先日、福島の宝、花見山に連れて行っていただきました。考えてみれば、震災の翌年、養生のため一般公開されていなかった折に行って以来でした。ちょうど花が見ごろの時で、天候もよかったので大変な人出でした。周囲の山も含めて何とも言えないパステル調に曇った風景も、鮮やかな菜の花畑との対照も全てが味わい深く、時折吹くゆるい春風にはためく庭先の鯉のぼりも里山の風物詩です。
先日(4/17)のニュースで、「キノコ違法採取 共謀罪、妥当か」という記事が報道されました。「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案をめぐっての話で、金田勝年法相が保安林でのキノコや鉱物の採取も対象犯罪としたことについて述べた時のものです。理由は「相当の経済的利益を生じる場合もある。組織的犯罪集団が必要な資金を得るために計画することが現実的に想定される」とのことでした。
これは或る意味、テロ以上に恐ろしい話です。山の幸に対して、ついにここまで魔の手が伸びて来たのかという思いです。この案件の狙いは実は里山の破壊にあるのではないかとの疑念を抱いています。数年前に『里山資本主義』が出版されてからは特に、里山が象徴する自然の豊かさに目を見開かされ、お金に依存しないサブシステムを上手に作りだし活用しようとする人々が増えてきました。これがマネー資本主義にとってどれほど危険なアイディアであり、まだ芽のうちに摘み取ってしまわなければならないと考える人々がいるのは事実でしょう。そういう人々が経済界を牛耳り政権を担っており、躍起になってこの流れの拡大を阻止しようとしています。里山を荒廃させ、人々を都市に回帰させないと、地方の行政は立ち行かなくなります。また、過密状態でも都会に人を集中させ一円でも多く出費させないと、マネー資本主義は回りません。彼らの目論見が成功した時、その先に何が待っているのか、私には想像もつきません。命の源ともいえる豊かな里山がなくなった後、いったい日本に何が残るのでしょうか。
花見山の周辺はお店もでていましたが、とても商売っ気のないゆったりした商いでほっとしました。のんびりした雰囲気の中、行政サイドの派遣員だけでなくボランティアのガイドも大勢出て、交通規制をしたり、案内や説明をして環境を守っている姿をとても清々しく感じました。いかにも福島らしいことです。こういった趣すべてはお金では買えないものなのです。そして、これはいくら強調してもしすぎることはないことですが、あの山は個人所有であるにもかかわらず無料で公開されているのです。こういった金儲けのチャンスをみすみす逃すような行為は、キノコ法案を通そうとしている方々にはおよそ理解に苦しむ馬鹿げた事例に見えるに違いありません。しかし、これこそが福島の豊かさなのです。花見山に象徴される里山は、市民がしかと慈しみ守っていかなければならないものだと深く感じました。