「下町ロケット」というテレビドラマがありました。同時期のドラマの中では一人勝ちだったようですが、私も始めの方を見逃したものの途中からずっと見ていました。ロケット打ち上げ失敗の責任を取って辞職し町工場の社長となった技術者が、社員一丸となって様々な困難を乗り越えながら、見果てぬ夢に向かって突き進んでいく熱いドラマでした。想像でしかないのですが、このドラマを支持したのは、たぶん50代以上の方なのではないかと思います。
私も強い既視感を覚えました。私の初めての赴任先は、西多摩のはずれにある高校で、当時都内で二番目に退学者の多い教育困難校と呼ばれる学校でした。朝早くから夜遅くまで労働時間度外視のブラックな職場でした。同僚は深夜の拝島駅で乗り換えの電車を待ちながら(家庭訪問の帰りです。)、「どうしてこんなにボロ雑巾みたいになって働かねばならないの。」と涙が流れたと言っていました。進路変更という形で多くの人の人生を変えた職場だったのは事実ですが、あれほど団結して燃えていた職場はあとにも先にも経験したことがありません。今では考えられないことですが、ほぼ全員が組合員でそれが労働時間の短縮を訴えるどころか逆に皆率先して身を粉にして働いていました。エピソードを2つ挙げますと、
1.猫の手も借りたい職場で1名増員の配置があった時、どの科に増員するかの会議がもたれました。各科が順にいかに自分の科で人手が不足しているか主張し合いましたが、当然こういう場合大人数の教科が有利です。それから小人数の教科の主張へと進んでゆき、二人教科の芸術科(美術・音楽)、一人教科の家庭科へと進んでいきました。ひと通り終わって話し合ったのち採決で出たのは「家庭科を増員する」という結論でした。(その直後に校長から「実は主要5教科にしかつけられない」と聞きどっと疲れましたが、知りつつ議論させていた校長もさすがでした。昨今はどこかの学校で被爆体験者の講話が原発の話に及んだ時、話をさえぎって止めさせた校長の話を聞きましたが、あまりに狭量かつ非礼で情けなくなります。)
2.某進学校から組合活動に反対している非組合員が異動になってきた時、そのうわさを聞いていた私たちは組合加入を勧めることはありませんでしたが、その方は大変いい方で共に気持ちよく仕事をしていくことができました。後にその方が、「こんな職場なら組合に入ってもいいなと思ったのに誰も誘ってくれなかったので入れなかった。」と言っていたことを知りました。
あのドラマはこういう時代の雰囲気を知っている人々にウケたのだと思います。今では職員会議は報告のみで重要な決定は校長が行いますし、今組合の加入率はどれくらいなのか私は知りませんが、三割前後と言っても大きく外していることはないでしょう。今の若い方はきっと職場では初めからトップダウンの学校運営がなされていたのではないでしょうか。ですからもし若い方々にあのドラマが心に響くものだったとしても、それはある種のファンタジーとしてなのではないかと思うのです。今や最も強く民主的手法を求めているのはこの人たちです。安保関連法案反対集会で彼らはラップに乗せてこう叫んでいました。
「民主主義ってなんだ?」 「これだ。」
「民主主義ってなんだ?」 「これだ。」
これというのは集会の自由、表現の自由を指しているのでしょう。そして法案が国会を通った後はシュプレヒコールはこう変わりました。
「選挙に行こうよ。」 「選挙に行こうよ。」
「選挙に行こうよ。」 「選挙に行こうよ。」
いまだかつてこんなささやかでまっとうなコールがなされたことはありません。大人社会の民主主義が末期的様相を呈した時、まっとうな若者たちが生まれたのです。
これからはますますすばやい決定のできるトップダウン方式が採用されるのであろうことは確かでしょうが、長い目で見て最後に残るのはどちらなのでしょう。ドラマでは「夢」という言葉が作品のテーマだったようですが、もっと重要な隠れたテーマだと感じたのは「何でも話題にできる民主的な運営」でした。
「りく、世の中には悪い人いるな。」と、そばで身づくろいをしているりくに話しかけながら私はテレビを見ていました。ドラマの中で出てきた大企業の一部の悪徳幹部や企業と癒着した競争相手の医者や研究者にげんなりしながら、「これほど悪辣な人には会わなかった。変わった人はたくさんいたけど。」と思えたことは幸せなことだったと言うべきでしょう。