2016年1月29日金曜日

「若い人の人生設計」

 学食で昼食をとっていると相席の学生さんの話がどうしても聞こえてしまいます。先日は理系の男子学生二人が会話していました。これがもう高校生かと思うくらい非常に若く見えたのですが、キャンパスの場所からして1,2年生のはずがなく、とはいえいくらなんでも院生ではないでしょうから3、4年生でしょう。
「海外に出てゆっくりしたいね。」
「それしかないよね。」
ほうっー、今は海外の方がゆっくり研究(もしくは仕事)できる環境なのかと驚いていると、どうもそうではないらしい。聞くともなしにさらに聞いていると、一度海外に出て研究実績を上げ、帰国してしかるべきポストでゆっくりしたいといことのようなのです。これはかなり衝撃的な話でした。この若さでこんなキャリア人生の見通しをもっている・・・。

 二人はその他にこまごまとした具体的な就職先の情報交換をしていました。今はあらゆる情報があっという間に拡がってしまう時代です。国の内外の就職状況からすると先ほどのやり方が一番効率的によい仕事を得られる方法なのでしょう。賢いやり方なのでしょう。そう思いつつも、私はなにか茫然とする思いで食事が進みませんでした。そう言えば、私は学生の時友人と就職の話をしたことが一度もなかったなと思いました。これは教師になる選択をして一般企業に就職することから離脱していたせいかもしれませんが、たぶん就活をした学生でも先輩つながりだけだったでしょう。友人同士で就職のことが話題になることはなく、あったとしても決まった後でした。ましてや現在のような意味でその先のキャリア設計をしていた人がいたとは到底思えません。若い方に心底同情してしまうのはこんな時です。

2016年1月27日水曜日

「最近の歯医者さん」

 歯医者さんに通っています。少し前に開業した近所の歯医者さんにはとてもよく治療してもらえ、近所に頼れる歯医者があるのはありがたいことだなと思わされます。歯の状態や治療について十分説明してもらえますし、毎月院内紙も出していて歯の病気の予防についても教えてくれます。歯科衛生士さんから、少し前まで「食後3分以内に15分歯を磨きましょう。」だった歯磨き指導が、今は「15分してから10分磨きましょう。」に変わったのだと聞きました。咀嚼が済んで唾液が口内に十分行きわたるようになってから磨かないと歯が削れ過ぎるとのこと。これを聞くと、時代によってこんなに簡単に変わるのなら、歯に限らずどんな生活習慣も「これでないと駄目」ということはおよそないのでしょう。

 最近の歯医者さんは噛み合わせをとても重視しているようです。私は最初の治療から噛み合わせの問題が浮上し、相当すり減っていることがわかりました。このままいくと歯の根の部分がくさび状にえぐれたり、歯周病が進行することになりかねないとのことでした。寝ている間なので自分ではわかりませんが、歯ぎしりや食いしばりをしているらしく、就寝時用のマウスピースを作ることになりりました。日頃どんなに歯磨きなどでケアしていても、歯ぎしり・食いしばりがあるとそれだけで歯を失う原因となるそうです。怖い話です。これについては全然知りませんでした。歯を食いしばって生きている気はしませんでしたが、歯を食いしばって寝ていたとは。

2016年1月22日金曜日

「前向きの極意」

 最近読んだもので一番面白かったのは、全盲の女性で一般人材会社の営業職となり、トップクラスの実績をあげられている方の講演記録です。これはNPO法人タートルという視覚障碍者の雇用支援に尽力している団体の9月交流会でなされた講演でしたが、年末に届いた会報に活字として載っていたものです。多くの新聞にも取り上げられたことのある方のようですが、私はごく薄い記憶しかありませんでした。

 とにかく並はずれたプラス思考で、そのためチャンスが向こうから束になってやってくるような方です。専門家に無理と言われても本当にそうだろうかと検証してみて、できること、上手くいくこともたくさんあると自分で積み上げていきます。キャリアコンサルの資格を取る時、全盲を理由に一つの資格の受験を断られても別のもっと有利な資格が取得できたり、ハローワークの職員から「鍼灸マッサージ以外の仕事はゼロ」と断言されても、「今まで誰もやったことがなかったのだから前例がないのは当たり前」と突き進んでいきます。1社目はクビ、2社目は倒産でもめげません。倒産というのは社長が認めない限り起こらない経済現象なのだそうですが、この方は他の営業マンがどっと抜けていくなか、半年間無給で働き、クレーム処理から始めて徐々に信頼を回復してお客様を引き継いだというのですからあっぱれです。全盲だからいやでも目立つ、すると営業に出ても異常に丁寧に扱われたり、仕事ぶりを見て目をかけてくれる方々(エライさんも多い)が出てくる。周りが起業家ばかりの環境にいると、甘えたサラリーマン意識を捨て自分の環境は自分で変えるのが当たり前になってくる。二番目の会社では、リクルート出身者もいる十数名のばりばりの営業マンの中で月間売上第一位の営業成績を上げるようになっていく。

 現在お勤めの三番目の会社は障碍者枠ではなく一般枠で応募したとのことですが、2~3名の採用枠に健常者50名の応募があったのに、真っ先に採用が決まったのが彼女で、理由は「前の会社で無給時代に成果を上げたから。」だったそうです。どんなことからでも経験は積めるのです。また、中小企業のよい点として、「能力を最大限発揮して生き残るか、クビになるかの二択しかないこと」を挙げていました。中小企業はどこか暇な部署で飼い殺しにしておくような余裕はないからでしょう。他には「愚痴っぽくて責任転嫁する、被害者意識の強い人と付き合うのは絶対だめ」と言っていました。

 その後、大変困った上司を頂いて苦労されたようですが(休みがちだが出社すると突飛な行動に出る、お膳立てをすべて彼女にやらせていいとこ取りをしようとしたり、彼女が開拓した会社を横取りして自分に引き継がせるように命じるといっためちゃくちゃな上司・・・ご推察の通りご病気を抱えた方です。)、社長に話しても埒があかないと見るや考え方を変える。「こんな人を放任する会社だからこそ全盲の自分を迎え入れ、こまごました失敗や全盲ゆえにどうしてもできないことを赦されている。」と考え、自分を助けてくれている味方の方が断然多いことや応援してくれている企業の顧客に感謝し、上司の不審な行動を記録しつつも振り回されずやるべきことをやり言うべきことを言っていったというすごい方でした。この上司はかつて病気になる前は大変実績を上げて会社を支えていた人だったことから、「なんとかしてあげたい。責任を与えて育てたい。」という社長の意向があったことも後にわかり、「私はヒラにして、とうとう上司を育てる立場になってしまったのです。」と笑っていました。このくらいの豪傑でないととても社会に風穴を開けることはできないでしょう。いや久しぶりに痛快な話を聞きました。

2016年1月18日月曜日

「紅春 78」

「まあ、きれいだこと。」
散歩中すれ違う人からよく言われます。もちろんりくのことです。お風呂には月1、2回入れていますが、りくがきれいなのはおおかた自分自身の身づくろいのおかげです。家で特にすることもなく起きている時、りくはいつも身づくろいをしています。体のあちこちを実に丹念に舐めています。時々私の手なども舐めてくれるのですが、ねばねばで気持ち悪いので適当に、「はいはいありがと。はいわかりました。」とあしらってしまいます。納豆にしてもオクラにしてもねばねば系が体にいいのは有名ですが、犬の唾液のねばねばの正体もこのムチンのようです。

 りくは6歳の時には「3歳くらい?」と訊かれ、9つになった今は「6つくらい?」と訊かれるのですから、マイナス3歳肌です。たかが3歳ではありません。人間にすればマイナス20歳肌なのですから、もしりくが女の子なら恐るべき美魔女です。散歩中はりくの後姿を見ることの方が多いのですが、もう何年も変わらないシルエットで、ピンと屹立した耳といい、くるんとうず高く巻いたしっぽといい、家族が見ても「う~ん、きれいだ。」と思ってしまいます。

 でももしかするとりくの若さの一番の原因はストレスがないことかもしれません。りくに聞かないとわかりませんが、たぶん不満や心配事は何もないでしょう。あるとしてもせいぜい「今日もお留守番か、つまんないの。」くらいなもんでしょう。代わってあげたいくらいです。

2016年1月15日金曜日

「日本の歌謡曲」

 恥ずかしながら私がガラケーという言葉の意味を知ったのはつい最近です。世界標準ではない、日本でしか使われていない機能を多数搭載した携帯電話のことだそうですが、ガラパゴスのどこがいけないのでしょう。そんなに揶揄して言われるようなことなのでしょうか。私が日本についてガラパゴスという言葉で連想するのはなんといっても音楽です。私は音楽についてほとんど何も知らないのですが、これについては直感的にそうだとわかります。謡曲や地唄、長唄、義太夫節等しか知らなかった日本人が、明治を境にどれほど西洋の音楽を必死に取り込んでいったか、これはもう痛々しいほどです。小学校で習った唱歌や童謡はその典型で、私の好きな歌ベストスリーは「朧月夜」「冬景色」「浜辺の歌」ですが、今口ずさんでも実に美しくまた歌詞と溶け合った見事な歌であると思います。古典派の音楽やスコットランド、アイルランドの民謡、ドイツリートあたりまでは受け入れられたわけがわからないではありません。ひょっとしたら日本人の心を揺さぶるような衝撃的な出会いだったかもしれません。

 しかしモーツアルトはさすがにあまりにも異質だったのではないかと思うのです。クラシックの中でも「モーツアルトが好き」という人に会うと、単純に「へえーっ。」と尊敬してしまうのですが、大学のとき音楽に造詣の深い或る人から、「モーツアルトって結局歌謡ポップスなんだよね。松本伊代とおんなじ!」という括目すべきご高説を聞いたことがありました。その時は度肝を抜かれましたが、今考えるとこれはなかなか言い得て妙です。私が覚えているのは音楽の教科書には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第2楽章」のあの眠くなるようなゆっくりもったりしたメロディにしっかり歌詞がついていたこと。私の記憶によればその歌詞はこんな感じでした。
「そよ風静かな夜は、一重咲きの小さな野ばら、野中の小道を通る、誰かの影法師にささやく」
二、三か所違っているかもしれませんが、お見事というほかありません。最も異質なものであったに違いないモーツアルトさえ、まるでうわばみのように飲み込んでしまう日本の貪欲さに脱帽です。

 こうしてガラパゴスで独自の進化を遂げた日本の音楽が人を惹きつけるのは当然のことでしょう。日本語でJ-POPを歌う外国人が大量に出てきていますが、「もともとお国の音楽なのですからあなたがハマるのももっともです。」と言うべきでしょう。今では世界中どこにルーツを持つ音楽も日本で聴けないものはない。アメリカのR&Bは私にとっては一番なじめないものでしたが、宇多田ヒカルが出たおかげですっかりなじめるようになりました。(別世界に行きたいときはこれかな。)  もはや日本でしか聴けない音楽はないのかと思ったところで思い出した話があります。ある人が喫茶店で友達4人とおしゃべりしていた時、流れてきた曲に全員思わず話をやめて聴き入ってしまったというのです。その曲とは、元ちとせの「ワダツミの木」。 奄美という、ガラパゴスの中のガラパゴスで育った歌でした。


2016年1月13日水曜日

「青色申告終了」

 福島教会の会堂が再建され、今後の返済見通しが立ったこともあって、かなりきつくなっていた事業所の仕事を閉めることにしました。とにかく仕入れのこまごましたものを漏らさず記入し領収書をきちんと管理したり、いつ来るかわからないネット注文に対応するような煩雑なことはももう無理だなと感じたからです。会堂再建に際して当該教会の一員として一定の務めは果たせたのではないかと思います。小規模に製作品を作って献品し、バザー等で献金していただくくらいなら税務署を通す必要はないのです。

 退職して以来毎年自分で確定申告をするようになったため自宅そばにある税務署とは仲良しです。建て替えてもいいんじゃないというくらい質素な建物で、2月、3月の申告時期にはプレハブの施設が増設されるという、税金の無駄使いは許さない国税庁の強い信念を感じる施設で職員の方々がかいがいしく働いています。いつも順番札を取ろうとする前に職員が来てくれる迅速な対応ぶりです。退職後1年くらいで事業所の開業をしたこともあり、たびたび必要な用紙をもらいに行ったり、わからないことを教えてもらったりしてきましたが、本当に親切です。

 12月に事業所を閉めたので今年は最後の青色申告です。年明け早々で申告時期には早すぎるのですが、もう会計作業は終わっているし必要な証明書も届いたので行ってみることにしました。必要な会計諸表と確定申告の証明書類を見た職員の方が1対1でパソコン入力に付き添ってくれ30分ほどで無事終わりました。家のパソコンからでもできるはずですが、間違いがあるといけないのでその場で見ていただけるのは安心です。行く前は気が重かったのですが、帰りは足取りも軽やかに帰宅、「あ~終わった。」と安堵しました。来年からはとても楽になりそうです。

2016年1月11日月曜日

「お金の使い道」

 昨年12月の「東京神学大学報」に、或る教会員から亡くなった妹さんの遺志により3700万円の遺贈献金があったと記されていました。飛び抜けて多額な献金だったため学長から報告があったものと思われますが、毎号会報の半分近くの紙面を占めているのが献金者名簿です。東神大は信徒からの献金に依拠する割合が非常に高い大学ですが、それは財政基盤が脆弱だからではないということが最近わかってきました。財務諸表を調べてわかったのではなく体感としてわかるようになったということです。

 福島教会は東日本大震災での会堂喪失から3年10か月で再建されましたが、その資金の多くが献金でした。会員による毎月の会堂献金はもちろんありますが、それだけでは会堂は建たない。ほぼ全員が年金生活者という地方教会の小さな群れにどうしてそんな大それた負担が負えましょう。再建が決まる前から、福島教会と関係のある教会、団体、信徒の方々から献金が送られ、またそれのみならず、見ず知らずの教会、団体、信徒、一般の方々からも献金された資金によって会堂は建てられたのです。会計担当の方から聞いた話で、福島教会とは関わりのない方から多額の献金をいただいたので理由を尋ねるとその方は、「これまで何かこういう折のために積み立ててきました。新聞で福島教会のことを知り、今がその時だと思いました。」と答えられたというのです。

 他者に献げものをするということは信仰の根幹にかかわることなのではないか。そしてそれは使徒言行録に表された原始キリスト教以来の信仰形態ではありますが、敢えて言うなら、もっと根源的な記憶まで遡るのではないか。それは出エジプト記で荒野をさまようイスラエルに与えられたマナです。飢えた民に神が天から降らせた食べ物、必要なだけ与えられそれ以上は与えられないという食べ物、人々が「これは何だ?」と呼んだヘブライ語の意味を表す不思議な食べ物です。現在教会がこの世で信仰共同体として存在するために、その成員の信仰が実を結ぶために、どうしても必要な物としての糧なのです。物質的な必要を覚えている他者に対して物質的な贈り物、その最たるものとしての献金をささげることが不可欠であるということです。

 神から来るものなのですからこれは最強で、必要なときには必ず与えられるのです。「これは何だ?」という形で。与える側に立つ人を結果として神様が祝されるということはあり得ますがそれは神様の自由であり、あるにしても相当あとになって本人も驚くようなしかたで来るのでしょう。誤解を恐れずに言うなら、他者から与えられるのでなければ実現しえないものを目指す人々と、他者に与えることなしには実現しえないものを目指す人々とが、双方同時に存在することが神の救いを信じる群れとしての共同体を成立させるということです。

 お金はどうしても生活に必要な物を買う以外は自由に使えるものですが、例えば普段でも、「今外食したらそれきりだけど、代わりに本を買ったら相当長く楽しめるな。」と考えてそうすることはあるでしょう。するとさらにもっといい使い道があるかもしれないと思います。この延長上に、もし自分が死んだ後に、生前自分が稼いだ自由に使えるお金があるとしたら何に使うのが一番いいか・・・と考えると、東神大に献金された方の気持ちにかなりの親近感を覚えます。主の道を宣べ伝える人は絶対に必要だからです。


2016年1月8日金曜日

「職場運営の手法 -民主主義と独裁主義― 」

 「下町ロケット」というテレビドラマがありました。同時期のドラマの中では一人勝ちだったようですが、私も始めの方を見逃したものの途中からずっと見ていました。ロケット打ち上げ失敗の責任を取って辞職し町工場の社長となった技術者が、社員一丸となって様々な困難を乗り越えながら、見果てぬ夢に向かって突き進んでいく熱いドラマでした。想像でしかないのですが、このドラマを支持したのは、たぶん50代以上の方なのではないかと思います。

 私も強い既視感を覚えました。私の初めての赴任先は、西多摩のはずれにある高校で、当時都内で二番目に退学者の多い教育困難校と呼ばれる学校でした。朝早くから夜遅くまで労働時間度外視のブラックな職場でした。同僚は深夜の拝島駅で乗り換えの電車を待ちながら(家庭訪問の帰りです。)、「どうしてこんなにボロ雑巾みたいになって働かねばならないの。」と涙が流れたと言っていました。進路変更という形で多くの人の人生を変えた職場だったのは事実ですが、あれほど団結して燃えていた職場はあとにも先にも経験したことがありません。今では考えられないことですが、ほぼ全員が組合員でそれが労働時間の短縮を訴えるどころか逆に皆率先して身を粉にして働いていました。エピソードを2つ挙げますと、

1.猫の手も借りたい職場で1名増員の配置があった時、どの科に増員するかの会議がもたれました。各科が順にいかに自分の科で人手が不足しているか主張し合いましたが、当然こういう場合大人数の教科が有利です。それから小人数の教科の主張へと進んでゆき、二人教科の芸術科(美術・音楽)、一人教科の家庭科へと進んでいきました。ひと通り終わって話し合ったのち採決で出たのは「家庭科を増員する」という結論でした。(その直後に校長から「実は主要5教科にしかつけられない」と聞きどっと疲れましたが、知りつつ議論させていた校長もさすがでした。昨今はどこかの学校で被爆体験者の講話が原発の話に及んだ時、話をさえぎって止めさせた校長の話を聞きましたが、あまりに狭量かつ非礼で情けなくなります。)

2.某進学校から組合活動に反対している非組合員が異動になってきた時、そのうわさを聞いていた私たちは組合加入を勧めることはありませんでしたが、その方は大変いい方で共に気持ちよく仕事をしていくことができました。後にその方が、「こんな職場なら組合に入ってもいいなと思ったのに誰も誘ってくれなかったので入れなかった。」と言っていたことを知りました。

 あのドラマはこういう時代の雰囲気を知っている人々にウケたのだと思います。今では職員会議は報告のみで重要な決定は校長が行いますし、今組合の加入率はどれくらいなのか私は知りませんが、三割前後と言っても大きく外していることはないでしょう。今の若い方はきっと職場では初めからトップダウンの学校運営がなされていたのではないでしょうか。ですからもし若い方々にあのドラマが心に響くものだったとしても、それはある種のファンタジーとしてなのではないかと思うのです。今や最も強く民主的手法を求めているのはこの人たちです。安保関連法案反対集会で彼らはラップに乗せてこう叫んでいました。
「民主主義ってなんだ?」 「これだ。」
「民主主義ってなんだ?」 「これだ。」
これというのは集会の自由、表現の自由を指しているのでしょう。そして法案が国会を通った後はシュプレヒコールはこう変わりました。
「選挙に行こうよ。」 「選挙に行こうよ。」
「選挙に行こうよ。」 「選挙に行こうよ。」
いまだかつてこんなささやかでまっとうなコールがなされたことはありません。大人社会の民主主義が末期的様相を呈した時、まっとうな若者たちが生まれたのです。

 これからはますますすばやい決定のできるトップダウン方式が採用されるのであろうことは確かでしょうが、長い目で見て最後に残るのはどちらなのでしょう。ドラマでは「夢」という言葉が作品のテーマだったようですが、もっと重要な隠れたテーマだと感じたのは「何でも話題にできる民主的な運営」でした。

 「りく、世の中には悪い人いるな。」と、そばで身づくろいをしているりくに話しかけながら私はテレビを見ていました。ドラマの中で出てきた大企業の一部の悪徳幹部や企業と癒着した競争相手の医者や研究者にげんなりしながら、「これほど悪辣な人には会わなかった。変わった人はたくさんいたけど。」と思えたことは幸せなことだったと言うべきでしょう。

2016年1月4日月曜日

「高村智恵子を想うとき」

 午後から通院の日、午前中を大学の図書館で過ごし学食で昼食をとった時のこと、「集中」と書かれた缶飲料が無料で振る舞われていました。大手飲料メーカーの試供品とのことで、あまたある缶飲料にこのうえさらに一品加える必要があるのだろうかと思いつつ、ほぼ全員がトレイに缶を置いているのを横目でみながら私もひとつ試してみることにしました。これから社会人になる学生がターゲットと思われるこの試供品はエナジードリンクのような味がしました。(ここにも先日問題になったカフェインが含まれています。)

 私はもう集中を求められることはそんなにないのですが、それでもちょっと気合を入れてやらなければならないことがある時はまず料理をします。簡単だが根気のいる作業のときは家事が気晴らしになることもあるのですが、込み入った仕事でかつちょっとやそっとでは終わらない作業のときは、栄養たっぷり具だくさんスープとか炊き込みご飯とか、温めれば食べられる、途中で集中を切らさずに済む料理を作ってから始めます。自分だけなら毎回作る必要はないし二日くらい同じものでも全く問題ありません。

 こんな時、高村千恵子のことを考えて気分が重くなることがあります。私のように仕事でもなんでもない、とりあえずやってみるか程度の作業であっても集中が必要なのです。家電もないその昔、しかも真に才能ある女性がやりたいことをどれだけ家事に妨げられたことかと考えてしまいます。さらに気が重くなるのはその時代家事が女性の双肩にのみかかっていたであろうという事実です。夫・光太郎は創造的活動が好きなだけできるのに自分は家事によって寸断されたわずかな時間を利用して自己を発現させるべく努力しなければならないのです。日常に埋没しても家族のためと言い聞かせそれを幸せに感じる人もいるでしょう。しかし彼女のような非凡な才能は・・・。

 高村智恵子は母校の先輩です。前に実家で高校まで使っていた机の中を整理した時のことを書きましたが、私の高校時代でさえ図書館報に校長が寄稿したのが、「女に学問はいらないというのは歴史的事実であった。」に始まる「女に学問はいるか?」という表題の文なのです。(校長先生の名誉のために付け加えますが、内容は戦後の女子学生亡国論までの歴史を俯瞰した学問のすすめで効果的な読書法を説いているものでした。) 智恵子の女学校は質実剛健な気風であったとはいえ、その時代、良妻賢母の教育がなされたことは疑いようもないでしょう。

 「これでは狂いもするよなあ。」と智恵子が憐れでならないのです。光太郎に責任はないかもしれませんが、やはりどうしたって狂った原因ではあるのです。いややはり責任もあるだろうと思います。家事を妻にまかせることを当然としている以上、彼女の才能を幾分か低く見ていたことに相違ないからです。もっと後の時代のことですが、ある研究者の男性が同等の相手と結婚して、「私は結婚して仕事が増えた。」と言ったそうです。結婚について大きな勘違いをしたのでしょう。智恵子は結婚して初めて自分の立場を思い知らされたのです。狂いもするでしょう。これは夫を愛していることとは何の関係もないのです。あえて言えば、夫を愛していたからなおさら狂わざるを得なかったのです。
 この問題は現代でもまだ相当長い間結婚に底流する大きな問題として続くでしょう。これからは全体の潮流として男女双方が働く中で家庭を作っていくことになるでしょうから、「僕も家事をやるよ。」と口でも言えかつ実践もできる男が求められるのは理の当然だと思います。