史上最年少でプロ棋士になった中学生、藤井聡太が日本を席巻しています。私が将棋と聞いて頭に思い浮かぶのは二つだけです。一つは子供の頃読んだ四コマ漫画で、最初の一手を指した途端相手が「参りました」というもの。将棋の深遠さを知らされました。もう一つは教師として勤めてからのことですが、教室で生徒を当てる時の席順でしょうか。大抵は飛車か角の進み順、たまに「桂馬とび」を入れたりすると悲鳴が上がったものでした。
このところの藤井フィーバーの根底には世間の安堵感があるのではないかと思います。もちろん彼は底知れぬ才能を秘めた天才ですが、或る意味人々をほっとさせるものを持っています。十代、それも前半で各方面の逸材が現れてきていることが顕著な昨今ですが、しかしそれはこれまでスポーツや芸能、歌やダンスという身体そのものが人目にさらされることを前提にした分野が多かったように思います。そして彼らはその分野の性質上、明るく活発で積極的な性格が目立っていました。しかし、藤井四段の場合は、リュックを背負ってとぼとぼ歩く姿はどこにでもいる地方都市の中学生ですし、はきはきと自分を主張することなく伏し目がちに訥々と話す様子は、押し出されてやむなく語っている少年にすぎません。ごく普通の家庭できちんとした育てられ方をしたこと、よい師匠に出会ったことなどが周辺取材から垣間見ることができ、とても懐かしい日本の中学生の原型を見ているようでした。
「ああ、まだこういうタイプの天才が絶滅していなかったのだ」
これが大方の率直な感想であり、それゆえみな安堵したのです。同時に、
「こういう子が才能を発揮できる場があって本当によかった」
とも思ったことでしょう。
藤井四段をことさら有名にしたのは彼が会見で語った言葉でした。「とても中学生の言葉とは思えない」語彙であるとも話題になり、新聞を第一面から最後まで全部読んでいるという話を聞いて、やはり只者ではないと思った人も多かったでしょう。なにより、幼い時から将棋に負けると将棋盤を抱え込んで号泣していたという逸話から、そういう子供でなければとてもここまで来られなかったのも確かなことでしょう。しかし、彼について語る時のコメントで繰り返された、「まだ14歳の中学生が」という指摘は的外れだということは、自分がその年齢だった時のことを思い出せばすぐわかるはずです。思い当たることがないとしたら、その人は子供時代を忘れてしまったのです。14歳がどれほど大人であるか人は本当は知っているはずです。生活していく上でのほとんどのことが親頼み、大人頼みであったとしても、思考力の点では大人に劣るものではありません。ただ、置かれている寄る辺ない立場が重々わかっているので、心にどうすることもできない鬱屈を抱えているだけです。プロ棋士になるには、奨励会に入る、入って昇段していくという過程があり、なってからのタイトルを目指す一局一局の対戦の歩みは、聞くだけでも壮絶で厳しい世界です。藤井四段がいかに穏やかに見えても、我が内にとんでもないモンスターを宿している以上、どれほど高く大きな大志を秘めていることか想像もつきません。地元のプロ昇段の祝賀会で、50年以上なかったというタイトルを「東海地区に持って帰りたい」と抱負を述べていた時、その静かな闘志を見たと思いました。
今回の快挙に水を差していたのは、竜王戦の賞金額や他の名だたる棋士の生涯獲得額などを調べ上げて情報を流している大人たちの態度です。そういう姿勢がこれまで子供たちの学ぶ力ををどれだけ損なってきたか、そういう風潮をあっさり退けるために藤井聡太が出現したのだということがまだわからないのかとあきれてしまいました。すでに詰んでしまった彼らの思考盤は救いようがありません。若き才能は余計な雑事に煩わされることなく一事に専心してほしいです。29連勝が結局するまでの間一番面白かったのは、夕飯に注文したチャーハンが売り切れでワンタンメンを注文し直したという話で、インターネット中継での「さすがにチャーハン売り切れまでは読めなかったか」というコメントは秀逸でした。
2017年6月29日木曜日
2017年6月25日日曜日
「よい知らせを」
ろくなニュースがない。事件、事故、犯罪、暴力、テロ、不正、悪巧み、言い逃れ・・・。詩編には素直な祈りの詩もありますが、時に敵の殲滅を祈る呪いの言葉もあってたじろぐことがあります。しかし、悪いニュースがこれほど多く、悪人がこれほどわがもの顔に跋扈している今日、自分も呪いの言葉を心で呟いていることに気づくのです。心が荒れるといいことは何もないのですぐやめますが、「世に正義が打ち立てられていないのはおかしいと考えて、個人が悪人を私的に処罰する」という社会の風潮は日に日に高まっているように思います。或る種のドラマにおいてはその流れが一ジャンルを形成していると言ってもよいようです。現代は呪いの時代なのです。
先日、申し込みをしていなかったのですが地区教会婦人会の研修会に当日参加で午前中だけ出させていただきました。礼拝説教をされた牧師はその中で、「ルターの宗教改革から五百年の今、プロテスタント教会という呼称はやめて、福音教会という名乗りをすべきではないか」という話をなさいました。福音派や福音主義という呼び名はすでに歴史を背負っておりそれゆえ色がついてはいるが、今プロテスタント(抗議する者)という名を変えるなら、福音教会としか言いようがないのではないかということでしょう。大変印象深いその説教は、「呪いではなく福音を求めましょう。なぜなら神様はあらゆる人を救いたいと思っておられるからです」と、結ばれましたが、確かにそれこそが教会のすべきことなのです。
また、この日「私の歩んできた道」という題で講演なさった牧師の話で私が一番印象に残った言葉は(そのままの言葉ではないのですが)、「私は、神様は祈りを聞いて、話される言葉がそのまま現実となる方であることを知っていたので祈れなかった」という言葉でした。子供が生死の境にいた時、同じ状況にある孫を持つ方が、「私が代わってあげたい」と言うのを聞いた時の話です。他にもあだちいさい子どもがいたため、今目の前で苦しむ子を見てもとても「私を代わりにしてください」とは祈れなかったとのこと。結局、お子さんは助かりましたが、「光あれ」と言えばその通りになる神様を信じるがゆえ、祈れなかったことを神はご存じでそのうめきを聴き届けてくださったのでしょう。二人の牧師の話は私の中で呼応し合いました。呪いと復讐は神の専権事項です。キリスト者は福音を語ればよいのだし、この世に立つ教会はこの世の他の場所では決して聞くことのできない福音を聴ける唯一の場所なのです。教会で福音を聴けないとしたら、この世に希望はありません。教会は、神の言葉を信じて、祈って、待つ、そうあらねばならないのです。
先日、申し込みをしていなかったのですが地区教会婦人会の研修会に当日参加で午前中だけ出させていただきました。礼拝説教をされた牧師はその中で、「ルターの宗教改革から五百年の今、プロテスタント教会という呼称はやめて、福音教会という名乗りをすべきではないか」という話をなさいました。福音派や福音主義という呼び名はすでに歴史を背負っておりそれゆえ色がついてはいるが、今プロテスタント(抗議する者)という名を変えるなら、福音教会としか言いようがないのではないかということでしょう。大変印象深いその説教は、「呪いではなく福音を求めましょう。なぜなら神様はあらゆる人を救いたいと思っておられるからです」と、結ばれましたが、確かにそれこそが教会のすべきことなのです。
また、この日「私の歩んできた道」という題で講演なさった牧師の話で私が一番印象に残った言葉は(そのままの言葉ではないのですが)、「私は、神様は祈りを聞いて、話される言葉がそのまま現実となる方であることを知っていたので祈れなかった」という言葉でした。子供が生死の境にいた時、同じ状況にある孫を持つ方が、「私が代わってあげたい」と言うのを聞いた時の話です。他にもあだちいさい子どもがいたため、今目の前で苦しむ子を見てもとても「私を代わりにしてください」とは祈れなかったとのこと。結局、お子さんは助かりましたが、「光あれ」と言えばその通りになる神様を信じるがゆえ、祈れなかったことを神はご存じでそのうめきを聴き届けてくださったのでしょう。二人の牧師の話は私の中で呼応し合いました。呪いと復讐は神の専権事項です。キリスト者は福音を語ればよいのだし、この世に立つ教会はこの世の他の場所では決して聞くことのできない福音を聴ける唯一の場所なのです。教会で福音を聴けないとしたら、この世に希望はありません。教会は、神の言葉を信じて、祈って、待つ、そうあらねばならないのです。
2017年6月21日水曜日
「紅春 107」
帰省して翌日りくを風呂に入れ、準備が整いました。5月に行くはずだったワクチン接種が今年は6月になってしまいました。夏毛の生え代わりが遅れ抜け毛が6月まで続き、とても行ける状態ではなかったからです。土曜日の午前中に行くはずでしたが、前日の午後に兄の予定が空いたので、午後に行くのは初めてでしたが行ってみました。土曜日よりは空いているはずです。
診察は二匹待ちで、すぐりくの番になりました。受診台の上で問診を受けながら、体重測定、検温、聴診器での心臓音の確認があり、体重はまた減っていたのでがっくりきました。もう一つ指摘を受けたのは脚に毛の薄い部分があること。りくがいつも毛づくろいをしているせいだと思うのですが、薄毛は被毛の状態としては望ましくないとのことでした。まあ、それはそうだろうな。
それから採血となりいったん飼い主は診察室を出ましたが、なぜか「もう一度入って、注射の時りくちゃんを励ましてください」と言われました。注射に関しては飼い主がいない方がうまくいく場合と、同席した方がうまくいく場合があるそうで、そう言えば前々年は同席したのに昨年りくはひとりで注射を受けたことを思い出しました。隣室にキャンキャン鳴いている犬がいたせいでりくも怖がったのか、今年は同席することになったようです。入ってビックリ、りくはエリザベス・カラーをつけられており、これは初めてのことでした。注射は無事終了、りくは全く騒がずおとなしくしていました。アレルギー反応がないか2時間様子を見るように言われ帰宅しました。そのまま昼寝をさせ、夕方起きた時にはすっかり元気になっていました。今年の一仕事を終えて安心しました。これで一年間、ジステンバー、肝炎、咽頭気管炎、コロナ、パラインフルエンザ、パルボ、レプトスピラ(これが三種)の心配はないぞ、りく。
それから採血となりいったん飼い主は診察室を出ましたが、なぜか「もう一度入って、注射の時りくちゃんを励ましてください」と言われました。注射に関しては飼い主がいない方がうまくいく場合と、同席した方がうまくいく場合があるそうで、そう言えば前々年は同席したのに昨年りくはひとりで注射を受けたことを思い出しました。隣室にキャンキャン鳴いている犬がいたせいでりくも怖がったのか、今年は同席することになったようです。入ってビックリ、りくはエリザベス・カラーをつけられており、これは初めてのことでした。注射は無事終了、りくは全く騒がずおとなしくしていました。アレルギー反応がないか2時間様子を見るように言われ帰宅しました。そのまま昼寝をさせ、夕方起きた時にはすっかり元気になっていました。今年の一仕事を終えて安心しました。これで一年間、ジステンバー、肝炎、咽頭気管炎、コロナ、パラインフルエンザ、パルボ、レプトスピラ(これが三種)の心配はないぞ、りく。
2017年6月17日土曜日
「テレビとの決別」
ずいぶん前から、「もうテレビはいらないんじゃないか」と思っていました。以前職場で、お子さんもいらっしゃる方でしたが、「うちにはテレビがないの」と言っていたのを聞いて、「ほう、それはそれでいいかもしれない」と強く思ったのを覚えています。テレビの音声が入るラジオを使ってみて何の支障もないのは実感できていましたが、ふんぎりがつかないまま惰性でそのままになっていました。
きっかけはNHKの訪問でした。地デジテレビを持っていて衛星放送を受信できるマンションなどに居住している場合、衛星放送受信料も支払わなければならないと放送法で決まっているそうです。契約させられてしまいましたが、見てもいない衛星放送受信料まで支払えというのはおかしい、あまりにも横暴だと感じました。その時は末端の請負業者と言い争いたくもないので黙って判を押しましたが、この時はっきり「テレビを処分しよう」と決めました。長いこと迷っていたことについて、背中を押してもらえてむしろよかったと思ったくらいです。
三日後にはリサイクル業者に電話してテレビを引き取ってもらい、「TV処分代」と書かれた領収証をもらい、NHKに電話して解約手続きをしました。書類が送られるまで十日もかかるそうで、料金は日割りではなく月単位でかかるというあきれ果てた怠惰な体質をこの期に及んで知りました。業者は怪訝そうに、「故障したんですか」と尋ねましたが、処分したのは全盛だった頃のシャープのアクオス(亀山モデル)、8年で壊れるはずがありません。ただ、諸行無常の言葉通り、社会の状況は一変しています。衛星受信料契約手続きをしてから一週間もしないうちに、契約を解除するとはNHKも予想していなかったかもしれません。私にとってどうにも不可解なのは、どうしてマンションに於いて地上波とBSを分けて受信ができるようにしないのか、そして受信した通りに受信料を徴収するシステムを構築しないのかということです。その方が長期的に見て受信料収益を減らさずに済むに違いありません。
使用してもいないものに課金することを世間一般では詐欺と言います。こんなことができるのは、「テレビなしでやっていけるはずがない」という驕りがあるとしか思えません。しかし時代は変わったのです。受信料を徴収していない放送局にしても、番組の三分の一がCMではどうしようもありません。テレビというメディアが新聞同様終焉に向かっているのが誰の目にも明らかな今日、せいぜいできるのはその速度をほんの少し遅らせ、延命を図ることだけでしょう。
きっかけはNHKの訪問でした。地デジテレビを持っていて衛星放送を受信できるマンションなどに居住している場合、衛星放送受信料も支払わなければならないと放送法で決まっているそうです。契約させられてしまいましたが、見てもいない衛星放送受信料まで支払えというのはおかしい、あまりにも横暴だと感じました。その時は末端の請負業者と言い争いたくもないので黙って判を押しましたが、この時はっきり「テレビを処分しよう」と決めました。長いこと迷っていたことについて、背中を押してもらえてむしろよかったと思ったくらいです。
三日後にはリサイクル業者に電話してテレビを引き取ってもらい、「TV処分代」と書かれた領収証をもらい、NHKに電話して解約手続きをしました。書類が送られるまで十日もかかるそうで、料金は日割りではなく月単位でかかるというあきれ果てた怠惰な体質をこの期に及んで知りました。業者は怪訝そうに、「故障したんですか」と尋ねましたが、処分したのは全盛だった頃のシャープのアクオス(亀山モデル)、8年で壊れるはずがありません。ただ、諸行無常の言葉通り、社会の状況は一変しています。衛星受信料契約手続きをしてから一週間もしないうちに、契約を解除するとはNHKも予想していなかったかもしれません。私にとってどうにも不可解なのは、どうしてマンションに於いて地上波とBSを分けて受信ができるようにしないのか、そして受信した通りに受信料を徴収するシステムを構築しないのかということです。その方が長期的に見て受信料収益を減らさずに済むに違いありません。
使用してもいないものに課金することを世間一般では詐欺と言います。こんなことができるのは、「テレビなしでやっていけるはずがない」という驕りがあるとしか思えません。しかし時代は変わったのです。受信料を徴収していない放送局にしても、番組の三分の一がCMではどうしようもありません。テレビというメディアが新聞同様終焉に向かっているのが誰の目にも明らかな今日、せいぜいできるのはその速度をほんの少し遅らせ、延命を図ることだけでしょう。
2017年6月13日火曜日
「健康食材花盛り」
テレビ番組というのは、ニュースとドラマを除けば、お笑いか食または健康に関わるもので成り立っているように思われます。健康をテーマとする番組は需要も多いのでしょう、老若男女を問わず人気があるようです。体に良い食べ物は大体もうよく知られているので、最近はかなり細かい情報が出されてきます。その一つがシナモンです。毛細血管の修復に明らかな効果がある食材だそうで、以前からシナモンロールを作っていた私は大変うれしく思いました。匂いが強いので何にでも合うとはいきませんが、りんごやかぼちゃとの相性は抜群です。つい最近は、もう終わりも終わりのりんごがスーパーで格安で売られていたので、どっさりシナモンアップルを作って冷凍してあります。かぼちゃも欠かさず食べている大変優良な野菜ですが、これからはなるべくシナモンと組み合わせるつもりです。
ミニトマトは食べやすいこともあり大人気ですが、抗酸化作用があまりにも有名になったため、特においしい商品は品薄で、よく行く店では入荷するとすぐ売り切れるのか、最近はいつ行ってもありません。そのミニトマトはどういう違いなのか、まるで果物のようなおいしさなのです。
納豆は知る人ぞ知る健康食品です。(消費量は水戸を抜いて福島市が全国一だそうです。)今まで通り普通に食べればよいようです。できるだけ熱を加えない方がよいとも聞きましたが、熱いご飯にのせるくらいは許してほしいです。
先日は鉄分に関する放送がありました。動物系の食品は体に吸収されやすく、野菜や海草は吸収されにくいと聞いて、がっかりでした。私はプリン体の多い食品を控えているので、レバー等はあきらめホウレン草やひじきで摂取していたからです。しかし、鉄製品を用いて調理し、貧血を国家的レベルで大幅に改善したカンボジアの話を聞いて、「そんな方法があったのか」と目からうろこでした。そういえば家にずっと使っていないすき焼き用の鉄鍋があった・・・と思いだし、おもむろに取り出して可能な限り調理はそれで行うことにしました。鉄が溶けだすまでに7分かかるらしく、放送ではそのことが強調されていたようです。これで少しでも食生活が改善されるとよいなと、ちょっと来月の検査結果が楽しみです、
ミニトマトは食べやすいこともあり大人気ですが、抗酸化作用があまりにも有名になったため、特においしい商品は品薄で、よく行く店では入荷するとすぐ売り切れるのか、最近はいつ行ってもありません。そのミニトマトはどういう違いなのか、まるで果物のようなおいしさなのです。
納豆は知る人ぞ知る健康食品です。(消費量は水戸を抜いて福島市が全国一だそうです。)今まで通り普通に食べればよいようです。できるだけ熱を加えない方がよいとも聞きましたが、熱いご飯にのせるくらいは許してほしいです。
先日は鉄分に関する放送がありました。動物系の食品は体に吸収されやすく、野菜や海草は吸収されにくいと聞いて、がっかりでした。私はプリン体の多い食品を控えているので、レバー等はあきらめホウレン草やひじきで摂取していたからです。しかし、鉄製品を用いて調理し、貧血を国家的レベルで大幅に改善したカンボジアの話を聞いて、「そんな方法があったのか」と目からうろこでした。そういえば家にずっと使っていないすき焼き用の鉄鍋があった・・・と思いだし、おもむろに取り出して可能な限り調理はそれで行うことにしました。鉄が溶けだすまでに7分かかるらしく、放送ではそのことが強調されていたようです。これで少しでも食生活が改善されるとよいなと、ちょっと来月の検査結果が楽しみです、
2017年6月9日金曜日
「おてんとさまはどこいった」
たしか北野武の子供時代を描いたドラマで、母親が「うちは貧乏だけど、おてんとさまに顔向けできないようなことは、これっぽっちもしてないんだからね」と、タケシに言っている場面がありました。昔の日本の家庭には、貧富の差を問わずこういう健全な感覚があったと思います。今は本当にひどいものです。世間を騒がせているM学園、K学園問題を見ると、内閣府の驕り、横暴な態度は度し難いものがあります。取り巻きや友人の便宜を図り、関係先に圧力をかけておきながら全く悪びれることがない。むしろ逆切れしたふりを装い、誠実さがみじんも感じられないことは誰の目にも明らかで、こんな内閣府をいただく国は憐れです。絶対他者の正義と公正という視点を持たず、自らが神のごとくに振る舞う人間をを見ると、詩編の断片が次々と心に浮かびます。
神に逆らう者は自分の欲望を誇る。貪欲であり、主をたたえながら、侮っている。
(詩編10編3節)
12:05彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
(詩編12編5節)
主に逆らう者は勝手にふるまいます
人の子らの中に/卑しむべきことがもてはやされるこのとき。
(詩編12編9節)
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
(詩編14編1節)
「主をたたえながら」というのは、敬虔なふりをしてという意味でしょう。所詮、人は塵に過ぎないものです。そうした人の行く末は明確に思い浮かびます。
人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。 風がその上に吹けば、消えうせ
生えていた所を知る者もなくなる。
(詩編103編15~16節)
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
(イザヤ書40章7節)
そしてイザヤのその言葉に続くのはもちろんこの一文です。
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
(イザヤ書40章8節)
2017年6月5日月曜日
「紅春 106」
りくをお風呂に入れたときのことです。もともとお風呂はきらいなのですが、もう慣れたと思っていました。ところが、バスタブから出して洗っている時に、「ヒーン」という妙な声を出しました。これはまずい。なぜなら発作が起きる手前の状態に似ているからです。あわててなだめながら手短に切り上げ洗い流して終わりにしましたが、その間ずっと断続的にこの声をだしており、また発作が起きるのではないかとはらはらしました。
結局何事もなく終了し、その後の様子も変わりありません。思うに、どうもりくは発作を起こして以来、発作を起こせばいやなことをやめてもらえると思っているのではないかと思うのです。頭のよい子なのでそのくらいは考えそうです。それに、これは自分もそうなのでよくわかるのですが、年をとると忍耐力が明らかに落ちてきます。以前は辛抱していたことでも、もう嫌なことは我慢しないというふうに変わってきています。これからはお互い相手の我儘と折り合っていかなければならないようです。
結局何事もなく終了し、その後の様子も変わりありません。思うに、どうもりくは発作を起こして以来、発作を起こせばいやなことをやめてもらえると思っているのではないかと思うのです。頭のよい子なのでそのくらいは考えそうです。それに、これは自分もそうなのでよくわかるのですが、年をとると忍耐力が明らかに落ちてきます。以前は辛抱していたことでも、もう嫌なことは我慢しないというふうに変わってきています。これからはお互い相手の我儘と折り合っていかなければならないようです。
2017年6月1日木曜日
「冷たい食生活」
どなたもそうかもしれませんが、私は暑くなるとてきめんに食欲が落ちます。冷たいものしか食べられなくなるのです。思い起こせば、他のものが何ものどを通らずそうめんしか食べられなかった夏もありました。すいかは運ぶのが大変ですが、夏場は欠かしたことがありません。普通の温めて食べるものを冷やすことは念頭になかったのですが、先日自動販売機で冷たい味噌汁なるものが販売されていることを知り、なるほどと思いました。母が昔言っていたのですが、暑くなって赤ちゃんがミルクを飲まなくなったとき、「味噌汁の上澄みでも良い」と医者から言われ試してみたら、それはよく飲んだというのです。「こんなの栄養あるのかしら」と心配だったそうですが、栄養はあるはずだし何よりちゃんと食べられることが大事です。具材はいろいろ試してみるつもりですが、とりあえずすぐ柔らかくなる玉ねぎとニンジンで味噌汁を作り、鍋のままだと場所を取るのでミキサーにかけてからポットに入れて冷蔵しました。う~ん、冷たい味噌汁もなかなかおいしいものです。
ちなみに私は薄味のだしが染みた大根の煮物等も好きですが、冬しか食べられないと思っていました。これも冷やしてみたらとてもおいしく食べられました。コーヒーはすでに少し前からサイフォンで淹れたものを冷蔵しています。ひとつ難点があります。冷やすには時間がかかるということです。そのため朝の6時から夕飯作りが始まり、出来たらあとは冷やすだけ。また前夜作ったものは、翌日にはよく冷えておいしくいただけます。
ちなみに私は薄味のだしが染みた大根の煮物等も好きですが、冬しか食べられないと思っていました。これも冷やしてみたらとてもおいしく食べられました。コーヒーはすでに少し前からサイフォンで淹れたものを冷蔵しています。ひとつ難点があります。冷やすには時間がかかるということです。そのため朝の6時から夕飯作りが始まり、出来たらあとは冷やすだけ。また前夜作ったものは、翌日にはよく冷えておいしくいただけます。
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