北朝鮮の核ミサイル発射のエックス・デイが子供の間でも話題になっていると聞きました。一部の子供たちは「僕たちもうすぐ死ぬんだね」と話しているのだとか。一方で、家庭用の核シェルターも売れていると言います。聞けば、わりと手の届きそうな値段なのですが、そこまでして生き残りたいという前向きな気持ちを持てることの方がすごい、と正直思います。こういう生活の在り方は或る意味、持病を抱えているのと同じ心境でしょう。その日はいつ来るかわからない。なるべく先送りする努力は必要ですが、その先についての準備をしたり心持ちを整えるのも同じくらい大事だと思っています。
昨今の社会状況は国の内外を問わず、最悪レベルまで下がっているとしか思えず、劇画的な言い方をすれば神の怒りがいつ爆発してもおかしくないと感じています。最近の事件で一番つらかったのは安孫子の幼女連れ去り殺人事件です。こういう無抵抗で弱い者、人を信じている小さな者に対する犯罪は聞くだけでも気持ちがどーんと落ち込み、人間の罪悪の計り知れぬ深さを思い知らされます。犯人はもちろん赦し難い極悪人ですが、この点は犯人が死刑になればそれで済むものでもないと強く感じますし、底なしの罪悪に沈んだ人をどうするべきか全く見当もつきません。神の怒りのしるしはいつか下されるでしょう。「復讐はわたしのすること、わたしが報復する(ローマの信徒への手紙12:19)」とあるからです。
今村雅弘復興大臣はやはり辞職となりました。更迭と言った方がいいかもしれません。問題発言は二階派の集まりでの講演で起きましたが、それは東日本大震災の被害について触れた次の言葉です。
「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になった」
正直な人です。ただ愚かなのです。下を向いて原稿を読んでいた他の部分は、おそらく官僚の作文でそつのない文章だったのでしょうが、唯一顔を上げてアドリブで言ったこの部分が命取りとなりました。佐賀出身とのことですが、私の想像ではこの方は東京暮らしが長く、熊本の大地震についてもきっと同じ感想をもたれたのではないでしょうか。語弊があるかもしれませんが、これが東京に住んでいる者の感覚なのです。東京人の考えは私にもよくわかります。こんなことを言うと災厄を呼び寄せそうで恐いのですが、東京人は東京に被害が及ばない限り決して他の地域について深く考えることはないでしょう。いや、この方の場合は仕事にもかかわらず、当の担当地域に対して「あっち」という遠称の指示代名詞でしか呼べない距離感が一番駄目なところと言うべきか。
ただ、一連の騒動に関してもっと問題だったのは二階俊博幹事長のコメントで、
「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」
と述べたことです。ここまで認識不足と独裁体質が身体化してしまっていたら、「そんな人は初めから排除して、政治家になれないようにしなきゃダメだな」と、私は思ったのですが、他の東北人の反応はもっとおおらかでした。インスタグラムに満開の弘前の桜を載せ、「東北でよかった」の文字。今村大臣の言葉を逆手にとっての見事な切り返しに、私はかなり東京ナイズされてしまった、東北人として再修業しなければと反省しました。