるようでカリスマ主婦として資産を築き、タレント的な振る舞いもしていますが、夫を支えることが自己目的化していなければ今回のような行動にまで走ることはなかったでしょう。最悪の意味で、自分以外の人のために生きてしまったこの方は今後とても難しい問題を抱えることになります。恨みという形で爆発するしかないので、見苦しい姿をさらし続けることになるでしょう。もはや唯一の目標は相手を社会的に葬り去ることなのです。人気商売そのものである当の夫は針のむしろを覚悟しなければなりませんが、相手が悪すぎました。気の毒です。

 共通して言えるのは、この二人の女性は「自分しかいない」ということ、従ってその意味では5歳の子供と同じだということです。結局のところ、他者は自分の欲望に奉仕する限りにおいて存在し、自らは神のごとくに振る舞っているのです。ちょっとでも自分を客観視できるならそのおかしさがすぐわかるはずですが、気づいてくれることを願うばかりです。とにかく、呪いの言葉を吐くのはもうやめてください。マスコミももう取り上げないでください。聞きたくないのです。


2017年7月7日金曜日

「反省しなくていいのでしょうか」

 都議選の日は何日か前に不在者投票を済ませ、それきり選挙のことは忘れていました。政治に対する期待は微塵もないので気にもならず、夜になって結果を聞きました。予想以上の大差がついたことに少し驚きましたが、もっと驚いたのは、その前日だったか安倍首相が秋葉原に応援演説に行った時の報道でした。非常に多くの人が「安倍はやめろ」と「帰れ」コールを繰り返しており、ちょっと騒然としていました。その場にいた人たちの年代はわかりませんが、場所柄若い人が多かっただろうということ、それほど人が集まったのにはなにがしか呼びかけがあったのだろうということは推測できました。(それにしても、昭恵夫人にもらった百万円を返そうと籠池氏までいて札びらを見せていたというのだから凄い。) 応援演説をかき消された形の総理はいつものごとくいきり立って、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言っていました。その時頭に浮かんだのは次の二点。「安倍総理は十代の若者に選挙権を与えたことを後悔しているだろうな」ということと「こういう時のために禁じ手まで使って共謀罪法案を通したんだろうな」ということでした。

 「こんな人たち」と名指しされた人々はマジョリティとはいえぬまでも普通の方々でしょう。自分に反対しているからと言ってこの方々を排除する姿勢は首相としては失格です。敵対者を消していくのは独裁者であり、この方々とも共存していける仕方を模索するのが議会制民主主義国家の代表者ではないでしょうか。というようなことを、「中間報告」という名の強行採決で共謀罪法案を通した政府に向かって言っても無理なのか。もうだいぶ前から文明国としての議会運営の体をなしていないと思うのは私だけではないでしょう。忖度と密告は紙一重です。相手が、「鳴かぬなら脅してみようホトトギス」と思っていれば、「とりあえず鳴きまねしようホトトギス」とならざるを得ません。ホトトギスの話になったのは、たまたま友人からお子さんの話題で、ホトトギス川柳を作って遊んだ話を聞いたからです。その時、友人が私のことも詠んでくれたのですが、「あ、わかった」と言うなり一人で笑い出してしまいなかなか収まらず、ようやく聞けた一句はこうでした。「鳴かぬなら説得しようホトトギス」 私もゲラゲラ笑いました。ホトトギス相手に説得はしないと思いますが、りくにならするなあ。あの子はちゃんと話せば反省してわかってくれるから。


2017年7月3日月曜日

「捨てられない物」

 物に対する執着が薄くいらないものは大胆に処分できるたちですが、なかなか捨てられない物もあります。ちょっと古ぼけてはいるが十分機能は果たせるものや長年使って愛着のあるものが時折クローゼットの中から出てきます。この機会に何とかするかと思うもののそのままでは使えないので、ふと布製品は染め直してみようと思いました。真っ先に試したのは大型のトートバッグです。すっかり色あせ何年も日の目を見ていませんでしたが、十年前には仕事用具をすべて詰め込んでほぼこれだけを使っていたなあ、と。パンダマークのWWFの製品で作りがしっかりしており、持ち手の長さも金属の留め具部分もとても気に入っていたのです。

 布製品の染色といえば、やはり英国のD社、とりあえず一番近い色を選んで購入しました。元々の色は段ボールのような色なのですが、ベージュでは薄く茶色では濃い気がしたのでゴールドを試すことにしました。使用法に書いてある通り、お湯で溶き、塩水を加え(驚いたのは6リットルのお湯に対し塩が250gも必要なこと!)、かき混ぜながら15分、そのまま45分、あとは十回くらいすすいで脱水、乾燥させるだけです。途中でアイロンをかけて形を整えて干しました。

 結果は、新品のようにとはいきませんが、かなりパリッとした感じに生まれ変わり、まあ満足な仕上がりです。捨てずに済んでよかった。あとひと頑張りしてくれそうです。他にも帽子や衣類を別な色で試しましたが、もともとの色に似た色をのせるような感じで染め直すなら、かなりよくなるということがわかりました。ポリエステルやアクリル、ナイロンは染められないので残念です。難点があるとしたら、すすぎに大量の水を使うことで、これは排水溝に流すしかないから水質汚染になるだろうな。

 それにしても捨ててしまえば楽なのに捨てられないのはなぜでしょう。普段使いの衣類や身の回り品なら当たり前ですが身の丈に合っているということ、それゆえどうしてもそればかり選んで使い長い時間を共有してしまったこと、ゴミ箱に捨てるという安易な手間に比して、その中に消えてゆく記憶の容量があまりにも大きいこと、こういったことがその行動にブレーキをかけさせるのでしょうか。テレビはすぐに捨てられたんですがね。