2016年7月26日火曜日

「眠りについて -創世記とマクベス-」

 眠れないという悩みを私はこれまでほとんど経験したことがありません。これは本当にありがたいことで、一見とても元気そうな方が睡眠薬を処方されていると聞いて驚かされることもあります。以前も書きましたが、私の場合、体調不良は時間の長短はあってもほぼ睡眠だけで治ります。時々起きて水分を適宜とり、少しでも食べられそうなものを口にしながら昏々と眠ります。具合が悪い間はいくら寝ても眠いのですが、目覚めて起きたい気分になったらほぼ治っています。治療内容が「ひたすら眠る」だけであることを考慮すると、これはもう劇的な結果だと言ってよいでしょう。

 旧約聖書の創世記の中で、神が人(男:イシュ)の骨を取り出して女((イシャー)を造る記述はよく知られていますが、その前に神が「人を深い眠りに落とされた」ことを私は失念していました。なんとなく麻酔のようなイメージで読み過ごしていたのです。しかし最近、これは「眠りというのは創造の業が行われるときである。」という意味なのではないかと思うようになりました。眠りによって人は回復しますが、体の中では途轍もないことが行われている気がします。そういえば、アブラハムがまだその名になる前に神と契約を結ぶ時にも深い眠りに落とされたのではなかったか。これも、何かしらそれまでの彼とは違う人間になったことを示しているのだと思います。普通は、食物がやがて腐っていくように、物事は放っておいたらたいてい悪くなりますが、眠りのあとは全く逆のことが起きています。体調は良くなり、気力も充実し、頭の中で混沌としていた諸々の事柄がすっきり整理されています。天地創造において神が光と闇を分け、また水と水とを分けて天と地にしたように、頭の中では睡眠中に創造の業が行われているのです。

 この点でなるほどそうだったのかと合点がいったのは「マクベス」における眠りです。ダンカンを殺した後のマクベスが真っ先に聴くのは、「眠りはもうないぞ。マクベスは眠りを殺した。」という声です。魔女の予言を聞いて、「未だ王ならざる者」以外のものではなくなったマクベスが未来を手に入れるために殺人を犯すのですが、その直後にその声を聴くのです。それも予言と同様、グラームズ、コーダーと合わせてご丁寧にも三度繰り返されます。これまで、印象的な言葉だがちょっと飛躍があると感じていたのですが、なるほどそういうことかと腑に落ちました。これは単にもう安眠できないぞというような意味ではなく、マクベスはもう創造の業に関与できなくなったという意味だったのです。

 これでずっと不思議に思ってきたマクベス夫人の夢遊病のわけもわかりました。彼女が精神錯乱を患い異常な行動をする者となるにしても、「なぜ夢遊病?」とうまく飲み込めないできましたが、ここには明確な理由があったのです。夢遊状態は本物の眠りではなく、彼女こそ眠りを奪われ創造の業から遠ざけられた者なのです。彼女が戸棚を開け何かを書き記し読み直して封印するという行為を私は密書の作成かと思っていたのですが(「マクベス夫人の憂愁 3」)、今ではあれはずばり系図の作成に違いないと思うようになりました。彼女がひたすらしているのは、自らの子孫による実現するはずのない王位継承の系図の作成と、殺人による王権奪回という過去の繰り返しであり、それだけを虚しく延々と行う者に成り果てたのです。

 創造の業の最たるものは新しい生命の誕生でしょうが、彼女にそれが訪れることはないのです。彼女自身が語ったように、彼女はかつて子供をもったことがありましたが、マクベスとの間には子がなかった。継承する者がいてこその王位なのですから、二人の王権には先がありません。これと対照的なのがアブラハムの妻サラです。彼女は「子を授ける」という神の言葉をせせら笑うほどの老年になって、子宝(イサク:笑いという意味)に恵まれ、「神はわたしを笑わせてくださった。」と言い、イサクの子孫は「天の星のように、浜べの砂のように」増えていくのです。人の目には子孫の望みがないように見えていたのに民族の祖となったアブラハムとサラに対し、王位を受けながら虚しく亡ぶしかなかったマクベス夫妻はまったく対照的に描かれています。シェークスピアが創世記を踏まえていたのかどうかわかりませんが、そうだとしたら誠につじつまの合う話です。

2016年7月22日金曜日

「言葉の身体表現について思うこと」

 今の人は大変だなと私が思うのは、言葉と身体を同時に適切に用いて表現しなければならないという要請が強くなっていることです。プレゼンテーション、講演、スピーチといったものは以前からありましたが、その重要性はますます高まり、その出来不出来が主張内容の信憑性を左右するようなことが多い時代になってきています。これはもちろんインターネット時代の論理的帰結で、動画という形で音声と画像が自在に配信できるようになったことと不可分です。TED(Technology Entertainment Design)はその代表例です。自分の体験から、世に広めるべき価値観をスピーチする、あるいはパフォーマンスするという理解でいいのかどうかわかりませんが、それぞれの登壇者の人生を変えた体験を語るだけあって、活字だけでは呼び起こしえない強烈なインパクトを広範に与えていることは間違いありません。

 このような時代を生きることに関して多くの人はどう感じているのでしょうか。言葉と身体を兼ね備えたスピーチがうまいというのは、足が速いとか、ピアノがうまいとかいうのと同じ才能です。また、外向的か内向的かといったその人の性格によるところも大きいでしょう。うまく言えないもどかしい感じなのですが、私個人に限って言えば、こういうことがうまくできない人やこういう仕方では表現し得ない事柄の方に関心があります。

 今の世では自分を表現できない人は愚鈍な人か臆病な人として無価値なものにされます。時代の潮流と言えばその通りですが、私はこれをとても惜しいことだと思っています。絵画や工芸、建築などのアーティストは固有の表現方法を持ち、職人さんなども自分の作品自体がその証明です。その他の、身体性を伴わない言葉しか持ち合わせない大勢の人々は、敢えて言うなら、私はそのままでよいと思うのです。就活とか職場でのプレゼンとか求められる人はやらざるを得ませんが、プレゼンを暗黙裡に強制される社会はそれが苦手な人にとってはある種暴力的だとさえ思います。もちろん、こういうことができることはすばらしいことであるし、ある人々にとっては必要不可欠な表現方法だと思います。そのうえで、そのような価値観の形成を抑制したいと思うのです。人々がそれができないことに強い劣等感を感じるとしたら、本来開花すべきものが無残に押しつぶされてしまうことを危惧するのです。ひょっとすると、それは西洋とりわけアメリカ的価値観に基づく表現方法を至高のものとする感覚に私がなじめないだけかもしれませんが、ただなぜだかこれに関しては、この方向が目指される社会ではそれによって失われるものが確実にあるという気がします。これまで日本にあった時代遅れに見える表現方法にも生き残りの場を与えてほしいと私は願っています。



2016年7月18日月曜日

「沖縄と福島」

 八月が近づくといやでも平和をめぐる戦後の歩みと現在おかれている世界状況を考えないわけにはいかず、暗澹たる気持ちになります。いやでもというのは本音で、筆舌に尽くしがたい悲惨な沖縄戦や戦後の米軍統治期からこれまでの沖縄の歴史などできれば考えたくないのです。しかしあれこれ考えると、飛躍するようですが、やっぱり東日本大震災は意味なく起きたものではないのかもしれないという気もしてきます。私たちは沖縄に対する国のひどい仕打ちに、いわゆる本土の住民が皆無自覚に加担していることを誰でも知っているのです。

 歴史の悲惨さにおいては、朝敵とされ討幕派と死闘を演じた戊辰戦争以後の福島の歴史も負けてはいません。あまりに理不尽な扱いを受け、痛めつけられた会津の歴史は涙なしには語れません。旧会津藩士の下北流刑(斗南藩)や旧会津藩領の明治政府民政局による直轄地化といった、冷や飯さえ食えないような過酷な扱いの延長線上に、福島原発設置も考えるべきものだろうと思います。

 沖縄には米軍基地の7割が集中していることを私たちは考えないようにしています。沖縄が米軍基地を受け持ってくれることで他の日本国民がとりあえずの安心感を得られるのは、福島が原発施設を受け持つことで東京都民が安定的に電力の供給を受けることができていたのとパラレルです。或る固定化した地域だけが割を食い他の地域がゆうゆうと暮らせるしくみなのです。そういえば今年の沖縄の日(6/23)間近に起きたアメリカ軍属の男による女性暴行・殺害事件を受けて開かれた6万人規模の県民大会では、オール沖縄会議共同代表の女子大生が「安倍晋三さん、本土にお住まいの皆さん、加害者はあなたたちです。しっかり沖縄に向き合ってください」と、明確なスピーチをしていました。その通りで、まったく痛いところを突かれましたが、たぶんあのスピーチに反発を覚えた人も多いことでしょう。私たちは自分の手が汚れていることを認めたくないので、「米軍基地があるせいで国から多額のお金がきているのでしょう、撤去されたら暮らしが立たない人もいるのでしょう。」等々の言葉を投げつけて一層沖縄の人を傷つけていますが、ひるがえってみればそれは福島の原発事故による被災者が、「今まで原発のおかげで潤っていたのでしょう。今は避難手当をもらっているのでしょう。」などといわれなき非難を受けることと同じです。

 しかし長い目で見れば東京も無傷ですむはずがないのです。ちょっと思い出しても、もし福島原発の所長が吉田所長ではなく、上からの命令に唯々諾々と従うような人だったら、またその所長についていくいわゆる「フクシマ・フィフティーズ」がいなかったら、今ごろ東京を含む東日本一帯は人の住めない国土になっていたはずです。たまたま今回東京は間一髪被災を免れただけで、首都直下型地震もかなりの確率で近々発生すると言われているのですから、5年数か月前の大災厄を最後の警告として受け止める謙虚さが必要でしょう。

 国家にとっては必要不可欠だが住民には迷惑なものを狭い地域に固定して、それが長年持続することによって、それで生計を立てる住民をつくりだし依存させるという点で、沖縄と福島は同じ構造でした。事故が起こったことで、福島が第二の沖縄であることがはっきりしました。両県の県民性などは天と地ほども違っていると感じますが、他に共通点を探すなら、どちらも美しい自然の恵みをたくさんいただいていること、また最近の出来事では参議院選挙で現職閣僚が落選したことがあげられるでしょう。後者は偶然ではなく、日本全国で各地域が利己的な主張をし合っている今の状況を根本的に考え直すしかないのではないでしょうか。


2016年7月14日木曜日

「紅春90」

柴犬がおばあさんと二人で暮らしている様子をテレビで見たことがあります。二人とも相当なお年でこれまで一緒に暮らしてきたのでお互いにかけがいのない存在です。ある日のこと、隠しカメラでおばあさんが病院に行っている間の様子を撮ってみると、柴犬はずっと玄関で待っていました。毎度のことなのでだいたい帰る時間もわかっているようです。そろそろ帰ってくるという時分、足音でも聞こえたのでしょうか、柴君は玄関を離れ茶の間に戻りました。それから玄関の戸が開いておばあさんが家に入ってくる瞬間に、柴君は迎えに出ました。あんなにずっと待っていたのにわざわざ一度戻って、「別に待ってませんでしたよ。」というふうに再び出ていく・・・。どうもこれが柴犬の特性のようなのです。ツンデレといってよいのか、大好きなのにクールに装ってしまうのです。相手に気を遣わせないという面もあるのかもしれません。

 りくはといえば、確かにそういうところはあります。じっと見ていると目をそらしたり、りくがまったりしている時に構おうとすると、「姉ちゃん、うるさい。」とうざったがったがるのですが、放っておかれるのもいやで、一人でつまらなくなると手っこを出して来たり体を摺り寄せてきたりします。帰省して初めて扉を開けるときはそんな余裕はないのでしょう、うれしさ全開で飛びついてきて、数秒して不在にしたことを大げさに責められます。

2016年7月9日土曜日

「長い旅路の果てに」

  年を重ねて生きているうち、これまで忙しさにかまけて通り過ぎてしまったいくつかの事柄が心に引っ掛かっていることに気づきました。そのことに向き合わなければならないと思うようになり、少しずつ心当たりを当たってみることにしました。具体的にはある時から連絡の取れなくなってしまった同級生を探すことだったのですが、最初の手がかりによって辿り着いた別の同窓生からその友人がすでに亡くなっていたことを知らされました。

 彼女は中学・高校時代一緒に多くの時間を過ごしたとても仲の良い友達で、教会にも時々来ていました。大人になってからも年賀状のやりとりはあったのですが、それがそのまま返送されるという形で途絶えてから20年ほどたった気がしていました。多忙であったことは確かですが、連絡が絶たれたことで私を避けているのではないかとの疑念が生じ、彼女をさがすことができずこの日まで来たのです。またその頃はさがす手立てもありませんでした。

 本腰を入れて彼女をさがそうと思った理由はもう一つありました。もう一人の友人が40年ぶりの同窓会のために彼女をさがしていることを知ったからです。よく話を聴くと、大学時代に彼女にひどいことを言ってしまい会って謝りたいとのことでした。30年間後悔してきたというのを聞けば、やはり見つけて謝らせてやらなければと思ったのです。どちらも私の大事な友達なのです。

 彼女をさがす企てはその後ご家族とお墓をさがす企てに変わりましたが、なかなかうまくいかず何度も頓挫しかけました。取っ掛かりになった同窓生は、中学の頃はまったく予想もしなかったことですがなんとクリスチャンになっており、それには大変驚かされました。彼にもらった情報をたどっていって行き当たった方からお話が聴けたのですが、それはさらに驚くべきものでした。その方は教会で行われた彼女の葬儀に出席したというのです。「彼女は洗礼を受けていたのですか。」とお聞きすると、「受けていたと思う。」との返事。心臓が早鐘を打ち始めましたが、にわかには信じられない気持ちでした。教会名を伺いその足ですぐにその教会に向かいました。

 突然の訪問にもかかわらず牧師先生ご夫妻は親身になって私の話を聴いて対応してくださいました。葬儀は十年前に行われ、それよりさらに十年ほど前に彼女が間違いなくその教会で受洗していることをお聴きしました。私は安堵感から体中の力が抜けました。その後に、彼女のことをよく知る信徒の方からもお話が聴けましたが、その話に私は驚愕するほかありませんでした。彼女は受洗のことをご家族にも言っていなかったと知り、ご家族はキリスト教に理解のない方々ではなかったことを考えると、これは腑に落ちないことでした。彼女の葬儀が教会で行われたのは、彼女の携帯を見たご家族が電話帳の「1番」のところに教会名があったため、教会に連絡をとったのがすべての始まりだったのです。一言でも受洗について知っていたなら、私もどれほどうれしく安心だったことかと思いますが、なんらかの理由で、彼女は周囲の人にそれを告げなかったのです。しかし、最期の時、彼女はご家族を教会へ結び付け、私もこうしてここへたどり着くことができました。何年か後に、ご家族もその教会で受洗されて教会員になられたと聞いた時には大きな衝撃を受けました。誰がこんな結末を想像しえたでしょう、神様はこんな恵みを用意されていたのだ、と。私の長い旅路も終わりました。

 彼女をさがしていたもう一人の友人は、彼女の死を知った時、「もう会って謝ることができない。」と嘆きました。その時はまだ彼女の受洗を知る前でしたが、私は「もうあなたのことを許していると思う。」と彼女に言いました。彼女のさばさばした性格からそう告げたのですが、彼女がキリスト者となっていたことを知った今は、友人を赦していたことを間違いのない確実なこととして断言できます。キリスト者は赦すから赦され、キリストの救いにあずかって永遠の命に入れられるのですから。

 連絡がとれなくなって20年と思っていたのは実際は10年であったことは、家に帰って古い年賀状を整理してわかりました。それだけ私の悲しみは深かったのです。ずっと心の重荷になっていたのです。神様が深い憐れみをもって私の叫びに耳を傾けていてくださったことを私は知りました。私は彼女とのつながりが深かったのに、また彼女は別のクリスチャンの同窓生とも出会っていたのに、彼女をイエス様のもとに引き寄せることができなかったことに無力感と深い悲しみを感じていたのです。私は彼女がどこへ行ってしまったのか、どこにいるのかがわからないことに苦しんできたのですが、今は彼女がどこにいるのかはっきりわかるので、私の心は安らかです。彼女は
「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない(ヨハネの黙示録21章4節)」ところにいるのです。それらがもう過ぎ去ったところに彼女は憩っているのです。私の悲嘆はもう二度と彼女に会えないということでしたが、そうではなかった、来るべき日に再び天国で会えることがわかったのです。もう何の心配もありません。今、私の心は平安に満たされています。

2016年7月7日木曜日

「英国のEU離脱について」

 6月24日は日本のテレビでも一日中イギリスのEU離脱の話題を扱っていました。国民投票の結果、ぎりぎりでEUに留まるだろうとされていた予想が外れたからです。恥ずかしながら、私は今回の騒動で初めてイギリスがEUに加盟していたことを知ったので離脱という結果に驚くことはありませんでした。報道によると、特に移民の流入に対する感情的な反発がこの結果を生んだ大きな要因の一つだったということで、あるテレビ局の特派員は現地のメディアの言葉として、普段あまり感情を表さない英国人がノルマンディー上陸作戦の成功およびダイアナ妃の死亡時以来示した強い感情表出だと語っていました。

 もともとヨーロッパとはヨーロッパ大陸のことなのですから、歴史においても国民性においても全く異なる英国が加入していたことが土台無理だったのです。自国通貨を保持し、域内国境での出入国管理は基本廃止なるもドーヴァー海峡の英国側ではなにがしかの入国審査が行われる等、これまで様々なワガママが許されていたのです。そもそもヨーロッパ連合への加入が無理だったと考える方が自然です。経済活動における有利性を捨てて国としての形を守るという選択はそれはそれで一つの見識です。ただ、金融業界の人々はグローバル経済にどっぷり浸かっている人たちですから離脱によって大きな損失を受けるのは当然としても、その余波によって他の産業に携わる人がこれまで享受してきた経済的恩恵を喪失する打撃にどこまで耐える覚悟があるのかという点と、これが国家的判断としてなされ各個人に及ぶ影響が百人百様であることが大きな問題でしょう。頑張ってくださいとしか言いようがありません。

 一番強く感じたのはグローバル経済に基づく思考が英国の良識を大きく損なってしまっていたことが露わになったことです。いやしくも民主的手続きで決定したことなのですから、議会制民主主義の規範としての態度を示してもらいたいものです。あとになって投票のやり直しやら地域的(スコットランドやロンドン)英国離脱の議論やら離脱推進派議員の党首選出馬辞退やら離脱交渉の引き伸ばしやらの動きは見苦しく、それこそ他国が持たない英国のブランドイメージを傷つけるものです。グローバリストによってここまで英国がむしばまれていたのかという残念な気持ちです。日本にも甚大な被害が及びそうですが、これからどうなるのでしょうか。個人的には何があっても「ま、なんとかなるでしょう。」と思っています。

2016年7月4日月曜日

「自動延長サービスの停止」

 パソコンに関して、私は最強と言われる某セキュリティソフトをずっと愛用しています。パソコンのウィルス感染だけはなんとしても防ぎたいと思うからです。さて、このたび1年間の自動延長更新の時期が来てクレジットカードの情報を更新してくださいとの連絡メールが来ました。例の紛失事件によりカードが新しくなっていたからです。商品が結構値の張るものだったので少し考えて、更新ではなく一度停止することにしました。もちろん、クレジットで落ちないのですから放っておいても同じ効果が得られるはずですが、ちょっと調べて停止の手続きをしてみることにしたのです。

 この会社の場合、利用停止を希望する場合は必ず利用停止ページから利用停止手続を行わなければならないことになっているようです。製品を削除 (アンインストール) しようが、パソコン自体を処分しようが、利用期間延長自動更新サービスはとまらず、利用停止 (契約の解約) にはならないのです。これは考えてみると恐ろしいシステムです。このまま利用者が亡くなり、家族がこのことを知らない場合、課金(利用者からすれば口座引き落とし)はずっと続くことになります。

  さて、利用停止にトライしましたが、これがはなはだ煩雑で、隠されているのではないかと思うほど「利用停止ページ」が見つからないのです。運よくそこに入れたら、「以前のご注文番号」と「電子メールアドレス」の入力をします。その後、停止したらどんな恐ろしい危険がパソコンに襲いかかるかというメッセージが流される中、くどいほど何度も「停止」をクリックしてようやく停止にこぎつけるのです。時間のない方、パソコンに疎い方、脅しに弱い方、「以前のご注文番号」を控えていない方等々は、途中でめげてしまうかもしれません。

 私は最後まで行きつけましたが、やってみてこれがまともな会社のすることだろうかと不信感が募りました。そもそも私はダウンロードではなくパッケージ版でインストールしていたはず。いつのまにダウンロード版になってしまったのか。きっと何かクリックしたのだろうが、巧妙に誘導されたのに違いない。それに初めのはデラックス版だったはずでいつのまにか高額なプレミアム版に変えられている、クレジットカードの変更手続き期限を知らせるメールは余裕を持って届いたが、利用停止手続きの期限はほとんど時間的余裕を与えていなかったようだった、あれも利用者を自動延長更新に追い詰めるための手法なのか…。

 私の勘違いもあるかもしれませんが、一度心に疑いを持つとどんどん広がる暗雲は止められません。始めはクレジットカードの更新情報を知らせなければ大丈夫なはずと思ったのですが、利用停止の手続きをしなかったために万一あとで請求が来ないとも限らない、きちんと手続きをしておかねばという気持ちが堅くなったのも事実です。相手からすれば自動延長サービスはなんと容易な課金システムでしょうか。しかし、私はこれをまともな商売とは認めません。いつしか自分が詐欺師に対峙するのと同じ心境でいることに気づきました。

 結局、同じ会社の3年間のパッケージ版を購入して用いることにしました。製品自体には信頼をおいているのに販売方法には大きな不信感を抱いている、と言う事態はかなり珍しいように思います。今回買ったものもインストールするとそれ以前の有効期間は無効になるので、いま入っているものの期限が切れる日にインストールすることになります。このあたりも利用者の利便性を考えてくれたら信頼感が増すのですが、私などにはわからない企業の事情があるのでしょう。ただ率直に言って、これほどの疑念を消費者に抱かせてしまう企業ってどうなんでしょう。そのことに企業や社員はきづいているのでしょうか。気づいていないとすればあまり賢明な会社とは思えず、気づいていて「うちの製品なしでやれるならやってみろ。」ということならあまりに傲慢ではないでしょうか。方針が決まって私が今一番ほっとしているのは、あと3年はこのことで不愉快な思いをせずに済むということです。





2016年7月1日金曜日

「大学のグローバル化について」

 6月22日の内田樹のブログに、「大学のグローバル化が日本を滅ぼす」と書かれていましたが、これが掲載された媒体が今年度の『大学ランキング』の「グローバル化」の項目であることを考えると、このような或る種自傷的な内容を雑誌が甘んじて掲載するほど大学は切羽詰っているのかと、あらためて知らされました。だいたいの趣旨は以下の通りです。

 いま各大学は自学の価値を上げ文部科学省から補助金をもらうために、グローバル化を推進することが必須となっている。そのグローバル化なるものの指標は、「①留学生派遣数、②外国人留学生受け入れ数、③外国人教員数、④英語による授業数、⑤海外提携校数、⑥TOEFL目標スコアなどすべて数値的に示されるもの」であり、この合計値によって日本中の750大学の「グローバル度進捗ランキング」で1位から750位まで格付けされる。

 文部科学省が、大学の教育研究の質の間にどのような相関があるのか示しもしないこの数値によって大学を格付けする理由は、大学淘汰を加速するためである。大学が増えすぎてもはや高等教育の体をなしていないところもあり削減したいのだが、これが国民の就学機会を減少させる」ことになるのは紛れもない事実であり、それはそもそもの「学校設置目的そのものを否定することになる。」また、高等教育を受ける資格のない学生が大量に存在し、その受け皿となっている大学も多数あるという事実は、「過去数十年の文科省の教育政策が根本的に間違っていたということを認めるに等しい。」

 そのため、「『「グローバル化度』が『大学の質を表示する数値』であるという偽りの信憑を振りまくことで、『要らない大学』を淘汰することへの国民的合意をとりつけ、かつ教育行政の歴史的失敗を糊塗すること、これが『グローバル化』なるものの実相だ」と筆者は見ているのです。そして、国民の就学機会を実質的に減らすことには何ら明るい見通しはないものの、失敗を隠蔽するために「全国の大学に向かって自殺的な教育プログラムの実施を要請しているのだ」と述べています。

 「グローバル化のスコアを上げるために1年間の留学を義務付ける大学が増えている」が、これすなわち教育の外部委託であり、突き詰めれば1年間と言わず4年間留学させ、本校が担うのはその事務手続きだけにすれば、人件費や設備費の削減と言う観点から一番効率的な大学運営方法になるであろうと、筆者は揶揄しています。

 ここから先が、私には非常に共感することなのですが、「日本語で最先端の高等教育が受けられる環境を100年かけて作り上げたあげくに、なぜ外国語で教育を受ける環境に戻さなければいけないのか。僕には理由がわかりません。」 まったく同感で、私にもさっぱり理解できません。明治以来、日本の学問は翻訳という知的作業と切っても切れない関係にありました。元々ない概念を自分たちの知的枠組みに移し替えることが、日本の学問の中心的課題の一つでした。母語で研究できるという恩恵はとてつもないアドバンテージであり、しばしばとんでもないブレークスルーをもたらすからです。事実、そうやって日本の学問は世界に恥じない研究結果を残してきたのだと思います。「公用語として外国語使用を強いられた旧植民地からいったい何人のノーベル賞受賞者が出たか。」と筆者は述べています。内田樹は最後を、「大学のグルーバル化は国民の知的向上にとっては自殺行為です。日本の教育を守り抜くために、『グローバル化なんかしない、助成金なんか要らない』と建学の理念を掲げ、個性的な教育方法を手放さない、胆力のある大学人が出てくることを僕は願っています。」という文で締めくくっていますが、この悲壮な叫びが補助金獲得に躍起になっている大学人にどれだけ届くのか、本当にやるせない気持ちです。

 私たちが子供の頃読んだ外国の本はどれをとってもすべて翻訳でした。誰もがそれを読んで際限もなく想像の翼を広げ、まだ見ぬ外国に憧れたはずです。大人になってからも、翻訳によらずしてはアクセスできない本はいくらでもありました。今、大学にかつてと同じ様相や規模を保って、仏文科や独文科があるのかどうか知りませんが、こういう、どう考えてもカネになりそうもない分野がしぼんでいき、翻訳という仕事が何か二流の作業のように扱われれば、翻訳による以外そのような世界にアクセスする手立てを持たない人々も確実に減っていくでしょう。それは日本にとって大きな損失だと私は思います。

 問題は英語です。こちらは現在、表面的には原語で読み書きできるという潮流ができつつあるので、それこそ英文科の存在意義を疑問視する人は多いでしょう。しかし世界中どこに行こうと英語で困ることはない人がいる一方で、TOEICのスコアを引き合いに出すまでもなく、翻訳を必要とする多くの人が依然として国内に存在するのも確かです。また、海外で活躍する人は何をもって自己のアドバンテージとするのかが大きな課題でしょう。

 大学のグローバル化が進めば今の日本語に加えて英語ができるようになると考えるなら、それはあまりにナイーブな予測というべきでしょう。当然言語状況は変わらざるを得ない、高等教育レベルの知が母語によってもたらされることのない事態が続けば、それは日本語を際限もなくやせ細らせ、空洞化させる方向にならざるを得ません。大学のグローバル化は今手にしている日本語にプラスして英語を上達させるようなものではなく、今ある国語をとりかえしのつかない仕方で破壊しながら何を得られるのかという二者択一的な問題だというべきです。明治以来の教育に関しては、「学問のすゝめ」を読んで皆がそれぞれ自己利益のために勉強したようでありながら、一方で明らかに国家的プロジェクトとして西洋文明の膨大な翻訳事業が行われていました。それは、この両者が切迫した不可分の課題であることを日本人が無意識的にであれ察知していたということにほかなりません。明治期の日本人は類的存亡をかけてそれを成し遂げたのです。このあたりの事情は十分よく検証する必要があり、ゆめゆめ翻訳という研究事業を侮ることなく、今後ますます予想される困難な事態に対処すべきだと思います。